武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬ⅩⅢ

 手に余るという気持ちになるのは、ウッドにとって近年稀にみる珍事だった。
 イギリスでカバリスト達に散々な目に遭わされてから。もっといえばカバラというものを真に理解してからの記憶で、上手く運ばなかったことはほとんどない。脅威も問題といえるほどのものも、結局現れはしなかった。
 JVAはカバラを使える魔法使い――例えばウッドのような手合いには歯が立たないし、ARFだって同じだ。唯一ハウンドがくみし難くもあるが、まだ楽しめる程度と言っていい。
 しかしNCR。こればかりは手軽に御するという訳にはいかなかった。あらゆる攻撃魔法は意味をなさず、無敵の必殺技と信じていた原子分解ですら無効化される。最後の頼みの綱であるカバラも、おびただしい数の小さなロボットの集合体であるNCRでは計算が追い付かない。
「まさか、かつて戦ったロボットがこれほど厄介なセキュリティシステムになるとはな」
 言いながら、ウッドは風魔法を使って素早く跳躍した。一瞬遅れてNCRがなだれ込み、警察署の通路を埋め尽くしてしまう。
 車庫から逃れたはいいものの、NCRは執念深く追いかけてきたのだ。ダクトなり通気口なりといった細い道をくぐってさえ追って来るのだから、辟易するというもの。
 とはいえ、そのお蔭で一度警察官たちの休憩所に紛れ込めたので、その際に精神魔法で人払いできたのは幸いだった。受付のあるエリアなどは仕方がないとしても、それ以外で戦っている時に余計な茶々は入れられたくない。
 ともあれ今は、警察署中の廊下をほうほうの体で逃げ回っていた。
「ああまったく、弱ったな。これから署内データベースの総一郎の記録類を全て削除せねばならないのに、大暴れしては元の木阿弥だ」
 第一の目標である、警察が所持する兵器類の一掃はとうに済んでいる。だが第二の目標は、アーカム中の人間の脳裏にある、ウッドと総一郎の関連付けを消す作戦の一歩目に値する。手始めに、公式情報のある警察署を狙ったのだ。
 故にここで、存在が露見するのはマズかった。警官数人に発見されるくらいなら精神魔法で何とかなる。しかし一般人を巻き込んでしまった時、収拾をつけるのはひどく難しくなるだろう。
「うまく逃げ切りたいところだが……」
 回避に続く回避でNCRの飲み込みを間一髪躱し続けるウッド。しかし余裕はあまりなかった。カバラで辛うじて計算と行動を繰り返してはいるものの、採算の合わない不快感が付きまとう。
 言うなればこれは――NCRそのものが、学習しているとでも形容すればいいのか。
 アナグラム計算の桁が、僅かずつ上昇を繰り返している。ウッドの着地点に、NCRが先回りしている時がある。一つ一つは偶然で片づけていいとしても、回数が目に見えて上がっているのなら話は別だ。
 ウッドは思考する。NCRの手っ取り早い無力化方法。そもそも、NCRはどのように動いているのかという分析を。
「――俺を的確に追い続けている。とすれば状況把握能力と情報処理能力は間違いなく保持しているはずだ。それに、この流動的なロボット群に攻撃を取らせるのは相当な計算能力がなければ追いつかないだろう。スーパーコンピューターの一台くらいは欲しい。そして対原子分解用秘密兵器、といったところか」
 とすれば、この大量のNCRの弱点は三つ。周囲を捉える『目』とあらゆる情報を処理する『脳』、そして原子分解で散り散りになった体を治す『血小板』だ。その内一つでも欠ければ、NCRは無力化できる。
 まずウッドは、周囲に視線を巡らせた。この場から見つかりそうなものといえば、『目』か『血小板』のどちらかだろう。
 試しにウッドは手当たり次第に監視カメラを壊してみる。しかしNCRの動きは鈍る様子を見せなかった。ふむと考える。
「闇魔法が使えればな。光を強制的に排除して、NCRを盲目にしてやれるのだが」
 幼少期、父に言われて発動させたことがあった。あの時現れ出たものは、本来の闇魔法とは似て非なるもの。もっと恐ろしい何かだったように思うが、父の一太刀で崩れてもいた。
 使うべきではない。ウッドは直感的に己の闇魔法に対する態度を決めてから、原子分解を放った。廊下を走り抜ける紫電。散り散り風に溶けるNCRの様は、普通のスライム同様脆い。
 事実、『血小板』の役目を果たす装置さえなければ、NCRなど正確性と攻撃力が高い真っ黒なスライムでしかなかったのだ。
「さぁ、何処に出る」
 カバラで計算し、壁のどこに再生装置が現れるのかを探る。見出したるはアナグラムの乱れ。目星をつけて、攻撃に魔法を飛ばす。
 すると、再びアナグラムに乱れが走った。ウッドが眉を顰めると同時、魔法が壁に着弾。そこから瞬間遅れて着弾場所の壁が開き、妙な突起状のものが姿を現した。
 ウッドが追撃に魔法を放つ。しかしそれよりも早くに突起状の装置は空中に電撃を放ち、壁の中に引っ込んでしまった。やはり不発に終わる魔法弾。そして復活するNCR。奴はひとたび霧散していたブランクを感じさせない動きで、ウッドに躍りかかってくる。
「ふむ。ずらされた、か」
 風魔法で回避に動きながら、ウッドは思案する。目視――というべきか否か、NCRを修復したあの装置は、どうやら魔法を感知した上で避けたように思える。
 だがウッドの放つ魔法は、銃弾に迫る速度を持つ。カバラによる最適化や、常人をはるかに超える親和力、使用頻度からの成長により付与された弾速は、カメラなどの通常機械では追いつかないはずなのだ。
 とすれば、何か仕掛けがある。それこそが、NCRの『目』であるのだろう。
「だが、『目』を見つけるのは面倒だ。『血小板』を魔法とカバラの力づくで無効化した方が早い」
 幸い、豪雨がごとき魔法の乱射は、瞬時に呼び出せるように準備してある。あとは都合のいい地形に誘い込むだけだ。
「して、その都合のいい地形は――」
 先日割り出した警察署の間取り図を脳裏に浮かべながら、ウッドはカバラをもってNCRの動きを誘導する。小さなNCR一つ一つの動きを計算して破綻させるのは困難だが、集合体の大まかな動きならば十分手の平の上と言っていい。
 そうして数分逃げ回って連れてきたのは、扉の少ないまっすぐな廊下の中心だった。NCRの逃げ道が少ない一本道。ウッドは仮面をにたりと笑わせながら、魔法を形成する。
「あの兵器の並んでいた車庫とは違い、ここは普段人の通らない場所ではないだろうからな。配慮くらいしてやるさ」
 大量に放たれるは水魔法。ただし、小細工をその内に秘めたそれだ。向かう先は、NCRではなく壁である。ウッドは嘲笑うように口にした。
「壁から『血小板』は出来るのだ。壁を凍らせれば復活できまい」
 水魔法は壁に着弾し、薄く広がってから急激に氷結する。酷く単純な手だが、それだけに有効なはずだ。大量の水魔法が廊下一面を凍り付かせ、勢いそのままにウッドはNCRに襲い掛かる。
 否――襲い、かかろうとした。
「ッ」
 背後からの攻撃を、ウッドは間一髪で避ける。見れば、それもやはりNCRだった。ウッドは「ああ」と自らの思慮の足りなさを恥じ入って、仮面の額部分を押さえる。
「失念していた。この広い建物の警備を、たった一塊のNCRが務めているはずがなかろうに」
 背後からのNCRは、一撃をウッドに避けられて再び距離を取り直した。それはつまり、意図して挟み撃ちの形に持ち込んでいるという事だ。
 じりじりと両側から距離を詰めて来る黒鉄のスライム。先ほどの横長の形態とは打って変わって、ウッドに対し威嚇するように盛り上がっている。ここからは、逃がさないことに主眼を置くという事だろう。
「なるほど。人工知能とは、ここまで知恵を働かせるものなのか」
 ウッドは両手に原子分解の魔力を込めて、NCRを牽制する。絶体絶命、といっても過言ではないだろう。まったく、とウッドは歯噛みする。手に余るどころか、遊びなしに追い詰められていた。
 如何に変幻自在なウッドとはいえ、NCRに飲み込まれれば粉々だ。この二つの黒鉄のスライムが、万力がごとき咀嚼能力を持っていることはすでにカバラで知れていた。
 そこで、ウッドは思う。本能が訴えかけていることに気が付いたのだ。
 ――己は、一度に身を粉々にされた時だけは取り返しがつかない、と。
「……ハハッ」
 懐かしい気持ちになる。これでこそ、という気さえしてくる。
 むしろ、今までが余裕すぎたのだ。首を取られても無事な体。強力な魔法を一度に何百と放つことが適う素質。カバラという反則じみた技術。そして自分でも良く分からない未知の力。
 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てた。命を賭けに出して地を踏みしめる瞬間こそが本物だというのに。しかしこんな恵まれた状況は、もう何度と起こることはないだろう。
 NCRに打ち勝った時、敵らしい敵はいなくなる。
「ああ――今、気付いたのだが」
 ウッドは、今にも圧し掛かってきそうな前後のNCRに呟いた。
「お前たちの体は、何とも俺に似ているな」
 返事は、技巧的だった。
 今まで跳躍からの襲撃ばかりしていたNCRは、ここにきて初めて見る手を繰り出してきた。すなわち、針のような触手による貫通攻撃。それだけならば全く問題はない。だが針が前後同時にウッドに突き刺さり、逃亡を許さないように体内で複雑に絡み合ったのなら、話は別だ。
「ッ、動けな――ッ!」
 触手の一撃は目視も難しいほどの細く、感知も難しいほどに速射された。風魔法で避ければいいなどという甘い考えを叩き潰す、慈悲のない一手だ。であれば次の攻撃にも甘さなどあるわけがない。NCRはまるで壁のように着実に迫った。
 脳が痺れるような危機の中、ウッドの仮面は激しく哄笑をあげた。NCRを一時的にとはいえ破壊できる原子分解の魔を纏ったウッドの両腕は、NCRの触手が油断なく拘束している。ならば今、自分に出来ることはなんだ。攻撃は無理、逃亡も無謀、防御だって――
「それだ」
 金属魔法に魔力を注ぎ込み、NCRを拒む二枚の薄い壁を出現させた。そのついでに、邪魔になる触手も断ち切ってしまう。
 触手は細いだけあって本体のNCRに比べ酷く脆い。魔法攻撃に黒鉄のスライムが耐えるのは、回復できるだけの循環機能と物量があるからだ。極端な例を用いるなら、2グラムのNCRはウッドの敵にはなり得ないだろう。
 挟み撃ちしてきたNCRを壁で遮って、ウッドは九死に一生を得た。けれどまだ安心はできない。NCRが即席の防壁を殴打するのを聞きながら、「どうしたものか」と思案する。
 体の中で無意味にうねるNCRを体外に排出し、原子分解で気化させる。もしやと思って身構えたが、これっぽっちの被害で『血小板』装置は姿を現さないらしい。
「よくよく考えられたものだ。この程度の児戯ではリスクを晒さない」
 流石はサラ・ワグナー博士といった所だろうか。そもそも現状のNCRは総一郎に勝てるように設計され直したそれである。博士号を得るような人物とウッドでは、知恵比べにもならないだろう。
 しかし、それは黙って倒されるのと同義ではない。
 ウッドは思考する。ナイが別れ際に言ったように。深く。かつて死の際にまで追い込まれた記憶を、なぞるがごとく。
 思えば、あの日も雪が積もっていた。山の中、騎士候補生たちやオーガをなぎ倒しながら彷徨った時のこと。生と死の境目を、千切れかけの縄を渡る様に走り抜けた。攻防の中で身動き一つでも間違えば、今頃死んでいただろうとさえ感じる過去。
 あの刹那だ、と気づく。
 見つけ出した思い出から、ウッドは己を純化させていく。思い出というにはあまりに殺伐とした経験。だが、それでいい。それこそが、ウッドの起源だ。
「……」
 静かに、ウッドは嗤っていた。独り言ばかりを紡いでいた時とは違う、沈黙の笑みである。
 そう。本来、ウッドは喋る必要はない。
 言葉を交わすまでもなく、相手の意思を確認するまでもなく、全てが自分の敵なのだから――
「―――――――――――――」
 躊躇いは消えた。本来なら、他の手もあったはずだった。例えば、恐らく警察署内に設置されているはずのスーパーコンピューター。これを支配すれば、NCRはウッドを敵と認識できなくなったはずだった。
 しかしウッドは、面倒になってしまったのだ。NCRという最先端のセキュリティシステムを看破する必要性を、見出しきれなかった。
 だから、使ったのだ。唱えたのだ、闇魔法の呪文を。
 闇魔法の皮を被った、ナニカを。
 差し出した掌の上に、浮かび上がる黒い球。それは空気を飲み込みながら、キリキリと金属をねじ切るような音を発する。――いや、違う。『それ』が音を発しているのではない。実際に、ウッドが用意した金属防壁が歪みだしているのだ。
 『それ』は枝を周囲に伸ばしていく。風が『それ』を中心にうねり始めている。黒い『それ』の枝が、壁の片方に触れた。その瞬間、壁が掃除機に吸われたように、渦を巻いて消えてしまった。
 まるでブラックホールのようだ、とウッドは評する。
 そして壁が取り払われ、目の前にNCRが現れた。黒いスライムは、同じく黒い『それ』に気付かず襲い掛かってくる。
 ウッドは無意識に、鼻で笑っていた。
 『枝』が、NCRに突き刺さる。同時、漆黒の流動型ロボットは動かなくなった。けれど、何が起こっているのかがウッドには手に取るように分かる。岩を削り取るような、武骨な音。NCRの内側から絶えず聞こえるのは、つまりそういうことだ。
 最後には、やはり防壁と同じようにしてNCRは飲まれていった。あれだけウッドを苦しめたのに、あっさりと目の前から姿を消してしまう。
 他愛ない。ウッドは無感動に心中で吐き捨てる。そして背後に向き直り、目を剥いた。
 『それ』の音に合わせて壁を破ったNCRが、ウッドに圧し掛かってくる。
 一瞬だった。ウッドが飲み込まれ、噛み砕かれて粉々にされるのは。だから寸前で、ウッドは自らの首を刎ね飛ばしていた。体がNCRによって微塵にまで噛み砕かれていくのを呆然と見つめながら、頭だけのウッドは地面を転がる。
「……」
 そうか、と思う。頭さえ残っていれば、取り返しは付くらしい。しかし残るのが頭でなくとも、体積的に同じ程度であればそれでも大丈夫そうだ。
 自らの身体の都合の良さを直感しながら、元に戻ろうと動いた。人間の感覚では到底形容できない動きで、ウッドは再生していく。首元から肉が盛り上がりブクブクと膨れ、最後には服すらも再現して元通りになった。
 質量保存の法則など完全に無視した挙動に、自分のことながら少し笑ってしまう。笑いながら、『それ』を翳した。
 残るNCRの中に『それ』は突っ込んでいき、同じように吸い込んで消してしまう。
 だが先ほどと違うのは、『それ』ごとその場から失せてしまったことだった。脅威が去ったからには、ちょうどいい事ではある。しかしどうも使い勝手の良すぎるきらいがあって、ウッドは面白くない。
 苛立ちながら、ウッドはカバラで総一郎の情報が管理されているサーバーを探り出す。薄暗い部屋の中で、チカチカと光る電脳がいくつも整列していた。それらを操作するパソコンからカバラと電気魔法でアクセスし、ついでに警察署全体を自分の支配下に置いてしまえば、もうやることはない。
 ただの警察官はもとより、新たに嗅ぎ付けてきたNCRでさえ、もう敵ではないのだから。
 ふと、警戒していた二人――ハウンドとリッジウェイ警部が結局現れなかったことに気付く。だがとっくに警察署で済ませておくべき布石は終わっていて、呆気ない、と肩を竦めるのみ。
 闇魔法の呪文を暗唱する。すると、浮かび上がる小さなブラックホールのようなもの。カバラも十分反則だと思ったが、これがある今、何かに負けるという未来が見えなくなる。
 警官たちがこぞってウッドに敬礼する中、寂寞とした感情と共に、ウッドは署を後にした。
 問題がなさすぎるという不快感だけが、ウッドに立ち塞がる最も大きな壁だった。

「武士は食わねど高楊枝」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く