武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(4)

 目覚めると、夕方だった。自室。隣には、ローレルが寝ていた。気持ちよさそうに、口元をむにゃむにゃと動かしている。
 その姿が可愛くて、しばらく見つめていた。サラサラな金髪を梳く。それを手慰みにしながら、ぼんやりと考える。
「カバリストを見つけに外に出たような気がするんだけど……、どうしたっけな。戻ってきた記憶がない」
「……成果、無かったじゃないですか……」
 手元から、声が聞こえてくる。目を向けると、薄目を開けて少女は蕩けるような微笑を浮かべている。
「それで、そのまま山の方に行って、折角だから私の単位を稼ごうって……。ほら、タブレットの戦果凄い事になってましたよ……?」
 ぼんやりとした口調で、ベッドの上を転がり台に置いていたタブレットを取る。ローレルは寝ころんだまま、こちらにその画面を見せてきた。『本日の戦果』と書かれた場所に、三千七百ポイント入っている。
「……コレ、凄いの?」
「入学式の時支給されたの、十ポイントだったの覚えてます?」
「このポイント凄いな」
 思わず口調が崩れる総一郎。一時は全く使えなかったり、かと思えば考えなしに使ったりとポイント感覚が狂っていたのだ。ところでポイント感覚って何だ。
「あー、……そっか。言われてみればそんな気がする。ヘル・ハウンド狩りでもしたのかな?」
「私の記憶では、ヘル・ハウンドを利用してアナグラムを揃えて、オーガを狩るという偉業をやってのけた気がします」
「そんな面白そうな事してたら、覚えてるはずなんだけどな……っと、ファーガスからメール届いてる」
 画面を開いてみてみると、紹介したい後輩が居るから、三人で狩りにでも行かないか? との誘いだった。いつもなら、そのまま乗っかる総一郎だ。しかし、どうも忌避感がある。
「何て書いてあります?」
「こんな感じ」
 言いながら見せると、案の定ローレルも微妙に表情を変えた。不安が読み取れる、そんな顔。
「……あまり、行ってほしくはないです。人選とかそういうのではなく、その、……不安、です」
「だよねぇ、これ……」
 言い表しがたい感情だった。総一郎は、ローレルを見る。そして、不安だ、と尚更思うのだ。誘拐されたりはしないか、という、ほとんどありえないような不安。だが、カバリストを考えるとそうしかねないと思ってしまう。
 ――カバリストなど、ヘレンさん以外に遭遇したことなど一度もないのに。
「でも、断るのも悪いです。色々と、都合の良い環境を整えるために相談を持ちかけてみましょう」
「そうだね。そうしようか」
 無難に要相談の意思を込めたメールを返すと、快諾のメールが返ってくる。それをローレルに見せ、互いに頷き、その場は良しとした。
 翌日の昼過ぎ。ローレルと二人で人気のないテラスを指定して待っていると、ファーガスがやってきた。話し合いにてこちらの漠然とした不安をどうにか伝えると、彼は少々の思案の後ベルを召還した。それなりに難航したが最後には総一郎はファーガスと共に予定通りの行動を、逆にローレルはベルと共にお出かけと言う次第になった。
 その後彼らはまだ急ぐ時間でもないと言って、残る昼休みを談笑して過ごすことに決めた。その最中、ファーガスとローレルがマーマイト(というまっずいジャムのようなもの。イギリス原産の食品で日本にとっての納豆であり、健康にいいらしいがしょっぱくて不味い。何故かローレルは好んでいる)は国民食か否かで喧々諤々の論争を勃発させ、宥める邪魔な二人が居ては、と告げて二人勝手に何処かへ行ってしまった。
「……ファーガスの勝つ未来が見えない」
「奇遇だね、私も……」
 置いて行かれ、総一郎とベル、呆然と言い合いながら遠ざかっていく二人を見つめる。
「にしても、本当に仲良くなったんだね。私びっくりしちゃったよ。前にも少しお茶会したけど、その時よりもずっと仲がいい」
「んー、まぁ、吊り橋効果も手伝ってる感が否めないからなぁ。それでなくともそれなりに仲は良かったけど」
「去年の暮なんかは酷かったのにね」
「あの時は仕方がないんじゃない? むしろ物怖じしない君たちの方が、僕にとっては珍しかったよ」
 ベルとは、会話するのも久しぶり、という感じがする。事実彼女もそのように思ったらしく、「ドラゴン退治に行く前以来? こうやって腰を据えて話すのは」と穏やかに笑う。
「そうだね。そういえば、君も随分とファーガスと仲良くなったじゃないか」
「……また蒸し返す気?」
「ごめんごめん。本当に面白かったから、つい」
「悪意しかなくてびっくりだよ……」
 ジトッとした目で見られつつも、総一郎は悪びれずくつくつと笑う。
「それでも、本当に仲良くなったよ。ベルを見てると、この二人は幸せになったんだなぁ、と思うからね。ローレルは君ほど好き好きオーラ出してくれないから、その点は少し羨ましいなって思ったり」
「や、止めてよそんな、恥ずかしいよ……」
 顔を赤くして縮こまるベル。本当に可愛らしい彼女を持てて、ファーガスが羨ましい限りだ。とはいえベルかローレルかで言えば断然ローレルだとは思うのだが。身内びいきは当然である。
「何だっけ、馴れ初めは小学生辺りのころだっけ?」
「う、うん。……確か――私の敷地の森の端っこに、秘密基地を勝手に作ってたのが出会いだったと思う」
「ファーガス小さい頃から大胆だな」
「それで私が貴族ってバラさないまま友達として仲良くなって……。そういえば、私その頃男の子だって思われてたの知ってる?」
「えっ!? 嘘、ベルが!?」
「いや、その、指さされてまで驚かれると恐縮なんだけど……」
「あ、ご、ごめん」
 思わずあげていた腕をおろし、まじまじとベルを見つめる。恥ずかしげに「そ、その……」と身をよじらせる彼女に、総一郎は一言告げた。
「全然理解できない」
「それなりに頑張ったからね。男の子っぽくしてても、ファーガスには好きなって貰えないかもしれないから」
「ほぇー」
「ものすごく間抜けな声出してるけど大丈夫?」
「あ、いや、でもすごいね。思う一念岩をも通すって言うけれど、男の子と間違われるような子がこんなお嬢様然としちゃってまぁ……。でもまだ信じられないな。その頃のエピソードとかって無いの?」
「そうだね、私がファーガスを好きになったきっかけが、確か当時の私が妖精を見たいって言って森に冒険して、オーガに襲われたっていうエピソードがあるんだけど」
「予想以上にハードだった。それをファーガスが?」
「うん、助けてくれた。記憶自体は曖昧なんだけどね。差し出された手が、グイッて引っ張ってくれる感覚と、あの時のファーガスの顔は今も思い出せるんだ」
「うわぁ……。何だろうこの気持ち。そんな素敵な話僕が聞いてよかったのかな、本当に」
「卑下の仕方が斬新だね」
「というか、よくそんな場所に軽々しく入ろうと思ったよね。普通そういうのは、親とかが厳重注意する物なんじゃないの? 言われてたけど無視したっていうのはベルらしくないし」
「だから、その頃は男勝りだったの! と言っても、そもそも何回かは入ったことがあったしね。女子とはいえ、騎士たる者少しくらいは武芸が出来ねばとかお父さんが、執事と一緒に連れて行ってくれたの」
「へぇ~?」
 相槌を打ちながら、総一郎は妙な顔。オーガが出るような森に、小学生を連れて行くのか。随分とスパルタな家庭だ。
「戦果は?」
「そんなの、碌にあるわけないじゃない。精々……、どうだったっけ。覚えていないや」
 ごめんね? とベルは謝る。それに、総一郎は「そんなこと気にしないでよ」と手を振った。
「でも、結構凄いのを取ってたと思うんだ! フェリックス――ああ、我が家の執事の事なんだけど、彼も素晴らしいではないですかって凄い褒めてくれたの覚えてるもん。とはいっても、弓だから実力以上、って感じもするんだけどね」
「あー、そういえばベルの弓はヤバかったっけ。なるほど、そんな背景が」
 そこまで話していると、項垂れて歩いてくるファーガスと、胸を張り肩で風を切るローレルの二人がこちらへ向かってきた。あまりにもわかりやすい勝敗だ。
「国民食?」
「マーマイトは国民食です。普通の人は一年に一瓶使う。そういうものなのです。私は一カ月で一瓶ですが」
「マーマイトなのか……。外国から唯一褒められる朝食ですらなく、マーマイトなのか……」
「朝食全般が国民食なんて大雑把な話はないでしょう? あ、ベルも、私が居ない間ソーを見てくれててありがとうございました」
「僕は何? 息子か何かなのかな?」
「ううん、こっちも久しぶりに話せて楽しかったから気にしないでよ」
「あげませんよ?」
「私にはファーガスがいるもの」
「それなら安心です。では、明日のお出かけ、楽しみにしてます」
「うん、じゃあね。ほら、ファーガスも行こう?」
「んー。じゃあな、ソウイチロウ、ローラ……」
「また明日―。……どうすんのさローレル、ファーガス抜け殻みたいになっちゃってるよ?」
「大丈夫です。頑丈ですから」
「この子は偶に冷酷だな」
 言いつつ、手を繋いで歩き出す。行先は、ファーガスたちは別だ。教室ではなく、図書館。ローレルの予習も、結構佳境に差し掛かりつつあった。それなりに真面目にやっていたのである。


 総一郎は所在ない思いをしながら、山の入り口でファーガスを待っていた。後輩も連れてくると言っていたが、どんな子なのだろうと考える。そうやって、自分に向かう嫌な視線は無視していた。胆の太くなったことだ、と我ながら思ってしまう。
 この山は、何度来ても底知れ無さがあった。慣れることはない。という気分にさせられる。事実この山にはいまだ勝てていない相手がいる。グレゴリー。あのボス狼を奥に潜ませている、と言うだけで、妙なうすら寒さがあるのだ。
「よう、早かったんだな。ソウイチロウ」
「ん、待ってたよ、ファーガス」
 手を上げると、その後ろからついてくる影があった。よれた黒髪の少女で、ハッとさせられるような美貌をもっている。だが、妙な既視感があるのはどうしてだろう、と思っていると、ファーガスがすでに紹介を始めてしまっていた。聞き逃して、内心冷や汗をかく総一郎。
「えっと……。どうも、初めまして。アンジェラ・ブリズット・……えー、うん。よろしくっ」
 ファーガスはそれに驚愕しつつ、小さく「ブリジット・ボーフォードだ!」と忠告してくれる。有難いが、それなら相手の顔を見る時間くらいくれたってよかろうに。
「ソーチル・ブズィガード先輩ですね! 初めまして!」
 少女は、こちらに向かって威勢よく言い放った。大分発音をミスっているが、これには悪意もないだろう。純粋そうな目をキラキラと向けてくる。少し眩しいような気がするのだから不思議だ。
 どちらもまともに相手の名前を呼べないでいることにため息をついて、改めて略称まで紹介しなおしてくれるファーガス。相変わらずよく気が利く。そういう所からは、図書にも似た兄貴肌と言うものを感じさせられた。
「……という訳で、ソウイチロウ。こいつはアンジェだ。アンジェって呼んでやれ。で、アンジェ。こいつはソーチルじゃなくソウイチロウだ。呼びにくいならソウとかロウとかそんな風に呼んでやれ」
「分かりました、じゃあ合わせてソウロウ先輩で!」
 前言撤回。こいつ狙ってやがった。
「……かつてなくファーガスからの悪意を感じてるんだけど、僕」
「ごめん。これは全く意図してなかった事故だ。だから木刀を握りしめないでくれ。いやほんと、頼むから」
 カバラで真偽を確かめたところ、その言葉が真実であると知れた。それならば仕方がない、と総一郎は思う。痛くない程度にノシてやることに決めた。木刀を振りかぶり、ボコボコにする。
 そんな風にじゃれ合いながら、山に登った。アンジェと紹介された少女の希望で、ヘル・ハウンド狩りだ。グレゴリーの群れは彼に似て慎重で、行動するときは彼を伴う。居なければ、違う群れという事だ。狩ってもいい。彼と対峙する羽目にはならない。
 ワクワクした様子で先行する後輩の事を微笑ましく眺めながら、ファーガスと先日の事を話していた。
「それにしてもさぁ、ローラのあの理論の破綻の無さは何なんだ? マーマイトが国民食なんて……いや、何だかんだで愛されてる食材だけど。でもやっぱり不味いだろ?」
「マズイ。クソマズイ。ローレルでさえあれを使った調理で僕を唸らせることは出来なかったくらいだ」
「ローラって料理上手いのか?」
「日本で店開けるよ」
「え、マジで? 今度ご相伴にあずかっていい?」
「いいとも。いやー、それにしてもベルの君に対する愛は凄いね。好き好きオーラっていうか。ローレルにも出してほしい。あの子最近は全く恥ずかしがる姿が見えないから、からかうのが好きな僕としては少しさみしいんだよ」
「照れるな畜生。じゃあ明日が待ち遠しいって訳だ」
「何でさ」
「ベルがさ、お前からローラへの要望を聞きだして、全部伝えてほしいって頼まれたって言ってたんだよな。良かったじゃん。若干あざとい感じあるけど」
「赤面しようとして出来るほど器用な子でもないから……、楽しみです!」
「台詞溜めて言いやがったこいつ……」
 赤面したローレルなど最近は見ないので、非常に楽しみな総一郎である。多分彼女が赤面しないのは、照れてないというよりは隠しているという事だろう。つまりは、――赤面しなければ、いやしかし恥ずかしい――という狭間に揺れるローレルの姿をつぶさに観察できるわけだ。初々しさこそ良きかな良きかな。
 そんな事を語ると「……ソウイチロウってさ、もしかしてドSなのか?」と彼は聞いてくる。失礼な話である。
「ノーマルだよ、人聞きの悪い」
「断言できる辺りがとても怪しい……」
「まぁ、日も高いし下の話は置いておくとして」
 視線で前を行くアンジェを示す。ファーガスも納得して声のトーンを落とす。
「でさ、ベルから昔は男勝りだったとか聞いたんだけど、本当? とても今の姿を見ると信じられなくて」
「あー、うん。口調も閣下に似てたから大分硬かったしな。ソウイチロウの言葉遣いを高級にした感じと言うか」
「閣下?」
「ベルのオトン。公爵だから閣下」
「滅茶苦茶爵位高いじゃないか」
 総一郎、地味に驚愕。それにファーガスは、「まぁ同級生でお付きが居るくらいだからな」とこともなげに言う。総一郎はほえー、と感嘆の声。
「……付き合い長くなればなるほどキャラ崩れが目立つな、ソウイチロウは」
「外面は気を付けるからね。正直僕の本性って白ねえ寄りだし」
「シラハかぁ……。アイツもコミカルだったよな」
「リリカルコミカルが座右の銘だそうで」
「マジか」
「それで、男勝りっていうどうだったのさ」
「ああ、なんというか、物怖じしない奴だったよ。今は結構臆病だよな。でも、危機管理能力はかなり高かったと思う。オーガに襲われて、安全な場所に逃げ込めるのは当時の年齢にしたら相当有能だよな」
「確かに、素は弄られキャラなのに、根っこのところで強い感じはする」
 それでなくとも、総一郎を圧倒するほどの実力者だ。
「それで、何だっけ。それを馴れ初めにお付き合いが……」
「いやいや、まだそんな甘酸っぱい感じはなかったな。師匠が居てさ、その人に随分絞られたよ。ベルの家の執事をしてるんだけどさ、その人」
「ほう。その人の話はベルからもちょっと聞いたな」
「凄い強くて怖くて厳しい老鬼軍曹(執事)、だけで師匠のおおまかな人格やら何やらが伝わるはず」
「あ、理解しました」
 一つずつ指を立てて説明するファーガス。少々指先が震えているあたりから、その迫力が伝わってくる。勝てるだろうか、と少し張り合う気分になってみたりする。
「いやー、もう何をやっても文句を付けられて。でもそれを意識すると対亜人戦が異様に簡単になったりするから、こっちからの文句の付けどころが無かったりするんだよ。結局面をむかって褒められたこと一度もないんじゃねぇのってくらい厳しくってさ。閣下に聞くところによると閣下も褒められたことないかもしれないみたいなこと言ってたからもう駄目だよあれ。身内に厳しすぎるんだよな。執事モードだとそれなりに温和なんだけど」
「大分愚痴だね」
「でも敬愛してる。あの人がいなければ今俺はここに居なかった」
「おおぅ……」
 ベルの話からのイメージと違い、おや、と内心首を傾げる。だが、すぐに話題が他に移って殊更問い質すことにはならなかった。

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