武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(5)

 ヘル・ハウンド狩りに際して、総一郎はファーガスとアンジェにヘル・ハウンドの外套と言う装備を貸した。効果は、ヘル・ハウンドの爆発の無効化。また、物体の接触による外側のみの爆発。ようは、ヘル・ハウンド人間版になれるという代物だ。
 二人はそれに度肝を抜いていたようだったが、ソウイチロウとしてはポイントが余りに余っていたせいで衝動買いしてしまったに過ぎなかった。その果てに今のポイント文無し状態がある。とはいえ最近の食事はすべてローレルに賄ってもらっている為困らない。
 文字に起こすとヒモ臭がするが、そんなものは気にしない。偶にデートした時などにプレゼントなどを送るからよいのである。大抵は本なのだが。色気がなかった。
「ソウ先輩! これ凄いですね! あのヘル・ハウンドがサクサク狩れます。いやむしろサックサク! テンションあがりすぎて馬鹿みたいですねあたし!」
「安心しろ、アンジェ。お前は割と前からバカだ」
「ファーガス先輩、休み明けてから妙に辛辣!」
 元気な二人である。総一郎はその会話に二人の仲の良さを感じながら、群れの間隙をぬって太刀を振るう。桃の木の木刀の破魔の力は、大体ドラゴンとの攻防の時辺りで固定化されていた。ヘル・ハウンド程度なら、バターのように斬れてしまう。
「こっちも、昔に比べて随分と楽になったなぁ」
 グレゴリーとの再戦を考えてもいいかもしれない。そう思いつつも、彼を殺すのは惜しいと渋る自分がいた。決着はつけたいが、殺し合いは違うような気がする。
 斬り合いの最中、攻撃がファーガスに集中し始める時期があった。総一郎を勝てない敵と定め、逆にアンジェは見つからなかったのだろう。彼女は暗殺者のような戦い方をする。個人的には、遣り合いたくない相手だ。
「ソウ先輩、ソウ先輩」
「ん、どうしたの。アンジェ」
 ここはファーガスに任せてしまおうと、一人休んで木に寄り掛かっていた。そろそろ、日が傾き始める頃合いだろうか。夕方と言うには少し早く、空はまだ青色をしている。
 アンジェは、そんな空の下。木々の中に紛れて、総一郎を手招きしていた。きょとんとして、そちらに歩んでいく。
 近づいていくと、彼女の美貌がひときわ目立った。心に決めた人がいる総一郎からすればどうこう、という話ではないのだが、妙に惹かれる外見だ。不自然ささえ感じてしまうほどの。
「今は少し暇ですし、少しお話などはいかがです?」
「君の言葉の使い方にはユーモアがあるね。何と言うか、愛嬌がある」
「あ、お世辞ありがとうございます」
 本当に面白い少女である。
「いやーしかし、こうして話してみると怖いだけの普通の人ですよね、ソウ先輩って」
「怖い? 僕が?」
「はい。学園のほぼ全員に憎まれているのに、飄々としているあたり怖いです」
「そうかな。でも、一時期は相当参っていたんだよ? その果てに軽く頭がイッちゃって山籠もり始めたし」
「ああ! あの伝説の! というか自分の事なのに随分軽く言いますね! 頭がイッちゃってとか!」
 一人で大盛り上がりのアンジェである。総一郎はその表情の豊かさに、微笑を禁じ得ない。なかなか自分とは相性がいいのかもしれなかった。
「いやー、やっぱり怖いですわ。流石この学園で一位二位を争うと言われているだけありますね」
「ニヤニヤしながらよく言うよ。一位二位、か。……僕とファーガスかな。いや、それだと力の差がありすぎるか。ファーガスのアレ反則だし」
「いえ、ファーガス先輩は能力使えなくなっちゃった宣言から、順位的にかなり下の方に行きました。人気はまだまだありますが」
「じゃあ誰さ」
「ネル先輩です」
「それでいいのか高学年」
 思わず突っ込んでしまう。総一郎たちはまだまだ中学二年生相当の年齢である。そして最大は高校生三年生ほどだ。大学生相当の騎士補佐になると場所が変わったりするから何とも言えないが、ともかく、最高学年それでいいのか。
「ちなみに三位が今のアイルランドクラスの寮長です。名前は忘れましたけど、ネル先輩が一方的にボコってたのは何となく記憶にあります」
「ネル凄いね! 何あの子!? こわっ!」
 戦慄の総一郎。記憶の彼の皮肉な微笑が、何だか獣のそれに感じてしまう。
「で、そのネル先輩なんですけど、最近ヤバいんで近寄らない方がいいですよ?」
 突然アンジェは、声のトーンを落とした。瞬間的に、総一郎は忘我してしまう。
「……うん? どうしたのさ、藪から棒に」
 首を傾げながら尋ねると、彼女は少々言い辛そうにしながら、身振り手振りを交えつつ語り出す。
「こう……、何て言うんでしょうね。血縁関係あるからあんまり悪いこと言いたくないんですけど、家の方の事情とかで、参ってるみたいなんです。性格も前みたいに面白い理不尽じゃなく、ただの八つ当たり、みたいな……。何かトチ狂って変な事をたくらんでるっていう噂もあるくらいですから」
「……それは、何ともきな臭い話だけれど」
 新学期中。一度だけ会った。ローレルの言葉があってあまり長話はしなかったけれど。――確かに、雰囲気の変化は感じられた。
 具体的な言葉には、出来ないような違和感だった。そうとしか、言いようがない。ただ、何処かいやらしい感じがあった。それ以上の表現には、おおよそ出来ないのだ。
「……それ、ファーガスには?」
「伝えてません。最近仲がいいらしいので、伝えづらいんです。ファーガス先輩の事だから危険な事にはならないんでしょうけど」
「ああ、なるほど。あんまり危なそうなら、僕の方から言ってやってほしいってこと?」
「ソウ先輩気が利きますねぇ! 何で四面楚歌になったんですか? あっ、いっけない。亜人だからだった!」
「君は人からの好き嫌い激しそうだね。決して君の、ではなく人からの」
 総一郎、半眼で遠回しに毒を吐く。迂遠だが直球な言い方はもはや総一郎の性分だ。
「愛されキャラであると同時に憎まれキャラでもありますあたし。ともかく、伝えましたからね! 頼みますよ、ほんとにもう!」
「何で今ちょっと怒られたの……?」
 小さな疑問を携えつつ、会話を終えてファーガスの加勢に回った。それから数時間もするとすぐに夕方になって、何となく動き足らない総一郎はその場に残ると言って二人と別れた。
 山の中に、闇が満ち始める。静かに、総一郎は微笑した。
 歩を、気の向いた方角に向けた。崖があっても、谷があっても、迂回しなかった。ヘル・ハウンドたちの群れとも遭遇したが、中にはグレゴリーもいて、互いに合図して素通りした。そんな気分ではなかった。
 総一郎としては、オーガを狩るつもりで居た。珍しい魔獣だから、出会えない覚悟で探していた。ごくたまに、歩いていると騎士補佐らしき人影に出会う。しかし、見向きもされない。知名度がないのか違う理由なのかはわからなかったが、有難くもあった。
 大分暗くなってきた頃、ふと、光を感じた。目を向けると、誰かがいた。気配を殺し、『サーチ』から外れる聖神法を使って様子を覗いてみる。ネルが、そこに佇んでいた。
「……」
 何ゆえ、彼が。総一郎は思わず出かかった言葉を我慢して、訝しげに見つめた。彼は、待っているらしい。しばらく見続けて、それを察した。その待ち人は、そう時間をかけずに現れた。
 ――カーシー先輩。
 一層、総一郎は表情を歪めた。少なからず、因縁のある相手。思わず隠れたままでいたことを、改めて英断だと評した。
 彼らは、話し始める。総一郎は、瞬間その内容に耳をそばだてるか迷った。しかし、結局そうしなかった。趣味が悪いと思ったのもある。だが、ローレルからも、アンジェからも、関わるのは止めておけと言われた。その事が、総一郎の心を二人から遠ざけた。
「……もう、夜だ。帰ろう」
 総一郎は、踵を返し下山し始めた。その頃にはもう八時近くなっていて、久々に体を動かし過ぎたと筋肉痛を心配した。
 寮の近くに戻るころ、総一郎は自らが空腹であることに気が付いた。ローレルを見つけるのも億劫で、仕方なしに食堂へ向かう。
 視界を塞がれた。華奢な手が、総一郎を背後から目隠ししている。
「私は誰でしょうか?」
「ローレル。君は付き合いが長くなればなるほどお茶目になっていくね」
「最初は警戒心が強いですから。私も誰かにこんなことやったの初めてです」
 嬉しくてたまらない、という風に微笑した少女が、振り向いた総一郎の目の前に立っていた。ローレルは、総一郎の右手に抱き付いてくる。
「人目が無いのっていいですね。私たちでも堂々と歩けます」
「ローレルもだんだんと迫害される側の目線になって来たね」
「恋人がそうなのですから仕方がありません」
 随分と愛らしいことを言ってくれる。その隙をついて、総一郎はローレルの唇を奪った。彼女は、目を白黒させる。が、すぐに落ち着きを取り戻す。
「ソーも可愛い人ですね。人目が無いからって、もう」
「あれ? 僕の好みベルから聞いてたんじゃないの?」
「え?」
 ローレルはきょとんとしてから、ハッとして慌てだした。
「え、あの、その、照れを隠しちゃ駄目って、あ、あああああ。何か今更のように恥ずかしく、いえ、そんなこと関係な、ああ、駄目! う、うぅぅぅぅうううううう!」
 初めにパニックを起こし、次いで恥ずかしさが再燃し、それを癖で隠そうとして、最後に総一郎の好みを思い出して素直に真っ赤になって震える。その顔はリンゴのようになり、結局耐え切れずに両手で顔を隠した。
「ローレル可愛いね。やっぱり恥ずかしがってるローレルが一番かわいいよ。ベッドの上とか」
「そういうこと言うの駄目です! 禁止です! もう! ソーの趣味が特殊なせいで私は八方ふさがりじゃないですか! 照れてるのに隠しちゃ駄目ってどういうことなのですか、バカっ!」
「ヤバい、これ本当にドストライクだ。惚れ直しそう。そして恥ずかしがってる女の子が好きなのは万国共通だと思う」
「うー……!」
 真っ赤になって唸るローレル。今すぐ抱き締めたいような気もするが、他の手段で攻めたいような気もする。やきもきが高じて切なかった。これが行きつく所まで行ったら悶死するのだろう。ローレルは顔を覆う両手の隙間からこちらを見て、涙声で呻く。
「ソーのばかぁ……」
「うっ」
 悶死した。
 そんな風に談笑していると、総一郎のお腹が鳴った。うなうなしていたローレルはクスリと笑って矛先を収め、総一郎は苦笑して頭を掻く。
「そろそろ、お夕飯を食べましょう? 食堂のキッチンをお借りして、すでに出来たものを部屋に運んでありますから」
「じゃあ、僕自分の部屋で待ってるね」
「駄目です。今日は私の部屋に来てください」
「……流石に僕が女子寮行くのはかなり危ないんじゃない?」
 ローレルの我儘はそれなりに可愛いと思ってしまう総一郎だが、今回のそれには難色を示してしまう。だが、当事者の彼女は素知らぬ顔。握り拳を作りながら、この様に言い放つ。
「光魔法で透明化すればバレません!」
「そっか。ちょっと調子に乗りすぎてるから正座しなさい」
「えっ」
 ローレルは総一郎の愛しい人ではあるものの、ある面で言えば教え子でもある。はたまた恩師の愛孫でもあるわけで、要は最低限の躾けが必要という事だった。
「え、あの。……。――えっ?」
「ん、分かった。確かにここでそうさせるのは厳しいね。じゃあ、僕の部屋に行ってからにしようか。そこでお説教するから。とりあえずモラルについて」
「いえ、確かにそっちも戸惑いの対象ではあるのですが、それより、その」
「え?」
 ローレルの関心が総一郎の背後にあった事に気付かなかった総一郎は、振り返って彼女の指差す方向を見やった。そこから、何やら声が聞こえる。これは、罵声だろうか。
「喧嘩かな。しかし、それにしては随分と激しいね。まるで仇を問い詰めるみたいな口調だ」
 薄暗がりの中で蠢く複数人の陰に目をやりながら、そんな風に分析する。ローレルは妙に複雑な顔をして、少し考えてから、総一郎の袖を引いた。
「……少し、様子を見に行きましょう」
「野次馬は感心しないよ」
「止めないってことは行ってもいいんですよね」
「まぁね。騎士候補生の喧嘩なんて物笑いの種だし」
「ソー、黒いです……」
 今までさんざ甚振られてきたのだ。態度くらい雑になる。
 しかし、そこはかとなく嫌な感じは総一郎にも分かった。これは、昔の自分が責められていたころの声にも似ている。そう、言うなれば。
「……使えない仲間を糾弾するみたいな声色だ」
 総一郎たちは物陰に隠れ、念のため共に光魔法で迷彩を掛ける。
 そこは、食堂近くの廊下だった。廊下の光は消されているが、食堂の薄光がそれぞれを照らしている。大体、十人ほどか。責められているのは三人で、詳しく見ればその三人はスコットランドクラスの少年達だった。
「というか、アレ、ギルの取り巻きじゃないか? 僕の爪を剥いだ奴だ。もう一人は……居ないみたいだけれど」
「……様を見ろ、です」
「ローレル、君は清いままで居て」
「いいじゃないですか。ソーを虐めたのなら私の敵です」
 注視しながらこそこそと会話を交わす。
 彼らは、三人に詰め寄って指さし責め立てているらしい。話題を音魔法で聞き取れば、総一郎の事だった。弾劾しているのはアイルランドクラスの先輩方で、その声には八つ当たりの色が濃い。
「ブシガイトは貴様らのクラスだろうが! 何故ブシガイトはまだ死んでいない! 予定ではもっと早くに殺すつもりだと聞いたぞ? それがどうだ!? いまだ奴は健在で、のんきに狩りに出かけたのが所々で散見されている! 寝込みを襲うなりなんなり、出来ることはまだまだあるだろうが!」
「そ、そんなこと言われても、俺達だって、あいつを早く殺したいんです! でも、その、強すぎて……」
「強すぎるだと!? 一体全体何を言っているんだか! 我が校の英雄、グリンダーでもあるまいし、強すぎるなどという事はない! 貴様は将来騎士団に入団して、我が国を脅かすドラゴンを打倒すものの一人になるのだろう? ならば力を合わせて、まずはあの憎たらしい亜人を殺せ!」
 ローレルが、ぼそりと一言。
「ソーはドラゴンよりも強いですけどね」
「ちょっと黙ってようか」
 と言いつつも、総一郎は溜飲の下がる思いで居た。自分をしいたげていた輩が、自分を理由に責められている。立場が逆転したなと目の前で嘲笑ってやりたい気分だ。
 だが、次の彼らの行動が、二人に息を呑ませた。
「ああ、もう埒が明かない! いいだろう。ようは、貴様らに死ぬほどの覚悟がないことが原因らしい。ならば、その気になって貰おうか。――諸君、手筈通りにいくぞ。手回しも済ませておいたな?」
「はい、寮長」
「はっ? ちょっと、先輩方は何を」
 アイルランドクラスの七人は、同時に自らの剣を抜いた。次いで、三人を同時に串刺しにしていく。スコットランドクラスの生徒は、一人残らず腹の奥底から響くような呻き声をあげて倒れた。そこに、さらに数人が駆け寄ってきて、アイルランドクラスの寮長と思しき人物と一言二言会話を交わし、たった一人、虚弱そうなアイルランドの騎士候補生を残して散開していく。
 そしてその一人が、酷く怯えたような、芸達者な演技をするのだ。
「ひぃい! 助けて! ブシガイトが! ブシガイトが人を殺した!」
「……嘘、でしょう?」
 ローレルが目を剥いて、その陰謀めいた光景を見つめていた。総一郎は、我に返りしまったと思う。忘我する暇などなかった。少年は少女の手を引いて、素早くその場を離れていく。
「そんな、そんな、だって、同じ騎士学園の仲間じゃないですか。何で、あんな簡単に殺せるんですか? ソーを虐めたのは許せませんが、でも、何も殺すことは」
「ローレル、アレが騎士学園の本性だよ。そして、それは騎士団にも受け継がれている。目的のために命をも厭わない残忍さ。そして特筆すべきは、同じクラスで無い者にその矛先はむけられるんだ」
 二人は音もなく駆けていく。寮についたところで、立ち止まった。ローレルの息だけが、切れている。走ったこともあるだろう。けれど、それよりも大きな理由があった。
「ソー、ここは、何処ですか? 私は、騎士学園に居たはずです。でも、ここじゃありません。私は、どこに居るのですか?」
「ローレル。君は、騎士学園になんかに居なくていい。ずっと、僕の隣に居てくれ」
「ソー……」
 弱々しく、抱きしめてくる。その力が、少しずつ強くなる。少女の体は震えていた。力に伴って、止められなくなっていく。
「私、怖いです。ソー……! この世界には、何でこんなに怖い物ばかりがあるのですか? 騎士学園も怖い。ソーにキスをした、あのナイって子も怖い。私は、どうすればいいんですか? 教えてください。ソー」
「……そうだね。この世は、怖い物ばかりだ」
 何をすればいいのか。そんなもの、総一郎にだって分かるはずもない。おびえる少女のために、総一郎はあれだけ渋っていた女子寮の中に入り、ローレルを自室まで送った。ベッドに座らせて、しばらく宥め、様子を見て自室に戻ろうとする。
 だが、ローレルはそれを止めた。一人でいるなど耐えられない、という顔をされては、総一郎も拒否することは出来なかった。彼女の求めるままにキスをし、耳元で愛をささやいた。少女は、恐怖を忘れるために快楽を求めた。少年は、愛と日々の感謝、そして情動をもってそれに応えた。
 人間は、たった一人では修羅になる。二人でも、獣になりかねない。三人以上いて、やっと礼節を知れるのだと総一郎は思う。深夜、白い肌を覗かせて寝息を立てる少女を見ながら、ぽつりと呟く。
「……僕がいなくなれば、この子はどうなってしまうのかな」
 髪を梳いた。その頬に口づけをして、総一郎は瞼を落とす。もはや自分たちは、片翼の天使になることは叶わないのだと思いながら。

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