武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別Ⅸ

 自分に傷つく資格なんてないことは、重々承知だった。
 ウッドに詰られたあの日から、白羽は自室に引きこもっていた。ウルフマンや清などが時折扉越しに声をかけてくるが、それに答える気力もなかった。ただウッド――いや、総一郎が何年かぶりに姿を見せた時、どうして「久しぶり、会いたかったよ」と言えなかったのかという事ばかりを悔やんでいた。
「……」
 何日も何も口にしていなかったが、空腹は感じなかった。ただ、喉の渇きがあるだけ。それを癒すことすら億劫で、白羽はついに声も出せなくなっていた。
 ウッドはとっくに、白羽から興味を失ったようだった。今何に取り掛かっているのかも分からない。しかし扉の向こうから話しかけてくる二人の話を聞く限り、学校には行っているらしかった。
 今の時間はいつだろう、と思う。カーテンの向こうから光が差していないから、きっと夜なのだろうと踏んでいた。だからどうという事もないけれど。今の自分に、日の光は眩しすぎる。
 そう考えていると、扉をたたく音が聞こえた。ウルフマンが扉へと首だけで体当たりした音ではない。しかし清がするような、非力な音でもなかった。
「おーい、白羽~。生きてっかおーい」
「……」
 声を出そうとして、出なくて、諦める。体力のあったころは何もしたくなくて、今は答えようとしてもそのための体力がなかった。だからやっぱり、寝っ転がっているだけ。
「おーい! 声の一つでも返さねぇと、プライバシー無視して家主権限使うぞおらー。それが嫌なら何か反応しろー!」
「……」
 出来ないんだって、と擦れ切って声にならない声を返す。
「……マジで開けるぞ。いいな?」
 台詞の途中から扉は開き始めていて、まったくずっちんはデリカシーがないなぁ、などと他人事のように思う。
「おい! おいおいおい、マジで死にかけ状態じゃんか大丈夫か!」
「……」
 唇だけで、みず、と要求。すると図書は嫌そうな顔をして、水魔法で作り出した水を白羽の口に注ぎ込んだ。
「ん、んぐ、ぐぇ、ゴホッゴホッ!」
「おうおうおう、え? 何でお前俺ん家の中で行き倒れ状態なんだよ勘弁してくれって。どんだけ弟との喧嘩に大ダメージだよ」
「……だ、大ダメー、ジ、どころじゃ、ないもん……」
 ウッドの言葉を信じるなら、致命傷だ。無論、白羽ではなく、ウッドでもなく――総一郎の。
「……私、私は、総ちゃんになんてひどい事……!」
「あーあー、水飲んで元気になったと思ったらこれだよ。わーったわーった。お前の涙用の水をたらふく用意してやっから、ちょっと待ってろ」
 図書は白羽をベッドに寝かせなおし、部屋を出て階段を下りて行ったらしかった。それから少しすると、今の白羽では持つのもちょっと辛いほどの二リットルペットボトルに水をパンパンに詰め込んで渡してくる。
「ほれ、飲め飲め。そんで何があったか話せよ。お前ら日本にいた時と違って喧嘩長引きすぎだろ。もう流石に仲介に入るからな」
「……無駄だよ。もうどうしようも」
「あー! もーうじうじすんなウゼェ! とりあえず水飲めアホ!」
「これ、重くて持てそうにないもん……」
「非力かよ。あーくそ、んならコップも持ってくりゃよかった」
 後頭部をかきむしりながら、図書はまた退室。すぐに戻ってきて、ついでにドーナツを二つ皿にのせて持ってきた。
「果物探したけどなかったからとりあえず持ってきた。食えなきゃ俺が食う」
「……」
 無言で手を差し出すと、「ほらよ」と渡してくる。ひとまずコップに水を注いでもらい、三杯ほど飲み干してから、ドーナツにかぶりついた。
「どうだ? うまいか」
「……むり。今食べたら吐いちゃいそう」
「口付けてから言うなよ。ったく」
 返した食べかけのドーナツを、図書は何ら躊躇わずにパクついた。思わず白羽は嫌な顔。そっぽを向くと、「どうした白羽」と何も分かっていない声色で聞いてくる。
「ずっちょは面倒見良いけどデリカシーゼロ」
「最初に聞いたろ。応答なきゃプライバシー踏みにじって介護すんぞって」
「そんなの聞いてない……」
「諦めろ。俺は総一郎みたく気が利く人間じゃねーんだよ。つーか妹分の感情なんてどうでもいい」
「言い方……!」
「お、ちょっと元気出てきたじゃん。上々、上々」
 分かったような口ぶりをされて、ムッとする。けど、多少なりとも元気が出たのは事実だった。コップをもう一度無言で差し出すと、水を注いでくれる。飲み干してから、一つ息を落とした。
「……ありがと。元気出たのは事実だから、お礼言っとく」
「素直なんだかそうじゃねーんだか。そういうとこはまだまだ子供だよなぁ」
「うるさい」
「総一郎、今日は帰ってこねーって。久しぶりに思いっきり散歩してくるんだと。あいつもすっかりナイトウォーカーだよな」
「……そう」
 吸血鬼になった話は聞いていた。不便らしいというのは図書に話しているのを横で聞いたが、どれほどの苦労かは分からないでいた。ウッドならそれほどではないような気もするが、ニンニクを食べて悶えていたのは少し可笑しくて、でもやっぱり心配だった。
「……シェリルちゃんに、やられたんだよね」
 ヴァンパイア・シスターズ。ARFの問題児。あの幼さで、重大な役割を担ったこともなかったが、ARFでも愛見に続いて重要な存在だった。戦闘力として動員するのは気が引けてあまりしなかったが、種族魔法の練度はかなりのものだったことを覚えている。
 そして、誰より複雑な事情の持ち主だった。単純な過去の持ち主などARFには、特に幹部にはいないといってよかったが、彼女の多才さも手伝って、シスターズがもっともややこしく度し難い。
「しっかしなぁ、総一郎があのARFの幹部にやられたってのは驚きだ。ARFなんて遠い世界の出来事みてーに思ってたのに、一気に近づいた気がしたっつーか。……アレ? でも前に何かでっけー人が総一郎を……アレ? 何だこの記憶。夢か?」
 巨漢、と聞いて白羽はヒルディスヴィーニだとすぐに分かった。恐らく、ウッドが拠点を図書の家から移したばかりの頃だろう。だが今の図書は、ウッドの精神汚染電波で総一郎とウッドの関連を忘れている。
「ま、それはいいんだけどよ。総一郎も思った以上に、色々抱えてんのかもな。俺があいつの年に、散歩したいなんて思ったことねーよ」
「気分転換、ってことなのかな」
「分からん。総一郎は謎が多いからな。お前と一緒だよ白羽。お前もいつどこで何やってんのか分かんなくて、やっと戻ってきたと思ったら何か知らんがずっと総一郎と喧嘩してやがる。結局何がどうしてこうなったんだ?」
「……すごい簡潔に言うなら、私が、久しぶりに会ったばかりの時、総ちゃんにひどいこと言っちゃったのが全て」
「謝ったんだよな?」
「謝った、けど。謝って済むことじゃなかったんだよ。何度謝ったって足りるものじゃなくて、だから総ちゃんは私を許さないし、私も私が許せない」
「自分で自分が許せない、か。んで、総一郎自身もフォローに回るつもりがない。マジかよ詰んでんじゃん」
「詰んでるよ! とっくに手遅れで、どうしようもなくて、……もう少しの辛抱だって、そんな風に考えてた少し前の私を、ぶん殴ってやりたいくらい」
「たまに白羽の語彙には極道が混ざるよな」
「え?」
 過激派集団のリーダーを務めていた白羽としては、「ぶん殴る」などという言葉に違和感を覚える感性はすでに何処かに置いてきているので、図書が何を言っているのか理解できない。
「ま、いいや。お粥の一つでも作って食わせようかと思ったが、何か俺じゃあ手に余りそうだ。こんな時に頼る人っつったら相場が決まってるよな。おら早く着替えろ! ミヤさんとこ行くぞ!」
「えっ、や、嫌だよ! 私今傷心中で、あんなうるさいところ行きたくな」
「ごちゃごちゃいうと般若の面被んぞ」
「着替えます」
 いつも怒っているんだか笑っているんだか分からないぶっきらぼうな図書だが、般若の面を被っているときは逆らえない。迫力がもう段違いなのだ。
「っていうか、総ちゃんはともかく清ちゃんとかウーくんハウハウはどうするの?」
「聞いて驚け。全員先生に預けて来た」
 血の気が引いた。
「……先生って、ワグナー先生?」
「ああ。Jの首に引っ付いてる鈍色の魔法とか、般若家伝統離れないお面とか触診していいからって渡してきた」
「みんなの事殺す気?」
「今日は先生非番だから大丈夫。今日の先生には妙な危険生物を研究室に運び込む権限がないから」
 ワグナー先生が危険だという前提には突っ込まない図書だった。







 そんな訳で半ば強制的に着替えさせられ、白羽は図書に連れられミヤさんの食堂に訪れた。この店はいつだって活気があって、騒ぎたいときはまず候補に挙がる場所だ。生憎と白羽は、ここに来るのは数年ぶりというくらい久しぶりなのだが。
「ハイいらっしゃい! あ、白羽ちゃん!? うっそ久しぶりじゃない! 覚えてる私の事!? みんなのちびっこ母さんことミヤさんよ! あらー、ずいぶん……悩みの深そうな顔してるわね」
「あ、あはは……どうも」
 あとミヤさんの観察眼はちょっと尋常じゃない。
「ミヤさん、後でこいつの相談に乗ってもらっていいですかね。総一郎と大喧嘩中でもうグッズグズなんですよ。でも俺にはちょっとばかし扱いづらいデリケートな問題でしてね」
「あー、図書さんってばけっこう鈍感だもんねー。それで意中の先生とはどうなのよ?」
「いやーダメですよ! あの人は俺よりよっぽど鈍感です。白羽の相談終わったら俺もいいですかね」
「もっちろん! だけど今ちょっと注文立て込んでるから、その辺で座って待ってて!」
「ミヤ、ビールまだー?」
「あいよー! 今すぐ持ってくからちょっと待っててねー!」
 小走りでミヤさんは走り去っていってしまう。「相変わらず忙しい人だなー」と図書は笑っていた。
 適当なテーブル席について、セルフサービスの水を飲む。水分補給はほとんど十分なくらいにはなったが、足りないという感覚はウッドに詰られて以来ずっと拭えない。
「……総ちゃんに会いたい」
「お前もブラコンが極まってんな」
 真意の分からない図書の言葉は無視して、白羽は俯き目をつむる。
「あーあー、話しないモードだよ参ったな、ったく。ミヤさーん! 早いとこヘルプ来てくれー!」
「あっはははは! 状況見て言いなさいな! あっ、ちょうどいいところに! グレゴリー! アンタ白羽ちゃんと何年かぶりでしょ! ちょっと私の代わりに話してなさい!」
「はぁ!?」
 店の奥から出て来た少年に、ミヤさんから容赦のない指示が飛んだ。グレゴリー。微かに名前に聞き覚えがあるくらいで、どんな人柄なのか全く覚えていない。
「ミヤがああ言ってるから来たが……。ああ、沈鬱そうな表情以外、何も変わってないな、シラハ」
「あなたは変わったね。具体的には記憶に残ってないくらい」
「それはお前が覚えてないだけだ」
「おーい! グレゴリー君開始早々白羽とバトル始めてんだけどー! ミヤさーん!?」
「グレゴリー、アンタ白羽ちゃんが傷心中なのくらい分かんでしょ! 私が仕事終えてそっち行くとき白羽ちゃん笑ってなかったらボコボコにするわよー!」
「ひ、久しぶりだな! 元気だったか!?」
「えっ、誰」
「おい馬鹿にしてんのか」
 一瞬にこやかになったのがあまりに様変わりしすぎていて、失礼な言葉を放ってしまった。「う」と言葉に詰まって、白羽は頭を下げる。
「ご、ごめん。でも今のすごい良かったよ。何ていうか、親しみやすかった」
「親しみやすくしたんだ。そう感じてもらわなきゃ困る」
「確かに」
 少しだけ、笑みがこぼれた。するとグレゴリーはちょっとだけ目を瞠って、それから視線を逸らして頬を掻く。
「……なるほど、アレだけお前を慕う奴がいる理由が、少し分かった。お前たち姉弟は似ているな。どっちも人間の輪の中心にいる」
「総ちゃんも、そうなの?」
「ああ、あいつの周りにはいつだって人がいる。かと思えば、一人寂しそうに佇んでいることがある。そういう時、オレですら柄になく話しかけたくなる。大抵はしないがな」
「そう……そうなんだ」
 その人物像が白羽の知る総一郎と同じで、想像して頬が緩んだ。ウッドになる前は、総一郎はちゃんと総一郎だったのだと。それが分かって良かったと。
 だが、そんな総一郎の息の根を止めたのは、自分なのだ。
「……総ちゃん」
「――ミヤ。厨房に入れてくれ。俺が飲み物を作る」
「え、何よ。アンタそんな殊勝な人間だったっけ?」
「うるさい」
 白羽が俯いて後悔に震えている間に、グレゴリーは音もなく席を立ち、そしてすぐに戻ってきた。手にはオレンジ色のジュース。そっと置いて、また席に着く。
「……ほら、俺のおごりだ」
「え、あ、ありがと」
 とりあえず受け取って、ストローを口にする。すると、驚くほど甘くて、美味しかった。空腹なのも手伝っているだろう。だがこんなおいしいジュースを飲んだことはないと思わされた。
「これ、何のジュースなの?」
「オレ特製だ。……将来的には、オレはここで働くことになるだろうからな。今は未成年だからカクテルは難しいが、ジュースで真似事くらいできる」
「すごいね、グレゴリーの秘密のブレンドなんだ」
「そう、だな。ミヤを除けば、人に初めて振る舞った」
 彼は終始白羽の方を見ないで、しきりに髪を撫でつけながら答えた。多くの部下を抱える白羽だから、すぐに彼が照れているのが分かった。
「……ありがとう、グレゴリーって優しいね」
「そ、そんなことない」
 微笑ましい、と感じる。彼は総一郎の友人か。とするなら、弟と同い年だろう。年下。背丈は自分よりずっと上だが、可愛げがあっていいな、と思いながらまたジュースを口にする。
「イチが、どうかしたのか」
「総ちゃんのこと、イチって呼ぶんだ」
「みんなイッちゃんだのと呼んでいるが、口に馴染まなかったからな。イチがいいと思った。……オレじゃ、役不足だろうか」
 グレゴリーは、少し落ち込んだ顔になる。これは反則だ、と苦笑しながら首を振った。
「お悩み相談に、役不足も何もないよ。すでに逃げて、あっちでおじ様たちと飲んでるズッチーは問題外として」
 油断も隙もない。
「……そう、だね。じゃあちょっと恥ずかしいところもあるから色々とぼかしちゃうけど、聞いてもらえる?」
「もちろんだ」
 そう力強く微笑みをくれるグレゴリーは、白羽が何を言っても笑わなかったし、否定をしなかった。総一郎への批判すらせず、ただただ頷いてくれた。だから違法性のある点や、修羅などにまつわる説明の難しい部分以外は、いつしか全てさらけ出していた。
 途中ミヤさんが様子を見に来たが、出しゃばることをせず、そっとつまむものを置いてまたどこかに行ってしまった。何もかもがありがたかった。自体そのものが好転したという訳ではないけれど、それでも話すことを話して気がずっと楽になった。
 気づけば時間は日付を回る寸前になっていて、図書は他の酔いどれたちとまだまだ騒ぐらしく、先に帰れというようなことを言った。
「ならグレゴリー。アンタ白羽ちゃん送っていきなさい。家の場所は分かるわよね?」
「ああ、シラハがそれでいいなら」
 少し怯えるような視線もどこか愛嬌があって「こちらこそ、お願いできる?」と白羽は首を傾げた。
 帰り道でも、またいくつか話をした。今度は、とりとめのない話。けれどグレゴリーはどんな話だって興味深そうに聞いてくれた。家がもっと遠ければいいのに、なんてことを思うくらいには、楽しいひと時だった。
「じゃあ、またね。グレゴリー」
「ああ、また。……お前の事情は分かるが、これからは出来るだけ学校へ来いよ。他の連中も喜ぶ」
「……そう? ありがと」
 微笑むと、グレゴリーは恥ずかしがって視線を逸らす。それが分かると、こういった態度も可愛らしいものだ。それから彼が見えなくなるまで手を振って、上機嫌で扉を開けた。無理やりでもミヤさんの家に行ってよかったと、そんな風に思いながら。




 ――眠る前、彼には何でも話せてしまいそうだ、なんてことを思う自分に気付いて、少し恥ずかしくなったのは、誰にも内緒だ。

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