武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅸ

 今宵もウッドは現れるだろうと聞いていた。それまでは、自由にしていいと頬を赤くはらしたヒルディスに告げられていた。だから、ジェイコブは久しぶりに家に戻った。
「婆ちゃん、ただいま」
 答えはない。いつも通りだ。だが、次の瞬間「はーい」と答えがあって、ジェイコブは目を見開く。少し慌てて、家の中に入った。
「マナさん? ああ、やっぱりだ。大丈夫でした?」
「はい、静かに寝ていらっしゃいますよ~?」
 駆け付けた部屋の中で、ジェイコブの祖母が寝ていた。布団をかぶり、ベルトに括り付けられて、身動きの取れないようになっている。
「……寝てる分には、穏やかなんですけどね」
「そうですね~。まるで、赤ちゃんみたいに無垢な顔……」
 少し目を伏せて、彼女は祖母の顔を眺めている。そんな愛見に向き直って、ジェイコブは笑いかけた。
「ありがとうございます。面倒みてもらっちゃって」
「いえいえ~、私も知らない仲じゃないですから。少しだけなら、話せましたよ~?」
「そう、ですか。……日本人って、童顔ですからね。羨ましいなぁ」
 ジェイコブのぼやきに、愛見は何も言わなかった。立ち上がって、「お腹、空いてますか~?」と聞いてくる。
「ああ、そういえば。拘束状態から解放されて、まだ何も食べてなかったな。作ってくれるんですか?」
「ミヤさんほどの腕前ではないですけどね~」
「おれ、マナさんの料理好きですよ。作ってくれるなら、是非」
 前のめりになって言うと、少しジェイコブの顔を見て「J君がそういうなら、腕によりをかけて作りましょう~!」と軽い足取りでキッチンへ入っていった。
 それから、一人になる。いいや、二人か。ジェイコブは祖母の顔を見る。生まれも育ちも北米のこの街アーカム。だから、祖母も自分も浅黒い、という程度の肌の色だ。昔はこれが差別の対象になったというのだから、人間も昔から狭量である。亜人が差別の対象になることなど、当然の帰結だったのか。しかし、今だけだ。そう、ジェイコブは信じている。そのまま、何となく祖母を見つめ続ける。
 祖母が床に伏し始めて何年たっただろうと考えることがある。数字にしてみればそれほどではない。数年。だが、最近、自分が祖母を人間として認識していないという事に気付きつつあった。自己嫌悪に陥るが、一方で仕方ないと自らに言い聞かせている自分もいる。
 祖母は、過去に生きていた。それはつまり、今に生きていないという事だ。






 夕方、ジェイコブはヒルディスや愛見と共に、どのようにウッドと対峙するかの作戦を立てていた。ジェイコブを指名したとなれば、間違いなくその狙いはジェイコブの洗脳だろう。だが、奴の事だ。それをして戦闘の優位に立とうというのではなく、もっと、愉快犯的な動機だろうというのは推測が立っていた。
「俺たちには、ウッドの洗脳を排除する方法が分からねぇ。一応坊ちゃ、ウルフマンを拘束している内にCTスキャナーで輪切りにしてはみたんだが、発見は出来たものの奴さん、絶えず体内を移動してやがる。脳に居る時もあれば、足のつま先に居るときなんかもあってな。その移動時間は二秒にも満たないってんだから、手の打ちようがない」
「そんな気持ちの悪くなるような話せんでくださいよ。うぇ、肌がぞわぞわしてきた」
「エチケット袋用意しましょうか~?」
「ああいや、そこまでじゃないんで大丈夫です。……で、戦略としてはどういう方針を」
「ひとまず、今夜は控えめにしておけ。ARFは、これでも義賊的な立ち位置でやってきた。それをウッドの洗脳なんかで一般人殺させられておじゃん、なんてのは勘弁願いたいからな」
「……ウッドの攻撃を防ぐ、くらいに留めておく、と」
「ああ。――ウルフマン、お前は冷静でいるときなら一騎当千だ。正面からウッドとやりあってもおそらく勝てる。奴はタフだし攻撃そのものが当たりにくいが、ラボの連中が実験した結果、爆発物には弱いことが判明した。つまりお前が全力で走って、駆け抜けざまに何度かやればウッドのクソ野郎はお陀仏だ。だが惜しむらくは、――――ウルフマン、お前は冷静さにかける。予想外の事が起こると数秒戸惑ったり、逆に戦闘に高揚して注意がおろそかになったりする。ウッドがお前に怪我を負わせられたのもひとえにその所為だ」
「……ぐぅの音もないです」
 ウッドの撹乱は多彩だ。だが、愛見のようにブレずに一つの目的に専念していれば、防げたかもしれないものでもあった。
「お前が暴走したあの時、お前にはアイがウッドに見えていた。そうだな?」
「はい」
「意識が朦朧としたり、なんかは」
「なかったと思います。なのに、おれにはアイの挙動がすべてウッドのそれに見えたし、そのように聞こえたんです」
「……となると、いや、まだ情報が足りないな」
 ともかく、とヒルディスは〆に掛かる。
「ともかく、ウルフマン。今日は様子見だ。どんなに好機が迫っていても、見逃せ。逆に俺たちが押されていても、助けに入るな。他にも自分に向かって攻撃してくる奴がいたら、その相手に危害を加えない程度の力でいなす程度にしろ。それがウッドなら、俺たちが排除に掛かる。いいな?」
「了解です」
「アイも、ウルフマンに注意を払うのはいいが、最優先はウッドから一撃貰わないことだ。ウルフマンとアイの二人がそろいもそろってウッドの手の内に落ちたとなると、俺でも対処できるか怪しい。本当なら防具の二つ三つ付けさせてやりたいところだが、アイの場合は動きが鈍るからな。ウルフマンが危うくても、助けるのが難しそうなら手を出すな」
「……はい~」
 穏やかな笑みで、愛見は頷いた。それに、ジェイコブとヒルディスは渋い顔。含みを持たせてこういう顔をした時の愛見は、いざとなると暴挙に出る。
 ヒルディスは、ジェイコブに目を向けて無言の内に念押しした。ハードルの上がった瞬間である。ジェイコブは密かにプレッシャーに圧し掛かられる。
 夜になった。ウルフマンは、とあるビルの屋上で騒動が起きるのを待っていた。
 ウッドは高所を移動し、突如として地上に降り立つのが基本的な現れ方だと聞いていた。それゆえ、一般人に被害が出る前に接触できればと考えての行動だ。
 だが、無駄足だったかもしれないとウルフマンは思う。見下ろすは地上。昨日のウッドの暴虐に怯え、繁華街には人っ子一人いない。閑散としたものだ。ARFのメンツもこの周囲にはおらず、数人、ウルフマンとウッドが直接接触したときのため、遠巻きに監視している者がいるばかり。
「……無理はないとは思うがよ」
 人のいない街と言うものは異様だ。誘蛾灯が如く人を惹きつけるための人工の輝きが、一切機能していない。人に作られ、人を動かすためのものが、人に忘れられている。そこにあるのは強い違和感と、そこはかとない淋しさだ。
 それをして、ウルフマンは何故かウッドを思い出す。
 だが、同一ではないとも思った。近い、しかし、違う。ウッドは、人のいない街になり切れていない。そう思う。そして、なり切れていないとはどういうことか、と考え始めた時、背後から気配を感じた。
 素早く背後に振り返った。そこに立つのはアイだ。包帯を目に巻いて、手の目を使って周囲を視界に収めている。
「あ、ウルフマン……」
「……」
 ウルフマンは、無言で立ち上がった。そして、犬歯をむき出しにする。
「わざとらしい登場じゃねぇか、ウッド。生憎とよ、あらかじめ接触がないように通達されてるんだ。おれの認識をいくら弄ったって、そこはき違えちゃ意味ないよな?」
「……えっと」
 しかし、往生際悪くウッドは認識阻害を止めなかった。アイの姿のまま、戸惑った風に僅かに首をかしげている。横殴りに、冷たい風が吹いた。それに反応して、見慣れた所作で寒さを堪えている。ウルフマンは、僅かに疑い始めた。
「……もしかして、本物、ですか?」
 前回ウルフマンが幻惑された時、アイの奇妙な様子に気付き、それからウッドが幻覚を解いた。つまり、幻覚といえども極端につじつまが合わなければ、そこでちゃんと見破れるという事だ。ウルフマンの直感は、彼女を本物かもしれないと感じ始めている。
 しかし、それだと事前の取り決めと合致しない。アイならば、ウルフマンをいたずらに困惑させないために、まず電子機器によって連絡を取るだろう。それがなかったのなら、と一歩後退し、すぐにでも走り去れるように準備する。
 返ってきた言葉は、あまりにも曖昧だった。
「……わ、分かりません」
「……は?」
 酷く自信なさげに、アイの姿をしたものはそう言った。それに、ウルフマンは理解が追い付かない。
 そもそも、東雲愛見――アイと言う人物は、素の話し方がゆっくりな癖に、その中身は即断即決の人だ。ヒルディス曰く前線向きの性格で、ひとまず目の前の敵に勝つという点において無類の安定性を持つ。正面からウッドとやりあって一撃も貰わずに済んでいるのはその性質のおかげだ。
 そんな彼女に『分からない』などという返答はあり得ない。けれど、あり得ないが故に気にかかる。
 ――ウッドは、そんな言葉でアイの名を騙るのか?
 奴ならば、もっと入念にアイに似せてくるはずである。ウッドに一度騙された身だからこそ、ウルフマンはそう思った。総一郎の時から、奴は頭が回った。
 ならば、と自問する。目の前で所在なさげに不安そうな目を向けてくる彼女。そこに込められた意味。ウッドの意図。
 しかし、答えは出なかった。
「……う、ウルフマン」
 アイの姿をしたものは、一歩前に踏み出した。ウルフマンは怯えて一歩下がる。そこで、考えを改めた。ウルフマンは、いなすだけでいい。近づくものがウッドなら、ほかの誰かが対処してくれる。だから、宣言した。
「それ以上近づくな! それでも近づくというなら、お前はウッドだ!」
 びくり、と彼女は体を震わせた。そして、俯いて棒立ちになる。肩が、震えていた。目に巻かれた包帯の下で、涙が流れているのではという疑念を抱く。
「……何だよ、これ」
 言いようもなく、やりきれない気持ちにさせられる。その胸糞の悪さを誤魔化そうと、指輪型のEVフォンで連絡を取ろうとする。すると、寸前でなりだすコール音。飛びつくようにして、応答ボタンを押そうとする。
 その時、それを制する者が現れた。
「やぁ、いい夜だなウルフマン」
「―――――――ッ、ウッドォ!」
 爪をふるう。木の面を被った怪人は、それを難なく避けた。そしてアイの横に立ち、その首を掴んで引き寄せる。
「アイを放せ、ウッド!」
「うん? 奇妙なことを言うなお前は。誰をして、お前はアイだと言っている?」
「え、は?」
 ウッドは、手を広げる。それはまるで、舞台役者のような演技掛かった振る舞いだ。一方、拘束されたはずのアイはぼんやりとウルフマンを見つめていた。抵抗しようという意思は感じられない。
「前回相対したとき、ウルフマン、お前の中で、俺は俺とアイの『像』を入れ替えた。これは簡単な操作だ。おそらくだが、あらかじめ知られていればすぐに破られたに違いない。それは分かるな?」
「……」
「随分な顔をしているな。まぁ、時間はたっぷりある。噛み砕く時間くらい余裕はもたせよう。して、前回に対して今回だが、なに、俺がお前とやりたいのは謎かけなのだよ、ウルフマン。俺はお前に幻覚を見せるが、実際はどういう事が起こっているのか、と言う謎かけだ。お前と今話しているのは誰か。俺は誰か、俺が捕まえているこの気の抜けたアイのようなものは誰か。今のところ俺は、お前に対して『像』の入れ替えくらいしかできないからな。とりあえず今回の謎かけと言えばそういう事だ」
「……言わせておけば、勝手なことを言うじゃねぇか」
「それはそうだろう。カバラで測りなおして驚いたぞ。精神面を置いておけば、身体能力はARFでも最高。『冷静なウルフマン』と正面からやりあえば、俺は負けるという結果が出たんだ。慎重を期してこんなからめ手に出るのは、それだけ評価していると思ってほしい」
「お前に褒められたって何も嬉しくねぇんだよ!」
 飛びかかり、切り裂いてやりたい。かつて親友だったから、なおさら。だが、真実が分からない以上、動けなかった。もしかすれば、アイとヒルディスが並んでウルフマンに話しかけている横から、遠隔操作的に脳に直接ウッドが語り掛けている可能性だってあるのだ。
「という訳でアイ、今から君を惨たらしく殺すが、構わないね?」
「……え」
 その呆気にとられた声は、いったい誰のものだったろう。次の瞬間にはウッドの剣がアイの腹を貫いていて、分からなかった。服に滲む血。崩れる体。だが、ウッドはアイに倒れることを許さない。
「さて、これでアイの残りの命は僅かとなったわけだが。ふむ、これで動かないか。意外と理性がしっかりしているのだな、ウルフマン。もっとも、このアイが本物だったときそれは後悔以外の何物も生まないわけだが」
「……!」
 ウルフマンは声すらも出せなかった。理性だのなんだのという事ではない。あのアイが無防備に貫かれる。その光景そのものがウルフマンを忘我させたのだ。
「では、次からは趣旨を変えてみよう。放っておいても死ぬ訳だしな。そうだウルフマン! お前は凌遅刑というものを知っているか? 中国で数百年前までやっていたらしい処刑方法なんだが、そうだな。今実践してみせるから見てくれ」
 言うが早いか、ウッドは首を掴んで無理やり立たせているアイの、足首を切り落とした。ころころと転がるそれ。蛇口を捻ったかのように流れ出す血。あまりにもあっさりとした手口からは、現実味が感じられない。アイは、絶叫を上げようとした。だがウッドが喉に指を突き刺すと、声の一つも上がらなくなる。
「うるさいのは嫌いなんだ。さぁ、続きを行くぞ。しかしあれだな。片腕で持ち上げるのは少し辛いな」
 ふぅ、と奴は息を吐いて、ウッドはアイを地面に“立てた”。むき出しになった切り口は地面にくっつき、さらにアイは口を大きく上げてもだえる。声はない。けれど包帯の隙間から流れ出る涙。顎が外れんばかりに開かれた口の奥で、ぶるぶると震える口蓋垂。それが、雄弁にアイの苦痛を物語っている。
 そこまでいって、ようやくウルフマンは我に返る。しかし、すぐには動けないのだ。パニックになった頭が、必死になってこの切り刻まれるアイが本物のアイである理由を探す。「次は何処にしようか」と言うウッドの声が、アイの声もない絶叫が、そして、気付くのだ。
 ウルフマンは、次の太刀が加わる前にアイを救い出す。
「……ほう? 答えは出たのか?」
 あまりの速度に回避するしかなかったウッドは、しかし余裕を保ったままそう尋ねた。それに、独り言のようにウルフマンは呟く。
「―――ああ、そうだよな。そりゃそうだ。ごめんな、アイ。助けるのが遅くなった……!」
 ――ウルフマンは、信じている。信じていることを、思い出したのだ。虐げられた亜人たちで構成されたARF。その中の何者も、たとえウッド相手であろうと、このような非道な行いをするわけがないことを。善良な彼らが、こんな悍ましいことを喜々としてやるわけがないことを。
「……ウルフマン……」
 安堵の表情と共に、アイはウルフマンの頬に手を伸ばす。荒い息。今日はすぐにでも撤退せねばならない。アイの手が、ウルフマンの剛毛におおわれた頬を撫ぜた。微笑み。
「やっと、引っかかってくれました」
 首に走る鋭い痛み。『何か』が送り込まれる不快感。ぞっとして、ウルフマンはアイを突き飛ばした。自らの傷口を抑える。だが、そこに“傷”はない。
「な、な、何で、何で!」
「ははは、ウルフマン、外見に似合わず思慮深いウルフマン、それでいてやはり精神的に脆いところのあるウルフマン。お前には、たった一つの見落としがある」
「ッ、……ッ?」
 視界に走り始める、激しい『ノイズ』。ウルフマンはよろけ、立ち続けることすら容易ではなくなる。その中で、たった一つ、ウッドだけが鮮明だった。その姿、その声。“アイもまた、同様だ”。鮮明に、嘲笑を浮かべている。そして、二人は手を繋いだ。
「俺は、今回お前を『洗脳』していないのだ」
 アイはウッドの手に触れた。そして歪み、人の形でなくなっていく。どう形容すればいいのだろう。彼女の形をしたものは、吸い込まれていったというのが正しいのか。ウルフマンは呆然として何も言えない。ウッドの仮面が、ニタリ、と笑う。
「正解は『どちらもウッド』。さぁ、不正解の罰ゲームと行こうか」
 『ノイズ』は、激しさを増した。ウルフマンは、とうとう耐え切れずに倒れこむ。

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