武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(8)

 声が聞こえた。内容は分からない。化け物の吠える声が、何もかもを掻き消してしまう。
「そうか、君、声を発せたのか」
 益体もない事を口走りながら、耐えかねて壁に寄り掛かった。頭に手を当てる。頭痛が、激しい。荒い息を、無理に整えた。少し落ち着きが戻って、強く目を瞑る。
 すると、幻覚がわずかに遠くなった。現実が、その分近づく。ただ声であると思っていたものの片方が、ローレルであると理解できた。
 そして、確かにあるもう一つの声。カーシー・エァルドレッド。総一郎を、きっとこの世で最も憎む人物。
 何をしているのか、想像に難くなかった。だが、彼はその一方で理性手の人でもあった。人間を殺すという事は、恐らくだがないはずだ。殴る、蹴るの暴行は、想定内だった。
 しかし、ローレルの声は断続的なものではない。内容はうまく聞き取れなかったが、今はまだ会話の余地があると踏んでいた。化け物が、咆哮を上げる。五月蝿いと頭の中で怒鳴った。反抗するように、声が高くなる。
「……。―――――――――」
 精神魔法の呪文を唱え、頭に手を当てる。化け物はそれでも居なくならない。ただ、少し考え事がしやすくなった。
 ひとまず、様子を見ておかなければならない。それだけ思って、覗き見た。ローレルの周りを衛星のようにぐるぐると回るエァルドレッド。そして、腕を大剣で貫かれ、地面にくぎ付けになって突っ伏すローレル。
「……ぇ」
 あまりに鮮烈な血の色が、総一郎の目を焼いた。声を失う。逆に、空っぽになった総一郎の頭の中で、エァルドレッドの声が反響し始める。
「君は、中々我慢強いな。おれなら、とっくに話してしまっているところだ。いっそのこと、その腕を切り落としてしまった方がいいのか。失血多量で死ぬとなれば、君もなりふり構っていられないだろう。シルヴェスターさん?」
「うぅ、うううううぅぅぅぅぅぅぅううう…………!」
 会話を交わしていると思っていたのは、全くの間違いだと総一郎は知った。奴が話しかけ、ローレルが痛みに呻いているに過ぎない。
 彼女の姿は、酷く痛ましかった。顔の一部が青く染まり、ボロボロになった服の端々から痣やぽつぽつと出血の痕がのぞいている。特に、大剣で貫かれている腕が酷かった。傷口からは致死量に達しないまでも多量の血が流れだし、震える全身から取り残されたようにその腕だけが動かない。白い肌の内そこだけが本当に真っ白で、真っ赤だった。
 総一郎は、咄嗟に動くことが出来なかった。火の鳥はどうしたのだと考え、エァルドレッドを見て愚考だったと気付く。ローレルの限界にまで開かれた瞳が、少年の目を縫い付けた。滂沱のごとく流れる珠の涙。その視線は、地面のどこかを指して決して動こうとしない。
 呻きと、荒い息をとぎれとぎれに繰り返している。呻きをすれば息が苦しくなり、呼吸にのみ集中するには、痛みが強すぎたのだろう。痛みを紛らわすだけの代替行為。怖れでも何でもなく、それだけの為にローレルは泣いていた。
 その中で、掠れるような声が、呼吸に紛れて聞こえた。
「うぅぅぅうう、ハァーッ、ハァーッ、……ー。ソー。ソー……! う、うぅぅうう……!」
「ロー、レル。違うんだ。僕は、そんな、そんなつもりじゃ」
 化け物の幻影に惑わされ、碌に働かない頭は意味のない弁明を総一郎にさせた。ただ、彼女と自分の最も幸せな道を進んだつもりだった。朦朧とし始める総一郎。それを吹き飛ばしたのは、皮肉にもエァルドレッドの怒声だった。
「そんなッ、甘える様な声で奴の名を呼ぶなッ! 貴様はそれでも騎士候補生の端くれかッ!」
 エァルドレッドの蹴りが、ローレルに炸裂する。少女は転げ、腕の剣に引っかかった。その所為で、肉が裂ける。悲痛な、悲鳴が上がった。
「エァルドレッドぉぉぉぉおおおおおおおッ!」
 走り出す。そのまま、木刀を袋から取り出した。総一郎は、奴に打ちかかる。その寸前で、奴はローレルから大剣を抜き取った。振り向く。総一郎を正面に構える。その顔には、狂った笑みがあった。
 寸でのところで立ち止まる。怯みが、更に総一郎を後退させた。敵の得物の肥大化。幻が、総一郎を貫く。だが、実際には紙一重だ。好機と取って、反転し突きを放つ。そこで、押さえつけていた化け物の怨念がよみがえった。
「ぐぁ、が、っ……!」
 足腰が砕け、地面に両手をついた。あまりに頭痛、幻痛が激しくて、総一郎はただ頭に手を当てて震えるばかりだった。幻だと、分かっているのだ。しかし、頭痛が意識をもうろうとさせ、ふとした瞬間に幻であることを忘れさせる。その度に、呑み込まれかけた。
「ふ、ふふ、はははははははは! 流石、情報は確かだったな! こうすれば、我を忘れて飛び掛かってくる。全く、本当に『天才』だよ、あいつは!」
 誰のことを言っているのか、咄嗟に分からなかった。それだけ、総一郎は幻視に惑わされていた。見上げると、かつてからは想像できなかったほど下卑た笑みが、少年を見下ろしている。睨み付けると、嘲笑と共に蹴りが来た。普通ならこんな体勢でも十分避けることのできた攻撃。総一郎は腹筋を締めることさえできずにもらい、絶息する。
「みじめだな、ブシガイト。あれだけ強かったお前が、何が原因かは知らないがそこまで弱るとは。ほら、避けて見ろ。ほら、ほら」
 嘲笑われ、蹴りつけられる。それは、去年と同じだ。トラウマが、脳裏に去来する。
 思い返せば、総一郎は虐げられてばかりだ。騎士学園に入ってから亜人として迫害され、それを克服すればカバリストたちの影がちらつき始め、少し核心に迫れそうになった途端、ナイが総一郎に化け物の悪夢を植え付け、そして、今も総一郎は足蹴にされている。
 悪夢と、悪しき記憶の二重苦。屈辱が、総一郎の心を濁らせる。蹴りつけてくるエァルドレッドが、ギルと被った。憎しみが、恐怖に変わる。恐怖に変わり、また、憎悪へと流転した。
「ほら、ほらッ! 苦しいか!? 先生はな! もっと苦しかっただろうよ! 口を木剣で貫かれて! そのまま脳まで貫通したんだ! ほら、ほらッ! 苦しめ! 喚けよ! お前が! お前がぁッ!」
 愉悦は、いつしか憎悪に変わっていた。彼もまた、総一郎を憎んでいるのだ。同一。彼と自分との間に、一体どれほどの違いがあるだろう。彼もまた、修羅になろうとしているのだ。腕に異形がなくとも、己の中の獣に、自らを食い荒らさせている。
「ソー……。止めて、ください。私は、どうなってもいいから。ソーは、ソー、だけは……!」
 ある時、総一郎を蹴り続ける足が止まった。もはや化け物の荒ぶる姿のみを映す視界が、瞬間、現実の情報を総一郎に伝える。ローレル。涙で顔をボロボロにした少女は、その華奢な手をもってエァルドレッドの足を掴んでいる。
「邪魔をするな! お前はもう用済みなんだよ!」
「止めて……! お願いだから、止めてください……! あの時先に手を出したのは、ブレナン先生だったでしょう……!? ソーは……、ソーは、自分の身を守っただけです!」
 ローレルの語気が、少しずつ上がっていく。やはり、逆境にこそ強い子なのだと、総一郎は微笑した。「クソがッ!」と悪鬼が如く表情をゆがませて毒づいた。剣の切っ先を、彼女に向ける。
「そんなに殺してほしいならそうしてやる! ……そうだ。そうじゃないか。お前は、ブシガイトの目の前で殺して、俺と同じ苦しみを味わわせてやるんだったな……!」
 小さく、ローレルは、息を呑んだ。次いで、少し総一郎に視線をやる。目が、あった。

――時が、止まったような錯覚を覚えた。
総一郎は、ローレルに謝罪の言葉すら満足に言えなかった。
巻き込まないようにと、手回しをしていたことを伝えたかった。でも、それは言い訳になると思ったから、言えなかった。

 ローレルはその永遠にも似た一瞬を、総一郎を見つめることだけに費やした。
まるで、目に焼き付けようとしているみたいだった。永遠が解ける。それが、分かった。

 そして少女は微笑みを浮かべる。それが、彼女の意志の全てだった。
 剣が、振り下ろされる。ローレルは、口を音もなく動かし始めた。カバラは、魔法よりももっと世界の理に近い技術だ。根幹と言ってもいい。故に、煩雑な処理を経れば、魔法さえ自作出来た。
 ローレルが紡ぐ呪文は、毒魔法だ。彼女の返り血を浴びたものだけを殺す、致死性の毒だ。あと、数瞬もしないで呪文は終わる。魔法が完成すれば、エァルドレッドの大剣の有無にかかわらず少女は死ぬだろう。
 また、失うのか。総一郎は、自問した。失ってばかりだと、自分が歩んできた道を振り返る。家族。友人。人間らしさ。それと引き換えるように、力ばかり得てきた。
 力とは、何だ? 大切なものを守るために、あるものではないのか。これだけ積み上げても、ローレルひとり守れないのか。
 ふざけるな。
 殺してやる。
「おい、そんなクソ女殺したところで僕が傷つくとでも思うのか?」
「……何?」
 ぴた、と剣が止まる。安堵は、顔に出さない。ただ、憎たらしい顔をして、悪ぶるだけでいい。まず、矛先をこちらに向けなければ。
 総一郎は、演技をする。ローレルがアナグラムを読み切れなくて、不安になるほどの演技を。ナイさえ騙してしまうほどの演技を。
「だから、そんな無駄な事をして楽しいか? と聞いている。それをして僕が吠え面を掻かなければ、お笑い草だな。勘違いで僕とまったく同じことをするわけだ。君、そうすると、もしかして亜人なのか? 少なくとも、中身は亜人以下だろう」
「何、だと……!」
 エァルドレッドは、顔を真っ赤にして総一郎に向き直った。カバラで、読み取る。その頭の中に、もはやローレルのことなど微塵もない。本物のお笑い草だ。鳥頭である。
「いいかい? 君がすべきだったのは、速やかに僕を殺すことだった。確かに先ほどまで、本当に衰弱していたのだからね。だが、今はこれだけ饒舌に囀れるほど元気いっぱいだ。機を逃したよ。残念だね、カーシー先輩?」
「……と言う割には、立ち上がれていないじゃないか。ブシガイト。余裕ぶっていても、それでは意味がないなぁ?」
「……」
 ほんの僅かに、顔を歪めるだけでよかった。それに奴は喜んで飛び付き、罠だと気づきもしない。
「なら、お前の言うとおり、さっさと殺してしまおうか!」
 大剣。振り下ろされる。頭痛も幻覚もやまない。体に力も入らない。先ほどと、何も状況は変わらない。――けれど総一郎は、それでも動いた。
 体を、回転させる。左手で、大剣の軌道を無理にずらした。刃先を握ったために指関節から血が出る。気にすることではない。そのままの勢いで起き上がり、その鼻っ面に肘で一発叩きいれた。鼻血を出して、エァルドレッドは悶絶する。そこに、追撃で木刀。
 しかし、敵もプロだ。一息に畳み込まれても、復帰するだけの実力を持っていた。大きく後ろに跳躍し、改めて大剣を握りなおす。そして、大声で声を放つ。
「『神よ! この剣に聖なる雷を」
「今更聖神法なんかで倒される訳がないだろうが」
 木刀を軌道修正し、奴の大剣の横を叩く。聖神法が掻き消され、エァルドレッドは真っ白になった。踏込み、喉を突く。呼吸が出来なくなったところを風魔法で無理やり浮かせた。
「や、止めろ……っ! 放せ、何だ、これは。くそ、亜人め。殺す、殺して……!」
「五月蝿いったらありゃしないな。今際の際くらい大人しくできないものか。しかし、……ふむ」
 憎き敵を、煮るなり焼くなりできる現状を顧みて、総一郎は今まで封じ込めてきた意地の悪い憎悪を脳内で渦巻かせていた。にたりと笑いながら、奴を見る。恐怖に彩られたその顔。三秒考えて、「ねぇ」と宙に浮く彼に問う。
「人間、一番きついのは焼死っていうけど。それで言うと血が沸騰するのはどのあたりに相当するんだろうね? 科学の実験みたいなものだ。実演して見せてくれよ」
「ひっ、や、止めッ!」
 怯える奴に、誰も聞こえないような暗く低い呟きを漏らす。
「……ローレルに遭わせた痛みを百倍にして返す。それだけの事だろうが」
 そして総一郎は、呪文を紡ぐ。
 カバラにて、即興で作り上げた羅列。いくつかの魔法を併用することになったが、詳しい事は全く頭に残らなかった。ただ呪文を唱え、奴に手をかざすだけ。それだけで、奴の血は沸騰した。
「――――――――――――――――――――――――――――ッ!」
 この世の物とは思えない絶叫。エァルドレッドの断末魔の叫びは、凄惨さの半面総一郎を急激に冷めさせていった。最後に破裂し、血と臓物をまき散らせる。風魔法で、返り血を防いだ。
「……汚いだけの、見世物だったな」
 感慨は、ない。前世、幼い頃。蟻の足をもいで、遊んだことがあった。特に楽しいとも思わない行動。少しやって、すぐに飽きて、友達を誘って他の遊びをした。
 あの頃は、何も思わなかった。今は、違う。意味もなく無残な事をしてしまったと、後悔しか残らない。右手を見る。せめてこの手を使っていたら、マシだったろうに。
 虚しい。自らの手による惨殺死体を見た総一郎の感想は、それだけだ。
「……ソー……」
 ローレルの声、振り返る。彼女は、畏怖とも愛情とも悲愴ともつかない顔で、総一郎に歩み寄ってくる。ちょうどいい、と思って、演技を続けた。
「さっき、言わなかったかな? 正直、君の事はあまり好きじゃなかったんだよね。まぁ、多少は役得があったけどさ。そのために媚を売り続けるほど僕は暇じゃ」
「ソー、だから、忘れてますって。……私は、カバリストですよ……?」
 泣く寸前のような顔で、彼女は笑った。総一郎は数秒だまって、「そうだったね」と足を延ばす。
 腕の刺し傷。体中の痣。それだけで済んだ。そう考えれば、それなりに間に合った方だろう。生物魔術の治療で、傷をさりげなく撫でていく。肉体の欠損が無いから治癒はすぐだ。痛みが消えたのが分かったのか、ローレルは不思議そうな顔をした。優しく抱き留める。強く抱きしめられた。
「ごめん、ローレル。僕は、僕は……」
「いいですよ。何も言わなくても、分かってます。だから、……代わりに、強く、抱きしめてください……っ」
 不安げな彼女を、言うとおりに抱きしめる。力を込めるほどに実感した。彼女に小ささ、その未熟さ。ローレルは顔を総一郎に押し付けて、肩を震わせ始めた。胸元が、湿る。水滴が、総一郎の制服を汚していく。
「ローレル……」
 総一郎は、微笑む。手を、無防備な彼女の頭に持っていく。
「愛してるよ、ローレル」
「はい……」
「僕は、誰よりもローレルを愛してる」
「はい……!」
 左手で、彼女の頭を強く寄せる。今だけは誰にも取られないように、逃げられないように。
 けれどもう、お別れの時間だ。
「ずっと、僕は君を忘れない。そして、――辛い思いをするのは僕だけでいい。僕は黙っていても過酷の運命を歩まなければならないから。……君は違うんだ。ただ、男運がなかっただけ。そういう意味では、僕は世界最悪のダメ男みたいだね」
「えっ、……ソー? 止めてくださ」
「忘れないよ。傷は、ずっと僕一人で抱えていくから」
 総一郎の手から離れ、小さな紫電がローレルの頭蓋を通り抜けていく。
 ぐったりと、彼女から力が抜けていった。だが、未練が容易な行動を許さなかった。惜しむようにその額にキスをして、やっと踏ん切りをつける。
 総一郎が悔いるべきは、たった一つだ。ローレルと別れた後、すぐにでも行動を起こすべきだった。あの、風邪にも似た酷い倦怠感を押しのけてでも、昨晩の内に全てを終わらせておくべきだった。そうすれば、陰から見守っていてやることだってかなっただろう。
 周囲を真っ赤に染めたもの。それらからローレルを遠ざけて横たわらせた。もはや、この愛しい少女の中に総一郎は存在しない。目を覚ましたら、きっと彼女は怯えの色を総一郎に見せつける。
 そんな未来予想が、少年の未練を断ち切った。優しく彼女の髪を撫でながら、水魔法、風魔法、雷魔法の三つを駆使して周囲を洗浄する。ローレルの記憶が、ずっときれいで在れるように。
「じゃあね、ローレル。もう、二度と会う事はないと思うけれど」
 別れが、総一郎に涙を流させた。左目からは、ローレルの愛が解きほぐしてくれた純粋な滴を。右目からは、涙腺の枯れた代償として血の珠を。
 異なる世界が、混同している。右目は依然として化け物の幻影を映し続けていた。反面、左目は美しい彼女を鮮明に総一郎に伝えてくれる。
 立ち上がった。踵を返した。涙は止まり、血は乾燥して跡を残した。拭う。そして、歩き出す。
 様々な違和感のために、総一郎はまっすぐに歩けなかった。何処か、体が歪んでいる。心もだ、と思った。殺したくないと祈りながら、これ以上ない凄惨な殺人をした。人殺し。背反する心理と行動が、総一郎の根幹を揺るがし始めている。
「……ああ、もう、疲れてしまったな。このまま、誰か殺してくれはしないかな」
 このままで居ても、総一郎はカバリストに理由も分からず利用され続けるままだ。そうして、過酷な運命の真っただ中で生きていく。それならばいっそ、死にたかった。死すべきだとも思った。
 総一郎は、臆病者だ。だから、自殺はきっと出来ない。怖気づいて、逃げるだけだ。しかし、信じられないほどの人間を殺してしまった。死すべき殺人鬼。これほどあからさまな、殺したらヒーローになれそうな敵役もいないだろう。誰か、闇雲な正義感に駆られる誰か。僕を、殺してはくれないか。
「――馬鹿馬鹿しい。僕を殺せる人間が、この国に一体何人いる?」
 頭痛が、酷い。化け物もうるさくて、右目をつぶした。少しだけ、楽になる。しかし、すぐに治癒した。化け物が、眼前に居る。
「ものは、考えようだな。この分じゃあ、右脳潰されても僕は生きてるんじゃないか?」
「そんなに殺してほしい? 総一郎君?」
 振り返る。そこには、ナイが立っていた。いつか、総一郎が買ってやった髪飾りをしている。服装も、いつもより気合が入っているように感じた。
「随分と、可愛らしい服装だね、ナイ。もしかして、僕を殺すために気張ってきてくれたの?」
「お洒落してきたのは今日が晴れ舞台だからで、残念なことに、君を殺すためじゃないんだよね。……でも、そんなに死にたいなら場所のセッティングくらいはしてあげる。総一郎君もきっと気に入るはずだよ。本当に墓場とするのかどうかは、君に任せておくけれど」
 あまり、機嫌は良さそうではなかった。深い瞳が、総一郎を探るように見つめている。一つ「ふぅん」と言ってから、無言で踵を返してしまう。だが、背を総一郎に向けたまま、思い出すようにして上半身だけこちらを向いた。
「――ああ、それと。君が今見ている幻覚。だんだん激しくなっていってるでしょ?」
「うん。そろそろ、発狂しかねない程度には」
「そっか。ちなみにそれ、呑まれたら君脳が壊れて死ぬからね。等比的に激しくなっていくものだから、いくら君とはいえタイムリミットがあることは先に言っておくよ。じゃあ、バイバイ。総一郎君。勝負に勝ったら、またすぐに会おうね?」
「じゃあね、ナイ。永遠に」
 手を振って別れた。その時、気づく。時間が弄られていた。気づかないうちに、空は茜色に染まり、今はもう夜色だ。十番星くらいまでよく見える、良い夜である。
 右目が移す色彩の狂った光景に辟易しながら、総一郎は歩く。あてどもなくうろついていると、騎士学園の表門近くに立っていた自分を見出した。導かれているような感覚。そこで、気配を感じて視線を向ける。
「……ベル? ベルじゃないか」
 何も考えずに、近寄っていった。彼女から数メートルほどの距離で、気づかれる。すると、ベルは息を呑んだ。口元に手を運び、怯えたような反応をする。
 それに傷つくよりも先、総一郎は一抹の嘘くささを感じてしまう。
「そ、ソウ……? 何で、こんな所に。えっ、嘘。私は、何でこんな」
 何処か、混乱しているようだと思った。その時、総一郎はわずかに濁った頭を働かせた。彼女が怯えている理由。それがアイルランドクラスの騎士候補生たちの、総一郎の殺人の喧伝によるものであると推理した。
 彼女が後ずさった時、あまりに強い殺気が襲い来た。
「ソォオオイチロォォォォォォオオオオオ!」
 剣。吠える声と共に、飛び掛かってくる。それをギリギリでいなして、総一郎はファーガスと対峙した。木刀の剣先を向けて牽制する。思うように接近できない彼は、慟哭と言った風情で総一郎に向けて怒鳴り散らす。
「何でだよ! ベルを殺す必要なんてねぇだろうが! お前が憎いのは、他の騎士候補生だろ!? それとも、それすら分からなくなっちまったのかよ……!」
「……」
 総一郎は、ファーガスのその言葉よりすべてを理解した。ナイの用意した『セッティング』。ここを死に場所とするか否か。総一郎は、ナイらしいことだと思い、笑ったつもりだった。あまりに相応しい選択。そして、あまりにむごい展開。
 ファーガスにだけは、嫌われたくなかった。その一方で、相反する気持ちもあった。素直にそれを、独白する。
「ファーガス。どうせ死ぬのなら、僕は君に殺されたい」
 化け物の恐怖に脳を破壊などされたくない。得体のしれないカバリストどもの策略のさなかに謀殺されるなど真っ平だ。そういう意味では、ナイに感謝してもいのかもしれない。
「決闘をしよう」
 酷く小さなかすれ声で、総一郎は言った。木刀の切っ先が、ファーガスに向く。夜は静かで、その小さな声さえ良く聞こえた。
 ファーガスは、その様子に一筋の涙を流した。拭う。そして、武器を構える。
「言われるまでもねぇ。俺が、お前を止めてやる。――ソウイチロウ」
 『止めてやる』。その言葉が、総一郎の胸を強く打った。きっと、この言葉をこそ求めていたのだ。ずっと、誰かに止めてほしかった。そうなれば、きっと人間として死ねた。
 今は、ギリギリだ。人間と修羅の、狭間に居る。だが、総一郎は信じていた。ファーガスに殺される瞬間だけでも、自分が人間に戻れることを。
 だから、総一郎は微笑むのだ。
 風が吹いた。死の闇に、歩み出した。

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