武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬ⅩⅣ

 ライカが殺されて以来、ロバートは家に戻らなくなった。
 ライカとの思い出のたくさん残った家にいるのは辛かった。だから、友人の家を転々とした。けどそれもいつしか限界が来て、いつしか路上で寝泊まりする生活に代わっていた。
 寝ても覚めても、ライカを撃ち殺した刑事の顔を忘れられなかった。リッジウェイ警部――通称ハウンド。あらゆる亜人を逃さないという奴の銃弾が、寸分違わずライカの頭を吹き飛ばした光景を、ずっと悪夢に映し続けていた。
『化け物が、人の世をうろついてんじゃねぇよ』
 ハウンドはそう呟いて、次の獲物に弾丸を撃ち出していた。その場での死者は百人に十数人届かないくらい。それだけ殺したのに、死んだのは全て亜人だった。だとしてもすべて民間人だったのだから、十分虐殺と呼んで差し支えない人数だ。
 暴挙だと、こんなことが許されていいはずがないと、ジャパニーズは立ち上がった。だが法的にハウンドは裁かれなかった。何か見えない動きがあるみたいだった。その事件は半ばもみ消され、しかし燃え残った憎しみの炎がJVAという組織に受け継がれた。
 納得いかないのはロバートだった。元々亜人だのなんだのと言ったことには興味がない。ただ愛しい恋人を殺されたことが、我慢ならなかった。
 そうして路上生活を一か月もしない頃、ロバートはハウンドを殺そうと考えた。武器は小遣いで買った小さな拳銃。しばらくの間は食う事にも困ることになるが、構わなかった。撃ち殺した後は撃ち殺される覚悟だった。
『だがね少年。死ぬのはきっと君だけだ。あの狂った刑事は、我らがカバラを習得している』
 作戦決行の直前でロバートを止めたのは、見も知らぬ老紳士だった。
 サン・ジェルマンを名乗った老紳士は、穏やかな物腰でロバートを説得した。この場でリッジウェイの命を狙う事には何の意味もないということは、薄々自分でも気が付いていたからだ。
 けれどそれでは、この感情をどうすればいい。ロバートは老紳士に叫んだ。すると老紳士はにっこりと微笑んで、こう申し出てきた。
『私の教えを請いなさい。君に、この世で最も研ぎ澄まされた牙を与えよう』
 ロバートは一も二もなく頷いた。そうさせる何かがサン・ジェルマン老紳士にはあった。事実、ロバートはそれをきっかけに力を得た。カバラを習得しマジックウェポンを盗み出し、当時力をつけ始めていたARFという反亜人差別組織の幹部を任されるにまで上り詰めた。
 我武者羅だった。誰に何を言われようとも止まらなかった。ARFの仲間から、敵を皆殺しにするやり口に苦言を呈されることもあった。偶然遭遇したアーリから、涙ながらに止めるように言われたこともあった。だがその全てを振り切って、復讐への道をひた走った。
 幹部になるにあたって、リーダーを務める少女シラハが、ロバートにコードネームは何がいいかと問うてきた。
 ロバートは少し悩んで、しかし後日までにと言われながらその場で答えた。
 ――ハウンドがいい、と。亜人差別を行う屑を一匹残らず殺して回る、無慈悲な猟犬がいい、と。
 最初は初代ハウンドたるリッジウェイ警部の名前には遠く及ばなかった。警部の仕事ぶりはあまりに有名だったからだ。しかし数年もやっていれば、カバラを交えた活動にも堂が入ってくる。そしてカバラを使いこなしたとなれば、名前が広まるのは一般にも表明しているロバートの方だ。
 「ハウンド」の名前をほとんど奪いきった時、ロバートは時期が来たと感じた。いつかは殺さねばならない相手だ。リッジウェイ警部はロバートが人間であることから、敵視も対策もない。ならばあらかじめアナグラムを計算しておくロバートに、敗北はないはず。
 ロバートは、その日ロバートという名前を捨てた。復讐の猟犬ハウンドこそが自分の本当の名であるとし、ロバートを知る者の全てを置き去りにして、リッジウェイ警部に挑みかかった。
 ――それが、ARFのハウンドが喋らなくなる事件の始まりだった。猟犬の喉に、消えない傷が刻まれるきっかけだった。







 ハウンドは警察署でのウッドの記録をハッキングして、確信を得ていた。
 材料は揃っている。次が最後の戦いになるだろう。それだけ手に入れていたウッドの弱点に対する確信は強いものだったし、同時に警察署でウッドが発動させた『闇』魔法は常軌を逸していた。
 うまく決まれば、ハウンドはウッドをどうにでもできる。殺すことから、リーダーたるシラハの要望通りにすることまで、思うとおりに。
 だからこそ、ハウンドはそのどちらも選ばない。自らが考える最善の選択肢に挑む。それは『闇』魔法を使うウッド相手に成し遂げるには、酷く困難な道だ。
 だが、やるしかない。自らの幹部室にて立ち上がり、シラハのいる部屋にまで足を運ぶ。
 扉をノックして、合図を待って入るとアイがシラハの化粧をしていた。
「どうしたの? いつもはわざわざアポ取ってくるのに。あ、いや、責めてるんじゃなくてね。律儀なハウハウがー、って思って」
『……それは?』
「演説用にメイクをしているんですよ~。やっぱり人前に立つときは、女の子なんだからオメカシしないと~」
 ハウンドの電子音声に、穏やかに間延びした声でアイが答えた。演説というのは、弾圧下にあって塞ぎがちな亜人たちを、シラハが定期的に鼓舞する行事の様なものだ。それより、とハウンドはアイを見る。
 ピッグによって謹慎させられていると聞いていたが、と見つめていると、シラハが口元に人指し指をあてて微笑んでいるのに気が付いた。
『なるほど、シラハの差し金か』
「だって、拘束して軟禁なんてあんまりだもん。それに、情報が集まってる今はハウンドに任せるのが一番だよって説得したら頷いてくれたから」
 ねー、と白羽が言うと、はい、と口を弧にしてアイは答える。それからアイは目を伏せたまま、「ですから」と続けた。
「本当に、本当に頼みますよ~。せめて、……せめてウルフマンの、J君の首だけでも……」
 いつかの我の忘れようからは、想像できないほどに落ち着いた声だ。けれどその拳は、落ち着かないのか何度も握ったり開いたりを繰り返している。心配なこと自体は、いまだどうしようもないのだろう。
 しかしアイを納得させる言葉を口にしようものなら、それは嘘になってしまう。
 ハウンドはシラハに視線を送り、答えるのを避けた。シラハは勘が良く物事の本質を見抜く力がある。すぐに察して、「それで? どうしたの?」と話題を変えてくれた。
『次の一戦で、自分とウッドの決着がつく。どちらにも転びかねない戦いだ。客観的な意見が欲しい』
「……分かった。演説終わったらそのままハウハウの部屋行くよ。それまで待っててもらっていい?」
『構わない』
「何なら私の演説聞いてく?」
『いや、遠慮しておく。頭に血が上った状態で計画を立てるなんて御免だ』
「ふふ。それはそれは過大なご評価、ありがとうね」
 シラハは悪戯っぽく笑う。事実、彼女の演説は見事の一言だ。聞いていて全身が燃え上がるような気持になる。それは怒りだったり、高揚だったりと様々だ。ともかく冷静でいられない。あの感情の揺れをエネルギーと呼ぶことも出来るが、今のハウンドには不要のものだ。
 踵を返して自室に戻る。いつものようにコンクリート詰めの部屋に入ると、冷たい、完成されたような気持になる。要らないものは全て切り捨てた部屋。そこでデータを纏めなおしながら、シラハを待った。
 一時間しないくらいの時間が経った頃、ノックする音が聞こえた。手で合図を出すと部屋の中の監視カメラが捉えて、自動で入り口を開けてくれる。そして入ってくる無表情のシラハ。こちらから訪ねた時とは大違いだ。
『随分と怖い顔をしている』
「ハウハウには、今更繕おうなんて思わないよ。マナちゃんはウルフマンがいなくて不安定だから、多少の愛想はきかせるけど」
 彼女はハウンドの目の前に立って、「それで」と距離を詰めて来る。
「詳しく、説明して。次で決着ってどういう事。どっちにも転びかねないって、何」
 鬼気迫る声だった。この瞬間にシラハがARFのリーダーから、ただの姉に代わったのが分かった。弟を心配する、ただの姉だ。
 アーリと、同じ。
『……ウッドの体組織の仕組みが割れた。精神構造のズレも。つまり今自分は、ウッドを殺すことが出来るようになった』
「殺す、の?」
『……殺さないように、というのがシラハの頼みだったはずだ』
 ハウンドが答えると、シラハは深い息を吐いて壁にもたれた。見れば雪の降るこの時期に暖房もないこの部屋で、彼女は額に汗をかいている。
「怖い事、言わないでよ……」
 弱った顔だ、とハウンドは思った。力強く微笑むシラハばかりARFとして見てきたから、内心で少し驚く自分がいる。
『今までは、殺すことも出来なかったという話だ。様々なところにハッキングを仕掛けて、情報をかき集めた。すでに確認も済んでいる。奴の体組織の一部を使った研究データもピッグから受け取って、同じことをウッド本人にやらせた。結果は疑いようがない』
 シラハは黙ってハウンドを見つめている。ハウンドはパソコンにデータを表示させてから、告げた。
『ウッドの体。あれは一種の魔法だ。ウッドは分類上、人間でもなければ亜人でもない、魔獣というべき状態にある』
「魔法……? それに魔獣って、どういうこと?」
『亜人ですらあり得ない生態をしているという事だ。例えるなら――そう、スライムに近い。スライムは核のみが本体で、その周りの粘体をどんなに攻撃しても死なないだろう』
 パソコン上には、スライムの分析図が表示されていた。核となる球体が、スライムの粘液部分の中にうっすらと確認できる。
「うん。日本で何度かやっつけた記憶あるけど……。アメリカにはいなかったよね?」
『データならある。それで、スライムが何故粘体部分を攻撃しても死なないのかといえば、その部分は副次的な、髪や爪などに近い役割だからだ。そしてその部分を、魔法によって保持している』
「へー、スライムのあの気持ち悪い部分って種族魔法だったんだ」
『それと同じことが、ウッドにも言える』
「……ああ、なるほど」
 苦々しい表情で、シラハは理解したようだった。――首を取られても平気。体組織からウルフマンを作り出す。人知を超えたあのおぞましい行動は、全て魔法に支えられていたという訳らしい。
「なら、魔力切れを待てば勝てるってこと?」
『非常に簡単に言ってしまうなら、そうなる。だが生憎と、自分は魔力切れを起こしたジャパニーズも亜人も、見たことがない』
「そりゃ、日常的に使ってるから親和力も高いだろうし……」
 少し考えて、シラハは絞り出すような声で言う。
「……じゃあ、ウッドもスライムみたいに核を潰せば殺せる、とか」
『いいや、ウッドの場合は逆だ。核というべきものは確かにあるだろう。だがそれを壊せばもう手はない』
「それはどういう……?」
『かなり長い話になる。わざわざタイピングして打つのは面倒だから、すでに情報のまとめを製作済みだ。この部屋から出ていくときに持っていけ』
「……焦らしたっていい事ないと思う」
『焦らすわけじゃない。単純に、本筋ではないだけだ』
 ハウンドは素っ気なく言ってから、改めてシラハに向き直った。
『次の決戦は、奴の魔力切れを狙う。だがウッドの親和力は、普通のジャパニーズでも底が見えないというのにその何倍とあるだろう。だから、対策を用意する必要がある』
「というと?」
『ミスカトニック大学きっての天才、サラ・ワグナー博士は魔法科学に執心している。そこからどうにか情報を引き出そうと考えているが』
「考えているが、ってハウハウにしては準備のよろしくない物言いだね」
「……」
 シラハの指摘に、ハウンドはしばし黙りこくった。「どうしたの?」と尋ねられてやっと、躊躇いがちに文字を打つ。
『手を打たれた』
「え?」
『ウッドの情報を洗い出すために、先日一度彼女のサーバーにハッキングをかけた。足跡を残さないように心掛けたつもりだったが――見破られたらしい。ファイアウォールが何倍にも強化されて、ハッキングどころではなかった。危うくこのビルが』
 そこでぴた、とハウンドはタイピングを止めた。シラハはひどく強張った表情で続きを促す。
「……このビルが、何」
 ハウンドは答える。
『何でもない』
「何でもなくないよね!? 間違いなく窮地にあったよね!?」
『本当に何でもない。過ぎたことだ。無事終わったのだからいいだろう』
「それ良くない奴だから! 確かにハウハウ優秀でワンマンなところあるけど、ホウレンソウ大事にしよ!?」
『自分はアメリカ人だ。ジャパニーズの例で言われても分からない』
「そんな子供みたいなこと言って……!」
『この話はもう終わりだ』
 ぴしゃりと言い捨ててハウンドは話題を切り上げる。シラハはそれにむかっ腹が立ち、思わずぼそりと呟いていた。
「……だから背が伸びないんだよ」
『今何て言った』
「何も?」
 すっとぼけるシラハにハウンドは鋭い目。実際問題で言えば、この二人は相性がいいとは言えない。職人気質のハウンドと政治家的素養の持ち主であるシラハは、まさに水と油だ。
 それが何故手を組んでいるのかといえば、同じ理想を同じ手段でもって成し遂げようとしているが為である。
 故に二人は、こういう感情の絡んだ会話を意図して避ける。
『……話を戻すぞ』
「……うん。それでどうするつもり?」
『方法はいくつか考えている。一つは強硬策だ。自分が直接に博士のサーバーに乗り込んで、直接的にハッキングする。もう一つは穏便だ。直接会って話をする』
「穏便だけど事が荒立ちそうだね二つ目」
『自分としては、間を取ってシラハに聞きに行ってほしい』
「間とは一体……。まぁいいけどねー。ずっちん経由で顔見知りっちゃあ顔見知りだし。一般の人の目も光魔法で欺いてけば問題ないかな?」
『頼めるか?』
「ま、無理言ってるの私だし。そのために必要っていうならいくらでも」
『助かる』
「こっちこそ」
 互いに微笑して――といってもハウンドは口元を隠しているが――「さて!」とシラハがまとめに入る。
「ひとまず今回の話し合いで、決戦に際しての大筋決めが決まったってところでいいのかな? 魔力切れ狙い戦法」
『ああ。細かい戦略はこちらで決めるから心配せずとも良い。魔力についても分かったら、次善策まで考案済みだ』
「さっすがー! それでこそハウハウ!」
『ただ恐らく、自分が狙う通りにはならないだろう。十中八九次善策に頼ることになる』
「……え。――ああ、……そうだね。どっちらも転びかねないって話はまだしてなかったっけ」
『それもある。……いや、すまない。撤回させてほしい。あらゆる手を尽くして、無限に等しい時間を満足するだけ使いつくして、やっとどっちにも転びかねないというべきだった。現状、ほぼ間違いなく自分はウッドに完敗する』
「……ぇ、な、何それ……」
『期待させるようなことを言って、済まなかった』
 頼もしい言葉から一変して自信のなさそうな発言が飛び出たものだから、シラハは戸惑わざるを得なかった。もともとハウンドは強気な発言をし、その通りの結果をARFにもたらし続けてきた人物である。シラハはその口から気落ちした言葉を聞くのは初めてだった。
 けれどそんなシラハの困惑をよそに、ハウンドは事実を述べるだけと言わんばかり言葉を重ねる。
『自分はおそらくウッドの相手にもならないだろう。精々手を潰しながら逃げ回って、ウッドにやりにくさを感じさせるくらいだ。ウルフマンのように無力化され、ウッドの手の下に落ちるのは間違いないと言っていい』
「な、そんな、いやでも、どうして」
『それだけの何かを、先日奴は手に入れてしまったという事だ。――しかしその敗北は決して無駄にはならない。無駄にしない。ウルフマンの敗北と同じように、糧とする』
「糧って、どういう」
『シラハ』
 ハウンドはまっすぐシラハの瞳を見つめた。
『お前への糧だ。お前が弟を取り戻すための糧だ。自分の敗北は、ウルフマンの敗北は全てそのためにある。あの時ウルフマンが負けていてよかったんだ。そして、自分もその後に続く』
 絶句するシラハに、ハウンドは引き出しからマイクロチップを渡した。
『この中に詳細は入っている。自分はこれから準備に奔走するから、簡単には会えないだろう。博士から得た情報はメールで送ってくれればいい』
 出かけて来る。そう言い残して、ハウンドは部屋から退出した。シラハは問いを投げかけるべく立ち上がるが、阻止する。アナグラムを揃えれば、人を転ばせる程度造作もないのだ。
 感情を昂らせすぎた。ハウンドは自分のバイクの跨りながら反省する。ハウンドらしからぬ感情の揺れ方だ。何故こんな事を言ったのか、自分でも判然としない。だから逃げるようにして部屋を出るしかなかった。
 エンジンを吹かす。車庫から走り出す。
 駆動音が鳴り響き、ハウンドは風を切って駆け抜ける。向かう先は決まっていた。決戦場として見定めたその場所を、ハウンドの要塞にしなければならない。期限は刻々と迫っている。カバラでアーリをうまく使っても、無限の時間は手に入らないのだから。
 故にハウンドは考える。最上の結果を得るために必要なものは何か。警察はもはや手駒にはできない。憎きリッジウェイも直接動かすには無理がある。残るは自前の火器に数十キロのNCR、そして奥の手。
 ネックウォーマーの下で、唇を甘く噛んだ。街角の曲道を、車体を傾け突っ切っていく。

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