武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 『おばあちゃんの爪は、どうしてそんなに鋭いの?』Ⅰ

 両手を合わせることへの忌避感。そして自作の、ベッドから繋がる鎖の長い一つの手錠。拘束は、それだけにした。鍵は二つ。一つは図書に、一つは自分が。
「……」
 ブラック・ウィングは、何度も手を合わせようとして、しかし出来ずに歯を食いしばっている。ベッドの上。鎖の長さはこの部屋を十分歩き回れるほどもあったが、ウッドが居る時、彼女は常にベッドの隅で丸くなって、こちらを睨み付けていた。
「だから、合わせられないと言っているだろう」
 ウッドの言葉に、彼女は低い声で答える。
「こうやって、図書さんも洗脳したの? あの人が、こんな状況を看過するはずないのに」
 ウッドは、自分がウッドの正体という事を図書に明かしている。仮面を外したまま彼女を背負ってきた自分を見て、彼はただ溜息を吐き、『どうせややこしい事になってるんだろうとは思ってたんだ』とだけ言った。
『俺は、今は静観する。俺も人食い鬼のせいでだいぶ死生観狂ってっから、お前らの人殺しについては触れないことにしとくわ。あと、姉弟同士の蟠りは、お前らで何とかしろ。長い時間話し合って、やっと解決できるってこともあるだろうしな。今は拙速を貴ぶべきじゃないと思ってるから、ひとまず任せるぜ、総一郎。――信頼、してるからな』
 その言葉は、図書があくまで二人のどちらの味方でもあり、もっと言えば中立を保つという事の表れだった。だが、釘を刺すことも忘れない。ウッドが暴挙に出れば、彼もまた、『大人』の立場から動き始めるつもりで居るのだろう。
 ならば、義理立てすべきだった。乱暴な手で彼女をどうこうしようという気には、ならなかった。
 ウッドは言う。
「それは、お前の認識違いだ、ブラック・ウィング。俺が、彼に洗脳など掛けるはずがない」
「それは、何で」
「お前は、自由にした瞬間俺を殺すだろう。それ以外はあまり問題ではない。だから、天使の種族魔法以外のほとんどを自由にさせているのだ」
 そう告げると、「どうだか」とだけ言って何も答えなくなった。ウッドがその様を動かずに見つめていると「いい加減出てって!」と強く言う。
 ウッドは目を瞑り、立ち上がった。
「何かあれば呼べ。壁を強くたたけば起きる」
「あなたの事は呼ばない。お花摘みの時は図書さんに頼むもの」
「それならそれで、結構だ」
「――お願いだから、出てってよ……!」
 部屋を出るウッドに、彼女は声を張り上げる。泣きそうな声だ、といつも思う。それを無視して、自室に戻った。
 姿見の前に立つ。仮面は付けていない。だが、仮面のように顔が硬直している。
 手で揉んで、変えた。表情を作る。笑顔。怒り顔。泣き顔。変顔。真剣な顔。十全に、扱える。
「……うん。何も心配はないな。何も変わってない。いいや、いい事があった。心配していた相手が帰ってきて、心配が取り除かれた。うん。うん」
 笑顔で言う。力を抜く。仮面のような無表情。いやいや、と首を振る。笑顔。うん。ずっとこのままで居よう。
「俺は、今幸せだ」
 姿見に、言った。笑顔を、もう少し弛緩した風に変えた。試行錯誤の末、安心を示す表情を完成させる。これだ、これ。
「もう寝るか。あしたも授業があるんだから」
 そのまま、床に就いた。笑顔のまま、寝た。
 翌日、昨日に早く寝た分だけ、早朝に目覚めた。五時。庭に出て、久しぶりに木刀を振るってみる。空を断つ音。しかし、何処か鈍い。
「……使っていなかったからだろうな、腕が落ちた」
 最近、魔法ばかり使っていた。カバラと合わせた、それ。イギリスで山に籠っていた時の自分と剣で立ち会えば、今の自分は容易く脳天を打たれるだろう。だが、魔法を含めるなら、カバラが使える今が圧倒的に有利だ。
 カバラ。これがあれば、運動は最適化される。あとはそれを為せるだけの筋力があれば、問題はないのではなかろうか。
 そう思うと、素振りをする気が失せた。木刀などいらない。しかし処分するには愛着があって、庭に逆さに突き立てた。そのまま、家の中に戻る。それからしばらく、シャワーを浴びた。部屋に帰る廊下で、鈍い音が断続しているのを聞く。自分と、彼女の部屋の境目。何だと思って、彼女の部屋の扉を開ける。
「どうかしたか」
「ずっさんが意地悪して『総一郎に頼め』って……」
 股間を抑え、涙目で彼女は言った。声が、屈辱に濡れている。ウッドは指を鳴らし、彼女の手錠を外した。「えっ、今のどうやって」と瞬間彼女は動揺するが、すぐに我に返り、駆け出した。
 手間のかかるものだ、と鼻を鳴らして、ウッドは着替えた。素振りをしないのなら、筋トレなりジョギングなりとやる事はあった。


 冬が来た、と日々思わせられる。
 今日も、そんな日だった。僅かばかりの雪が、忘れた頃に空中を滑っていくのを見つける。それを十数回ほど繰り返したところで、仙文と出会った。「おはよう」と互いに挨拶を交わす。
「いヤー、もう寒い時期にナッチャッタネ」
「後半めっちゃイントネーションおかしかったけど」
「かじかんでウマク、はニャ、はにゃせニャい……」
「早いところ学校行こうか。中なら温かいだろうし」
 二人は足早に進んだ。校門をくぐって、玄関に入ると一心地つく。
「やっぱり室内は温かいネー」
「そうだね、あー寒かった。授業まで少し時間があるし、ちょっと溜まり場で休もっか」
「ウン。Jならもう来てるかナ」
「あいつ、早起きだからね。多分来てるんじゃない?」
 お互い親友の事を話しながら、食堂の端の一角に訪れる。適当に温かい飲み物を買って、腰を落ち着けた。Jは居ない。彼が来るまで、あるいは授業が始まるまでは、しばらく仙文と話していようと思った。
「そういえバ、イッちゃん。昨日のニュース見た? ARFの有名怪人が勢ぞろいシて、しかもそのリーダーがアーカムに宣戦布告したアレ!」
 思い出したように、声高く仙文は言った。ああ、と答える。
「昨日俺駅前に居たから、実は生……とは言い難いけど、ARFの予告をそのまま見てたり」
「えっ、凄イ! どうだっタどうだっタ!? ニュースだと行き成りリーダーが中央で犯行声明してタから、詳しい事はまだアンマリわかってないンダ」
「ってことは、そのリーダーが州知事を殺したのも?」
「えっ、……それ、本当?」
 こくりと頷く。仙文は神妙な顔で「とうとうARFも本気だネェ……」と呟く。微妙に他人事感がにじみ出ていた。
 世は無常なりというようなことをのんびりと話していると、誰かが近寄ってくる。Jかと一瞬思ったが、全然別人だった。
「二人ともお早よ。いやー、今朝のニュース凄かったわね……!」
 ヴィーである。彼女にしては、珍しく素で興奮しているような様子だ。やはりあれだけの事は、長年アーカム住まいでも新鮮なのか。
「お早よ、ヴィー。J見なかった?」
「ん? あー、……Jは多分休みじゃないかしら」
「そうなノ?」
「うん。ちらっとトラックの方見たけど、見えなかったし」
「いや、一応今日は雪だから」
「ううん、そうじゃなくて、足跡が無かったってことよ。去年とか忍び込んでた時は、元気に校庭のトラックを何十周としてたからね」
「元気底無しだネ」
「ああ、そういえば陸上の大会あるから、応援してとか言われたことあったったけなぁ……。行かなかったけど」
「いや行きなさいよそこは」
「ボク行ったヨ? ……って、アア、その時イッちゃん確か試験受けてたんだっケ。ソレで大会が終わってカラ汗だくで来たよネ」
「行ってるんじゃない」とヴィーは片眉を歪める。
「Jに叩かれながら『おせーよ!』って言われたときムカついたなぁ」
「えっ、Jってそんなに性格悪かったっけ」
「イヤイヤ、イッちゃん。満面の笑みで言ってたって事を言葉にしないトかなり語弊が生まれちゃうヨ」
「作戦失敗」
「Jに何か恨みでもあるの!?」
 ヴィーに驚かれ、くつくつと笑った。悪戯心以上の物ではないと示すためだ。そして、何となく漏れる溜息。
「そっか。J、今日は休みか」
「なんだかんだ言って仲良いわよね」
 穏やかな笑みで、ヴィーは言う。だから顔を紅潮させて、手を振りながら言い逃れようとする。
「出会ったころはズボラな感じが気に食わなかったけど、慣れればそれ以外の面が見えてくるからね。根は良い奴なんだって分かってくると、気づいたらっていうか、まぁ、その、……うん」
「そうだネー。ボクら二人だけだと、少し静かすぎちゃうモン」
 そんな風に、穏やかに話していた。静かで、平和な会話だった。
 そんな中、ふっと話題から、自分だけが逸れる。一瞬の間だけ取り残されて、ここに居る自分、という物を客観視してしまう。平穏。興味とも呼べないような興味が、じわ、と滲みだした。
 この平穏を壊したら、中から何が出てくるのだろうか、と。
 例えば、仙文を殴り飛ばしたら、どうなるだろう。例えば、ヴィーをこの場で犯したら、どうなるだろう。例えば、この食堂に居る十数人を、一人残らず殺したらどうなるだろう。
 心臓が、鳴った。決して高鳴りではない。底冷えする様な、低い音。恐ろしい、と思う。何を考えているのだ馬鹿らしい、と思う。思う半面で、少し考える。何が起こるのか。自分が気の狂ったような行動を冒せば、一体何が起こるのか。
 誰かが怒鳴り散らして、自分を殴るかもしれない。あるいは、泣きながら止めるのかもしれない。しかし、どちらにせよ平穏は壊れている。そこに、違いなどないのだ。
「……イッちゃん? どうしたノ?」
 きょとんとした純粋な声色で、仙文が首を傾げる。それにウッドは、「ううん、何でもないよ」と言った。そう、何でもないのだ。本当に、何でもない。
 誰かが、Jに連絡を取る。今日は風邪をひいたと返ってくる。他にも、何人か見ない人がいた。人が少ない日だった。きっと、雪が降っているからだろう。
 家に帰る。居間のソファで、清が寝っ転がりながら足をパタパタしている。見れば、本を読んでいるようだ。声をかける。
「ただいま、何呼んでるの?」
「ん、総一郎か。お帰りだ。これはな、……ジャックと、豆の木だ」
「何でためたの?」
「ヒーファイフォーファム。匂う匂うぞうんたらかんたら」
「覚えてからやんなさい」
 頭に手を置く。「うぅ」と恥ずかしそうに清が俯く。可愛らしいと思う。その一方で、握りつぶしたらどうなるだろうと考える。整形した修羅の手は、恐らく簡単にそれを為すだろう。
「むー。総一郎、あまり撫ですぎるな。髪の毛が乱れるだろう」
「ああ、ごめんごめん。あんまり撫で心地がよかったものだから」
「むむっ、……それなら、許さないことも、その、無きにしも非ず、というか」
「可愛いねぇ、清ちゃんは」
 再び、撫でる。その頃には、不穏な考えは消えている。一過性なのだ、これは。のど元過ぎれば、熱さを忘れてしまう。
 一通り清と遊んでから、自室に戻るべく階段を上る。その最中で、止まる。目の前に立ちふさがる、彼女の部屋の扉。少し見入って、再び進んだ。
 扉を開ける。暗がり。カーテンも開けずに、ベッドの上で蹲っている影があった。
 声が、硬くなる。
「調子は、どうだ」
「……いいと、思うの?」
 言葉が返ってくる。逃げ出している可能性も考慮していたが、杞憂だったようだ。
「良くは、ないだろう。……食事は、とったか」
「ズっちゃんに食べさせられた。……もう、いいから出て行ってよ」
 元気のない声色である。少し、考え込む。自分が、本当は何を望んでいるのか。少なくとも、この現状は違う。血のつながった肉親を軟禁するなど、理想的とは言えない。
「……何か、望みがあれば言え」
「……あなたが、それを言うの?」
 闇の中で、鈍く照り返すものがあった。彼女の、瞳。かつて、イギリスで打ちのめされ続けた自分の様な――獣のように獰猛な目が、こちらを睨み付けてくる。
「どういう意味だ」
 問うと、彼女は俯いた。沈み込むような声色で、ポツリポツリと言葉を零す。最初は、それを聞き取ることが出来なかった。だが、ある一言がその独白を一息に明瞭にさせた。
「私には、やる事がある」
 それを皮切りに、言葉に力がこもり始めた。
「私は、亜人。日本ではいざ知れず、この国では差別される存在。アメリカの、特にアーカムの差別は酷いなんてものじゃない。リッジウェイ率いる亜人対策課は、私たちのことをモンスター呼ばわりして、見つけ次第撃ち殺した。友達が目の前で撃ち殺されたことだってある。だから、私は立ち上がったの。何かしなきゃならないって」
 こちらに向く瞳が、色を変えた。獰猛な獣から、情熱を湛えた人間に。
「最初は、漠然としてた。ただ、他人を無償で助け続けた。でも、それだけじゃ何も変わらなかったよ。私たちのことを知る人は増えた。協力してくれる人だって出てきた。けど、親友が誘拐されて、殺される寸前までいって分かった。こんなことしても何にもならないって。そう考えたとき、私の中に方向性が生まれたの。壊さないとダメだって。こんな社会、ひっくり返さないとダメだって」
 眉が下がる。目が据わる。穏やかな顔つきになる。天使の目だと、そう思った。人を超越した、かけ離れた存在に。
「神は、善良な人間と多種多様な動物のつがいを残してそれ以外を洪水で洗い流しなさった。でも、ニーチェや他の多くの哲学者が神を殺してしまった。神は信じるものすべてをも助けられないほど力を失ってしまったの。私たち亜人は、見捨てられた側だよ。だから、私は、私たちはもう神に祈らない。ノアの時の大洪水は、私たちが用意する。そう、そう決めたの。もちろん、一人じゃ無理だよ。私ひとりじゃ何もできない。でも、みんながいた。みんながいたから、うまくいったって信じてる。決めてからは、全部うまくいったよ。それこそ不思議なくらい。――だから、これで、ようやく、亜人を救えるって思ったんだよ。州知事の殺害と宣戦布告までは、まさに順風満帆だった!」
 泣き出しそうな声で、彼女は高らかに謳う。その瞳は、いつしか天使の物でなくなっていた。邪な、人間らしさがそこに滲んだ。だが、すべてが人間ではない。言うなれば――神に切り捨てられた、堕天使のような目。
「でも、あなたが私を連れ去った。私はまた、一人に戻った。私はもう、外に出ることさえできない。みんなにも、もう、会えない……」
 次第に、声に涙がにじんでいく。暗がりの奥に、再び瞳が引っ込んだ。だが、と不思議にも思うのだ。この数時間でこのように心が折れるような輩に、ARFを引っ張ってこられるとは思えない。
 しかし、その理由に興味も湧かないのだった。ただ、妙案を思いついて、声をかける。
「『みんな』に、会いたいか」
「え……?」
 きょとんとした涙目が、毛布の下から覗いた。覆いを引きはがして、もう一度尋ねる。
「お前の言う『みんな』に、会いたいか、と問うている」
「え、そ、それは、会いたいけど」
 何を言っているのか理解できない、という風に、彼女は目を困惑に細める。それに、ウッドは答えるのだ。
「ならば、連れて来てやる」
「……は?」
「連れて来てやる、と言った。それとも、意味が分からないか?」
「え、で、でも。みんなをそのままこの場に招けば、私は」
 ARFのメンツが勢ぞろいすれば、どれだけの魔法を凝らしても、隙を見て奪還されるに決まっている。ウッドは、うぬぼれ屋ではない。自分の実力のほどは、把握していた。
「そんなこと、言われずとも分かっている。だから、そう出来なくしてから、連れて来ようと提案しているのだ」
 ウッドのその言葉に、ブラック・ウィングは目を見開いた。「まさか」とだけ言って、言葉を詰まらせる。カバラで、彼女が何を考えているのかを知った。鼻で笑う。
「死体にしてから連れてくるなど、そんな事をする馬鹿がどこに居るというのだ。お前と同じ、『戦えないだけ』の状態で、健全なまま連れてくる。それで、文句はないだろう」
「え、あ、でもあなたは」
「修羅などという訳のわからない存在はどこに居ない。俺は俺だ。お前の、弟だ」
「だから、あなたは総ちゃんじゃなッ」
「だから」
 彼女の怒鳴り声を、手を掴んで遮る。
「だから、俺がお前を『助けて』やる」
 その言葉に、彼女は今度こそ絶句した。ウッドは、それだけ言って踵を返す。行動は、今日から起こすつもりで居た。
「ちょっ、ちょっと! 『助ける』って何!? 私を拘束して、動けなくしてるのは――ねぇッ! 答えてよッ!」
 背後から追いすがる、彼女の声。それを振り払って、ウッドは扉を閉めた。ドア越しに、地面を踏むのが聞こえる。ベッドから離れるほど、今の発言は聞き捨てならなかったのだろう。しかし、ウッドが自室に戻れば、彼女はどうしようもなくなる。彼女の鎖は、部屋から出ることを許さないのだから。
 部屋に戻る。まだ、暗いというほどではない。だから、眠ることにした。ベッドに寝転び、瞼を閉じる。その寸前で、ふと気になって仮面に目をやった。今では、家で碌に隠しもしなくなった仮面。呟きが、漏れる。
「……なぜ俺は、『助ける』などという言葉を使ったのだ?」
 だが、自問しても答えは無い。その為、黙って眠りについた。真っ暗な夢だった。もしくは、夢など見なかった。

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