武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(10)

「ギルバートォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
 風魔法。カバラ。何もかもを用いて、奴が逃れるのを阻止した。そして、それが功を奏す。拳が、届いた。顎。脳を揺らし、その腹部に膝蹴りを食らわせた。嘔吐。汚れを嫌って、総一郎は距離を取る。だが、攻め手を休めはしない。木刀で、喉を突く。その額を叩きのめす。彼は暴力による極限の苦しみの中、胎児のように丸まって動けないでいた。見苦しく震えている。その頭に、踏みつぶすように足を乗せる。
「聞かせてもらおうか、何もかも。無理やりにでも、話させるぞ。その後は、気分次第だ」
「その話ならば、私がさせて頂きましょう」
「……ワイルドウッド先生?」
 怪訝な目で睨み付ける。すぐに、理解した。彼も、カバリストなのだ。悪逆卑劣な、陰で蠢く者ども。
「へぇ、貴方も、そうだったんですか。とすると、僕がこの学園に来るところから仕組まれていたって訳みたいだな?」
 一瞬礼儀を払いかけたが、思い直した。こいつらはクズだ。そんな価値はない。
 その上、奴らは何ゆえか知らないが、総一郎に最上級の敬意を払っているらしかった。訳が分からないが、今は放置しておくに限る。
 そう思っていたところに来た、唐突な否定だった。
「いいえ、救世主様。貴方様が生まれ落ちるよりも百何十年前より、この事は決まっておりました。そして、仕組んでいたというならば、貴方様がこの国に来ること自体が、我々の謀にございます」
「……何だと?」
 眉が、跳ねる。予想よりもはるかに大きな規模に、総一郎は表情を強張らせた。
 しかし、ワイルドウッドは恭しさを保ちながら、いっそ能面染みた感情の無さで話を続ける。
「我々の目的は、すでに達成されました。もはや、壊れることはない。それ故、貴方様には全てを包み隠さずお話ししたく存じます。聞きたいことを、なんなりとお聞きください」
 腰を折り、礼節を保ち、奴は言う。しばし睨み付けていたが、結局根負けしたのは総一郎だった。
「なら、何でこんな事をしようとしたのかを答えて貰う。お前らの行動は、はっきり言って筋が通っていないんだ」
「お答えします。しかし、それについては私の口からでは相応しくないでしょう。――二人とも、来なさい」
「はーい」
「はい、ワイルドウッド先生」
 近くに止めてあった車に呼びかけると、そこから一組の男女が現れた。一人は、小柄な少女。ファーガスから紹介された、アンジェだ。もう一人は、見覚えがあった。少し戸惑ったが、最後には思い当った。
「……アイルランドクラスの、現寮長……」
「はい。お初にお目にかかります、救世主様。わたくしがスコットランドクラスの少年らを謀殺した時、お目にかかれたかと存じますが」
「ああ、よく覚えているよ。ローレルが怯えていて、暇があったら痛い目に遭わせてやろうと思っていたんだ」
「あたしの事は、分かますよね」
「……ああ。――君も、そうだったのか」
 えへへー、と恥ずかしげに後ろ頭に手を回すアンジェ。どうも、彼女には怒りを維持することが出来ない。総一郎はため息をついて説明を促す。
「それで、どういう目的であんなことをした」
「それについては、これからの学園の事を話すのが一番手っ取り早いと愚考しておりますので、そうさせていただきます。……アンジェ」
「まずですね。明日の朝、ファーガス先輩の死が学園中に発表されます。すると、学園中が大騒ぎ。ついでにネル先輩も行方不明らしいですからもうほとんどパニックです。でも、明後日までには収束して、その翌日に葬式って段取りになってます」
「……それで」
 そのくらいは、カバラを使わずとも総一郎は予想できる。ネルの件も、何となく予想はついていた。ドラゴンから学園を守った幼き英雄、そしてその友人。ネルはともかく、ファーガスはこの学園の誰からも好かれていた。
 寮長が、言葉を引き継ぐ。
「そして、その葬式の場でわたくしは崩れ落ち、そのまま半狂乱で『スコットランドの奴らがブシガイトを殺せなかったから、こんな事になったんだ!』と、大声で喧伝します」
「……ぁ」
 総一郎は、絶句した。奴らの狙いが、すぐに分かった。
「もう、お分かりになられたようですね」
「ああ。つまり―――お前らは、騎士学園の崩壊が目的か」
「ご明察っ、ソウ先輩!」
 アンジェは親指を立ててサムズアップ。「では、続きをお話しさせていただきます」と彼は言う。
「それにより、アイルランドクラスとスコットランドクラスは敵対します。具体的にはアイルランド生によるスコットランド生への襲撃が相次ぎ、憎しみの連鎖がそこに生まれます。イングランドクラスは初め我関せずを貫きますが、事態が泥沼化した時を見計らって、イングランドクラスの教員を務めます我が同胞の一人が『他クラス排斥論』を学園長に提出。そのまま野蛮な振る舞いをするスコットランドクラス、アイルランドクラスの殲滅に動きます。これに参加する生徒の中に、カバリストはほとんどいません」
「そんで、数を減らした二つのクラスが一時休戦。イングランドクラスと殺り合いますけど、裏切りも色々出るっぽいですね。最後には、カバリストや純貴族以外は相打ちで死に絶えます。新興貴族は全滅。まぁ、亜人が現れて以来の歴史も何もない奴らですからね。UKよりも自分の事を考えているような奴らを一掃して、今回の目的は完遂。ってな感じです。いい加減亜人の技術取り入れないとこの国ヤバいですから。邪魔だったんでいい気味です」
 じゃあ、夜も更けてきたのであたし等は寮に戻りますね。アンジェはそのように言って、寮長を引っ張って学園に戻っていく。総一郎は、その後ろ姿になんの声もかけることは出来なかった。
 代わりに、ワイルドウッドに向けて吐き捨てる。
「お前らは、悪魔だな」
「ええ、仰るとおりにございます。しかし、今の説明は学園内に限られておりますので、少々捕捉をさせて頂きます」
「捕捉?」
「救世主様は、ドラゴン討伐の地にて、我々の存在に感づかれた。違いますか?」
「……」
 無言の、肯定。総一郎は、少しずつ言葉を発するのが恐ろしくなってくる。
「あの地では、それぞれ、一人のカバリストと『下僕』を赴かせ、事に当たらせました。どの地でも騎士の死者が異様に出ましたでしょう? その上、貴方を差別しない者までいた」
「……ああ、よく覚えているよ。名前は忘れてしまったけれど、恐ろしい人がいたのは覚えている。部下が亡くなったから、でスコットランドクラスの騎士を殺していくアイルランドの老騎士。そして、それを止めないスコットランドの頭目……」
「結論から、言わせていただきます。彼ら騎士団は、カバリストを除いて全滅いたしました。ドラゴンによるもの、仲間割れによるもの、理由は様々ですが、一様に。それらの亡骸は、全てこちらで処理も済ませています」
「……」
 どんな反応をすればよいのか、分からなかった。驚きがあったのは、確かなのだ。だが、どのように表に出せばいいのかが、分からない。
 だが、試しに一つ、質問してみる。
「僕がドラゴンを殺して回った理由、知ってるか?」
「存じております」
「言ってみろよ」
「ドラゴンによる理不尽な死を被る人々を、助けたい。そんな、高潔な思いです」
「お前らがやった事と、それ。比べてみて、どうするんだよ」
「心中をお察しします」
 総一郎は、大声で噛み付いた。
「そんなので済まされて良い訳があるか!? 何人死んだと思ってんだよ! その果てに、僕も知らない間におかしくなって、何人も殺して! それを、お前らは台無しにしたんだ! どうして、」
「お言葉ですが、救世主様。貴方は、ただの一人も殺してはいませんよ? 見殺しを含めても、です」
「は、ぁ……?」
 人差し指を一本。彼はその手を総一郎の眼前に突き付ける。
「何、言って……」
「ご説明します。そうですね、では、我々が所有する『下僕』についてから」
 指を鳴らす。すると、車の下から這い出すものがある。人だった。だが、何処か様子がおかしい。
 面を、被っていた。感情の無い、平たい面だ。彼は、総一郎の近くまで歩いて来て、止まる。こうしてみると、背も高い、随分と筋肉質な男性であることが分かった。
「これが、下僕だって?」
「ええ、では、その面を外しなさい」
 そして、その下僕は面を外す。その下にあった顔は――
「……ブレナン、先生……」
 総一郎が、この地で初めて行った殺人。その、被害者。カーシー・エァルドレッドの師でもあった。思えば、彼は火蓋そのものだった。それを切り落としたのは、総一郎だ。
 それと同時に、死者であるはずの人間だった。
「そんな、おかしい。だって、間違いなく殺したはずなんだ。――そうか、そういう事か。お前らは、死者さえ冒涜するのか!」
「いいえ、それは、人ではありません。ほら、お前の能力を見せて差し上げなさい」
 ブレナン先生は、幼児のような素直さをもって首肯した。両手を、顔に当てる。すると、異様な事が起こった。体格の変容。手を外す。その下から現れたのは、全く別の顔。
 アイルランドの殺人騎士を止めなかった、スコットランドの頭目。名前は、とうに忘れた。だが、恐怖は残っていた。
「そ、んな。馬鹿な……!」
 総一郎は、あとずさる。だが、それだけで納得できるわけがない。
「ファーガスは! ファーガスはどうなる!」
「彼の脳に、あらかじめ爆薬を仕込んでおりました。貴方様が彼を撲殺する寸前で、破裂させております。その為、彼はあなたの木刀が迫る姿を見ながら逝ったのです。ほら、何故止まっている。他のパターンもお見せしなさい」
 すると化け物は、顔を隠さずに変貌し始めた。現れたのは、様々な顔だ。顔と名前が一致する者、顔だけならば覚えている者、全く記憶にない者。ブレアの家族さえ現れた時、総一郎は本当に何から何まで仕組まれていたのだと知った。
 ナイと別れたあの森の野営地の騎士たちの顔が現れ出した時は、力が抜けてその場にへたり込んだ。
「そんな、そん、な……」
「貴方様の右手は、暴走したのではありません。化け物が発する非常に異様な殺気に反応して、撃滅したにすぎませんよ。救世主様が気付かなくとも、右手が気付く。理想的な状態と言えます」
「そんなことは聞いてないッ!」
 震えが、止まらない。様々な記憶が、総一郎に去来する。和やかな談笑。総一郎の右手の暴走。殺戮。アレが、人でなかったなどとは、信じられなかった。そうだ、と思う。奴は、無表情だ。もしかしたら、嘘をついているだけなのかもしれない。
 そんな一縷の望みに掛けて、総一郎は顔を上げる。そこには、表情豊かな笑み。困ったような、それでも気になるようなといった表情。そして、記憶に違わない声。
「『……辛いことがあっても、自棄になるなよ? 相談だったら、俺たちがのるから』」
「それ、じゃあ、僕は……」
 混乱に次ぐ混乱。両手で頭を抱えて、顔を歪めて震えた。総一郎は、自らの基盤の揺らぐような思いに駆られていた。ゆっくりと破壊され、その度に状況に合わせて作り変えてきた自己。それを、一度に戻せる訳がなかった。 今の総一郎は、自分が人間を殺したという確証がなければ生きていけない。いわば、大気圏まで登っていく風船だ。外側からの圧を失えば、内側から破裂する。
 それっきり、ワイルドウッドは喋り出そうとしない。ただ、黙っていた。総一郎は、それが不快だ。何か言ってくれなければ、本当に自分は自壊してしまうかもしれないのだ。そう、恨めしい目を向ける。
 そこで、そこから奴の意志が読み取れた。隠していたアナグラム。総一郎は、気づく。
 ――カーシー・エァルドレッドの顔を、この化け物は作らなかった。
 やっと、呼吸が出来た。そのように、感じた。総一郎は安堵に呼吸を震わせながら、回り始めた頭脳で看破した奴の思惑をついてやる。
「お前、自分の命のために、ここまで裏工作したのか」
「何の事を仰っているのか、私には分かりかねます。ただ、殺人犯を公務員が率先して国外に出すことなどできないから、この様な処置を取らせていただいたまでです」
「この周囲には、身内以外の誰もいないだろう。本音を言えよ」
「……救世主様の聡明な頭脳には、感服するしかございません。こうでもしなければ、貴方様はカバリスト全員を皆殺しにしたでしょうから」
「なるほど。確かに弱みを握っておけば、僕はお前らを殺さないだろう」
 エァルドレッドまで『下僕』の変化によるものであると言われたら、総一郎は何もできなくなる。そこまで分かり切って、アナグラムを作り上げたのだ。
「では、こちらへ。出航の準備はすでに済ませております」
「出航? 何処へ行くつもりだ」
「もちろん、USA。北アメリカの、貴方のお姉上の住まう町まで」
「……嘘は、ついていないようだな」
「ええ、私どもは、貴方様に敬意を払っております。二度、我ら薔薇十字団の危機を救ってくださるお方として」
「二度、だと? 僕が、快く協力するとでも?」
「はい。今回が一度目。二度目は、だいぶ先の事です。未来のことなど、分かったものではないでしょう? きっと助けてくれる。その様に信じているから、私どもは貴方様を慕っているのです」
「未来なんてわからない。……カバリストのいう事じゃないな」
「カバリストであるからこそ、未来の不確定さを知っているのですよ」
 彼は黒塗りの車に近寄って、総一郎に向けて扉を開けた。鼻を鳴らしてそちらへ向かおうとする直前、振り返って言う。
「それは、良いのか?」
 その視線の先には、ボロボロのギルが居る。痛みと苦しみのあまり、気絶したらしい。呻き声さえ上がらない。
「――ああ、グレアム次期団長の事は、良いのです。彼は、作戦だったとはいえ自らに罰を与えたいと言って、この場に姿を現したのですから」
 殊勝な事だ、と思うと共に、それだけで許せるはずがないとも思っていた。だが、声に出す必要はない。素朴な疑問だけを口にする。
「こいつが、次期団長だと」
「ええ、何せ『薔薇十字団』ですから」
「……ああ、『モントローズ候』ってことか。下らないダジャレだな」
 モントローズは、総一郎が住んでいたあの地の事だ。そして、ギルの家の領でもある。 ブレアたちとの楽しい数年間。だが、あの村に住む者達は全てこの『下僕』の分身だった。
「その辺りは、適当なものですよ。『フリーメーソン』だったり、『黄金の夜明け団』だったりと、団長が変わる度に分かりやすいよう変えているのです。どうせ、それらの実態は全て瓦解しております。勝手に借りても構わないでしょう」
「こちらが本物なのだから、って」
「仰るとおりにございます」
 総一郎たちは会話を終え、車に乗り込んだ。運転席と、後部席に分かれる。それっきり、会話は失せた。エンジンがかかり、車が動き始める。
 鈴の音の様な、声が上がった。同時に、睡蓮の花の匂いが香ってくる。
「やっぱり、総一郎君は生き残ったね。分かってたよ? ボクの大好きな総一郎君は、きっと死ねないって」
「……ナイ」
 横を見る。そこには、いつの間にかナイが座っていた。先ほどあった時となんら変わらない立派な服装。目につく物と言えば、一抱えもある包みを抱きかかえていた。
「お疲れ様。疲れたでしょ? この国の騒乱は。でも、日本に居る時に比べて君は、格段に強くなった。必要な時間だったと、思ってほしいな」
「君の、差し金でもあったわけだ」
「そうかな? もしかしたら、思わぬ人物が全てを握っているのかもしれないよ? そもそもね、総一郎君はボクの事を過大評価しすぎなんだよ。案外、大人しいんだよ? ボク」
「よく言うよ」
「もう、またそうやって意地悪言う」
 ぷんぷん、とあざとく口にしてみせるナイ。先ほどとは打って変わって、テンションが高かった。「あ、そうだ忘れてた」と言ってこちらを見る。
「何、むぐっ」
 キスをされ、舌で唇を割られた。深い接吻。だがしている最中で妙な気分になってくる。
 脳の奥で、何かが蠢く。それが、ゆっくりと下に落ちて行き、胃の中に至った。次いで、嘔吐感。その塊が、のどを通って昇ってくる。
 口の中に、それは現れた。それを、ナイの舌が掻っ攫っていく。唇を離すと、ナイは歯で奇妙な物体を拘束していた。それは、夢の中でたびたびであった化け物によく似ている。無数の足に、無数の目。しろく、ブヨブヨとした体。
 がぶりと、ナイはそれを食い千切った。気味の悪い、小さな断末魔。ゆっくりと咀嚼し、ナイは飲み下す。
「うん、美味し」
「……もっとマシな後始末の付け方はなかったの?」
「食べるっていうのは、尊い行為だよ。食べた分だけ、力になる。その意味は分かるよね?」
 ナイは、怪しく微笑みながら包みを撫でる。それは何かと問おうとしたが、とんでもない物が出てきそうで躊躇いが起こった。すると、勝手に彼女は言う。
「これは、戦利品だよ。あとで、食べるんだ。敗者は強者に食われる定めにあるんだよ。例え賭け事だったとしても、この賭けは君たちの命を賭していたんだからね」
「……そう」
 予想は、付いた。カバラで確かめる気には、ならなかった。
 話を、無理やり戻しにかかる。この話題は、危険だ。
「それで結局、あの夢は間違いなく君の差し金なんだろう?」
「いやいやまさか。そんな意地の悪い事、ボクがすると思う?」
「君以外のだれがするのさ」
 言いつつも、ちらと運転席の方を見やった。ミラー越しのワイルドウッドの顔が見える。酷く、緊張していた。ナイの方を見ると、「身分をわきまえる子たちは好きだよ、ボク」と総一郎に微笑んでくる。なるほど、カバリストは『これ』が触れてはならないものだと理解しているのだ。
「さぁて、次はアメリカだね。新天地、って感じで楽しみでしょ」
「一度目の新天地で随分ひどい目に遭ったから、もうたくさんかな」
「アメリカはね、行ったらびっくりするよ、きっと。何せ、今のイギリスなんかに比べてすごーい発展してるんだから! しかも、日本人の知識が合わさってもう大変! 楽しみだねぇ、総一郎君!」
「本音は?」
「総一郎君。君は、恐らくだけど、もう二人の祝福されし子供たちと出会う事になるよ。そして、その片方はファーガス君と同じ手合い」
 体が、強張る。目を瞑り、息を深く吸って、ゆっくりと吐き出す。硬直が、ほぐれていく。
「それは、楽しみだ」
「本当に逞しくなったね。ボクは嬉しいよ、総一郎君」
 にこにこと、彼女は笑みを浮かべている。「ところでさ」と彼女は言った。
 雰囲気が、変わる。
「ファーガス君、強かったよね。本当」
「……ああ、あの力?」
「うん。ボク、実はこっそり間近で見たんだけど――いやぁ、本当にびっくりしちゃった」
「……ナイ?」
 その声が震えていることに、総一郎は気付く。それに驚くよりも先、まず何が目的なのかを疑った。ナイに対する反応も、我ながら随分こなれたものだ。
 しかし、彼女の怯えは本物であると後々知れた。それは、ここから続く会話を根拠にしたものだ。
「あの力、本当凄いよね。ド迫力で、圧倒的で。だから、ちょっと興味が湧いちゃってね? 無謀の神の本体と掛け合って、シミュレーションしてみたんだよ」
「……何を試したの?」
「いや、ね? あの力、実は『特殊効果付加』の異能だったらしいんだけど」
「特殊効果……?」
「例えば、あのドラゴンの攻撃を弾いたのは、あの盾が『攻撃してきた物体に、その倍のダメージを返す』っていう効果があったから、とか、ドラゴンを簡単にばらばらにしたのは、あの剣は『切っ先の延長上のものすべてを切り裂く』効果を持っていたから……とか」
「……それは」
 それが真実なら、とんでもない事だ。
「多分、本当の事だよ。ネル君から、ファーガス君の言葉を又聞きしたんだ。それで、試してみたの」
「どんな、試し?」
「ミニサイズだけど完全に模倣しきった宇宙を作り上げて、ミニミニファーガス君に色々な事をしてもらったよ。振ったら女の子にモテモテになるステッキだとか、全ての人々を狂わせる歌とか。けど、モテモテになる盾とか、人を狂わせる髭メガネは作れなかった。そういう意味では、強化と言った方が正しいのかもしれないね」
「随分楽しそうなことやってるね。僕が病んでる間、君は楽しく実験か。いい身分だよ、本当」
「そんな嫌味言わないでよ、……それでさ、ボクはその力の限界ってどこなんだろうって思ったんだよ。ジャンルが違う効果はつけられない。じゃあ、ジャンルに合ったならどうかなって」
「確かに、興味あるね」
 総一郎は、こんな時でも好奇心の犬を発揮する。だが、ナイはそこで空笑いをした。一抹の不安が、少年の言葉を詰まらせる。
 ナイは、この様に言った。
「ミニミニファーガス君に、『全宇宙を滅ぼす剣』を振ってもらったんだ。ミニサイズ宇宙の中なら、どんな事象だって再現できるからって」
 総一郎は、つばを飲み込む。
「……どう、なったの?」
 ナイは、首を振る。
「分からない。ただ、エラーが起きた事しか」
 総一郎は、それきり黙って考え込む。まず行ったのは、ナイが嘘をついていないかだ。彼女なら、少年を驚かすという名目だけでそういうことを言いだしてもおかしくはない。
 だが、結果は白だった。むしろ、見せつけるようにして彼女はアナグラムを晒していた。それだけ、真実であると主張したかったのだろう。とすると、考えられる可能性は二つ。
 文字通りのエラー。あるいは、計測器さえ超えるほどの力が発現されてしまったか。
 ファーガス、と呟く。快活な少年だった。人間からも、動物からも、亜人からだって好かれた。特別な少年だった。そして、その根っこには信じられないほどの秘密があった。
 ――きっと、彼は前世の総一郎を殺したあの少年だ。ナイの言葉を聞いて、改めてそう思う。思いながら、尋ねた。
「それは、つまり、君たちがボウフラ程度にしか考えていないはずの人間が、君たちを宇宙ごと葬り去る可能性があったってことなのか?」
「……ねぇ、総一郎君。君、H.P.ラブクラフトって作家、知ってる?」
 しかし問いには答えず、ナイが出し抜けにそう言った。全く異なる話題に、総一郎はたじろぐ。問い直そうかとも考えたが、止めた。彼女にも考えがあるだろう。
「ううん。どんな作家さんなの? どうせ悪趣味なんだろうけど」
「君も偏見が強いね。いくらボクが言い出したからって……。まぁ、強く否定することは出来ないんだけれどね。何たって彼はホラー作家だ。そして――驚くべきことに、彼の作品には『ボク』が多々出演している」
「……何だって?」
 総一郎は、身を起こす。がたん、と車が揺れた。イギリス特有の、道路上の穴ぼこだ。寒い土地柄、氷が道路を破壊するのである。
「彼は、アメリカの作家でね。しかも驚くべきことに、彼の世界観にのっとって多くの作家が『ボクら』を題材にして小説を書いている。酷く面白い事だとは思わないかい? 昔から、狂気はこの世界に蔓延っていたんだ。……だが、一つだけ納得できない点がある」
 暗い闇の中、車は進む。街灯が当たり、偶にナイの顔が照らされて見えた。謎に戸惑う、少女の顔。そこに、嘘のアナグラムはない。
「彼らは、何故そこまで深く知識を蓄えられたのか。『ボクら』の名前なんて、一人で複数知る者がいる訳がない。しかし、彼らは面白いくらいに知っていた。そして、もう一つ、彼らは『正気』だった」
「……済まない、ナイ。僕には、君の言っていることが理解できない」
「ボクが呼び出した、あの二匹の魔獣、覚えてる? 翼を生やした大きな蛇の姿の『忌まわしき狩人』、宇宙空間を飛び回る『シャンタク鳥』。君は平気みたいだったけど、他の人たちはどうだった? 例えばそう――ローレルちゃんは、その後どうだった?」
 総一郎は、答えに窮する。しかし、辛うじて言えた。
「多分、あの頃からローレルは、僕から離れることを極端に嫌がるようになったと思う」
「その時、君たちずっとくっついていたからね。それが、僕が来た時を見計らったように離れた。脳が、条件付けをしたんだ。総一郎君から離れると、ボクが来るよって」
 そうするだけの恐怖は、確かに感じた。ドラゴンなどで慣れていた総一郎だったから、まだマシだったのだ。だが、見た事もない人や、ドラゴンにさんざんやられてきた騎士たちがあれを見たらどう思うのだろう。
「それが、狂気だよ。その上、彼らは何百年も前の人間だ。そう、――亜人が生まれ出るよりも、ずっと前。異形に、全く耐性が無い時代の人々」
 辻褄が合わない、とナイは言っているのだと分かった。化け物は確かに恐ろしい。だが、神は格が違う。しかもそれを耳にしたのは、アメリカという、一神教が深く根付いた土地の人々だ。日本のように多神教の人間とは、全く違う恐怖を受けるだろう。
「あまりに不可解だったから、調べてみたんだ。けど、分からなかった。ボクは一応全知全能の神のはずなのだけれどね。君たちに関することを調べると、面白いように荒が出てくる」
「僕たちの事?」
「君が向かう先の街、アーカム。そこは、ラブクラフトが作り出した、『創作上の都市』だ。現実には存在しないはずの街。だけどその町は事実として、アメリカ建国から数十年もしない内に建設された都市としてそこに存在している。そう。ラブクラフトが設定した通りに」
 ナイの言葉に、総一郎は引くついた笑いを漏らす。
「……それは、流石に嘘だよね?」
「嘘だったらどんなにいいかと思うよ。虚構の街、それが現実になっているんだ。ボクはね、今混乱してる。この世にある、数少ない『知らない知識』。それらは全て、『祝福されし子供たち』を調べた時からボクの目に留まるようになった。――総一郎君。君はその内の一人なんだよ。片手間の遊びのはずだったのに、今無貌の神は君たちに夢中だ。彼は自分さえ嘲笑の対象になる日がとうとう来たのかってワクワクしているよ。でも、ボクは不安。君と対決するまで、君を守り切れるのかどうか。ボクが何者なのか」
 ねぇ、とナイは言う。薄暗闇の中、髪飾りの横を短い髪がさらさらと滑り落ちた。包みをぎゅっと抱きしめる。俯きながら荷物の結び目の一点を見つめている。いつもの飄々然とした態度は、掻き消えていた。
「怖いね、分からないって」
 それが、イギリスで見たナイの最後の姿だった。


 車が、止まる。波止場。偶然にも、そこには一度来たことがあった。ドラゴンを殺し尽くして、何もすることがなく放浪していた時期。波の打ちつける音。あの頃も今も、何ら変わらない。無情で無慈悲な荒波だ。今はさらに、その深くに眠っているものの恐ろしさを感じてしまう。
「こちらの船に、お乗りください」
 ワイルドウッドに案内された船は、小型船だった。現代の海には、大型魔獣がよく出現する。小型の船など、迂闊な事をすればすぐにクラーケンなどに沈められてしまうのだ。
 その事を言葉にせずに伝えると、奴は「ご安心ください」と言った。
「安全面は、我々カバリストが総力を挙げて確保しました。ただ、出航後一度だけ、ここから十キロ離れた場所にて小型のクラーケンが現れます。上位種で、知能がありますゆえ対話により穏便に帰宅願う予定で居ますので、どうか寛大なご容赦のほどをお願いします」
「そう。船員は?」
「カバラの存在は知っておりますが、カバリストではありません。善良な一般市民の方々です。気のいい人々ですから、仲良くする振りでもなさって頂ければ幸いかと」
「なら、良いよ。普通の人たちなら、愛想を振りまいても抵抗感はないしね」
「では、これを」
 奴は、何処から取り出したのか布の袋を取り出し、総一郎に献上した。受け取ってすぐ、それが特殊な騎士御用達の容量が大きいそれであると知れる。中身を覗くと、アタッシュケースが入っている。
「中身は何だ?」
「ドルでございます。何かと、入用になるかと思いまして」
「施しのつもり? 海でばら撒いたらさぞすっきりするんだろうね」
「いいえ、それはグレアム次期団長のお父上が買い取った、貴方様の『天使』の絵の代金にございます。もっというなら、貴方が受け取るべき正当な対価です。もちろん、我々があなたに行った愚かしい行動の埋め合わせて言うのではありません。それに関しては、後々誠意をもって報いさせていただきます」
「……カバラってズルイよな。本当に、さかしい技術だよ」
 吐き捨てて、甲板に登る。その途中で、堪らず振り返った。奴は予期していたように「何用でございましょうか」と言った。わかっているくせに、白々しい。
「ここまでされたからには、信用する。そのうえで聞かせてもらうよ。……ローレルのことを、保護してやってくれないか?」
「すでに、丁重に保護しております。救世主様。ですから、ご安心なさってください」
「……ああ、分かった。人質がとられたんだ。僕も逆らうことはしない」
 そのまま進む。すぐに、出航の合図が出た。ワイルドウッドが、波止場にてじっとこちらに頭を下げている。鬱陶しいと思い、船尾から離れた。これでイギリスともおさらばと思うと、感慨深いものが襲ってきた。
 顔を上げる。僅かに、日が昇り始めている。今までの記憶が、交じり合い、溶け合った。右目から、朱き滴が落ちる。左目からは、何も流れない。色々なものを得て、色々なものを失った。結果として得られた物に対して、失ったものは少ない。人間としてのアイデンティティ。言ってみれば、これだけだ。
 魔術の親和性も、上昇幅が大きい。驚いたのが、精神魔法の成長ぶりだ。何か加護を得る機会があったかと考えて、カバリストの『下僕』を思い出す。奴らが変容した時、酷い狼狽を味わわされた。今思えば、アレは加護の付与だったのか。笑わせる。と吐き捨てる。
 船員との挨拶もしないまま、昇る日と広がる海を見つめていた。イギリスも、もはや遠い。その時、船が揺れた。すぐに、ワイルドウッドの言っていたクラーケンだとわかった。
 そして数奇な事に、クラーケンは総一郎の前に現れた。
『矮小なる人間よ……。この海が我の物であると知っての狼藉であるか……』
 偉ぶった古めかしい話法。脳に、直接話しかけているらしい。総一郎は聞き流して、「ねぇ」と言う。
「今すぐこの船を開放してくれないかな。一刻を争うというのではないけれど、急いでいるんだ」
『何を勝手なことを言っている……。己の身分を弁え』
「身分弁えるのはお前だろうが。忠告はした。邪魔をするなら殺すよ、説得に時間かかりそうだから」
『きさ』
 総一郎は、指を鳴らす。途端、クラーケンは水中で燃え上る。
 カバラで改造した、総一郎の魔法だった。奴の周囲の水を油に変化させ、奴の背後に火魔法を発動させた。駄目押しに、風魔法で奴を空中に浮かせる。そうすることで、何をしても逃げることのできない火の牢獄を作ることが出来る。
『きさ、貴様、ぐぁああ、熱い、熱い……!』
「こうやって見ると、滑稽だね。巨大なイカ焼きの完成だ。折角だから、船員に振る舞ってあげようと思うんだけれど、どう思う?」
 問いかけるが、答えはない。息絶えたらしかった。特に、感慨は湧かない。ただ、知能はあったのだから、奴は魔獣と言うよりは亜人なのかもしれないと言えた。
 つまりは、『人』だ。
「……父さ。いや」
 途中で、止める。ここはもう、イギリスではない。父に向けて喋るのだから、日本語にするべきだ。
『父さん、父さんの言うとおり、僕は……』
 その時自分が口にした言葉を顧みて、総一郎ははたと気づく。
『……僕? 僕だって?』
 ぷっと、噴出した。
『は、はは、あはははははははははははははは! 何だよ、今更! 僕! 僕だってさ!お前いまだに礼儀正しいお坊ちゃまやっているつもりだったのか! こりゃあ面白い! とんだお笑い草だ!』
 腹を抱えて、一人で笑い転げた。燃え上るイカ焼きが、何ともシュールさを盛り上げている。ひとしきり笑って、落ち着いた後、『馬鹿じゃねぇの』と呟いた。
 少し、思案する。日本に居た頃、ファーガスは自らを「俺」と呼んだ。同時に、自分の前世もそうだったかと考える。『ファーガス、貰うよ』と亡き彼に伝えた。
 もう、朝日を見続けるのも飽きた。甲板に居るはずの船員にお土産を渡すべく、総一郎はその場を背にする。
 そのまま、言い捨てた。
『父さん。俺は貴方の言う通り、「人」を、道を歩くように殺せるようになりました』
 しかしこれは、正しい道なのでしょうか?

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