武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 白羽の居ない日々Ⅴ

 ミヤさんの店に、清と訪れていた。
「じゃあ、魔法を使った面白い遊びを教えてあげよう」
「うん! さぁ、どんと来い!」
 放課後。人のいない時間帯だった。先ほどまでミヤさんは厨房で皿洗いなどをしていたが、今はそれも終わったと見えて何やら端っこの席に座って縫物をしている。妙に絵になる姿だと思った。やはり、彼女は容姿がいかに幼くともオカンである。
 ともあれ、そんな彼女に場所を借りて、清と戯れる。ワクワクとした様子の彼女は、目を輝かせながらオカメの面を揺らしていた。
「今回教える遊びは、精神魔法での悪戯ね。学校のお友達に使ったら盛り上がるかもしれない。けど、気心の知れない相手には使わないように。もしかしたら本気で怒るかもしれないし。特に小学生の男子辺りは」
「何をするつもりだ?」
「ひとまず試しに――、猫語から行こうかな」
「?」
 総一郎は精神魔法をカバラで弄り、発動させた状態で清の額にやさしく触れた。「完了」と微笑むと、清は一層首を傾げる。
「これがどうしたというにゃ? にゃ!?」
 突然ついた語尾に少女は狼狽。あわあわと手をパタパタさせている。猫耳を付けたらパーフェクトだったのに、と今更ながらに少し後悔した。持ってこないにしても作れる状態にしておくべきだった。
「にゃんにゃ!? にゃにが起こってるにゃ!? にゃにゆえ普通にしゃべれにゃいにゃ!」
「これが精神魔法の怖い所なんだよ。自分に掛けられた魔法が分からないと、解くのが難しい。大抵は『自己洗脳』で元に戻るけど、特殊なやつは出来ない事もあるからね。ちなみに今回は解ける奴だから、落ち着いて自己洗脳の詠唱で解いてみよっか」
「にゃ、にゃん……!」
 短い肯定の言葉はすべて「にゃん」に変換されてしまう清。ぶつぶつと詠唱を口にし、魔法が発動する。
「戻った……か? うん! 戻った!」
「そうそう。という訳で次はワンちゃん」
「わん!?」
 前言撤回。清と遊んでいたのではなく、清で遊んでいた。
「総一郎って結構サディストよね……。流石、白羽ちゃんの弟」
「流石って何ですか流石って」
 いつの間に用意したのか、ミヤさんは大量のフライドポテトを載せた皿を手にこちらの席に歩いてきた。「差し入れよ。御代は結構」とテーブルに置く。そして彼女も席に座り、一本取ってカリカリとやり出した。随分と馴染むのが早いお人である。
 総一郎もそれにならってポテトを食らう。ほくほくしつつも塩がきいていて、シンプルにうまかった。
「白羽ちゃんの弟ってだけで、ちょこっと変人でもそれほどじゃなさそうかなって思ってたのよ、私。いやー、見る目がなかったわね。総一郎。あなた、自信持っていいわよ」
「そんな自信持ちたくないです。というか何を根拠にそんなことを言うんですか失礼な」
 言い返すと、彼女はくつくつ笑いだす。その所為で真っ黒なポニーテールが揺れた。もう少し背が高かったら似合う気もするのだが、彼女の外見年齢は、その髪型に対して幼すぎるきらいがある。恐らく、世辞でも『若い』というべきなのだろうが。
「一目見ただけでは分からない部分っていうの? 御贔屓になってるからだんだん分かって来たわよ。総一郎が白羽ちゃんに負けず劣らずな所。多分同じ道を辿る気するのよねー。そこがちょこっと心配っていうか」
「何が言いたいのかさっぱりですよ」
「いい? 総一郎。今までどうだったか知らないけど、この街にはあなたの仲間がいっぱいいるわ。絶対に裏切らない人が、ちゃんといる。その事、忘れないようにね?」
「……」
 黙らされた。その様に、総一郎は思った。身を乗り出して行ってきた彼女の目は、油断のない、顎を引いた上目遣いだ。清はきょとんとして「わん?」と首を傾げている。こちらの悪戯は自己洗脳で取れないタイプにした弊害だ。
 疑って、よもやと思われるワードを投げかける。
「……カバリスト」
「……んー。何を勘ぐってるのか分からないけど、とりあえず違うわね。年食ってるからって、大人が何でも知ってると思うんじゃないわよ? ――ま、私の事なんてどうでもいいのよ。第二どころか第十二、三の人生やってるロートルなんだから」
 少女の姿をしたその女性は、あまりに無邪気で快活に笑った。総一郎は、眉根を寄せる。ただ非常な老獪さと取るべきか、否か。カバラを使ってもいいが、これから長い付き合いになるだろう人に、それは失礼かと考えて断念した。
 どっと疲れた気分で、息を吐き出した。「どうしたわん?」と清は言う。可哀想なのでいい加減語尾を取った。「元に戻った!」と嬉しそうにする清の頭を撫でる。すると、少女はミヤさんに向かって問うのである。
「ミヤ。総一郎はどうしたのだ? というか、今の会話は何だ?」
「んー? 清ちゃんがかわいいなーって二人で話し合ってたのよ」
「嘘だ。明らかに人生の教訓的な事を話していた」
「本当にそう言える? 実はね、さっきまでの会話はカモフラージュなの。言葉の端々に暗号を仕込んで、精神魔法で一瞬解析して特殊な意思の疎通を図っていたの。貴方も高校生になったらやるのよ?」
「そうなのか! 凄いな! というか、そんなカモフラージュしなければならないほど私をほめるって、その、あう……」
 赤くなって顔を抑える清。「かーわーいーいー!」と叫んでミヤさんが強く少女を抱きしめた。
 その時、店の扉が開いたのか、来客を知らせる鈴の音が鳴った。振り返ると、おずおずと言った風に入ってくる小柄な影。総一郎は、それに見覚えがある。
「あれ、仙文。こんな所でどうしたの?」
「アレ!? イッちゃんじゃないカ! それにセイチャンも。奇遇だネ、こんな所で会うなんて欠片も思っていなかったヨ」
 小柄な彼女、もとい、彼はてとてとと駆け寄ってきた。「お知り合い?」とミヤさんが訪ねてくる。「学校の友達なんだ」というと、にやついて笑みで「へぇ~?」と言った。
 店主は、間違いなく勘違いをしている。
「一応お聞きしますが、ここは……料理屋でいいんですよネ?」
「ええ。顔なじみしかいないからダレちゃってね。あなた、お昼はまだなら食べていく? 御代は安くしておくわよ」
「あ、本当ですカ! アリガトウございます!」
 輝かしく愛らしい笑顔を振りまいて、仙文はお辞儀をする。それにミヤさんは、驚いた風に口元と胸を抑えた。うん、分かる。何せ男だと知っている自分でさえ偶にほだされかけるのだ。誰も間違っていない。もちろん己自身も、と少年は自己正当化を図る。
「イヤー、嬉しいなァ。まさか休日までイッちゃんと一緒に居られるなんて」
「大袈裟だよ、仙文」
「ううん、そんなことないヨ! 何せ、イッちゃんはアメリカで一番の友達なんだカラ!」
 言いながら、そっと手を重ねてくる。その微笑みの可愛らしさ。欠点が多い友人たちに囲まれている中で、仙文だけが常識人で愛らしいのだ。仲良くなったって何もおかしくない。「うん、俺もそう思ってるよ」と答えてしまっても何も問題はない。
 そしてとうとう、ミヤさんが言ってはならないことを言った。
「何よー、すでにラブラブじゃない。いつから付き合い始めたの? 二人は」
「ら、ラブ……? エ、あの、ぼくは男ですけド……」
 長い、沈黙が下りる。総一郎一人だけいたたまれず、明後日の方向を向いて視線を伏せた。
『えェぇええええええ――――――!?』
 店主ミヤさんと清の声が重なった。仙文が明らかに傷ついた表情になる。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! え? いままで何度か家に来ていたよな? 仙文だよな?」と清。
「う、ウン……。というか、何度もあってて知られてなかったという事の方が、ボクとしてはちょっとショックだったよ……」
「だっ、だって誰も教えてくれなかったんだもん!」
 清は慌てすぎて幼児っぽい言葉遣いになっていた。「いやー」とミヤさんも口を挟む。
「私の近くにも、昔女の子かと思うくらいかわいい男の子が居たけどさぁ……。言葉遣いとか行動とかが男らしすぎて勘違いとかされなかったのよねぇ。対してあなたは行動すらかわいいっていう……」
「う、ウウゥゥゥゥゥゥウウウ……」
 ショックすぎて頭を抱え始める仙文。多分だが、総一郎以外誰も気づいていなかった可能性が高い。総一郎だってカバラが無ければ気が付かなかっただろう。
「ま、まぁ嘘だって否定されるよりは良かったじゃないか。驚きはあったけど、一応真実として受け入れられたんだから」
「え、私総一郎があさっての方向向きながら苦笑してなかったら、絶対信じなかったわよ?」
「同じくだ……」
「……そ、それだけ君が魅力的だってことだよ! 男で女の子と間違われるなんて、つまり美しい外見をしているってことじゃないか! いいかい、仙文。美しさも醜さも、他人から性別を隠すんだ。途轍もなく醜い女性をして男と間違える不届きな輩だっている。対して、君のように魅力あふれる少年を、女性だと勘違いしてしまう事もある。これは欠点じゃなく武器だよ! そこのところを、はき違えないでほしい」
 仙文の肩を掴んで力説する。フォローを入れざるを得ない空気だったし、彼じ、もとい、彼の涙など見たいとは思わないからだ。
 それに、仙文は少しだけ励まされたのか、「えへへ……」と涙目ながら微笑んでくれる。
「ありがとう、イッちゃん。ぼく、まだ少しショックだけど、それ以上に励まされたよ。それに、君はぼくが男だってわかってて、その上でこんなに優しくしてくれるんだもんね。本当に、ありがとうね、イッちゃん……」
 仙文は総一郎の手を柔らかく両手で握り、少し涙を拭ってから穏やかに微笑む。それを見て「こんな可愛い子、女の子でも見た事ないわよ……!?」と戦慄するミヤさんや、「やっぱり嘘だ。仙文は女の子だ。そうに決まってる!」と言い張る清の声は、音魔法で強制的に遮断した。親友を守るのは当然の義務なのである。
 それからしばらく彼らと雑談をしていた。すると「そろそろうちの放蕩バカ息子をとっちめに行く時間だわ。悪いけど、店仕舞いにしていいかしら」とミヤさんが両手謝りをしてきたので、「いえいえ、ありがとうございました」と日本人っぽい会話を経て解散と相成った。そこで清が「もうちょっとミヤと一緒に居る」とわがままを言い、ミヤさんがそれを容認した為、総一郎は一人で帰宅という事になった。
「ごめんネ、イッちゃん。ぼくも途中まで一緒したいんだけど、ちょっと用事があっテ……。今度は一緒に帰ろうネ! 約束ダヨ!」
「はいはい。そこまで必死にならなくても分かってるよ。ばいばい仙文。ミヤさんも、清ちゃんの事よろしくお願いします」
「任せておいて。さ、清ちゃん。うちの稼業もろくに手伝わないバカ野郎をとっちめてボコボコのけちょんけちょんにするわよ」
「アイアイキャプテン!」
 別れの挨拶をし、それぞれ、散り散りになっていく。総一郎は振り返り、すでに夜の闇が満ちつつあるスラムに一人残されたという事を知った。
「……不安って訳じゃないけどさぁ……」
 この街に、単身ドラゴンを殺せる人間は少ないだろう。だから、身の危険はない。その一方で妙な居心地の悪さがあるのは、今まで触れてきた人間の闇とは、また一風違っているからなのか。
 貧困。総一郎は、それによって追い込まれている人間に、現世は勿論、前世でも接したことが無い。明日の食事にも事欠く。ミヤさんが居るからそういう人間はこの周囲には居ないと聞くが、言い換えれば離れたところに居るという事だ。
 一応習慣として付け始めた、襟首のJVAバッチを見つめる。日本人の、この地の亜人差別に抗うという決意の証。ただ簡素に、JVAと書かれただけの鉄製のバッチ。中央に、効力を有していることを示す赤い光が灯っている。
 これがあれば絡まれることはそうそうないとだけ言われていた。すでに何回かスラムに来ているから、顔も割れている。問題を起こす人間ではないと、認識されているはずだった。その証拠に、道で立ち話をするいかつい顔のスーツの集団や、路上で蹲る浮浪者の視線は、初めてここを訪れた時に比べて格段に少ない。
 総一郎は、一人で街灯にも照らされない路地を歩く。スラムにだって、電燈のある場所はある。そこは無い場所よりは安全だ。だから、そこへ向かおうとする。
 歩く。足を踏み出す。進んでいく。一人だと、やはり慣れない。清が居るだけであんなにも安心感があるのだと、今更に気付いた。相も変わらない、妙なにおい。今日はそれに加えて、気味の悪い声さえ聞こえ始めた。
 甲高い、声である。女性の物だとだけ、分かった。その声が何処となく悲痛に感じて、総一郎はカバラを使う。それをきっかけに、自分は事件現場の近くに居ることを知った。
「……この、アナグラムは」
 駆け出す。道筋はすでに割り出してある。道の不気味さに気を回す余裕も、消えていた。蔓延るは焦燥。間に合えと祈る一方で、叶わないことも知っていた。
 路地。薄暗く、汚泥の溜まるような場所でもあった。その、最奥。総一郎は目を凝らす。
 荒ぶる、一匹の獣。人間の形をした、理性無き畜生。そして、抵抗できないでいる女性。エルフであると、総一郎は思った。だが、妙な事にバッチが見つからない。その所為だ、と思った。その所為で、罪もなく汚されることとなった。
 腰を振るけだもの。脱力し、すすり泣くことしかできないでいる女性。総一郎は、その蹂躙に強い怒りを覚えながら路地の奥へと足を踏み出した。脳裏によぎる虐待の記憶。踏み出した足は、思った以上に音を発した。
「誰だ!」
 男は、振り返る。外見自体は、普通の人間だった。カバラで分析しても、突出するところのない人間。だが、往々にしているものだ。人間の皮を被った、豚というものは。
 最初睨み付けるような態度だったその男は、総一郎の胸元のバッチを見つけるや否や、竦みあがって必死に両手を振り始めた。下半身丸出しで、無様だと総一郎は見下す。
「あ、ぅあ、ち、違うぜ!? アンタ日本人で、日本人にエルフが多いのは俺だって知ってる! でも、こいつは違う! JVAバッチもない、ただの亜人だ! 亜人は人権が無い。なら、何をしても勝手だろ!? あ、そ、そうだ。こいつ、随分具合がよかったけど、も、もしよかったらお前もやるか?」
 吐き気が、した。肥溜めのような輩だと、総一郎は思った。そこに、男の向こうで、女性が生気の無い目でこちらを見つめていることが分かった。少年は、見つけて歯を食いしばる。汚れた白と、あまりに儚い赤。彼女は、言う。
「殺して、下さい。こいつも、私も」
「分かりました。お望み通り」
「は?」
「お前の様なクズは、死ぬべきだという事だ」
 光、音魔法によって、総一郎、男、女性の三人全員の姿を外側から覆い隠す。そして総一郎は、汚らしい男の頭に触れた。電気魔法による原子分解。原子同士の接着剤たる電子が全て飛びちり、男は空気に混ざっていった。青白い電気が、コンクリート上を走って消えていく。女性は、悲痛な声で続けるのだ。
「次は、私を……」
「ええ、分かっています」
 頭に触れる。そして、魔法を使った。電気ではない。精神魔法だ。忘却の魔法。女性は意識を失って倒れ込む。それを、ローレルの事を思い出しながら丁重に寝かせた。次にするべきことを把握するため、やむなしと彼女のあられもない姿を子細に確認する。
「……やっぱりか。可哀想に」
 破られた服を、作り直して着せる。そして、彼女の失われた、あるいは傷つけられた部分を、生物魔術で復元した。さらに、彼女に悪意を持たない人間にのみ見破れる、精神魔法、光魔法を合成した結界。仕上げに水魔法で汚れを徹底的に取り除く。彼女の体内も、余すところなく。
 総一郎は、そこまで終えてやっと立ち去る決心がついた。その際、気を失ったままの女性に告げる
「お望み通り、殺しました。男も、『汚された』あなたも」
 足早に、進んだ。胃の、ムカムカするような感覚がぬぐえない。失踪したまま消息のしれない白羽を想い、胸が締め付けられた。彼女は強い。だが、例外が無いなんてことは有り得ない。総一郎は、怖くて、悲しくなる。そこに、通り過ぎる者がいた。
「ありがとな、イッちゃん。スラムは、お前を歓迎する」
 総一郎は立ち止まり、振り返った。ちらと見えた、その黒い肌。総一郎は、動揺する。誰にも見えないように作った、光、音の情報遮断。その上、見覚えのある姿と聞き覚えのある声、口調。総一郎は、急いで彼を追う。その男性は、奥の角で曲がって見えなくなった。少年は追いすがる。
 だが、結果は出なかった。
 言葉を、失う。そこには、誰も居なかった。長く狭い一本道だ。逸れる脇道すらない。総一郎でさえ、ここまで痕跡を残さず姿を消せない。光魔法で隠れていても、母譲りの目はそれを見透かすはずだった。
「……J、なのか? しかし、何故」
 呟く。総一郎は、顎に手を当てた。癖。白羽にも、移ってしまったというこの所作。
 翌日、Jを探してスラムでの出来事を問い詰める。だが彼は知らないと言い、カバラもまた、その言葉が真実であることを示していた。

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