武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別ⅩⅩⅡ

 白羽と相談したところ、やはり未解決という判断に至った。
「総ちゃんの話を聞く限り、シェリルちゃんの精神状態は万全とは言えない。それに――総ちゃん自身が、きっとこのままでいるなんて出来ないって、そう思ってる。違う?」
「ううん、違わない。シェリルの為に、まだ出来ることがある。みんなが俺にしてくれたように、やれる事が残ってる」
 総一郎の返答に、白羽は励ますような微笑みを浮かべた。
「なら、引き続き任せるよ。それで、ひとまずこれから何をするつもりなのか聞いていいかな?」
 間髪入れず、答えた。
「シルバーバレット社の令嬢、ルフィナ・セレブリャコフに会ってくる」







 ルフィナの連絡先に『吸血鬼の事で話したい』と送信すると、『申し訳ありません、現在は多忙で、学校にも行けていませんの。代わりにアルノを行かせますから、彼と話してもらえますか?』とのこと。
 シェリルの幻で襲われたのが記憶に新しかったため、少し抵抗感はあったが承諾した。総一郎は学校に赴き、極力グレゴリーに見つからないように行動して、どうにかアルノと個室で待ち合わせた。
「それで? 私にまんまとデマを掴ませて、自分はちゃっかり吸血鬼の症状を治しているブシガイト殿。何の話かを聞く前に、まずそちらの話を伺いたいものだな」
 席に着いたアルノはたいそうご立腹のようだった。シェリルの記憶の中でルフィナの方が衝撃的だったために印象派薄いが、あのころに比べてずっと人間らしくなっているのだな、という発見をする。
 というか、この言葉尻からして、この執事もシェリルの幻覚に騙された口らしい。
「……一から説明するのは中々に大変なんだけど、どちらにせよ話したかった話題だし、ひとまず単刀直入に現状報告させてもらうよ」
 総一郎は一つ咳払いをして、肚を決めた。
「今、ヴァンパイア・シスターズを家で保護してる。彼女から過去の話も聞いた。君たちは、人間との親和路線を取ろうしていた改革派の吸血鬼を殺し、差別社会の助長をしたな?」
「―――」
 アルノが言葉を失ったのが分かった。瞬間的に敵対しかけたのが分かったから、総一郎は続いて口にする。
「落ち着いてくれ。一方的に弾劾するつもりならこんな風に向かい合ってない。こちらもバックに力がある。黙ってシルバーバレット社を襲撃しているさ」
「……お嬢様が気になった理由が、やっと分かった気がする。その口ぶり、私が脅威であると理解しているな? その上でこれだけ流暢に話せる胆力は例に見ないものだ」
「お褒めに与り光栄だね。君たちみたいに社会を食い物にして大儲けしたような悪党と向かい合うのは、俺だって怖いものだから」
 痛烈に皮肉ってやると、執事はしばらく沈黙した。こちらの立場も察せたことだろう。対話すれども味方ではない。ここでの交渉次第で敵に回ると。あとは、こちらの力を大きく見せていけば、話は有利に進んでいく。
 だがアルノも一筋縄ではなかった。あくまでも自分の立場に与えられた権限で判断した。
「いいだろう。恐らく、私では話になるまい。お嬢様に取り次ごう。ただし、ひとつ頼みたいことがある」
「頼み?」
 予想していなかったアプローチに、総一郎は怪訝な顔だ。
「お嬢様ご自身がブシガイト殿に返信した通り、現在お嬢様、並びに我が社は大変な多忙状態に置かれている。正直な話をするなら、私とてここでこうして話しているのも惜しいと思われるほどだ」
「それは、何でかな」
「それを話す義務はこちらにない。だが、その貴重な時間を割いて私もこのテーブルについていると理解してもらいたい」
 とても平易に訳すなら、敵対関係はルフィナ陣営も望んでいない。総一郎には、貴重な時間を割くだけの期待を寄せている、といったところか。ただし、事情においては弱みであるため話せない、と。
「分かった。君たちの手伝いをすれば、改めてルフィナ様との交渉テーブルを用意してもらえるって解釈でいいかな?」
「ああ。その通りだ。出来なければ、こちらは多忙故に話をする場を設けられなくなる」
 体のいい厄介払いだな、と総一郎は鼻で笑った。詰まる話、今から頼むこともなしえないような力のない組織なら、話し合う価値もない、と言われているのだ。運が悪ければこちらが裏を取った情報、シェリルごと“無かったことにする”かもしれない。
 逆に言えば、この依頼をこなすような力があるのなら、ルフィナは総一郎との交渉テーブルに着かざるを得なくなる。何せあちらからすれば、侮り難い相手に借りを作ることになるのだから。
「何をすればいい」
「現在、アーカムの郊外にて、一部隔離されている地域がある。そこにいる異常存在を、一掃してほしい」
「異常存在? ……敵対勢力とか、亜人とかではなく?」
「ああ、異常存在だ。亜人と呼ぶのも難しい」
「イギリスでは、姿勢も知性も持ち合わせない亜人的存在を、総じて魔物と呼称していたけれど」
「いいや、異常存在としか言えないようなものだ、アレは。とにかく数が多くてな。それでいて動きが妙な物だから、私兵を雇っても返り討ちにされてしまう」
「君が行けばいいじゃないか」
「…………。……どこまで情報を掴んでいるのか。舐められたものではないな、ブシガイト殿」
「そちらこそ」
 顎をしゃくって言い返すと、執事は嘆息した。
「私は、あまりお嬢様からは離れられないのだ。お嬢様も我が社の性質上、常に護衛を必要とする。今も、ここから少し離れただけの場所で、仕事をなさっておいでなのだ」
「なるほど? 素直に俺に会うよりも、近くの何処かに隠れる方が安全だと判断したわけだ、ルフィナ様は。はは、狡猾だね。多分俺の情報もそれなりに割り出していそうだ」
「ブシガイト殿の情報は、気づいたら我が社の要注意人物欄に加えられていた。それを切っ掛けに接触したのだ。……どこまでブシガイト殿の策略通りに運んでいるのか、恐ろしいものだな」
 要注意人物としてデータが加えられていた――というのは、恐らくウッドが自らの記憶と総一郎との記憶の間に作った関連を、人々からアナグラムを調整した電波で奪った弊害だろう。
 推察するに、逆なのだ。シルバーバレット社は、ウッドが総一郎だと知って、その情報を集め、要注意人物のデータに加えた。次にウッドにその関連を奪われたがために、突然データが更新されたようにルフィナの目に映った。
 要は、過程をすっ飛ばして総一郎のデータが要注意人物に加えられていた訳だ。こんな異様な存在が、気にならないはずがない。
 事情を明かしてきたのは、それが総一郎の工作であると勘違いしたためだろう。総一郎としては多少疑問が解けたという程度だが、この場合警戒されていた方が、都合がいい。
 それはそれとして、SNSや警察のデータ元は破壊したが、こういう細かいところで残っているのだ、とウッドの迂闊さに歯噛みした。推測だがワグナー博士もこの手合いか。ARFはデータを管理していたアーリが無力化されていたから対応できなかったのだろう。
 総一郎は、とりあえず惚けて話を戻す。
「さぁね。それで、ひとまずその隔離地域の情報をくれるかな」
「……実に食えないな、ブシガイト殿は」
 データチップを渡してくる。手持ちの電磁ヴィジョンに差し込んで、総一郎内部の電脳魔術にデータを送信した。隔離地域の座標はもちろん、一部の異常存在についての調査情報まで記されていた。
「ずいぶん親切だね。よほどお困りのようだ」
「ブシガイト殿は自分の実力を示す試金石だと認識しているかもしれないが、我が社にとっては一番の問題なのだ。警察も腰が重く対応してくれない。ウッドにしてやられ、戦力を失っているのは奴らだろうに」
 得をしたな、という気分だった。この分なら、かなりの恩になる。シルバーバレット社との交渉は、きっと総一郎の思うがままだろう。
 問題を上げるとすれば、まず依頼をうまく遂行できるか。そして、交渉における“総一郎の思うがまま”がいったいどういう事であるのかを、あらかじめはっきりさせておくことだ。









 その後グレゴリーの姿を見かけたので、総一郎は授業も受けず早々に帰宅した。するとシェリルが眠たげにウルフマンをテーブルで転がして遊んでいたので、声を掛けた。
「やぁ、何をしてるの?」
「おしおきしてるの。私の安眠を邪魔したから」
「いやだって夜起きて昼寝るとかいう生活習慣はなおさなきゃならんだろうぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!?」
 シェリルがボーリングよろしくウルフマンの頭部を転がすものだから、Jは驚愕に声を上げてゴロゴロと転がっていく。その先にはあらかじめ立てられていたのか空のペットボトルが並べられていて、ウルフマンに弾き飛ばされバラバラに散らかった。
「ストライク~」
「……何か不安だなぁ。シェリル、清ちゃんとは会った?」
「セイ? 誰それ」
「この家の家主の妹。背丈的にはシェリルより低いけど、ずっとしっかりした子だよ」
「ソウイチってそういう言い方あんまりしないよね。私の事嫌い?」
「自分のように思ってるかな」
「あっ、これヤバい奴だ。ソウイチ自分に厳しく他人に甘いの知ってるもん。ヤバい。逃げなきゃ」
「ははは、逃がすものか」
 群体化する前に、素早く「灰」とシェリルの額に記した。「ひやー!」と妙な叫び声をあげる小さな吸血鬼に、「イッちゃんが他人に辛辣なの、初めて気がするな」とペットボトルの山に埋もれたウルフマンが言う。
「そう? 俺気に入らない相手には大抵こんな感じだよ。初期のJとかにも多分こんなん」
「そういやそうだった……。最近優しいから忘れてたけど昔は警戒されてたな」
「魔法使えない! ナニコレ! ソウイチ、これ止めて!」
「じゃあJにちゃんと謝りなさい」
「狼さんごめんね。これからは昼間に起こさないでね?」
「反省してるんだかしてないんだか微妙なラインを突いてくるな……」
 実際吸血鬼は夜に起きているのが正常なサイクルでもある。昼間に起きるのを強制するのも酷だろう。
 ともあれやることは変わらない。『灰』を吹き飛ばしつつ、総一郎はシェリルに一言告げた。
「君の両親を殺した相手と会ってきたよ。条件付きで、正式に話し合う予定も取り付けた」
「ぇ」
 困惑の声が漏れた。強張った顔で、シェリルは総一郎を見上げてくる。
「しる、シルバーバレット社、の、ひと……?」
「そうだよ。君の記憶を見て、君に必要なのはこれだと思った。君は、君の最も憎く思う相手の一人に会わなければならない」
 シェリルは、声もなく震えた。頭を抱えて、首を振る。
「違う。私、あの人たちの事憎んでない。私が一番嫌いなのは、カバリスト。でも、イギリスを離れるときに殴ったから、もういいの」
「それは俺の記憶だ。君の憎い相手じゃない。君が憎むべきは二人だ。シルバーバレット社の令嬢、ルフィナ・セレブリャコフと、その執事アルノだ」
「違うの! 勝手なこと言わないで! 勝手な真似しないでよ! ソウイチなんて嫌い! 自分が辛いことばっかりして! 傷は抉ってでも治さなきゃいけないみたいなその考えの所為で、私までおかしくなったのに!」
 叫んで、シェリルは逃げ出した。階段を上がっていき、扉を強く閉めた音がした。
「……これは、今日は自分のベッドで寝られそうにないね」
「追いかけないのか?」
「いや、いいんだ。俺の癖まで移ってるなら、シェリルは多分寝つけずに悶々と考え込むことになる。そうすれば、自分なりの答えに近づいて行けるからね」
「そうかい。おれとしては、あんな小さな子に厳しい態度を取るイッちゃんってのは、何だか見てて不思議な気分だ」
「そうかな、そうかもね。でも、ああ見えてシェリル、多分俺達よりも年上だよ?」
「マジで?」
「親を殺した犯人の所為でトラウマを抱えて、白ねぇに助けられるまでの数年間、タンスに籠り切りだったみたいでね。籠りだす前のシェリルとルフィナを比較しても、多分シェリルのが年上だった」
「それであの精神年齢か……本当に不憫だな」
 ウルフマンは、複雑そうな顔で口を開閉させ、総一郎の下へと転がってくる。掴み上げて机の上に載せ、総一郎も席に着いた。
「それで、二人になったわけだし、昨日の続き良いか?」
「俺と白ねぇが、って話だよね。恥ずかしいことだし、インモラルなのは分かってるよ。……でも、愛し合ってるんだ。何と言われたって、止めるつもりはないよ」
「あぁ、まぁ、そうだよな。アレだけしか言わなかったら。そういう返事になるよな」
「……どういう事?」
 どうやらウルフマンの言いたいことは、また別にあるらしい。体があったら頬でも掻きたそうな複雑な顔で、彼は話し始めた。
「実のところ、イッちゃんとシラハさんの仲がいいことは、おれも歓迎すべきだと思ってる。けど今の二人は、何ていうか、意識して仲良くしようとしすぎてるんじゃねぇかなって思って、イッちゃんに何か言ってやりたくなっちまったんだ」
「意識して、仲良くしすぎる」
 総一郎は、言葉を反芻する。それは、確かにそうかもしれない。
「おれはさ、インモラルだのなんだのっていう事は言わねぇよ。おれだって殺人に手を染めてる。信念の為つっても、やってることは殺人だ。その結果が今の首だけなんだから、妥当っちゃ妥当って話で」
「そんな、君のそれは、俺の……」
「だから、気にしてねぇんだって。むしろ首だけになってから、それなりに考える時間が出来たくらいだ。忙しすぎたんだな、今まで。だから、色々なものが見えてなかった」
「J、今の君になって何が見えたんだ?」
「……」
 目を、合わせた。とても穏やかな瞳だった。
「人間って、分かり合えないんだなって事さ」
 総一郎は息を詰まらせた。それからその瞳の奥にあるものが何なのかを探った。だがやはり、絶望などと言った暗い感情では決してなかった。とても安らいだ気持ちで、彼は続ける。
「おれはさ、首だけになって、いわばちょこっとウッドが気まぐれを起こしたり、アーリが手を滑らせただけでも死にかねない状態だったんだな。でも、うるさくは言えなかった。その方がウッドは殺しにかかってくるって直観で分かったし、アーリも何かごそごそしてたしさ」
 まさかハウンドの正体だったとは思わなかったけどよ。ウルフマンはからからと笑う。
「笑うしかなかったぜ。ウッドとアーリがそこそこお互いに気を許し始めながら、結局ぶつかり合ってやがったんだ。仲間とか、友人とか、そういう風に言い飾っても人間最後には一人なんだなって、そう思った。勝手なもんだ。二人も、それを見てるだけのおれも」
「それは、だって、君は何も」
「そうだよ。あの状況をどうにかする力は、この通りおれにはなかった。かといっておれが何か言っても何もよくならなかったと思ったし、だから必要ないことは喋らなかった」
 言葉の端々から、無力感が伝わってくる。何も出来ない気持ち、何をしても無駄な気持ち、どちらにも覚えがある。カバラで差別に凝り固まった貴族の子女たちを見た時、話し合いでは決して差別を取り払えないと知って、同じ気持ちを抱いたものだ。
 きっとすでに、カバリスト達が計画した内乱で同士討ちをしたことだろう。そして、全て内々に処理された。
 総一郎に、出来る事はなかった。カバラを覚えて奴らと対等になった時には、何もかも終わっていたのだ。
「……人は、そうだね。分かり合えない。分かり合えないことの方が多い。カバラを使ってさえ、共感というレベルを出ないのかもしれない。でも、J。なら、君はどうしてるんだ? 何で、君はそんな風に思っていながら、笑ってられるんだ?」
 総一郎は孤独の苦しみを知っている。それが修羅であると、地獄の入り口であると経験している。ウルフマンの異常性は、それがこの世の全てだと認識してなお、絶望を抱いていない点だ。それが、総一郎にはナイ以上に理解できない。
 ウルフマンは、ニッと口角を上げる。
「何があっても、おれはおれだからな。どうせ人間、死ぬときゃ一人だ。自分を信じるのに他人を使うような奴は、きっと死ぬときみっともなく喚くしかない。でもおれは一人でおれを信じてるから、どんな間抜けな死に方をしても笑って死ねる」
 それは、ウッドとウルフマンが最後にぶつかったときに言っていた言葉の再来だった。総一郎は、愕然とするのだ。あの時と今、この言葉を聞いて抱く感情が、まったく同じであると。
 白羽に、助けられたつもりだった。Jとアーリに、その手助けをしてもらったつもりだった。そしてそれと同じことをシェリルにするつもりでいたのだ。
 だが、総一郎自身があの頃と変わっていないなら、一体何が出来る?
「……悪いけど、分からないよ。一人と孤独の違いなんて」
「そう、か。いや、いいんだ。他人のおれがぐちぐち口出せる事でもないしな。けど、それでも親友として、心からイッちゃんの為に行ったことなんだってことだけ分かって欲しい」
 イッちゃんとシラハさん、そんなに似てないしその辺の忌避感は少ないんだろうな、とだけ。そういう問題なのかなぁ、と総一郎は気まずさに頭を掻く。
「ともかく、これからは夜遅くは寝るようにお願い」
「そうだなぁ……生活習慣も直さねぇと。ヴァンプの件が片付いたら、次はマナさんの捜索も始まるだろうし」
 何て事のない声色で言う。だが、それが心配していないからではないと、総一郎にも分かった。ここで不安がっても意味がないから。ただ準備だけを始めようと決めている。
 その様はまさに一人で、しかし孤独ではなかった。
 眩しい、と思う。どれだけの光の中でも、天使の目は眩まないというのに。

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