武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 ARFⅣ

 仮面を、見つめていた。
 夜の事だった。ベッドに座り、総一郎は、ただ一人静かにたたずんでいた。自室である。それ以外の、何処でもない。
 暗がりの中、少し離れた机にひっそりと置かれた仮面。電気は付けなかった。光が欲しい気分ではなかった。
 問う。
「何故、入らなかった。義が無いとは、どういう事だ」
 答えはない。右手を固める。投げ上げる。そして、桃の木の仮面に当り、溶けた。
 修羅は、亜人だ。人間にして、人間から外れたものだ。だから、桃の木の清い性質に侵される。だが不思議な事に、すぐに溶けるのではなく、少し間がある。
 そうすると、癒着するのだ。修羅の肉が溶け、焦げて消えるまで、肉は仮面にくっついて剥がれなくなる。
 その一方で、と総一郎は右手を見た。そこにあるのは、人間の手だ。人間そっくりに擬態した、『綺麗な』手だ。
 アメリカに渡る船の中で、必要に駆られて訓練をした。そして、出来るようになった。
 総一郎は、これが嫌いだった。何よりも醜い。整っているがゆえに、そう思うのだ。しかし、何もないのに隠すのは不自然で、やはり手袋は捨てた。そうするのが一番だった。
 もう一度、問う。
「俺は、ARFに入るべきだったと思ってる。この国にも亜人差別があった。イギリスに比べれば差別の程度はマシだけど、行われている蛮行はあそこよりも残酷だ。――それなのに、なぜ入らなかった。白ねえのことも分かった。差別とも戦える立場に立てたはずだった。なのに、何故断った。お前は、何故」
 答えはない。答えを聞くには、仮面をつけるしかない。仮面は、総一郎にとってのスイッチだ。嵌めると、切り替わる。だが一方で、恐ろしくもあるのだ。ウッドと総一郎は、同一の存在のはずだった。だがあの夜、ウッドは総一郎から離れて言葉を操った。
 仮面を嵌めれば、総一郎はウッドになる。意識が切り替わるというよりも、純粋な変化と言うのが正しかった。嵌めた瞬間、修羅は総一郎を覆い尽くす。今は右の首下で止まっているのが、頭を乗り越え、脳を乗っ取り、左半身をほぼ完全に支配して、最後にかけらほどの人間を残す。
 いつからそうなったのかは、覚えていない。ウッドの面を嵌めて、人を殺し過ぎたと我に返った時には、そうなっていた。いつしかウッドの記憶には靄がかったところが目立つようになり、気づけば、この様だ。
「……」
 総一郎は、首を振ってベッドに潜りこんだ。最近、ずっとこうだった。窓の外を一瞥して、結局目を瞑る。あの夜以来、もう何日もウッドになっていない。

 そんなある日の事だった。その日は総一郎の機嫌がよかった。
 先生が風邪で休み、他のみんなよりも少し早くに放課後になったのである。だから、何をしてもいい。何をしなくてもいい。そんな軽い気持ちで街を歩いていた。
 アーカムの中でも、総一郎が好きなのは旧市街である。日本人が住むのは基本的にビルが立ち並ぶ、オフィス街近くの住宅地だった。例にもれず図書の家もその中にあって、だから少し遠出をして、ヴィーと共に初めて旧市街に足を踏み入れた時、驚かされたものだ。
 アーカムの旧市街は、何処か古めかしく、怪しい、独特の雰囲気がある。その一方で明るさもあって、何とも心惹かれる景観だった。禁酒法時代のアメリカ、と言うとイメージしやすいのかもしれない。例えば総一郎の横の、今時にそぐわないレンガ造りの建物。何だこれは、と驚くような、ギャング映画風の丸っこい車。山高帽子をかぶっている人ととおりすがった時、ちょっと笑ってしまったほどだ。もしかしたら、この旧市街とは名ばかりで、古い雰囲気をモチーフにしたデザインタウンなのかもしれないと総一郎は疑っている。
 日本で言うならあつかわ村の神社や、イギリスなら妖精の住まう小さな森と言った風情がある。そう思ってから、活気ある街の雰囲気を自然豊かな場所に例えるというのも、何とも奇妙な話だ、と自然な笑みがこぼれた。
 元植民地であるアメリカに原風景などないと高をくくっていたが、あるいはこんな禁酒法時代的雰囲気の漂うこの街並みこそが、アメリカの原風景なのかもしれない。そんな事を無責任にも考えてしまう総一郎がいるくらい、そこは魅力的だった。
 歩くだけで楽しい、と言う場所である。
 散歩というと、総一郎にとってこの道は定番だった。昼の人通りが少ないのもいい。夕方になると少し増え始め、夜になると繁華街の次に活気があふれる。反面、この地域の裏路地は、ミヤさんが居るスラム街に比べても危険度は高いのだが。
「麻薬の売人がしつこかった時は思わず殴っちゃって大変だったなぁ……」
 最終的にはJVAのブザー音を鳴らすことで事なきを得た。装着者以外の音を聞いた人間に、怯みを抱かせる精神魔法込の音である。魔法とは不思議なもので、音魔法と他の魔法を組み合わせたものを録音すると、再生した時に無制限でその効果が得られるのだ。もっとも、その要領で誰かに音情報を売ったり譲渡したり、と言うのは違法なのだが。
 俗にいう魔法々である。字面だけ見るとピンと来ない。
 そんな風にしてのんびり愉快に歩いていると、背後から「よお!」と元気そうな声がかかる。
「……ん? あ、アーリ! 久しぶり」
「久しぶり、ソウ! こんな所で会うとは思ってなかったぜ」
 スカジャンを着た金髪ツインテールこと、アーリーンである。今日も今日とてベースボールキャップを被り、総一郎よりも高い背丈の頭から二束のツインテールを垂らしている。もう冬真っ盛りで、前にあった時よりも温かそうだった。その豊かな胸元も健在だ。自己主張が激しいので視線のそれこれに困る。
「弟探しはどう? 順調?」
「順調すぎて涙が出てくるくらいだ。そっちは? ソウ」
「いいとこまで行ったんだけど逃しちゃったよ。ARFは足が速くて困るね」
「うはは」
「ははは」
 互いに進展ナシという事だった。仕方がない事でもある。何せ、相手は本物のテロ集団だ。
 その場で、少し話していた。連絡先を交換したものの、実際に連絡を取った事はなかった。そうか、彼女は自分と縁のある相手なのか、と総一郎は思う。こんな薄い繋がりの相手との再会など、予想もしていなかったのだ。
 それぞれ話題は共通で、思った以上に盛り上がった。言うまでもなく、互いの家族の話である。アーリーンは弟の事、総一郎は白羽の事を話していた。
「ロバートはさぁ、昔は泣き虫で、アタシが守ってたんだぜ? なのに今じゃああの様だよ。知ってる? 州知事が最近ハウンドによく追われてるって話。ロバートお前何やってんだ! って連絡入れようと試みてるけど当然のようにケータイ繋がらないしさぁ、もう、どうしろってんだよ! って」
「本当それだよね。連絡が付かないのが一番不安なんだ。何となく居る場所も分かっているのに、全く手を出せない」
「そうそう。その癖あっちからは連絡し放題っていうのも、またムカつくんだ。昨日何か連絡があってさ」
「えっ、連絡あるの!?」
「う、うん。……何? ソウは貰えてないの? 連絡」
「……全く。ああ、――うらやましいなぁ」
 羨ましいというか恨みがましい目でアーリを見つめる。すると彼女は「分かったよ、自慢みたいになって悪かった。良かったら見る? 意味自体は不明なんだけど」と彼女は空中で指を動かす。
「それは?」
「ん? 頭の中のパソコン動かしてるだけ。ジャパニーズも持ってなかったっけ? 電脳魔法ー、とかいう奴」
 送信、とアーリは小さくつぶやいた。すると、総一郎の画面の端に浮かび上がる軽快な絵文字。電脳魔術の容量で作動させると、こんな文章が表示された。
『明日、午後二時、駅前に居ろ。そこで初めて、俺たちは表立って動き出す』
「……不気味、だね」
「だろ? だから『いつからそんな趣味悪くなったんだ?』って返したんだよ」
「それで?」
「返信来なかった」
 確かに、総一郎も格好付けた時の返信がそれだったら送り返さないだろう。
 電脳魔術の機能の一つとして視界の端にある目立たない時間表示を見ると、午後一時二十分過ぎだった。ここから指定の場所へは、大体二十分も歩けば着くだろう。
「もしかして、行く途中だった?」
「当り。良かったら一緒に行かない?」
 ツインテールを揺らして、少年っぽくアーリは笑った。総一郎は「是非ともご一緒させていただけると」と肩を竦める。
 アーカムの街は、ミスカトニック川を中心とした旧市街と、それを中心に広がる新市街と言う造りになっている。ミスカトニック大学は付属校共々新市街側にあるが、昔は旧市街の中心にあったという話だ。実際、その時代の文書はいまだ旧市街側に残された巨大図書館に寄贈されているという。
 向かう際中会話を続けていると、何となくアーリの人物像が掴めるようになってきていた。明朗快活。笑い方がちょっと変わってて、少年っぽくて、おおざっぱ。人間としての魅力にあふれた人物であると同時に、女性としての魅力に乏しい人物でもあった。しかし、顔立ちが整っていないという訳でもないのだ。むしろ、美人な方。
 何と形容すべきなのか。その精神が何処までも少年らしくて、魅力に乏しいと言うよりも、女性らしさを感じないというのが適切な気がする。
 けれど愛すべき人柄であるのに変わりは無くて、友人として、総一郎はアーリを好きになった。会話は途切れずに続き、何度か大笑いを経て、気づけば目的地に着いていた。
 駅前。ビルが、立ち並ぶ場所。総一郎は、そこに既視感を覚えてしまう。中央に人の行きかう道路があって、一等高い、目立つビルには、大きな立体映像でCMが垂れ流しにされていた。
「……前世、俺が」
 総一郎は、ぽつりとつぶやいた。それ以上は、言わない。アーカムから出ない総一郎にとって、駅前に来るのは初めての事だった。だから、驚いたのだ。あまりに、似ていたから。
「そろそろ指定の時刻だな……。ったく、ロバートの奴何をやらかそうってんだ?」
 アーリがぶつぶつと文句を言っている。それに苦笑しつつも、総一郎は微かに強張った顔で時計を見る。自分の視界の端のそれではない。CMの左上に張り付けられた方の表示だ。
「あと一分もないな。……20……10……」
 静かなアーリのカウントダウンに、総一郎は集中した。ここに満ちる雰囲気は、ただの都市らしい喧噪である。だが、何やら予感があった。カバラを使う。
「5…………3……2……」
 大まかなアナグラムを、読み取っていく。細かなアナグラムは本当に微細な事で簡単に変動する一方で、場の状況などの大きなそれは、普通はあまり変動が無いのだ。十桁の数字がそこにあって、普通なら常に1か2ほどの上下がある。今は、一桁、二桁程度。
「1……」
 緊張が、総一郎の体を油の切れた機械のようにした。自分にとって、何か衝撃的な事が起こる。そんな予感が、体を貫いていた。忙しなく動く視線。アーリの最後通告が、硬くその場にもたらされる。
「0」
 そして、定刻になった。
 アナグラムが、激しく揺れ動いた。だが、その発生源を、総一郎はすぐに発見することが出来なかった。「何が起こったッ?」とアーリに目をやる。彼女は総一郎に言われた直後、視線を固定させて指を向けた。
「ビルだ! この立体ビジョンに映ってるの、CMじゃなくなってる!」
 すぐさま、顔を上げた。確かに、CMではなくなっていた。だが、総一郎にはそれが何であるのかがすぐに理解できなかった。暗い情景。動かない影。それらの一つ一つが平凡な家具であると気づいた時、画面の中心に現れる人物がいた。
『何だ!? 何だお前は! 私は州知事だぞ! こんな事をしていいと思って』
 彼の言葉は、そこで打ち切られた。画面外から伸びてきた黒い毛むくじゃらの腕に口をふさがれ、地面に叩き付けられたからだ。そこでようやく、これが監視カメラの映像であると理解した。
『がたがたとうるさい事を抜かすな、差別主義者め。お前が数年前に亜人に懸賞金をかけたのを、俺たちは忘れてないぞ』
 若い声を発したのは、州知事を押さえつけた毛むくじゃらの大男だ。記憶にある、ウルフマンの姿と合致する。
 そんな異形を前にしても、州知事にひるむ様子はなかった。暴れに暴れ、微かに漏れ義越える言葉は『化け物』だの、『汚らわしい』だのと聞き苦しい。そこに、新しく表れる二つの影。甲高い少女の笑い声が重なり合って、絶妙な音の調和が生まれている。
『コレ? これが私たちを「化け物」にした奴?』『そうだよシェリル。こいつが元凶の一つ』『そっかぁ、お姉さまは何でも知ってるね』『そうでしょ? ああ、早く殺したいけど我慢我慢。我慢って辛いねシェリル』『そうだね我慢だよお姉さま。こいつはボスが殺さないと』
 くすくすと闇の中で二つの影が交差している。彼女らは、きっとヴァンパイア・シスターズだ。黒いゴスロリという、“いかにも”な格好でささやき合っている。
『おう、そうだ我慢だ。よく我慢できたな、お前ら。中々成長してるじゃねぇか』
『……』
 野太い声で姉妹を褒めながら入ってくる、ウルフマン以上の巨体。こちらもまた、毛むくじゃらだ。ファイアー・ピッグ。そしてその後ろで、無言で紛れ込んだのは、ネックウォーマーで顔を隠す小柄の少年の姿。「ロバート」とアーリの声が聞こえてくる。
 そこまで行くと、ざわざわと喧騒の種類が変わってきた。誰も彼もが、ビジョンに指さしどよめいている。そんな中、満を持して現れる二人。
 片方は、見覚えがあった。包帯で、目をぐるぐるに覆った少女。包帯の余りでサイドテールを作っているのも変わらない。彼女は、世間に名の知られていない怪人の一人だ。アイと名乗っているのを知っている。
 そして、最後に出てきた人物。この人物の登場で、喧騒は静まり返った。
 真っ白な人だった。白く長い髪。純白のドレス。白磁の肌。夜の中でも後光が差しているような白さ。ただ一つ、両目を覆う、真っ黒な覆面だけがその神々しさに対し、異様な点となって浮き出ている。
 彼女は州知事の前に立ち、視線の見えない瞳で見下ろした。州知事は押さえつけられてなお暴れていたのが、彼女の登場と共に力が抜けたかのようにぐったりとするようになった。だが、その視線だけはその少女を注視している。そこから読み取れる感情は、畏怖だ。
 彼女は知事の前で手を組んだ。まるで祈るかのような仕草。いや、実際に祈るのだろう。そう、総一郎は思ったのだ。
 だが、違った。それは、怨嗟の言葉だった。
「―――主よ、何故我らを見捨てたもうたのか」
 あまりに大きな、羽ばたきの音が響いた。そこから広がったのは、白ではない。真っ黒な、夜を呑み込むような翼だった。
 そこから、何枚かの黒羽が舞った。暗い夜の映像でなお、それが分かるくらいに羽は黒く染められていた。その内のいくつかが、州知事に触れる。
 その結末を、総一郎は知っていた。
 羽が触れたところから、広がる様に知事の体は黒羽に変わっていった。広がって膨らんで、最後には地面を覆い尽くすほどに散らばった。その姿さえ、美しかった。そんな感想を抱かせる彼女に、総一郎は震えた。
「お、おい、ソウ。見たか? あれ。何だよ、あの人。あの……あの人は」
 アーリは動揺して、総一郎の袖を掴んで引っ張っていた。だが、少年はそんな身近な彼女に対して行動を起こすことが出来ないでいた。ビルの映像で頭がいっぱいだった。
 画面の白くて黒い彼女は、こちらを向いた。正確に言うなら、この映像を録画した防犯カメラを。そして、言うのだ。あまりに美しい、鈴の音のような声で。
『私は、ARFのリーダーを務める者。そして、これからの改革の主導者となる者。私は、我がARFと共にアーカムを変える。マサチューセッツを変える。アメリカそのものを変革してみせる。覚えておきなさい。私の名は――』
 もう一度、黒翼が羽ばたいた。大量の羽が画面を覆い尽くす。
『――私の名は、「ブラック・ウィング」』
 そして、画面は砂嵐と消えた。
 喧騒は、静寂に変えられた。誰も彼もが、言葉を発せなくなった。ただ一人、涙を流して砂嵐の走るビジョンを見つめる者が一人。
「……やっと見つけた。やっと、やっとだ……! ずっとずっと、会いたかった」
 流れる涙は右目だけ。左目には血が貯められ、けれど滴にならずに消えていく。総一郎は顔の右側だけを拭って、アーリに軽く挨拶してから駆け出した。
 もうすでに、何をするかは決まっていた。

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