武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

2話 ウッドⅠ

 アーカムと言う街には、表と裏がある。表に住んでいるものは、例えスラムに踏み込んだって裏に触れることはそうない。逆に裏に住んでいるものは、繁華街を歩いていたって裏に掴まれ引きずり込まれる。
 若者は、裏に住むものだった。この地に生まれたアメリカ人。生まれた頃からスラムに住んでいた。
 裏に居を据える人間は、少なくない。特に、アーカムと言う街に置いては顕著だ。ただし、最近、と前置きしなければならない。それは、ひとえに魔法などという滅茶苦茶な技術を体得した、ジャパニーズ、という連中が大量にこの街に流れ込んできたからだ。
 奴らはこの街の経済をかき回し、今までのトップを地に沈めたくせに、結果的には失職者を減らした。裏に置いても、この街の闇に紛れていた化け物どもの姿を暴き、衆目に晒し、その上で赤子の手を捻るがごとく始末した。 それら化け物どもは、裏に置いて頭目のような存在だった。恐ろしいが目障りと言うほどでもなく、あるいは、ギャングのボスとして尊敬していたのかもしれない。
 だから、安価な指輪型携帯機――指紋認証部分を指でこすると立体ビジョンの出てくる携帯機――通称EVフォンに映る『フィースト・オブ・モンスターズ』幹部全員の現行犯逮捕のニュースを見た時、体中から力が抜けるような思いだった。魔法という技術がそこまで強力なのか、と思わされた。東の小さな国としか思っていなかった。チャイニーズとの区別もついていなかったのだ。
 だから、何だという話ではない。要は、ジャパニーズは渾沌の街アーカムを大きく変えた。アメリカ政府が難民を指定都市に絞って受け入れたのは本当に正解だったと思う。今の大統領は有能だ。被害を狭めて、甘い蜜だけはきっちり吸い取ろうというのだから。
「ま、待て。待ってくれ。俺はここに居合わせただけなんだって。こいつらを売ってどうこうなんて考えてない。ほら! 俺、JVAバッチ付けてるだろ? これは金を払うだけじゃ貰えない。ちゃんと審査があるんだ。それ、お前なら知ってるだろ? ……ウルフマン」
 真夜中の裏路地。周囲に散らばる人間の死体と、そいつらに売られようとしていた人権を持たない亜人たち。
 若者の命綱を果たす、このJVAバッチも甘い蜜の一つだった。アーカムにおいて最も恐れられる組織。だが、案外そこに所属することが簡単だと来た。これを利用しない手はない。少なくとも、若者のように『コスい商売』をするような人間にとって、これほどありがたいものはない。
 目の前の闇に立つ、二メートルは優にある巨大な狼。
 二足歩行で、鋭い目をした、ただただ圧倒的な存在感を持つ化け物だった。『化け物たちの宴』の新しい世代とも言われている。ARFの、幹部の一人。『Wolf Man』。奴に、奴一人に、若者以外の人間全員が殺された。
「居合わせただけ、だと?」
 何処か、若々しい声で唸って、ウルフマンは若者の顔を覗き込む。事実、そうなのだ。若者はその場に居合わせただけ。ウルフマンに殺された奴らとは顔見知りですらなく、かといってそいつらに売られようとしていた亜人の身内という訳でもない。
 若者の仕事は、斡旋だ。奴らが仕事をすることを知っていて、それが成功するか否かを調べていた。成功すれば、ここはARFに目を付けられていない安全な場所という事になる。繰り返すが、若者は居合わせただけだ。ただ、それが意識的であっただけというだけ。
「……ふん、裏があるが、一応は真実と言ったことろか」
「は、はは……。何でこう、見透かされちまうかね」
「……まぁ、いい。お前の様なのをつぶしても、キリがない。今回は見逃してやる。さっさと行け!」
 その吠え声に、身の毛がよだつ思いをする。若者は、本能的にその場から退散した。必死でその場から駆け出す。月が照らし出すその影だけが、追従していく。
「は、はは、ははは。助かった。助かったぜ、畜生!」
 しかし、若者は笑っていた。こういう、ギリギリの状況で生き残る時、言いようのない快感が若者を襲うのだ。自分は無力だ。だが、生き残っている。それが、若者にとって自らが特別であると勘違いさせる。
 しばらく走って、立ち止まった。ひざに手を付き、荒く息を吐く。光の無い、スラムのありふれた路地。何処からか漂ってくる、人の饐えた臭い。
「あー、疲れた。でも、とりあえず仕事は終わったな。さて、情報をクライアントに報告して、美酒を一杯やろうかね」
 一人くつくつ笑う。指輪型の携帯で連絡を入れてから、ポケットに手を突っ込んで歩き始めた。ここからは、ARFやギャングも居ない。ミヤの食堂の付近は、スラムの中でも一等安全な場所だ。 何せ、店主のミヤは化け物たちにも貸しをいくつか作っているという。若者が生まれた時からあの姿で、ずっと変わらずこの街に居た。見た目は幼い少女だが、スラムで彼女を舐めてかかる人間は居ない。彼女も、ある意味ではこの街の化け物の一人だ。
「……折角だ。あそこで飯を食うか。……アレ、でも今の時間ってやってたか?」
 疑問に感じつつ歩く。すると、背後から声がかかった。
「あの、少しいいですか?」
「……あん?」
 振り返る。そこに居たのは、少年だ。青い目。だが、顔立ちはほとんど東洋人だった。興がそがれた気分で、「アンだよ、お前」と口調が荒くなる。JVAバッチを付けていたが、それはこちらも一緒だ。ムカついたからで魔法を使わないのがジャパニーズである。
「すいません。質問なのですが、シラハ・ブシガイト、という人物を知りませんか?」
 知っていた。スラムの有名人の一人だ。だが、答えるのが面倒だった。「知らねーよ」と答える。
「……やはり、有名人なんですね。彼女は」
「……は? お前、話を聞いてたか?」
「では、彼女が今居る場所を知っていますか?」
 知らない。少年は、若者が答えるよりも先に言葉を続ける。考え込むように、顎に手を当てながら、
「知らない……か。流石にそこまで期待するのは酷だったか。では、質問の方向性を変えてみよう。貴方は、彼女をどういう風にして知りましたか?」
「おい、お前何言って」
「ん、ちょっとごちゃごちゃしすぎてるな。失礼ですが、直接漁らせてもらいますね」
 手が、伸びてきた。それを、若者は避けることが出来ない。意識の間隙を突かれ、少年の手は若者の額に触れる。そして、走る静電気の痛み。「いってぇ!」と跳び退る。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……。ありがとうな。しかし、お前何処から現れたんだ? いきなり出てきたな」
「ぼんやりしてたんじゃないですか? スラムの夜は危険でしょう」
「ははは、それを言われちゃかなわないな。じゃあな、お前も早く帰れよ」
「はい、ではお元気で」
「ああ」
 そうして、若者は歩き去る。ミヤの店で、美味い酒を一杯やるために。


 総一郎に足りないのは、情報だった。
 この街について、知ることが少なすぎる。せめて、常人程度にまでもっていかなければ、白羽の捜索などできようはずもない。
 故に、総一郎はスラムを歩き回り、自分とは真反対に位置するような人間を見つけ、彼から情報を提供してもらった。それによって、少し見えたような気がする。図書が言った『アーカム』という危険な街の事。総一郎の、知らない一面。
「……しかし」
 白羽について質問し、そこに浮き出た情報の中。出会った若者の中で最も鮮明な記憶。『ウルフマン』。亜人なのだろう。だが、と考えてしまう。
「本当に、アメコミチックな存在だったとは……。しかも人身売買されそうな亜人を助ける、ダークヒーローって所かな。その上、これはARFという組織の一幹部にすぎない。似たような手合いがいっぱいいて、しかも組織外にも『怪物』と称される輩が複数……。入り乱れているね。日本ともイギリスとも、色合いが違う」
 一人スラムの闇を歩きながら考え込んでいた。若者から奪った情報によれば、日本人の様な極端な「表」の人間は、スラムを歩いてさえ「裏」から弾かれてしまうという。襟につけた、JVAバッチを見つめる。これが、その証となるのか。
 外したら、どうなるのだろう。総一郎は思案する。
「ひとまず、図書にぃからいくつか情報を得るか……」
 呟いて、つま先を自宅へと向ける。
 帰宅すると、図書がリビングでメガネをかけて何やらキーボードを叩いていた。その周辺でよく分からない人形を大量に持った清が「くっ、敵の前進が止められない。撤退! 撤退だー!」とぶつぶつ言いながら人形を後退させる。
 その人形の一つが「俺がしんがりを務めよう。みんなは先に行っていてくれ」「大佐!」という寸劇を繰り広げてからパソコンのキーボードの上に隠れた。図書の文字を打つ手を見て、大佐人形が「何っ! こんな所に未確認生物が! いや、しかしこれは、利用出来はしないか……?」と何か思いついたらしかった。邪魔なくせに無駄に面白い。
「おー、お帰り、総一郎」
「ただいま。コーラ買って来たよ、飲む?」
「今日の俺はペッパー先生以外は飲まない主義なんだ」
「Dr.ペッパーの事をペッパー先生って言う人始めて見た」
「あ、それなら大佐が飲むぞ。ごほん。私が飲むぞ」
「はい、大佐」
「……ありがとう……」
 一丁前に頬を紅潮させて照れているのが可愛い。
 図書の隣に座って、テレビをつけた。しばらくチャンネルを回していると、ニュース番組になる。ARFの名前を見つけて、手を止めた。
『……今回犯行現場に落ちていたのは、「ファイアー・ピッグ」のカードでした。被害にあったのはホワイト社。見てください。現場は多数の人間に破壊されたと思しき痕跡が多数残っています。これは「ファイアー・ピッグ」によくみられる傾向であり、今回も少数部隊によって特定の企業などを襲撃し、その資金を強奪され……』
「総一郎、とうとう興味が出てきたか?」
「え?」
 見つめていると、図書がニヤつきながら問うてきた。「ちょっとね」と総一郎は頭を掻きながら照れ笑い。「なら、電脳魔術でこの事件について調べてみ? SNSで面白い事になってるぜ、きっと」と教えられる。
 言われるとおりにすると、いくつもの嘲笑的なコメントが見つかった。その一部の会話を覗き見る。『この会社ウチの商売敵だわ。何か親会社と裏取引しててさ』『ウチの部長だな、標的は。亜人買いとってやりまくる変体野郎って噂あったんだけどマジだったかww ……ちょっと待てよ? そしたら俺も巻き添えでARFにやられんじゃね?』『乙wwww』などと記されている。前世とほとんどノリが同じで、人間って変わらないなぁ、とか思う。
「ちょっと調べればぼろっぼろ出て来るな。ま、案の定って奴だ」
「……案の定」
「ARFは、JVA内でかなり評価が高い。その理由が、仕留める相手に間違いがないって事。それに加えてヒーローっぽいのとカードが洒落ているからっていうのが大分ミーハーだけどな。かくいう俺も大ファン」
「ミーハーだね」
「でも、心がくすぐられる感じ、分からないか?」
「ちょっとは、分かるかもしれない」
「はっきり言えっての」
 腹部を小突かれて、「いて」と漏らす。
「こういう手合いって、ARFに限らずどんなのが居るの?」
「んー、まぁ色々。ARFだけなら有名どころだけで四人か五人。他には二・三人くらいだな。ちなみに前にテレビに映ってた刑事さんもその一人だぜ」
「誰が一番強いとかってある?」
「ラビット一択だな。ラビット・フード。この街最強。何せ誰一人殺さないでファイアー・ピッグを撃退したくらいだ」
 『ファイアー・ピッグ』。先ほど出ていた、企業襲撃の怪人集団。それを、殺さずに打ち倒す。総一郎は「ふむ」と顎に手を当てる。どの程度強いのかがさっぱりだ。
「……この街の勢力図から教えてもらっていい?」
「おしきた。前回は逃げられたからな。だが俺は、見抜いていたぜ。総一郎が興味津々で尋ねてくるこの日の事を!」
「やっぱ眠いから寝るね」
「ごめん聞いて。お願い」
 服の端っこを掴んで懇願される。お願いされては仕方がない。
 ちょっと待っててくれ、との言葉に従って清ちゃんの寸劇に付き合っていると(大佐が死んだ)、図書は上階からポケットに手を入れつつ戻ってくる。「こけるよ?」と注意すれば、「まぁまぁ」とポケットからカードを取り出す。
「あ、これ」
「ふっふっふ。ご明察」
 机の上に広げられたのは、ARFの事件現場に置かれているというカードだった。「どうしたの?」と聞くと、「オークション。現場からくすねたのを複製して売ってる業者が居るんだ」と。世も末だ。
「さぁて。どれから行く? 月夜の狩人『ウルフマン』、組織襲撃の『ファイアー・ピッグ』、闇夜に紛れる『ヴァンパイア・シスターズ』、犯罪者狩りの『ハウンド』。さぁお前はどれから聞きたい!?」
「図書にぃのテンションの高さの理由から」
「お前もしばらく見ない内に皮肉屋になったな……」
「ごめんよ。でもイギリスだと皮肉に皮肉を重ねるのが日常会話だったから……」
「まぁいい。というか、アレか。最初はこういう怪人たちじゃなく、勢力からか」
「そうだね。お願いできる?」
「ああ、任せてくれ」
 図書は、そう言って総一郎の頭に手を置いた。そうされると、懐かしい気分になる。彼に、今日の国際情勢を教えられたこと。あの時は知恵熱が出て大変だった。
「簡単に言っちまうけど、この街で最も力を持ってるのはJVAだ。何でかってーと、日本人だけじゃなく、アメリカの親日家はまず間違いなく金払って加盟するから。犯罪歴が真っ白だとそれだけで入れちゃうお手軽組織だからな。その一方で身分証明書としても有用。絶対に防衛しなきゃならないって時にはあんまり役に立たないが、報復的な現行犯逮捕はほとんど漏らしが無いから、このバッチを付けてる人間をどうこうしようって奴はそう居ない。例外は、ARF、そしてラビットだ。 言うまでもない事だが、日本人にだって犯罪者は居る。そして、そう言う奴らの中には狡猾にそれを隠す奴もいる。日本人ってのはアメリカ人に比べて陰湿な所があるからな。そういう時、勝手に潰してくれるありがたい奴らがラビットとARFだ」
「ARFは大分分かってきたつもりだけど、ラビットって?」
「ラビット・フード。通称ラビット。ウサ耳の付いた白のフードを目深に被った自警団員。手にも足にもふっさふっさした手袋と足袋を付けた奴で、身長は大体百八十センチくらい。多分男」
「趣味悪いね」
「ただ、めっちゃ強い。日本人が十人がかりで気絶させられて現行犯逮捕なんて話を昔聞いたな」
「何でそんな事に?」
「やの付く自由なお仕事」
「理解した。それ以上言わなくていいよ」
「ともかく、そんな感じだ。この街最大にして最強の勢力JVAと、そこにメスを入れるラビットとARF。警察だって黙ってるわけじゃないぜ? 普通のお巡りさんは当然、ARFみたいに暴れまわる亜人連中を取り締まる部署もある」
「何だっけ……リッジウェイ警部だっけ?」
「そう、よく覚えてたな」
「褒められるほどの事じゃないよ」
 響きが何か覚えやすかっただけだ。
「ともかく、こう言う奴らで街は回ってるわけだ。他にもシルバーバレット社とか教会とかきな臭いのはいくらでも居るんだけどな」
「誰に出会ったら気を付けろっていうのある?」
「総一郎がどれだけ戦える奴なのか俺には分からんからなぁ……。ARFの幹部は大体武闘派だけど、『ウルフマン』、『ファイアー・ピッグ』、『ハウンド』……。この辺りに喧嘩ふっかける様なことをしなきゃ大丈夫だろ。特に、『ハウンド』は手加減を知らないからな。ラビットが不殺主義なら、こいつは全滅主義だ。標的として認識した相手は、絶対に蜂の巣にする」
「銃なんだ」
「出会う機会は少ないけど、街中で爆音が聞こえたらハウンドだな。こいつは白人で、アメリカ人にしては少し小さい。特殊な技術は持ち合わせてないって言うのが考察サイトの見解なんだが、獰猛な分、目を付けられたくない奴の筆頭だ」
「ふむ……」
 頷きながら、時間を確かめる。結構、いい時間だ。
 また今度お願い、と言って、その場を去った。総一郎は部屋に戻り、電脳魔術を展開。軽く検索をかけてみる。図書の挙げたのが有名な幹部で、他にもカードを落としていく構成員が居ないわけではないらしい。一番画像が多かったのは、ウルフマンだ。総一郎が得た記憶のそれと完全に一致した、夜の中に佇む二足歩行の巨大な狼。
 他にはバイクに乗りながらマズルフラッシュを焚いて銃撃戦とカーチェイスを同時に行うハウンドの動画や、オフィスビルの一室が爆破される写真などが見つかった。予想以上に、この街は渾沌としているのだと思わされる。日常があまりにのどかだったから、分からなかった。
 立ち上がり、白羽の部屋から拝借した桃の木の固まりに触れる。当然だが、彼らのような組織は顔を隠す。総一郎は、目を瞑って思い浮かべた。自分のすべき行動。表で得られない情報が、何処で得られるのか。
 JVAバッチを外す。そして、魔法で作り出した彫刻刀を握り締める。

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