武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 ARFⅡ

 Jと仙文の三人で食事をとっていると、「やっほ」と言いながら混じって来た人がいた。
「あ、ヴィー。やぁ」
 赤い髪。妖艶な少女。総一郎の映画友達。エルヴィーラ・ムーン。
 最近、良く一緒に映画を見に行く中になった。その事をJ、仙文に告げると邪推されたが、やはりそこに映画友達以上の関係性はない。ただ、仲が良いのは事実で、話しかけやすい相手だった。彼女は総一郎、仙文と並んで腰かけているところに来て、少しの吟味の後仙文の隣に座る。
 何か三対一みたいな構図が出来てしまっていた。
「……バランス悪くないか?」
 そう、悲しそうに言ったのはJだった。それに、ヴィーは笑いながら一言。
「仙文の方が可愛いもの。まぁJも、グレゴリーに比べれば愛嬌あると思うわよ?」
「グレゴリーと比べられた……!」
「J、ドンマイ。本気でドンマイ。今回ばかりは同情するよ」
「イッちゃんよぉ……」
 男二人、思う所があって、固く握手を交わしあった。うんうん深く頷いていると、女二人は男どもを置いてけぼりにして、何やら密着してもぞもぞやっている。
「あっ、チょっと……! 今は食事中だカら、変なトコロ触るのダメだッて……!」
「うふふ~。可愛いわね仙文~。ほら、もっと悶えなさい?」
『……』
 Jと共に無言で、発情期の動物を見るような目でヴィーを見つめた。紅潮した頬。荒い息で、彼女は自分よりも小さな仙文の鎖骨を撫でている。
 もしかしたらヴィーも雑に扱うべき人なのかもしれない。最初は愛見だって真面目に見えたが、今は酒を飲むわ適当だわと敬うべき点が年上という事しかなかったのだ。
 それに比べて仙文の純粋さ、いじらしさは何だろうか。彼女だけは常識もあって愛らしい。アメリカで出来た友人たちはどいつもこいつも変人ぞろいで、そんな中で一人無垢な彼女は、一種の清涼剤だ。
 彼女はちらりとこちらに視線をやる。総一郎は、力強く頷いた。助けを求められている。ならば、助けねば。
 ヴィーから仙文をひったくる。抱き寄せながら、言い放った。
「ヴィー、そこまでだ。仙文は俺のなんだから、そうやらしい手つきで触るのは無しだよ」
「えっ」と仙文。「お、おいイッちゃん、大丈夫か?」とJ。
「何よ! 一番仲良いからって、それは横暴という物だわ。別に付き合っている訳でもないのに」
「ふむ、確かにそれは一理ある。――じゃあ仙文、俺達今日から付き合おう。それで問題はないよね、ヴィー」
「くっ、そんな荒業があったなんて……! やはり思った通り、イッちゃんは強敵ってことなのかしら」
「あ、あの、ちょっと二人とも……?」
「ん? 何さ仙文。――もしかして、お断りなのか? そんな、あんなに仲良くやって来たじゃないか!」
「いや、ボクだってイッちゃんの事は好きだヨ! でもさ、その、そういう事じゃないと思うし……」
「……何が?」と首を捻る総一郎。彼女の受け答えに、どこか噛みあわない感じを受けたのだ。これだけ仲よくやってきたのだから、この冗談程度なら笑って済ませてもらえると思ったのだが。
「だって、ボク、男だシ……」
「……あっ」
 素で忘れてた。
「あっ」
 ヴィーも忘れてたっぽかった。
「やべぇ。この二人やべぇ。完全に仙文の事を取り合ってた。ヴィーは女だから良いにしても、イッちゃん。……おれのケツは掘るなよ?」
「俺はノーマルだよ! 違う、そうじゃないんだ。冗談である上に、純粋に忘れてただけなんだ。だってほら、思い出してもくれよ。俺が居ない状況で仙文が男宣言したら、J、君はどう判断した?」
 Jが、その一言にハッとした。目を剥いたまま仙文に目を向け、虚ろに俯いてしまう。そして総一郎に、心から申し訳なさそうに言ったのだ。
「……すまなかった」
「分かってくれて何よりだよ」
「あの、二人とも。片隅で仙文が涙目になってることに気付いて。今まさに、あるかなきかの男のプライドが蹂躙されていることに気付いてあげて」
「ちゃんとあるモン! あるかなきかじゃないモン!」
 仙文が叫ぶ。その様も可愛らしかったので頭をよしよしする。ヴィーも便乗してよしよしだ。「分け合うのが一番だね」「そうね、争いなんて野蛮だわ」と微笑みあう。真ん中で仙文がすすり泣いている。
「そろそろ可哀想だから解放してやれよ」
「失敬な、合意の上だよ」
「イッちゃん一人ならやぶさかじゃないケド、この撫でられ方は何か嫌だヨ……」
「ほら、可愛い」
「全然そういう問題じゃないけどね」
 ヴィーが仙文の頭から手を引いたので、ひとまず総一郎も止めることにした。このままでは、食べ終える前に始業のチャイムが鳴ってしまう。
 弁当を口に運びながら、雑談を始めた。一昨日の小さな地震が怖かったという話で三人が盛り上がっている中で、たった一人普通にテレビ見ていた総一郎がひたすら驚かれたり、仙文が仙術について熱く語ったりと、妙に有意義な話し合いだった。
 そんな中で、ヴィーが「そう言えば」と新たな話題を挙げたのだ。
「ARFの活動も最近激しくなってきたわよね。知ってる? ファイアー・ピッグがここ数日にわたって行動を起こしてるって」
「ああ、ラビットが忙しそうにしているのを偶に見るな。何かこう、極稀に地面に白い影が現れるアレ」
「……それがラビットなの?」
「いや、速過ぎて目視し切れないんだよあれ。イッちゃんも学校終ったら直帰せずにさ、試しに一度ぶらぶらしてみ? 一時間に五回は見るから」
「めっちゃ見るんだね」
「阻止し切れてないけど、多分強奪品の倉庫を抑えた方が早いっていう方向に動いてるんじゃないかって言われてるヨネ。ファイアー・ピッグも倉庫の場所だけは知られないようにって動いてるみたイ」
「所でファイアー・ピッグって今更ながら長くない?」
「ミートゥ」とJ。
「同じく」と総一郎。
「ボクもそれは思うヨ」と仙文。
「略称があった方がいいわよね。何がいいかしら」
「無難にFPとかか?」
「最後にS付けたいよね」
「ファイアー・ピッグ・シューティングかナ」
「いや、ファイアー・ピッグ・スターだな」
「スター何処から出てきたのよ! ……あ、そう言えばそんな必殺技アイツ持ってたかも」
「だろ?」
 犯罪者の話をしているのに、その怖がり方は地震に比べても生温い。これがアーカムなのだと、総一郎は思ってしまう。犯罪者に慣れきった未来都市。それは異常で、しかし地震を怖がらない日本人と大した差が無いというのもまた事実だ。
 中身のない話をしながら、総一郎は日常を謳歌する。


 闇にまぎれて、動く影があった。
 ギャングたちが、冷たい夜のスラムを明らかに武装して歩いている。ある者はアサルトライフル。ある者はショットガン。ある者は火炎瓶。冬の気配の中、火器を蓄え対抗する。そういう風に、警戒していた。
「……殺し過ぎたという事か」
 ウッドは、レンガ造りの建物の上からそれを眺めていた。今此処で降りれば、集中砲火を受けることになるだろう。魔法があるから防げるとはいえ、怪我をしかねない。
 致命傷以外は治すことが出来るが、痛みが不快でないわけではなかった。だが、先日のハウンドを逃したからには情報を集めないわけにもいかない。
 彼に、選択肢はないのだ。
 足を踏み出し、飛び降りる。音もなく着地すると、一テンポ置いて周囲が一気に色めきだった。全員が構える。だが、撃たない。
 その事が違和感で、ウッドは攻撃するのを少しの時間躊躇った。すると、奥の方から歩いてくるものが居る。
「どうやら、完全に妄執に取り付かれているわけではないらしい」
 闇の中より歩み出てきたのは、目を包帯で覆った少女だった。奇妙な出で立ちである。来ている服は闇に溶けるような色合いの、何処か無骨なスーツ。目を塞ぎ、その包帯の余りで二の腕まで届く髪の毛を、一所にサイドテールにしている。腰にはナイフがつけられていた。酷く、物騒な雰囲気。周囲のギャングたちは、ウッドに視線を注ぎながらもちらちらと彼女に視線を送っている。そこに込められるは、畏怖。
 余程、恐ろしい人物であるようだ。それにこの年齢でギャングを従えている。となると、怪人であるのは間違いがない。
「お前は、何者だ」
「私は、こういう物です」
 そう言って、彼女は左手を胸の前に掲げた。掌を、まるで顔のように真正面にウッドに見せつける。
 その中央で、目が開いた。ぎょろりと不気味に蠢くその瞳。その周囲には、赤く上部に「ARF」と、そして下部には「EYE」と殴り書かれている。
「手の目……。そうか、魔法を使うARF構成員の噂は知っていたが、お前がその一人か」
「私は、この国に来て人間が憎くなった。だから所属し、秘密裏に動いています。そしてウッド、今回は、あなたに依頼があって来た」
「……依頼、だと?」
「ええ。報酬は、あなたが欲しがっている情報です。人を探しているのでしょう? それが誰なのかはわかりませんが、とある仕事に手伝ってくれれば、我が組織の力をもって調べ上げます」
「だが俺は、ハウンドに殺されかけているぞ」
「あんなもの、小手調べにもすぎない。そもそも、ハウンドの恐ろしさは直接対決のそれではありません。御託は良いのです。Yes or No。返答は簡潔に」
 にべもない。だが、分かりやすかった。ARFが情報を掴んでいるのは、もはや確信に近い。ならば、乗ってやってもいいだろう。襲い来るなら、殺し返せばいい。
「分かった、乗ろう。俺が欲しいのは、白羽という少女の情報だ。白羽、武士垣外。お前らARFの、構成員の一人だと認識して動いていたが、どうだ」
「……報酬は、事を為してからです。では、これを」
 何かを投げよこされる。掴むと、指輪だった。「安価なEVフォンです。これで連絡が取れるでしょう」と少女――EYE――アイは語る。
「数日後、連絡を入れます。指定された時間、場所に赴いてください。そこから先は、担当者が口頭で指示を出します」
「分かった」
「では」
 そして彼女は、闇に消えるように居なくなった。それに着き従うギャングたちも。ウッドはそれを見送りながら、「ふむ」と頷くのだ。
「……あの人数差では、負けるのか」
 世の中は、広い。神を殺そうと、人間に勝てないこともあるのだ。
 数日が経って、ウッドは郊外の廃工場に訪れていた。
 都市部から見て、スラムよりもっと向こう。他の街に移るための、高速道路の脇から逸れた場所。そこに、それはあった。
 夜の闇の中で、電燈の光さえ薄い。ひっそりとした佇まいは、巨大ながら気配を感じさせない。
 その大きなシャッターの傍らに、タバコをふかす男性が居た。会社員という風情でもないが、ギャングという印象もない。ただ、通行人という雰囲気があった。何となくそこに寄り掛かっていた風でありながら、ウッドを見つけて平然と名を呼んだ。
「……ウッドか」
「依頼の通り、来てやったぞ。仕事は何だ」
「ひとまず、中に入れ。目に付いたらマズイ」
 目に付く? と首を傾げたかったが、彼はそれ以上何も告げずに鍵を投げつけてきた。少し歩き、小さな電気音がする。すると何もない所から、鍵穴が現れた。
「お前は、魔法使いなのか」
「少しかじっただけだ。そのくらいの人間は、USAでもそれなりに居る。遺伝的な親和力に過ぎないよ。ジャパニーズとは違う」
 それだけ言って、彼はそのまま歩き去って行った。近くにあったバイクにまたがって、そのまま行ってしまう。
 ウッドはそれを尻目に、ドアを開けた。中は、全くの暗闇である。だが、ウッドの目は闇をも見通す。見えない、という状況にならない。
 そこには、何十人ものギャングが居た。だが、いかにもガラの悪い“チンピラ”はいない。誰も彼もが武装していて、軍服を着せればそのまま傭兵にでもなれそうな雰囲気がある。そしてその大半は、暗視ゴーグルを装備していた。
「来たか、ウッド」
 酷く、低い声だった。奥に潜む、ひときわ大きな影。それが、歩み寄ってくる。
「お前は、目がいいと聞いた。だから、メガネは用意していないが、いいな?」
「……お前は、ファイアー・ピッグか」
 姿を現した闇の王は、噂に違わぬ獣の姿をしていた。記憶から盗み見たウルフマンよりも、更にでかい。三メートル弱。正真正銘の化け物だ。しかし豚というよりは猪に近い。つまりは毛深く、重装備で、暗い中でただ一つ真っ赤に輝く眼光を有している。
「火は、何処にある? 暗闇でそんな風では、お前はただの豚じゃないか」
「常に燃えていたなら、オレはとっくに殺されている。ファイアー・ピッグの名はオレ個人でなく、オレを頭に据えた一個小隊につけられた名だ。『頭』が頭を使わなくてどうする」
「なるほど、予想以上に切れる奴らしい」
 粗野な外見をしていながら、挑発に乗ろうとする素振りが無い。
「では、仕事の話だ。ウッド。お前は、ここに居ろ。今日中にここの荷を運び出さねばならない。下手をすればオレを含めた全員が死にかねない危険な仕事だ。もっとも、奴は殺さないのだろうが」
 思い当たる節が、無いでもなかった。
「……ラビットか」
「耳が早いのは良い事だ。余計な説明を省くことが出来る。――対峙したことは?」
「ない」
「なら、戦わなくていい。自分の身だけ守れれば十分だ。噂通りの察知能力なら十キロ程度まで警戒網を張れそうだが、ひとまず急速で迫る物体が見つかったらすぐに知らせろ」
「随分と甘いな。外部の人間なのだから、ぼろ雑巾になるまで酷使されると思ったが」
「報酬はたかが情報だ、お前をこき使うつもりはない」
 そこまで告げて、ファイアー・ピッグ――ピッグは奥へと引っ込んでいった。かと思えば、怒号を発して部下に命令を下している。ウッドは言われたとおりにすればいいだろうと考え、姿を消して倉庫を出た。そして、魔法で飛びあがりその屋上に立つ。
 下の方で、何やら音がし始めた。少しするとトラックがいくつか出て行って、例の積み荷の場所を移すことになったのだと知った。とすると、ここはもうすでにラビットに当りを付けられている、という事なのか。
 しかし、それでも周囲の様子に大きな変化はなかった。風魔法によって、異常な速度の物があったら、ギリギリで感知できる程度の広さを索敵範囲とした。細かい動きは分からないが、それでも大まかな風の流れくらいなら把握できる。
 それから、数十分が経った。EVフォンに着信が来て、ピッグから『ご苦労だったな。あと少ししたら全員撤収できる』と伝えられた。頷くと、立体映像が消える。
 その時だった。
 ウッドは、弾かれたように顔を上げた。途轍もない速度で、真っ直ぐにこちらに接近する飛来物を探知した。放物線を描きながら、しかし隕石の様に墜落してくる。
 電子を弾き飛ばして穴をあけ、直接倉庫内に戻った。月の光が倉庫内に射し込んで微かに明るくなる。それにギャングたちが動揺する中、彼は叫ぶのだ。
「ファイアー・ピッグ! ラビットが来たぞ!」
 倉庫のシャッターが打ち破られたのは、まさにその瞬間だった。
 金属の引きちぎれる音という物は、強烈だ。展性の限界を超える。それはひょっとすれば、火薬の破裂する音よりも強い力を持つ。
 ギャングの大半が、それで竦みを見せた。この闇の中で活動していた者達には、電燈の光さえ少し眩しいだろう。ひしゃげたシャッターは弾け飛び、数人を打ちのめした。そして、影が現れる。
 奴は、噂通りの外見だった。百八十センチくらいの背丈。頑丈そうなジーンズに、白のフード。目深にかぶったその頭頂からは、冗談のようにウサギを模した長い耳が生えている。そして、手足の先。これもまた、ウサギを思わせる白の長い毛で覆われていた。もこもこで、人を殴れそうな形をしていない。リアルな形状だが、偽物らしさもある。
 ウッドは、その外見に怒りとも呆れともつかない、微妙な気分にさせられた。女がやるにしても寒い恰好の男である。滑稽というよりも、嫌悪感が湧く。
「……チッ。荷はすでに運び出された後か。だが、これだけ情報があるなら、問題はない」
 それが、こんな格好つけた言葉を発するのだ。ウッドは思わず、木刀を握る手を強くしてしまう。
 ――しかし、ファイアー・ピッグの対応は迅速だった。
「戦闘要員は記憶消去! そのほかは撤退! 動けェッ!」
 硬直していた部下たちが、その一言で我を取り戻した。前に出る者達は首下のスイッチに触れ、その他は奥の車へと走っていく。
「ウッド。お前は恐らくこの中で最も戦力になる。だが、ラビットの戦いは突拍子が無い。まずは見て学べ。迂闊に動くなよ」
 ピッグはそう言って、ウッドを奥の暗がりに押し込んだ。そして「五分もたせろ! そうすればオレたちの勝ちだ!」と檄を飛ばす。
「五分ももつのか、豚」
「悲願が近いのだ。易々と阻まれるわけにはいかねぇんだよ、長耳野郎」
 短い応酬。ピッグは構え、ラビットはジャンプを始めた。
 ウッドは、それを怪訝に見つめる。その場で小さな跳躍を繰り返すその姿は、控えめに言っても頭がおかしい。だが、誰も銃を撃たないのだ。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
 そう考えた自分を、ウッドはすぐに殴りたくなった。
 ラビットは、ふとした瞬間に掻き消えた。その一瞬があまりに唐突で、ウッドは奴の姿を見逃した。すると、天井で音が聞こえる。上か、と顔を上げたのだ。凄まじい跳躍力だが、この程度、とまだ侮る気持ちがあった。
 だから顔を上げた瞬間に地面で音がして、ウッドは僅かに当惑した。
 地面を見る。しかし、すでに姿はない。ただ、人の輪が出来ていて、その中央で踏みつぶされたように蹲るギャングの姿が見えるばかりだった。再びの天井の音。同時に顔を上げたつもりが、上げ終った時に地面で人のつぶれた音が耳に届く。
「―――――!」
 速い、と思った。速すぎる、とも。
 だからもう一度、音にかかわらないで天井に視線を向けた。地面で音がしても、目を向けない。そうしてやっと、微かな影を捉えられた。
 まるで弾力性の高すぎるゴム鞠だ。天井と地面の間を跳ね続けて、その過程で敵を踏みつぶす。ウッドは対応策として、時間魔法による加速を行った。彼の魔力量は膨大であるため、親和力の低い時間魔法でも多少を使える。
 そうすることで、やっと奴を目視できるようになるのだ。ウッドは、前に進む。ラビットの攻撃範囲内に。
 そして、襲いかかってくる白色の影。
 ウッドは当初魔法による防御を考えていたが、咄嗟に木刀の防御に変更した。亜人、魔法の類に滅法強い性質を持っている。故に、ラビットでさえこの木刀にはそれ相応のダメージを与えられると打算していたのだ。
 迫りくる奴に、ウッドは素早く剣を翳す。激突。毛むくじゃらの足が、木刀の真ん中に圧力をかけている。思った以上に強い衝撃に、生物魔術による自己強化を加えて、ギリギリのところで耐えきって見せた。ラビットは天井に戻らず、空中を何回転かして着地する。だがその動きから、精彩が失われてはいなかった。
 攻撃に、なっていない。亜人にはそれこそ毒のように反応する、この桃の木刀が。
 ウッドは、低い声で尋ねる。
「お前は何者だ、ラビット」
「その言葉、そのまま返すぞ。お前は、ウッドか? 何故ARFに与している」
「情報を手に入れられると、持ちかけられた」
「ふん、分かりやすい動機だ。どういう動きをするか分かりにくかったが、このままならなし崩しでARFに入る道しか見えないな」
「今回限りだ。失ったものを取り戻せば、もう俺は世に出ない」
「それなら楽だが、そうはならないだろうさ。しかし――このメンツは厄介だ」
 言うが早いか、ラビットは飛び退いた。そこに、炎を体にまとったファイアー・ピッグが拳を飛ばす。「相変わらず逃げ足が速いな、長耳野郎!」と吠える。その姿は、獣だ。
「あと、三分。……これ以上速度を上げると人が死ぬな。だが、怪人二人を倒せば他は気にしないでも」
「オレの部下どもを舐めるなよ。礼儀知らずのJVAを黙らせられるだけの力はある」
「礼儀知らず? JVAは学がある奴の方が強いと知らないのか」
 ラビットとピッグが睨み合う。あまりに静かで、ピッグの周囲で弾ける火の音以外、何も聞こえない。そんな中、音もなく構成員たちがラビットを囲い始めた。ウサギはそれを、特に過敏な反応無く平然と眺める。そして再び、膠着した。張り詰めた膠着である。
 ウッドは、それを俯瞰して思う。豚から感じられる何かしらの意図。介入は待った方がよさそうだと判断し、今は待つ。――しかし、その配下はどこか忙しない。ピッグが誇れるほどの人材とも思えないのだ。
 常人からすれば、きりきりと胃の痛むような空気の緊張。微かに震える、数名の部下。ピッグはそれに、小声で「堪えろ」と釘を刺す。しかし、状況はもう破裂寸前の風船に近い。
 そして、ラビットは意図して風船に画鋲を突き刺す。
「――もう、悠長に待つ時間はない」
 その言葉に、パニックに陥った部下が一人いた。「うわぁあああ!」と短くみっともない叫び声をあげ、手から炎を放つ。中々の火魔法である。だが、これでは宝の持ち腐れだ。
 ラビットはこれを機と見た。一瞬で飛びあがる奴に、火の塊は当たらない。天井をバウンドし、魔法を放った奴に向けて落下の攻撃。為す術なく、その部下は気絶させられる。
 ウッドが息を呑んだのは、まさにその瞬間だった。
 ピッグの部下たちの間に広がっていたはずの恐怖は、その一瞬を境に消え失せた。同時に、全員が『ラビットが攻撃する相手を知っていたかのように』、ラビットの着地以前から動揺した部下へと火魔法を放っている。それを見て、ウッドは何が起こったのかを知るのだ。
「――あの怯えは、ブラフか」
 着地した直後、ラビットは大量の火に燃え上った。「フン」とピッグは鼻を鳴らす。それを、素直に勝ち誇っているとウッドは見た。だから、援護に走った。
 ラビットを真似、風魔法を使わず重力魔法、生物魔術だけで天井まで跳躍する。この程度の高度なら、この方が隠密性が高い。そして、天井に魔法で貼り付く。
「どうだ、ラビット。オレの部下も、なかなかだろう」
 言葉を投げかけるピッグ。勝ち誇りすぎだ。とウッドは思う。そして、案の定だ。
 火が、まるで大砲に揉み消されるように、形を強く変えた。見れば、振るわれたようなラビットの拳。何処までもウサギに似た、場違いなそれ。
「この程度で、俺が死ぬかと思ったか? そもそも――部下を犠牲にと言うやり方が気に入らない」
「くっ」
 ウッドは、それを見計らって落下する。
 単純な自由落下である。ただ、音魔法で勘付かれないようにはした。空中で体勢を変え、木刀で斬りかかる。
「まぁいい、こんなやり方に甘んじる外道なら、俺も手加減をせずに――ッ」
 ラビットは上を向く。奇襲が察知されたのだ。しかし、構うまい。
 そのまま、木刀を振り下ろした。この一撃を、ラビットは反応しきれなかった。手ごたえ。頭に、一撃を入れた。
 亜人なら体が裂ける。人間でも頭蓋が陥没する。そういう一撃だった。だが、ラビットは仰け反って退いただけで、死んでいない。有り得ない事だった。フードの下に、よほど固いヘルメットでもかぶっているのか、奴は。
 痛みを堪えるように、ラビットは歯を食いしばっている。獰猛な口調で、嫌味を言ってきた。何処がウサギだ、と思わなくもないその言動。
「気配を消すのが上手い奴だな、ウッド。影が薄いとよく言われるだろう」
「不思議だ。何故お前は死なない。フードの下に何かあるのか、あるいは」
「……ああ、クソ。イレギュラーが計算違いを起こした。その上、豚のブラフも本当に『ブラフ』だとはな。頭に血がのぼったのも悪かった」
 ラビットの視線の先。ウッドは目を向けて、意味を知る。偽物だったのだ。ラビットと共に火に包まれた人間などいない。あえて言うなら、人形だけだ。
 ラビットは、悔しそうに言う。
「――気づけば五分費やした。木面の焚き木で作った豚の丸焼き自体に興味はない。今回はお前らの勝ちだ。だが、ARF。お前らがアーカムを壊すなら、俺は容赦をしない」
「戦乱が無ければ、誰も価値に気が付かない。亜人は人だ。それを認めさせる争いさえ、お前は許さないのか」
「俺は俺のままでいる。弱者が震えない世の中を守る。それだけだ」
 そう言い捨てて、ラビットは姿を消した。ウッドが空けた穴から、跳び去って行ったのだろう。
 その穴からは、丁度月が覗いていた。煌々と照る月。あまりに強い相手だったと、そう思う。ダメージの与え方すらロクに分からない。そんな敵にあうのは久しぶりだ。まるで、月に手を伸ばすような戦いだった。
「ウッド、助かった。この事は上に伝えておく。日を追って連絡を取る。期待していろ」
 ファイアー・ピッグは。体から放つ炎を消して、礼を言ってきた。いい仕事が出来たと認めてくれているらしい。これなら情報も安泰だと思うと。力が抜けるような気分にさせられた。
 すぐに、彼女と再会できる。そう思うと、気さくに冗談も言えた。
「奴は月に帰ったのか」
 それにピッグは小さく笑う。
「ジャパニーズらしい発想だ」

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