武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 三匹の猟犬Ⅶ

 悪夢は、毎晩のように訪れる。
「んぁっ、あぐ、は、ぁ……! う、うぅぅぅううう……!」
 病院のある一室。男は、呻き声と共に目を覚ました。そしてかつての様に起き上がろうとして、出来ないことを思い出し無力感に唸る。
 原因は、首にあった。男の首は、切断されているのだ。
「……あぁ、あぁぁぁあああああああああああああああ!」
 叫ばずにはいられなかった。恐怖と、もどかしさ。ウッドと言う、気狂いの怪人による凶行。あの晩のことを男は忘れることが出来ない。周囲の人間が、共に歩いていた妻が、奴の飛ばす妙な魔法によって首を斬られていった。自分もまた例外ではない。だというのに、生きている。周りにも呻き声が溢れているのは、すべてその手合いだ。
 男が寝ているのは、ウッドの被害者とされる人々の収容病棟だった。二百十二名。それがウッドの被害者の総数だ。二百十二名に深刻な心的外傷を負わせて、ウッドは『ハッピーニューイヤー』を作った。その残骸ともいうべきものの為に、六人を入院させられる大部屋が三十四室も貸し切られている。個室を借りたものも何人かいるとの話だ。
 最初は、ただ困惑した。何故自分がこのような被害に遭うのだろうと。そして怒りを覚えた。ウッドが全ての元凶であると。
 しかし、時間が経つごとに思考は他の分野にまで飛び火した。
 例えば、体の動かせないもどかしさ。そこから、いつまで自分はこのままなのだろうという疑問。一生このままなのではないか、という焦燥。
 そもそも、本当に自分は生きているといえるのかにすら疑念を持った。医者によってこれは魔法だという説明を受けてはいたが、疑わしいものだ。男は無学ではない。魔法にはできること出来ないことがあり、この首のそれは現代魔法では説明がつかないことも理解していた。
 とするなら、今思考する、懊悩する自分はいったい誰だと考えざるを得なかった。首を斬られて生きていられるのは、亜人でもそうはいない。ゾンビや、妖精デュラハンくらいのもの。ならば、自分は亜人に生まれ変わったのか? 生まれ変わったという事は、昏睡状態で『ハッピーニューイヤー』にされていた時、すでに一度死んだのか?
 そんな益体もないことを考えていると、時間は面白いように過ぎ去っていった。答えは出ないまま、ただ男の中の常識のみが破壊されていく。
 ――男はクリスチャンであり、同時に亜人差別者だった。人間であることが人権の最低条件であるとし、ARFなどは野蛮なテロリストだと見做していた。一方、彼の妻は親亜人派の人間である。そのことを男は知っていたが、妻を愛していたので喧嘩を避けるべく話題にも挙げなかった。そんな二人は、揃ってウッドの被害に遭った。区別など奴からは付けられなかった。
 中でも印象的なのは、男の同室の、隣のベッドで眠る患者だ。彼はジャパニーズであり、もっと言えば亜人だった。姿かたちは人間で、受け答えも常識的で、この異常事態も務めて冷静に受け止めようとしていたが、彼の腕には鱗が生えていた。
 そのことを知った時、男は黙り込むしかなかった。この男の息子は両親である二人がそろってこんな特殊な入院をしたというのに、碌に見舞いにも来ないで家でパーティなどを開いているという。自分の息子と隣のベッドの亜人。より知的で理性的なのはどちらかと聞かれて、前者を選べるほど男は厚顔無恥ではない。
 男は、自分の立つ場所が砂の楼閣であったと知ったような気分だった。今まで獣同然と見ていた亜人の、人間然とした姿。対する人間の動物性。それらが分け隔てなく一律に首と胴体で分けられてしまった。
 ウッドと言う怪人に対する感情は、今は混沌としていて分からなくなっていた。恐怖はある、間違いなく。しかしそれ以上は言語化できない。
「う、ぅぅううう……!」
 再び、唸る。男は、体を動かすことも出来ないまま、捻じれ行く思考に身を浸すだけの日々に嗚咽を零した。救いは来ないのか。神は自らを見捨て給うたのか。意味ある言葉を吐き出すときでさえ、恨み節にせずにはいられないほど追い詰められていた。
 その時、機械っぽい駆動音が鳴った。病室の扉が開いた音だと、直感した。
 男は、唯一動かせる視線だけで音の方向を見る。影。小柄のそれである。ふわと睡蓮の花の匂いが香ってきて、何だか頭のぼやける感覚が男を襲った。しかし、対抗策がない。その必要性も、すぐに感じなくなる。
 その人物は落ち着いた足取りで男に近づいてくる。次第に男は、それが少女であると気が付いた。彼女はまっすぐに男に向かってきて、その額を撫ぜた。男はまどろみに落ちるような安らぎを覚える。
「――辛いの? この、首の傷が」
 男は、その人間離れした美声に女神を幻視した。彼女は優しい手つきで男の首元をさする。事件以来、初めて男が体験する癒しだった。「あ、あぁ……」と声を漏らし、涙をこぼす。
「辛い、辛いんだ。私は、一体どうなってしまうんだ? この傷は治るのか? 治るとすれば、いつ? それとも一生治らないのか? それが、それが怖い。怖くて――辛い」
「そうだね……。辛くて、怖いね……。でも、治らないかもしれないから怖い、というだけではないんでしょ……?」
 その問いは、男の深い部分を刺激した。自分の中ですら押し殺していた疑惑。恐ろしい考えを、彼女に吐露してしまう。
「あぁ、あぁ。そう、そうなんだ。私は、治らなかった時の事を考えると、酷く恐ろしくなる。だって、首が繋がっていないのに生きているなんて、そんなのは人間じゃないだろう? かといって、亜人と言うには思慮が浅すぎる。ならば私は――何者なのだろうか?」
 その言葉を漏らしてしまえば、あとは止まらなかった。
「ふと、考えてしまったんだ。人間でも亜人でもない私は、一体何なのだろうと。しかし、答えを出すことは出来なかった。それそのものが答えだったんだ。私は、人間でも、ましてや亜人でもない、それ以外の、モンスターとすら形容できない存在なのではないか? そう思うと、しっくり来てしまった。それが真理であると信じてしまった。以来、ひょっとした瞬間に怖くて堪らなくなるんだ。私は何物でもない化け物なのだと。枠の中から外れてしまったのだと。そんな風に考えてしまうと、もう耐えられないんだ……!」
 ぼろぼろと、子供のようにみっともなく涙を流した。恐ろしさのあまり体が震え、しかし首から下にはそれが伝わらないために、頭だけがぶるぶると動く。
 少女は、そんな男の姿を見て、優しく、まるで聖母のように微笑んだ。そして男の首を抱きしめ、耳元に語り掛けて来る。
「安心して……? あなたは、あなたは選ばれたの。化け物なんかじゃない。神に、新時代のノアの一族として認められたの」
「……ノア?」
「そう、ノア。旧約聖書に出て来る、ノアの箱舟のノア」
 男は、意味が分からず言葉をつぐむ。
「ノアの時、神は堕落した人間にあふれた地上を見て、すべてを洗い流さなければとお考えになった。しかし、善良なるたった一つの家族。ノアの一族だけはお救いになった。今回も同じ。お互いに争いを続ける人間と亜人を見て、神はまた洗い流さなければとお考えになったの。でも、人間は力をつけすぎて洪水では流しきれない。なら、どうすればいいと思う?」
「……どうって」
「――力をつけすぎたのは、人間、そして亜人。だったら、優れた人間の一部から、優れた亜人の一部から『ノア』を選び、『ノア』にそれ以外の人間を滅ぼさせればいいんだよ――」
「ッ……!」
 男は、大きく息を飲み込んだ。今までの微睡も悩みも、すべて吹き飛ぶような感覚に襲われた。
「そんな、そんな、こと。いや、しかし、そうなのか? ウッドは、確かに分け隔てなかった。奴は亜人差別者も親亜人派も、そして亜人そのものも私同様首を刎ねた上で生かした。その力は魔法にしても未知の領分だった。――それは、そういう事なのか? ウッドは、神の遣いなのか?」
「そうだよ。そうだとも。ウッドはね、アーカムで人類を選別していたんだ」
 少女は語る。耳元で、力強い声でもって。
「ウッドはかつて、表に出るまでギャングのみを殺していた。それらは全て人を人とも思わない極悪人だった。
「そして表に出てからは、自分を殺そうとする輩のみを殺した。これらはいざとなれば、他人を殺してまで自分の利益を求める屑どもだった。
「そして最後。ウッドは君たちを選んだ。君たちの首を切り離し、考える猶予を与え、神の求める他者を分け隔てない『ノア』に変えた。亜人差別者だった君だからこそ、親亜人派だった君の妻だからこそ、そして亜人そのものだった隣のベッドの彼だからこそ、『ノア』たる資格を持っていた。そうだ。君たちが『ノア』なんだよ。君たちが神に代わって人類を滅ぼすんだ」
「――――あぁ、あぁ……!」
 男は、再び滂沱の涙を流していた。目の前に示された答えが、男の中で神聖さを湛えて立ち上がる。少女は「もう君は答えを知った。あとは行動するばかりだね」と言って首の断面に触れる。
「――あ、ああ、感じる。ベッドの感触が分かる! それに、ああ、ああ! 動く、動くぞ! 今までうんともすんとも言わなかった私の体が、動く!」
 感涙にむせび泣きながら、男は体だけで立ち上がった。と同時部屋の電気がつき、周囲の様子を知る。頭を拾い上げて知る、同室の五人の歓喜の涙。妻も、隣の亜人である彼も、他三人も、頭を高く手に掲げて精いっぱいの喜びを示しだす。
「ああ! ああ! 我々は、我々は選ばれたのだ! ハレルヤ! ハレルヤ!」
「ええ! あなた! ウッドは、私たちを選んでくれた! 私たちを新時代の『ノア』に選んでくれたのよ!」
「まさか、まさか神に選ばれるなんて! まさかウッドが神の遣いであったなんて!」
「ハレルヤ!」
「ハレルヤ!」
「ハレルヤ!」
 喜びが渦を巻く。我々全員に使命感が芽吹く。それはつまり、天命。ウッドを神と仰ぎ、旧人類すべてを滅ぼさねばならないという決意。
「神は我々を選び給うた。なればその期待に応えねばなるまい! 諸君! 我々が全てを為すのだ! 首を御身の手で直接切断された我々こそが、首のつながった旧人類を殺しつくさねばならないのだ!」
 それを高らかに宣言したのは誰だっただろう。男は無我夢中で「ハレルヤ!」を繰り返す。いつの間にか少女は消えていたけれど、それはすでにさしたる問題ではなかった。








 策は練った。あとは、接触を待つだけだった。
 ウッドは珍しく、読書に精を出していた。やることがないなど本当に久しぶりで、こんな時にやることは何かを考え、いの一番に読書が出てきたのだ。
 夜。日本で言うところの、丑三つ時に当たる時間帯。睡眠を必要としないウッドは、当てもなくさ迷い歩かない夜を静かに過ごしていた。アーリの家の今は豪奢で、ふかふかで見事な衣装の絨毯の上、包み込むようなソファに腰かけ、古式ゆかしいランプをつけて、その光で本の文字を辿っていく。
 ウッドは、修羅だ。だが、孤独な時の彼は総一郎によく似ていた。それは、修羅と人との相違点が、他者を前にした時に集中しているからだろう。自分以外の何者も存在しないとき、ウッドと総一郎の間に壁はないのだ。
 ぺら、とページをめくる。めくりながら、ウッドはひどく懐かしくなる。あるいは、ウッドの本当に求める世界はここにあるのかもしれない。充実した孤独。寂しくも暖かいランプの光。
 眩しい朝など、来なければいい。
 その夜は、本を読んで過ごした。本は、アーリの家の書斎から勝手に拝借したものだったが、朝に会った彼女の様子を見る限り特にこだわりはなさそうに見えた。そしてテレビをつけて、ウッドはにたりと笑うのだ。
「はは。ハウンドも中々憎い真似をしてくれる」
 ニュース速報にて、アナウンサーは語る。警察に届いたというウッドの犯行声明。どうやら自分は、正午にミスカトニック川を横断する橋に現れる予定らしい。
「上手い事警察を味方につけやがったな。あいつ……」
 アーリはそう言って、アナウンサーが話すのを睨んでいる。
「味方につけた、とはなかなか興味深いな。ハウンドはARFなのだろう? それが警察と手を組んでいるのか?」
「ばっ、馬鹿言うんじゃねぇよ! 警察はARFの一番の敵の一つだ! ハウンドが組んでるわけないだろうが!」
 首だけのウルフマンがテーブルの上で吠える。ちらとウッドはそれに視線をやってから、「ウルフマンはこう言っているが」と促す。
「――いや、ウルフマンの言う通り、実際に手を組んでるわけじゃないと思う。多分匿名で情報を送り付けて、ウッドと警察の戦いに対する三匹目の犬になろうっていう魂胆なんだろうさ」
「……。ああ、何のことかと思ったが、漁夫の利というようなことか。なるほどな、前評判通り、そして前哨戦通りの狡猾さだ。しかし、警察がどれほどの脅威になるものかな。JVAに劣るほど、と評価しているのだが。リッジウェイ警部などの一部を除く、大概は」
「……リッジウェイ」
 アーリは警部の名を聞き、口をつぐんで俯いた。ハウンドの行動を知って苛立たしそうになるのとは違い、沈鬱な面持ちで眉間に皺を作っている。そのアナグラムにハウンド――アーリの弟であるロバートの影を見て、ウッドは尋ねた。
「どうした。何か、あったか」
「あ、……ああ。その、友達が亜人でさ。それがロバートのARF入りの理由っつーか、その」
「殺されたか、リッジウェイ警部に」
「……うん。殺された。目の前で銃弾をばら撒かれて、その全てがライカを殺したんだ。アタシも、ロバートも、手を繋いでいたのに傷一つ付かなくって……」
 僅かに、体を震わせている。ウッドは彼女の怯えを見て、得心がいった。親しい友達を殺されARFに加入。リッジウェイのカバラに違和感を覚え調査をし、なにがしかの手順を踏んで習得。ハウンドのたどった道筋はおおよそそんなものだろう。
 リッジウェイ警部。奴は敵として現れるだろうか。ウッドにとっては、非ARFとなると敵愾心も薄れるというもの。カバリストではあるから、戦う事があるとしてももっと先という考えだ。今は、出来れば遭遇したくない相手である。
「ふむ。ともあれ、行ってみるべきではあるだろう。鬼が出るか蛇が出るか。試してみるのも一興か」
 最も強いハウンドを味わう。逃走手段を豊富に持つとアーリに言わしめるARFの猟犬だ。長い戦いになるならば、今のうちに奴の上限を知っておくのもいい経験になるだろう。そのように頷いて、ウッドはハウンドの指定した正午を待つ。

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