武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 白羽の居ない日々Ⅱ

 住むところを決めていないなら、ここに住むと良い。図書のそんな勧めに従って、総一郎は図書の家にお邪魔することになった。二・三あった空き部屋の一つに家具を揃え、ひとまず住める程度の物に変えた。
「こんなものかな」
 数日かけて、調度類を整え終わった昼下がり。薄くかいた汗をぬぐい、一息を吐いた。確かに、ワイルドウッドから受け取った金はそれなりに入用だったと言える。だが、それでもまだ大量に余っていた。
「俺、そんなに金使わないからなぁ……」
 くくっ、と伸びをしていると、ノックする音が聞こえた。「はーい?」と声をやると、ちら、と清が覗き込んでくる。
「総一郎、昼飯時だ。一段落したらリビングに来てくれ。なじみの飯屋に連れて行ってやろう」
「ん、了解」
 すぐにドアを閉めて、すててっと足音を響かせて階下へ下りていくらしい清。総一郎はいまだ慣れておらず、簡単に相槌しか打てなかった。
「……あの話し方、やっぱり固いよなぁ……」
 七歳児。琉歌にも似た、酷く可愛らしい声。そして図書以上に固い口調。ちぐはぐさがいい味を出していると言えば聞こえはいいが、妙な違和感があって緊張してしまう。
「……大人になったら、清ちゃんには頭が上がらない気がする」
 ぼそっと呟いて、総一郎は立ち上がった。部屋を出て、階下へ向かう。その途中。立ち止まり、横を見た。雲の形をした、女の子らしい部屋の名を刻んだプレートが掛けられている。
『しらはの部屋』
 陽気そうな表記に顔が緩む。マナー違反だとわかりながら、扉を開けた。そこには、薄く埃の積もった生活感のない少女の部屋があった。埃がそれほどのものでないのは、図書が一カ月に一回程度掃除をしていたからだ。
 総一郎が、電話越しに彼女と話した日。あの日を境に、白羽は消えたという。一時は友達の家に泊まっているという連絡が来ていたのが、図書の慢心を誘った。そして――それがまるで布石であったかのように、白羽は何処にもいなくなった。
 ただ、頭を下げられた。地面に揃えられたその手は震えていた。本物の後悔がそこにあった。だから総一郎は、責めることさえできなかった。
「……白ねえ」
 あの日国境を越えて話したことを、今でも覚えている。それは、迷いの相談だった。そして総一郎は、その背中を押した。結果は、失踪。死体が見つかっていないだけマシと言えばいいのか、そうであるからこそ残酷であると言えばいいのか。
「……本当、ままならないな」
 扉を閉め、階段を下りて行った。清はこちらを見て、「早かったな」といいつつ手元で弄っていたらしいパズルを置いた。奇妙な形を見ている。興味がわいたので、帰ってきたらやらせてほしいと頼み込んでみようか。
「では総一郎。抱っこだ」
「あ、うん。はい」
 ここら辺は血を感じる。抱き上げると、少女の軽さを実感する。
「力持ちだな、総一郎は。お兄ちゃんはわりと抱き上げてすぐに手が震え始めるのに」
「彼も社会人なんだから、そう甘えないでやってよ……」
「ひとまず、外に出よう。そこからは案内する」
 人の話を聞かない少女である。しかし懐かれた証拠であると思えば、何となく愛着は湧くものだ。「はいはい」と財布をもって外に出た。「あっちだ」と言うので、その方向へと歩いていく。
「あとこれ、総一郎の分も届いたぞ。是非付けておくといい。身の安全もばっちりだ」
 親指を立てて総一郎の眼前に突き付ける。その掌をぱっと広げると、『JVA』と記されたバッチが現れた。簡単な身分証明書にもなれば、万一の時の発信機にもなる一品。
 発信機、というよりは、GPSと言った方がニュアンスとしては正しいかもしれない。危険に際してボタンを押せば、すぐに近くの日本人が対処に協力してくれるのだ。特に子供は外出時に着用を義務化されている。総一郎も未成年なので、その範疇だった。
「何だか、不思議だな。守られる側っていうのが」
 万感の思いで呟くと、きょとんとした声が十数センチほど離れた所から聞こえてくる。
「うん? おかしなことを言うな、総一郎は。子供はみな、守られるものだろう? そしてその恩を、私たちが次の世代に返していくのだ」
「君は、まだまだ若いのに含蓄のあることを言うねぇ」
「お兄ちゃんからの受け売りだ、あまり褒めるな」
 ちょっと顔を赤くする少女。意外と照れ屋さんなのかもしれない。
「ここを、右だ」
 しばらく歩いていると、清はそのように言った。総一郎は躊躇いもなく指示に従い、その途中からきな臭さを感じ始める。
 今まで歩いていた街。それは、人が快く住まうために整えられた街だった。こちらは、違う。うっすらと蔓延する、人の饐えた臭い。捨てられたごみが散乱する道。総一郎が今まで触れてきた世界とは、まるで異質な場所。俗の中の俗。
「……清ちゃん。ここって、何と言うか……」
「ああ、臭いは気にするな。だが明らかに嘔吐物である物があったら、それは流石に避けるのだぞ。偶に浮浪者が吐いていくのだ。全く、女主人の苦労も推して知るべし、という所か」だから君は何処でそんな難しい言葉を仕入れるんだ。
「やっぱり、これが貧民街か……」
 慣れていないため、落ち着かなさがあった。薄汚れた街。汚らしい街。裏、と呼ぶのがふさわしい場所。その中をじりじり歩いていると、偶に道の端に集まっている薄汚れた服の人物や、強面のスーツ姿の人間がこちらに視線をやるのである。絡まれても対処出来る自信はあるが、それとこれとは別問題だ。
「……今までの国と違う……」
 近代化。総一郎には、合わない言葉だ。表現しにくい恐ろしさというものがある。都会の冷たさ、というか。そういうと、やはり自分には都会コンプレックスがあるのか。
「……いや、普通の住まいに住んでいれば貧民街は怖いって、誰でも」
 あからさまな暴力の匂いがする。というのは偏見か。
「何をぶつぶつ言っている、総一郎」
「そうだ、元凶は君じゃないか! 清ちゃん、何ゆえ君がこんな所に馴染んでるのさ。普通こういう所には絶対来ないタイプでしょ、君」
 小声で語気荒く問い詰めると、彼女はこともなげにこう答える。
「軽く拉致られたところを女主人に助けられてな。それ以来懇意なのだ」
「……そっか」
 よく拉致られる家系である。
「下ろしてくれ」と頼まれて、総一郎は立ち止まった。少女はててて、と小さな足でとある家屋へと駆け寄っていく。そこは貧民街の一角から雰囲気が外れていた。すりガラスの大窓が、出入り口となっている。アメリカと言うより、これでは昭和の日本だ。
「ミヤー! 昼食を食べに来たぞ! 新しい客も連れて来た! だから美味い物を食べさせてくれ!」
 入り口で大声を張り上げる清。迷惑だと取り押さえようとしたら、それよりも速く甲高い声が彼女を奪い去った。黒い髪をポニーテールにまとめた少女である。年の頃はよく分からないが、きっと総一郎よりも若いだろうと思われた。かなり小柄で、清よりも数十センチほどしか高くない身長。大きな釣り眼が気の強そうな、酷く美しい人だった。
「キャー! 可愛い可愛い清ちゃん! よく来てくれたわねミヤさん嬉しい! ほら、お腹もすいたでしょう? 適当な席に座ってていいから、店の中で温まんなさい。あ、そこの貴方もお客さんでいいのよね? ささ、入った入った」
 ただ、言葉遣いとかが全体的におかんっぽい。
「し、失礼します」
 気後れしつつ、総一郎は店に入る。その中は、かなり活気づいていた。街中では仏頂面で総一郎を見つめていたような風貌の人々が、ワイワイと賑やかに飯を掻き込みながら談笑している。清が勝手に座ってしまったから、その隣に腰掛けた。
「オーダーは適当にこの中から決めてくれる? あ、横の値段は無視していいから。脅しくらいにしか使わないし」
「へ?」
「じゃあ、またあとでねー」
 すたたたと店の奥の方に引っこんで行ってしまう彼女。多分、ミヤ、と呼ばれているのだろう。「えっと、あの子は……」と清に尋ねると、「総一郎、お前は度胸があるな」と言われた。
「ミヤは、ここの女主人だぞ。血は繋がっていないが総一郎と同い年の息子がいる。三十年前からこの地に店を構えている、いわば人生の大先輩だ。それをしてあの子などと……」
「えっ」
 思わずここから伺える厨房の方に目を向ける。すると割烹着を付けた彼女が出てきて「おっしゃやるぞ!」と気合を入れていた。その顔には、老齢を思わせるものは何もない。ただ、その何処までも人生を割り切ったような雰囲気を除けば。
「……信じられないような、微妙に信憑性があるような。――ごめん、ギブアップ。答えは結局どっちなの?」
「私はいつそんな意地悪な問題を出したのか……」
 首を傾げられてしまう。総一郎としても、是非首を傾げたい。
 ひとまず、メニューを開いた。先ほど彼女は日本語を話していたが、店の中に入ってからは基本的に英語らしい。献立表も、表記は英語だ。
 どれにしようかな、と迷う。内装や手元のこれも何処となく野暮ったいのだが、妙に安心させられた。と、うどんとの表記があったからそれを選ぶことにして、一応値を確認する。百ドル。アホか。
「実際のところその二十分の一もミヤは取らないから安心しろ。うどんは確か2ドルちょっとだったな」
「え、何それ安い。何でそんな表記にしてあんの?」
 驚いた表情を見て取ったらしい清の言葉に、総一郎は戸惑い気味だ。そこに、この様な声がかかる。
「どうせ金なんか碌に払わない奴らばっかり来るんだから、どうせだから高い価格かいてビビらせちゃえっ、と思ったのが始まりだったかしら」
「うわぁああああああ!? 出た!」
「出たって言われた。初対面の子に」
 しょぼんとするミヤさん。それを、清が頭を撫でて慰めている。「清ちゃーん」と泣きつく姿は何処をどう取っても姉妹だ。だが、自然な所作でミヤさんが清を膝元に座らせると、一気に雰囲気が母と子になる。
「……不思議な方ですね、貴方は」
「私も面と向かって言ってくる貴方にかなり珍しい思いをさせられてるわよ。日本人でしょ? 物事ずばずば言うわねー」
 文句のように言いつつも、からからと笑うミヤさん。容姿はどう見ても年下の少女の癖に、その言葉遣いはやはり円熟していて、子供までいるという。これを驚かずに、何に驚けというのか。
「というか、良いんですか? 料理は」
「ん? ああ、さっきのは運ぶだけだったし。ったく、あのバカ息子。店を手伝わずに何処をほっつき歩いてんのかしら」
 ぐちぐちと漏らす彼女に、総一郎はただ、「はぁ」と相槌を打つばかり。「そういえば自己紹介してなかったわね」と少女――ではないのか。ミヤさんは、居住まいを正す。
「どうも初めまして、貧民街でそこそこ健全に飯屋を営んでます。ミヤ、と名乗る者です。国籍はないですが、割と丈夫に生きてます」
「かなり問題発言ですが流しましょう。俺は、武士垣外総一郎です」
「え。あの総一郎! 白羽ちゃんの弟の!?」
「え、姉をご存じなんですか?」
 驚いて、総一郎は目をぱちくりとさせた。対するミヤさんは片手で驚愕に開いた口元を抑え、もう片方の手で『ちょっと聞いてよ!』という具合の所作をする。この人は行動の一つ一つがおかんっぽい。
「そりゃあ知ってるわよ! っていうかこの界隈では知らない奴の方が少ないわよ! あんなぶっ飛んでる女の子、長く生きてきた私でさえ初めて見たくらい!」
 何故だろう。白羽の名前を聞くとき、最近なぜか毎回『ぶっ飛んでる』という形容詞も同時に聞く。疑問を抱いて聞いてみた。それにミヤさんはこう答える。
「そりゃあ『こっち』住まいの人は、大抵あの子に助けられてるしね。それだけなら天使扱いで済むんだけど、方向性が垂直方向に上だから」
「……斜めじゃないんですか」
「垂直によ、あれは。お金に困ってるおじいさんと借金に苦しんでる若者のために、若者の借金とは何の関係もない悪徳暴力団潰して一挙解決するような子よ?」
「ぶっ飛んでるわ」
 そして悪徳何とかのとばっちりが凄い。
 いくら彼女でもそんな事をするのか、と訝しむ。天使だから、その程度の実力があってもおかしくはないだろう。問題は人格的な部分だ。日本に居たうちは、それなりにおかしかったが今の話ほどではなかった。アメリカに来て、一気に開花したのか。恐ろしい気がしてきてならない。
「……でも、もう」
「いやぁ、生きてるでしょ。あの子が野垂れ死んだら絶対この辺りで話に上がらないわけないもの」
 軽く言ってのける彼女に、総一郎は渋い顔をする。この街に着いて、数日。何処に行っても、白羽の名前を聞く。そして、その度に自分の知らない彼女の話をされる。
 電話で話した白羽。少し変わっていたが、それでも本人だった。それから、二年。総一郎は、目を瞑る。
「……人は、変わるか。たった二年でも、大きく」
 少なくとも、自分は。そう思いつつ、ミヤさんに「うどんを一つお願いします」と頼む。続いて清が、「お子様ランチを一丁」と言った。英語圏で育ってる癖になぜこれほど日本語に長けているのか。
「はいはい、じゃあちょっと待っててねー」
 立ち上がり、すてててと厨房に走っていくポニーテール。テーブルに清と二人きりになって、総一郎は顎に手を当てる。
「あ、それ、白羽も良くやっていたな。やはり姉弟か」
「残念、多分僕の方が先だよ」
「……僕?」
「ごめん、少し懐かしい気分になった」
 俺、と言いなおす。肩を竦めて笑うと、清は不思議そうな表情をした。
「僕、の方が何だか似合うな、総一郎は。何で俺、に変えたんだ? そのままでよかっただろう」
 総一郎は、誤魔化す。
「やむにやまれぬ事情があったんだよ。そう、これから一人称を『俺』に変えないと、親知らずを一本生えなくするぞ、って脅されてしまったんだ。これでは奥歯で物を噛めなくなってしまう……!」
「何と! 私にはまだ影も形も見えない親知らずをか! それは大変だ。私は何も聞かなかったから、総一郎も何も話してなかったことにするんだぞ」
 言って、清は目を強く瞑って両手で耳を塞いだ。嘘をついて驚かせると、彼女は子供になるのだと思った。

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