武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 決別Ⅴ

 腰を据えて話せる場所、というとミスカトニック大学では、食堂のほかに談話室というものがある。
 ここはあらかじめ予約を取る必要があるのだが、ルフィナの場合は管理人も弁えているようで、特に待ち時間もなく入室することが出来た。なお途中で鉢合わせたヴィーも一緒だ。
「えー! イッちゃん吸血鬼にされちゃったの!? それで暑そうな格好してたのね。大変だったでしょ……」
 反応が実は風邪ひいてた人に対するものと同じだった。
「ひとまず、吸血鬼になるっていうのが割と普通の疾病なのが分かった」
「普通っていうほど普通でもないのですけれどね。昔は吸血鬼狩りが失敗することも多かったですから、一生ものの疾患として抱えて生きていくしかなかった人も多かったとか」
 前世の感覚でいう結核みたいなものだろうか。現代的にはすぐ治療できるが、昔は不治の病扱いされていた、というあたりが似ている。
「しかし、人に告白せず秘めていたとなると、ブシガイト様はあまり吸血鬼に対する知識がお有りではなさそうですね」
「そう、だね。俺なりに色々調べてはみたんだけど、命に関わりそうな弱点とか、昔に起こった吸血鬼の事件くらいしかめぼしいものは見つからなかったんだ。吸血鬼になったことを隠してたのも、亜人が迫害されがちの世の中だから、ちょっとね」
「ご安心くださいませ。吸血被害者となると、州法でもまた別の対応がなされていますから。ブシガイト様はああいった怪物ではなく、人間の重篤患者としてこの国では扱われますわ」
 ルフィナの主義主張が垣間見えるようだったが、黙っておいた。ウッドには亜人差別も何もかも、関係のないことだ。
 代わりに、ご機嫌を取っておく。
「詳しいんだね。それに親切だ。執事さんはこんな主を持てて幸せだろうね」
「ほう、ブシガイト殿。貴方は中々分かる人のようだ」
 男二人、固く握手を交わす。どうしよう機嫌を取る相手が想定と違う。
「わたくしのセレブリャコフ家は、吸血鬼撲滅委員会の会長を務めていますから。長子たるわたくしにとって、友人の吸血鬼化問題の解決はもはや義務と言っても過言ではないのです」
 とはいえルフィナも満更でもないらしく、誇らしげに胸を張っていた。頭の中でアーリ、ヴィー、愛見の次にランクインする。
「吸血鬼撲滅委員会? 暴力団撲滅みたいな感じかな」
「ええ、だいたい合っていますわ。余計な疾病を流行らせる上に、殺人罪で起訴されることも多い種族でしたから。一説によれば、先代州知事が亜人全員に懸賞金をかけたのも、吸血鬼の存在が大きいとか」
「ああ、あのARFに処刑動画を流された」
「今回の州知事選どうなるのかしらね~。私あんまり詳しくないんだけど」
 話がそれたので戻す。それにこれは、気になっていた事柄だ。
「シルバーバレット社って、あのマジックウェポンで有名な」
「よくご存じですわね。警察とギャング、あとは魔法科学に興味のある理系の方くらいしか我が社の社名は知らないと思っていました」
「イッちゃんは最後の一つだもんネ!」
「そういうこと」
 実際問題アレだけファイアバレットをばら撒かれれば、多少は調べる気にもなる。
「対亜人用の銃を開発してるって聞いてるよ。何でも、銃弾が途中から魔法になるとか」
「ええ。亜人犯罪防止に特化した、携帯性と攻撃力の高い銃を警察の方々に卸していますわ。そもそも我が社の起源は、開発したマジックウェポンによる亜人犯罪のバウンティハントで、実績を作ったことから始まっていますから」
 バウンティハント、つまりは犯罪者に懸賞金をかけ、それを警察に突き出すことで報酬を得る制度だ。日本では魔法の制度的導入がだいぶ落ち着いてから始まったものだが、アメリカにおいてはずっと前から存在している。
「それが転じて、って事なのかな。その撲滅委員会というのは」
「そうですわ。ですから会長一族の第一子として、わたくしは義務を果たさねばならないのです」
 微笑みと共にルフィナは語る。ウッドは微笑みを返しながら、この女は自分の武器を把握しているな、などということを考える。
「それは……とてもありがたい話だね」
「ええ、ですから早速吸血鬼についての情報を最低限共有したいと思うのですが……」
「じゃあ、お願いしてもいいかな。仙文の案を採用するには、ちょっと俺自身時間がなさそうだから」
「イッちゃんボクの事ちょっト馬鹿にしてるでショ」
「教える立場でイントネーションおかしいのはちょっとねぇ」
「ウッ、もう一回英語勉強シなおそうかナ……」
 落ち込む仙文は置いておき、「じゃあルフィナ様、お願いできる?」と両手を合わせた。
「勿論ですわ。これも様付けを止めていただいて、皆様ともっと仲良くなるチャンスですもの」
 それなりに様付けが嫌なご様子。
「では僭越ながら、吸血鬼にまつわるそれこれを説明したのち、我々がとるべき行動を述べさせていただきます。アルノ」
「はい、お嬢様」
 執事はやおら電磁機器を用意し、テーブルの中央に置いた。スイッチを押せば、主要者であるルフィナの脳内設置型コンピュータ――BMCとの同期が行われる。
 電磁ヴィジョンに映し出されたのは、吸血鬼の生態、吸血鬼による亜人犯罪の記録や、吸血被害者の扱いにまつわる刑法の羅列だった。「すいません、これでは見難いですわね」と苦笑して、ルフィナは一つ一つウィンドウを整理していく。
「では一から説明させていただきますわ。まず、これからブシガイト様が気を付けるべき吸血鬼の弱点……は、既に把握なさっていましたっけ」
「うん。日光に、ニンニクだね」
「十字架もでしょ? 敬虔なキリスト教信者でも、吸血鬼化するとヤバいって聞くわよ」
 ヴィーの台詞に、苦笑いで応答する。
「ああ、それなんだけど、十字架は大丈夫みたいなんだ。すでに試した、っていうと変なんだけど」
「……そうなの?」
 キョトンと首を傾げる真っ赤なブロンド少女に、手首に着けた十字架のアクセサリーを見せる。「あら」とヴィーは目を瞠って両手で口元を隠した。ルフィナも少々驚いた様子だ。
「本当……なんですのね。いえ、わたくしは他の罹患者も知っていますので言える事なのですが、他の方は見るだけでも大変苦痛だと……」
「どういうことなのかしら」
 ヴィーが首を傾げて不思議がるのに、ルフィナは眉根を寄せて仮説を立てる。
「恐らくですが、ブシガイト様は――あの有名なシラハ様の弟でございますよね?」
「ああ、やっぱりそういう事なんだね」
「そういウ事っテ?」
 調子はずれのイントネーションな仙文に、ルフィナが説明する。
「十字架が吸血鬼に聞く理由です。十字架というのはつまり、世界に名高いキリスト教の神の力を担保にして、効力を持つものですから。要は、十字架を通して、神が悪しき者の力を削いでいると。しかしブシガイト様の場合は天使の血を引いていらっしゃいますから、神の力がブシガイト様を苦しめるように働かない……と愚考しますが」
「あ、そうよね。シラハちゃんねぇ~、一番よく知ってる奴らはこぞって行方不明だけど、今頃どこで何をしてるのかしら」
 ひとまず彼らの半数近くはウッドによって軟禁状態である。
「っていうか、そう考えると面白いわよね。こんな普通にしてるイッちゃんが、天使様の血を引いてるっていうのが。預言者よろしく神にあったとか啓示を受けたとか、そういう経験はないの?」
「うーん、今のところないかな」
 邪神、という事ならだいぶ目を付けられているが、いわゆるゴッドとされる唯一神とはめっきり縁がない。せいぜい、母のライラから「めっちゃピカピカしてる」という話を聞かされたくらいだ。
 神か、とウッドは思う。キリスト教の教えは歴史からかんがみても侵略的で、亜人差別の根幹にはこれらの信仰があるのでは、と邪推することもできる。彼らにとって自然も他宗教も征服するもので、思えばカバラの起源も神から授けられたものだったと。
「ともかく、弱点は押さえてるから次に移ってもらっていいかな」
「ええ、ブシガイト様が優秀で説明の手間が省けてしまいましたね。では次に吸血鬼の生態を……、これも別段、説明する必要はございませんかしら」
「あはは、そうだね。その辺りは大体調べてしまったから」
 肩を竦めて苦笑する。それから、こう続けた。
「というか、そもそもの話でいえば吸血鬼がどういう生き物なのか、なんていうのは常識的な話でさ。俺が知らないのは、アーカムにおいて吸血鬼がどういう存在として捉えられているのかって事だと思うんだ。事件記録を追っている分には興味深いだけで、全容が掴めなかったからね」
「なるほど。それは失礼いたしました。ではアーカムでの吸血鬼の記録を辿りながら、順を追って話させていただきます」
 ルフィナが空中で指を動かすと、電磁ヴィジョンが連動して、ウィンドウに映す内容を変える。
「さて、ブシガイト様の故郷である日本においては、吸血鬼がどういう存在であったのかは不勉強で存じないのですが、アーカムにおいての説明はたった一言で済みます」
 指振り。電磁ヴィジョンがおどろおどろしくデフォルメされた吸血鬼のポスターを映し出す。
「つまり、吸血鬼は、亜人犯罪の代名詞であると」
 深窓の令嬢は、棒グラフをメインに据えたデータをヴィジョンに映し出した。
「事実昔から吸血鬼による亜人犯罪は頻発するもので、特にこのアーカムでもこの二十年間に、何と五百を超える吸血鬼が検挙されています。これは二位の狼男の被害を大きく抑えて、亜人犯罪の比率において第一位を占めているのです」
「吸血鬼だけで五百か……、ずいぶん捕まえたね」
「警察署のデータを拝見させていただいたところ、二十年前から二年間ほどで百件、それから十年間で二十件弱、そして残る数年で三百数十件といった具合ですわ。やはりリッジウェイ警部の尽力が功を為していると言って過言ではないと思われます」
 数年前から極端に検挙数が上がったのは、十中八九警察がマジックウェポンを導入したためだろう。だが二十年前の百件は異様だ。何があったのか、情報が足りない。
「先ほども申し上げました通り、亜人に懸賞金が掛けられた原因と目される種族でもあります。検挙された五百人は全て、自分が血を吸った相手の数も覚えていない始末。その被害者のたいていが突然理性を失って身内を襲うようになり、その度に専門家に取り押さえられ拘禁される事態が発生しました」
「理性を失う……」
「彼らの弁でいう、“眷属化”ですね。そういえばブシガイト様は理性を長期間保っておられる様子ですが」
「そうだよね。何でだろう」
 ウッドは嘯く。もちろんシスターズの言っていた「血が吸えなかったから眷属にも出来なかった」という話は覚えていた。
「それもこれも天使の血なのでしょうか? 流石神の僕たる天使は素晴らしいですわね」
「あ、あはは。それはどうも」
 このルフィナという少女は、ずいぶんと敬虔な信徒らしい。一見そう思ったが、ふと目に入ったアナグラムがウッドにそれが間違いであるということを告げる。
 それは嘘のアナグラム。
 このシルバーバレット社創業一家の御令嬢は、神など微塵も信じていない。
「……きな臭い女だ」
「はい? 何かおっしゃいました?」
「いいや? 続きを頼むよ」
「あ、ごめんなさい。続きですわね。ですから吸血鬼は、アーカムに長く住んでいればいるほど激しく嫌悪される種族なのです。当然多くの対策が、この街で開発されてきました」
「それが君のいう、原因となった吸血鬼を倒せば~、って事なのかな、ルフィナ様」
「その通り、ブシガイト様は話が早くて助かりますわ」
「でも、それならその、有名な警部さんに任せた方が早いんじゃない? っと、それなら被害届出さなきゃ」
「本来ならそれをお勧めするところなのですが、現在は事情が少々違っておりまして。というのも、リッジウェイ警部に始まる亜人犯罪課の方々は常に大忙しですし、それに加えて昨今ではウッドとの戦闘で大打撃を受けたと聞きます。ですからこういった時、吸血鬼狩りの専門家に頼る人も少なくないのですよ」
「ほほう。でも、それにしたって多少値が張るんじゃないかな。俺はそこまでの大金は」
「ご安心ください、ブシガイト様。わたくしは友人から金銭を取るほど落ちぶれては居りませんわ。それにここだけの話ですが、吸血鬼にはそれなりの懸賞金が掛かっていますから、ブシガイト様から情報をいただけるだけで得なのです」
「……ふふ、流石抜かりはなさそうだね」
「勿論ですわ。わたくしとて商売人の娘、ただ働きなんて致しませんもの」
 辻褄はあっている。ルフィナはシルバーバレット社の娘で、吸血鬼撲滅委員会会長一族としての義務感と、友人への厚意と、金銭に対する順当な欲求から吸血鬼退治を申し出ている、というのがこの話の大筋だ。
 それに加え吸血鬼狩りの文化的側面に関しても、専門家にはあったことはないが、ウッドはギャングに混じって毛色の違う相手を殺した記憶もある。恐らく彼らは賞金稼ぎ――バウンティハンターという奴なのだろう。事実にちゃんと即している。
 だがこの少女には、何か裏があると思えてならない。総一郎の素性をあらかじめ下調べして接近してきた点。敬虔な信徒のように振る舞っておきながら、神をサラサラ信じていないところ。
 ――ハウンド無力化の際にウッドは、電波塔を支配し、ウッドと総一郎の関連を全世界から奪う電波を発信した。それによりほぼあらゆる全ての人間がその事実を忘れたというのに、ブラック・ウィングだけは記憶にとどめていた。
 例外が一人いるなら、もう一人いたって不思議ではない。ルフィナ・セレブリャコフ。シルバーバレット社の御令嬢。警察の噂話を鵜呑みにするわけではないが――少なくともこの街の情勢に深く食い込んだ彼女ならば、可能性は十分にある。
 そこまで考え、カバラで調べたが、しかし答えはシロだった。
「……」
「どうかされました?」
「ちょっとね。吸血鬼って怖いなって、そう思っただけだよ」
 妙なことは連続する。死んだ血濡れのロビンが言っていた、ウッドが仲間を求めているというデマ。ピッグやアイにまつわる不穏な動き。そして、今まさに目の前にいる、有名銃器メーカーの跡取り娘。
 意図が読みづらい、と思う。カバラで割り出すのが一番ローリスクだが、ルフィナは知り合ったばかりの相手だ。まだアナグラムが足りない。現時点からカバラに頼るとすれば、それこそ仙文に仙術を教わるのと同等以上の時間がかかってしまうだろう。
 逆に手っ取り早くいくなら、精神魔法を使うのが一番だ。事実相手が仙文やヴィーなら、ウッドはそうしただろう。人気のないところに呼び出して、軽く額に触れておしまいだ。だが、ルフィナには傍仕えする執事がいる。
 常に傍にいる時点で、用心棒も兼ねているのは予想がつこうというものだった。どうせウッドには太刀打ちできまいが、未知の敵に対して慢心し、痛い目を見たばかりの怪人は同じ轍を踏まない。カバラで実力を測ってから、タイミングを見て事に及ぼうと考えていたのだ。
 結果ウッドは、言葉を失った。
 このアルノと呼ばれる執事は、人間ではない。亜人ですらない。アナグラムによって、そのどちらでもないことしか分からなかったためだ。
「――うん。じゃあ吸血鬼退治の方、手伝ってもらってもいいかな」
「ええ! わたくしを頼ってくださってありがとうございますわ。では早速手配を」
「あっと、それなんだけど、俺も同行していいかな。これでも日本人だし、魔法は結構得意なんだ」
「そう、なんですの……?」
 何が起こっている。ウッドは油断ならない想いで、表面上はやる気に満ち溢れた顔を演出した。計算すればするほど、アナグラムの不足が露になる。相手を目の前にしていながら、ここまで正体の判然としない相手は久しぶりだった。
 普通カバラを用いれば、目の前にいる相手の戦闘能力くらい計算で弾き出せる。手間取るのはナイのような得体のしれない相手か、父のようにカバラを会得して能力を意図して隠せる者、あるいはファーガスのようなイレギュラーのみだ。
 そして、それらに共通するのは、度し難いというただ一点のみ。
「そうそう! 肝心なことを聞き忘れていましたわ。ブシガイト様を襲った吸血鬼の特徴をお聞きしたいのですが」
「え、ああ、ヴァンパイア・シスターズだよ。あのARFで有名な」
「えっ」
「えっ」
 ウッド以外の全員が驚きに声を上げる。様々なことが起こりすぎて、ウッドでさえ目が回りそうな気分だった。

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