武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅶ

 ARF本部の地下深くにて拘束されたジェイコブは、夢を見ていた。古い夢。懐かしい夢。もはや戻らない、あの日々の事。
 生まれたころはいつだって両親がそばにいた。抱き上げて高い高いをしてくれた父。いつもおいしい料理を作ってくれた母。そして、そんな両親を眺めながら、悪戯っぽく笑っている祖母。
 両親はともに優しく、対して祖母は友達のような相手だった。日中は暇でない両親の代わりにジェイコブをあやしてくれたのは、祖母だったように思う。いまだ健在であった頃の彼女はずいぶんと活発で、今でもあの頃のエピソードをいくつか明瞭に思い出せるほどだ。ジェイコブを転ばせたギャングを殴り倒したあの姿は忘れられない。
 しかししばらくすると、父は不在がちになり、母と祖母が残った。二人は仲良くジェイコブを育てた。母は甘く、祖母は厳しく。
 だが、最後にはたまに見える父の影も消えた。母もいなくなった。祖母だけが残った。小学校の半ば。人と亜人の小競り合いが絶えなかった時期。だが、祖母は気丈だった。
『J。これからアンタはアタシが育てる。これまで以上にビシバシ行くからね、気合い入れなよ!』
 両親がいなくなったショックに打ちひしがれていたジェイコブを、無理やり立ち直らせたのが祖母だった。飯を無理やり詰め込ませ、毎日五キロ以上の距離を走らせ、最低限の勉強を強要し、熱いシャワーを浴びせ、最低でも八時間の睡眠をとらせた。思えば、このころのランニングが今の長距離走につながっているのかもしれない。
 だが、厳しいばかりではなかった。やはり何処か孫煩悩なところがあって、家族を失って貧しい生活になっても、誕生日やクリスマスのプレゼントだけは欠かしたことがなかった。ヒルディスからの支援がしばらく途絶え、本当に食い詰める寸前でも、無理をして食費の外からおもちゃやら何やらの費用を捻出した。
 それが終わったのは、突然だった。
 どこか様子のおかしい祖母を病院に連れて行き、認知症であると診断されてから、もう二年の月日が経っている。








 夜が、来た。再戦の夜が。悪夢の夜が。
「……ああ、気持ちのいい風だ」
 ウッドは、とあるビルの屋上に立って両手を広げていた。仮面はニタニタと、これより始まる地獄への期待に笑いをこらえられず、ウッド自身もまた、激しい感情に身もだえしている。
 雪はしんしんと降り積もっていく中、しかし繁華街は人と電飾と広告で賑わいを見せていた。今までウッドが現れた地域からは、少し遠い。だからこそのこの人気の多さなのだろう。ここには、ウッドが現れないと踏んでいる。とはいえ、人の多さなどは彼の興味の外の話だ。
 ここからARFの拠点は近い。カバラで弾き出した結果に従って、ウッドはこの地に赴いた。それ以外はどうでもいい事なのだ。彼らが早く来てくれることだけを望んでいた。
「ふ、ふふ、ふふフハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 一度強く吹雪く。それに背中を押され、ウッドは倒れこむようにしてビルの上から落下していった。そして、着地。相も変わらず、小さな音とともに地面に降り立つ。
 空気が、凍り付くのが分かった。ウッドに気付いた全員が、彼を凝視している。そして、叫び声が上がった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁああ! ウッドだぁぁぁぁぁぁあ!」
 パニックに陥った男が上げた声に、その場の誰もが逃げだした。恐慌状態は波紋のように広がっていき、収拾がつかないほどになった。何せウッドがいる場所を把握できず、ウッドの眼前を絶叫とともに走り抜けていく人がいるくらいだ。
「慌てすぎではないか? 冷静に遠ざかっていけばいいものを」
 ウッドの傍に居れば危険というのはウッド自身否定しない。しかし別段、殺したいわけではないのだ。殺そうとしたから殺すだけで、それ以上の事はない。その点今日は運のいいことに、ウッドに向かって来るJVAやたまたまそこに居た特殊銃を持つ警官などもいないらしく、無駄な戦闘は起こらなかった。
 だが、結果として死人は出てしまったようだ。逃げるときに転び、そこを群衆に踏みつけられ続けたらしい、血まみれの体。人々はもはやそこになく、ウッドとともにぽつねんと倒れ伏す死体がある。
 ウッドはそれに近づいて、様子を見た。顔は潰され、骨も所々砕けている。体つきから少年と分かった。
「……ふむ」
 ウッドに感傷はない。ただ、自分が不用意に現れるとこういうことがありうるのか、と思っただけだ。『修羅』を染み込ませ剣にしようかとも考えたが、止めた。自分を殺そうとも、自分が殺したわけでもない相手をどうこうする必然性はなかった。
 担ぎ上げ、建物を背に座らせる。丁重というほどの扱いではない。だが、雑でもなかった。
 そうやっていると、現れる影があった。ARFか、と横を見ると、違う。
「……ラビット。久しいな」
「久しいな、では済まないだろうがこの殺人鬼が……!」
 兎は、激怒していた。フードの下に見える口が、ギリギリとむき出しにして歯を食いしばっている。
「何故、お前はあんな真似をした! ギャングを殺しまわっているくらいならば良かった。だが、表社会に姿を現して民間人を殺したならば話は別だ! お前をここで叩きのめして、豚箱に送り付けてやる」
「……」
 ウッドは、しばし仮面を嫌そうな顔にさせて、ラビットに目をやった。フードの下に潜む顔は、やはり見えない。激怒しているのは分かっても、それ以上を理解するにはアナグラムが足りなかった。計算を伸ばせばわかるかもしれないが、面倒と切り捨てる。
 だから、これだけ聞いた。
「ラビット。ならばお前は、俺を殺すか?」
「……それは、オレが今までただの一人も殺していないことを知って言ったのか?」
「――ああ、そうだったな。ならば、殺さないか?」
「オレが殺さないからと言って安心するなよ。死なない程度にお前の全身の骨を砕いて、死んだほうがマシという思いをさせてやる」
「そういうことを言っているのではないんだが……ああ、面倒だ。実に面倒だ。ラビット、お前が俺を殺さないというなら、俺はお前に用はない。これからARFと遊ぶ予定なのだ。空気を読んで退散してくれないか?」
「は? ARF?」
 その時、衝撃が襲い来た。頭蓋。側頭部で爆発にも似た攻撃を受け、ウッドは地面に吹き飛ばされる。
「流石のお前も、頭に一発となりゃあ無事じゃあ済まねぇか、ウッド!」
 言いながら現れたのは、ファイアー・ピッグだった。ぞろぞろといつもよりだいぶ多い部下が、それぞれ覆面をしてウッドの周囲を覆い始める。
「……ラビット、嗅ぎ付けてきやがったか」
「ファイアー・ピッグ。これは一体どういう騒ぎだ」
「お前には関係ない。退けよ、そいつは俺たちの獲物だ」
 ピッグとラビットが睨み合い、しかしお互いに手を出さない。ピッグは痛いほどのこの戦力でラビットを倒せないことを知っているし、ラビットもまた、どこにピッグの伏兵が潜んでいるかを警戒している。
 そこで、ぬらりと立ち上がるウッド。
「おいおい、人が話しているのに脇から入ってくる奴があるか、ピッグ。……しかし、今日はハウンドがいるんだな。先ほどの弾道だと、あの辺に――……居ないな」
「ハウンドが狙撃してその場に留まることがあると思うなよ。ウチの優秀な狙撃手なんだ」
 勝ち誇るピッグにウッドが目を向けると、その傍にいつの間にかアイが立っていることに気が付いた。そこで、彼は奇妙に思う。
「――――――――――――おい、ウルフマンはどうした?」
 その言葉に、アイが怒りをにじませて言う。
「あなたが妙な真似をしたせいで、戦線から外されたんです。当然でしょう。味方に危害を加えかねない戦闘員を、連れてくる訳がありません……!」
 ARF全体から、ふつふつと怒りの色が見え始める。だが余計なおしゃべりに興じる輩はおらず、全員が黙ってウッドを睨み付けていた。
 ウッドは、声を漏らした。
「……何を、馬鹿なことを言っている?」
 その言葉に、場に困惑が湧き出る。
「おい、何が馬鹿だと――」
「馬鹿は馬鹿だろうが。何? 妙な事、だと? アレが面白いのではないか。俺はお前らARFを壊滅させるつもりで動いているわけではないのは知っているよな? ではなければすでにお前らは塵も残さず死んでいる。そのうえ、俺はウルフマンの幻覚を解いただろう? それも、お前らの目の前で、だ。その後ウルフマンが幻覚を見て暴れだしたりしたか? していないだろう? 俺はそんな意図がなかったからだ」
「お、おい。ウッド、お前は何を言って……」
「黙れ! ああ、クソ、思惑が外れた。こんなにも腹立たしいことはない! 俺がどれだけ今晩から始まる饗宴を楽しみにしていたと、ああ、あああ、あああああああああ!」
 頭を掻きむしり、慟哭するウッド。木の面は不可思議なことに、涙の形の木目を次々目の隙間から仮面の下の方までするすると落としていく。
 その様を、ウッド以外の全員があり得ないような心持で見つめていた。今までは、気味の悪い愉快犯のように見ていた宿敵。だが、今の奴は控えめに言って狂っている。
 しばらく吠えて、奴はぐったりと脱力した。そして、独り言のように口にする。
「……なぁ、今日は、大晦日だったよな……? 今は、……十一時、五十二分か。そこに大勢居るARFを……いや、慎重を期して……」
「……何を、何をするつもりだ」
 ラビットが唸ると、首をかくんと傾げて、ウッドは彼を見て――――――嗤った。

「憂さを、晴らすのさ」

 強い風が吹き荒れた。それに飛ばされて、ウッドは宙に舞い上がる。奴は狂った哄笑を上げ、笑い声が大きく広がりながら遠ざかっていった。風に気圧されるARF。だが、ラビットだけは揺るがない。
「クソッ、ウッド! 何をするつもりかは知らないが、お前はここでねじ伏せる!」
 彼は持ち前の強靭な脚力によって飛び上がる。置いて行かれたARF。その中で、ピッグは舌を打つ。
「畜生、――命令だ! 一般戦闘員は人目を避けて本部に戻れ! 幹部、あるいは俺の直属は俺に続け! 奴らを追うぞ!」
 言うが早いかピッグは炎をまとって飛び上がった。それにアイは日本仕込みの魔法で続き、ピッグの直属たちもそれぞれの手段ですばやく移動していく。
 ウッドが向かったのは、やはり繁華街だった。先ほどから、二、三キロほど離れた場所のそこ。ある程度まで離れていると、情報こそ入ってはいても遠いという風に感じてしまうのだろう。人が賑やかに寄り集まった、喧噪がある。だが、二、三キロなどウッドからすれば五分の距離ですらない。
 その中心に下り立つウッド。そこに今までのような音のない着地といった優雅さはない。地響きさえさせて奴は道路に突き刺さる。そして、追いかけてくるラビットやARFが到着する数秒前に、人々が恐怖の叫び声をあげるよりも一瞬早く、ウッドは魔法を行使した。
「諸君、頼みがあるのだが――諸君の首を、借り受けたい」
 ウッドの手の平に浮かぶは、虹色の玉。それは最初一つの手に一つずつだったが、瞬きの間に何十個にも増殖されていた。
 それが、通行人の首を刈り取っていった。
 ラビットがその場にたどり着いたとき、血も流さずに倒れ伏す肢体の数々に目を剥いた。その中心でいくつかの人の頭をお手玉のようにして投げるウッドを見つけ、雄たけびを上げる。
「ウッドぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「おや、一番乗りはラビットか。お前はお呼びではないのだが――おっと」
 迫りくるこぶしに、民間人の頭を盾に翳す。すると奴は悔しげにこぶしを止め、さっと距離を取った。
「あまり邪魔してくれるなよ。まだ数が足りないんだ……よっと」
「なっ、あっ」
 虹色の玉が素早く空中を走っていく。思わずラビットは駆けだしていた。風よりも、ひょっとすれば音よりも早く兎は跳ね、玉の一つを捕らえる。無数の玉の中の一つ。しかし、たった一人だけでも救いたかった。
 その寸前で、玉は意思を持っているかのように軌道を変えた。ラビットの手を潜り抜けた先でさらに増殖し、恐怖に固まっていた数人がまとめて首を刈り取られ、叫びも血もなくウッドへと弾かれていく。
「……う、あ」
「何だ、こんな事で自室呆然とするのか。アーカム最強と聞いたが、これは買いかぶりかな?」
 硬直するラビットを嘲るウッドの背後に、ARFが続々と現れる。最初瞠目した彼らだったが、すでに慣れてしまったのだろう。憤怒の目をもって取り囲んでくる。
 ウッドはそれを見て、高笑いしながら両手を広げた。数十の首はふわふわとウッドの周囲を衛星のようにくるくると、それぞれが独自の軌道で浮き、廻っている。
「何を睨み付けるのだARF! これはお前たちの浅慮の結果だぞ? もっと申し訳なさそうにしたらどうだ!」
「ふざけるな! こんな――こんな悍ましい光景、」
 ピッグの部下の一人がウッドに言い返し、その途中で気分が悪くなったのか口に手を当てる。それをニタニタと笑いながら、「さぁ、時間だ」と首をビルの方向に飛ばし始める。
「な、お前は!」
「何をする、などというような月並みな言葉は控えろよ? 何度お前たちからその言葉を聞いたと思っている。耳にタコというものだ。いいから見ていろ。さぁ、時間が迫っているぞ!」
「止めろぉッ!」
 我に返ったラビットが、素早くウッドにつかみかかり襟首を掴んで持ち上げた。しかし時すでに遅し。首はすでにビルに一個一個、まるでそこから生えてきたかのように整然と並べられ、貼り付けられていく。
 それを見ていて、彼らは次第に理解する。ウッドの意図を。奴が何をしようとしたのかを。
 その『字』を見て、ラビットは呻き声を漏らす。ピッグが「嘘だろ……?」と動揺する。アイは不意に力が抜けて膝から崩れ落ち、運よくウッドの間の手から逃れた通行人たちは絶叫を上げた。




















 Happy New Year
 そう読めるように、首は並んでいた。



「ウッド! ウッドぉぉぉぉおおおおお!」
「ふはは、ふはははは、ふはははははははははははははははははははははははははははは! ハッピー、ニュー、イヤァァァァァアアアアアアアアアアアアアア!」
 がくがくとラビットがウッドの首を絞めて揺らし、ウッドは構わず激しく笑い続けていく。ARFは、戦意を喪失し、うつむいて泣いている者すらいた。笑うのはウッドだけではない。生き残った通行人も恐怖のあまり笑い出す人々がいた。それにつられて何人かが笑い、気づけばその空間は笑いが満ちていた。何もかもがおかしかった。狂気がすべてを支配していた。
「お前、お前ッ、分かっているのか! お前は自分が何をやったのか分かっているのかぁぁあああああ!」
「ふはははは! ふはははははは!」
「答えろ! ウッド、ウッドォ! 答えろよぉぉぉぉおおおおお!」
「……何だ、これは……? 夢か? 夢なのか……?」
 この世でこんなにも動揺したラビットを見たものなどいなかっただろう。この世でこんなにも呆然としたピッグを見たものなどいなかっただろう。ラビットは狂ったようにウッドを責め立て、ピッグは狂ったようにぶつぶつと自問を繰り返す。ウッドだけが、自身の思惑通りに行動していた。自分の意志で笑っていた。
「何がおかしいんだよ、何がおかしいんだよぉおおおおおおおおおお!」
「ふははははは……、ああ、笑い疲れたな。しかしラビット、いい加減首が苦しくなってきたぞ。手加減してくれないか?」
「何を言ってんだよお前はぁぁぁああ!」
「でないと……あ」
 揺さぶりすぎたのが悪かったのか何なのか。ぽろり、とあっけなくウッドの首が落ちた。「えっ」と誰ともなくきょとんとした声が響く。その場から音が消えた。精々が、遠ざかっていく民間人の狂ったような爆笑くらいのものだろう。空しい笑いが静寂を引き立たせる中、ころころと間抜けにウッドの首が転がり、ラビットの力が抜けた手からウッドの体がドシャリと落ちる。
 全員側が目を疑う中、ひょっこりと首なしウッドが立ち上がった。きょろきょろと目もない癖に周囲を見回し、『あった!』とばかり自らの首を指さして拾い上げ、チャキッと固定する。
「全く、乱暴に扱わないでほしいものだな。それなりにデリケートな作りをしているんだ。加重百キロ程度でポロリといってしまう。分かっていたが、とんでもない力をしているな、ラビット」
「あ、え、おま、お前」
「では、これにて今宵は終幕としよう。ではな、諸君。また明晩」
 光魔法によってウッドは姿を消した。誰も、それを止めようと行動できるものはいなかった。のんきな足音がテクテクとピッグの隣を横切っていく。その際に、声があった。
「ああ、そうだ。明日はちゃんとウルフマンを連れてこい。でないと、『ハッピーニューイヤー』がまた増えるぞ?」
 クスクスと笑みを漏らしながら、ウッドは立ち去っていく。それすら数分もしないうちにラビットがARFにも目もくれずに跳び去っていき、次いでピッグが我を取り戻す。
「……アイ」
「え……、あ……、何、でしょう」
 呼ばれたから答えた、というような力の籠らない言葉に、ピッグは絞り出すように言う。
「お前らは、ウッドの正体――姐さんの弟は前らの友達とか何とか抜かしてやがったな」
「……そう、でしたか。ごめなさい……よく、分からなくなってしまって」
「いや、いい。それでいい。そいつの事はもう忘れろ。無理なら、消えたと思え。あんな野郎が普通な学生生活なんて送れるわけがねぇ。もしも奴の正体が、本当に姐さんの弟とかいう気さくな少年だったとしたなら――」
 ピッグは、足音の消えた方向をじっと見つめる。
「――そいつは、もう死んだんだよ。残ったのは、亜人ですらない化け物だ」
 アイは、その声に視線を向ける。ピッグの言葉は、憎悪の炎に燃えていた。

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