武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

9話 我が身を滅ぼせ、英雄よ(1)

 夜行バスから降りて、しばらく歩いていた。
 総一郎とローレル。目立たないようにカバラで調整した変装をして、街を横切っていく。新学期初日の前日。暗がりの中、二人はぼそぼそと会話する。
「いちいちこんなこと気にしなきゃならないなんて面倒くさいですね」
「別に一人でもよかったのに」
「そんな意地悪言っちゃ駄目です」
「ヘレンさんには最後までよくしてもらったから、大事な孫を傷つけたくないのさ」
「随分好かれたものですよね。おばあちゃんって、意外に人を好きになることってあんまりないんですよ? 多分、カバラの所為でその人の奥底まで分かってしまうからなのでしょうけれど」
「そう言われると光栄だよ。三食分のお弁当まで作ってもらったしね。お蔭で不味い駅弁にあり付かずに済んだ」
「そうですか、良かったです。それで話を戻すんですけど、ここまでする必要があるのですか?」
「人目についた方が面倒になるからね。経験談。ほら、あのデート中の襲撃とか」
「ああ」
 納得、と頷くローレル。街灯の明るさだけを頼りに、彼女の足は進む。一人では、決してこんな事をしなかっただろう。対して総一郎は、目に特異な性質を持っている。闇であろうと、光であろうと、極端な例で言えば煙であろうと、総一郎の視線を遮ることはかなわない。
 光、闇は虹彩によるものだろうと分かるが、煙に関してはいまいちピンとこなかった。
 そうして深夜、学園の門前にたどり着いた。見上げる。かつては荘厳に見えたこの建物が、今ではうすら寒い威圧感さえ放っているように思える。
「……じゃあ、入ろうか」
「はい」
 総一郎はローレルを抱きしめて、魔法で飛びあがって塀をこえる。そのままスコットランドクラス寮にまで戻ってから、手を振って別れた。
 自室に向かう。柔らかな絨毯。優雅な壁の模様。高級ホテルを思わせる素晴らしき意匠と、その欺瞞。
「……カバリストめ」
 黒幕は、きっとこの学園に居る。総一郎は、鋭い目つきのまま廊下を渡る。
 翌日の朝は、久しぶりの素振りに精を出した。睡眠は、取っていない。恐怖もあったが、単純に眠れないというのもあった。敵の、本拠地に居る。そんな自覚が、総一郎を眠らせなかった。
 素振りは、しばらく違和感が付きまとった。間隔があいて、腕が落ちたという見方も出来る。だが、二、三時間も振っていれば、何となく勘を取り戻しかけてくる。腕が重くなっていたから数分の休憩をはさみ、再び振り出して一時間もしない頃だった。まだ、黎明と言うほどの時間だ。
「……ソウイチロウ?」
 振り返る。予想は、していた。上手く振る舞えるか。それだけが心配事だ。そして、それは杞憂に終わる。
「やぁ、久しぶり。ファーガス。今日も早いね」
 声は、震えなかった。存外、平気そうな声が出せた。総一郎の言葉に、ファーガスは戸惑いを覚えている。しかし、これならば大丈夫だ。
 ファーガスは呆れの言葉を発し、総一郎はまたも軽く返す。するとあえて怒ったような声を、笑顔と共に飛ばしてくる総一郎の親友。それは、取り戻せないと勘違いした尊い記憶だ。
 少年たちは、絆を取り戻す。


 首尾よく仲直りを果たしてファーガスと分かれてから、総一郎とローレルは二人、人気の少ないテラスの一つで相談していた。差別云々で騒がれるのにも、もうウンザリだったのである。今までのようにムキになって立ち向かおうとしない分、彼にも余裕ができたのだ。
 授業が始まる寸前に、魔法で姿を消しつつ教室の端っこに混ざればよいのではないか。とローレルは言った。カバラがある今では、その付近に人が寄り付かないようにアナグラムを調整すればいいだけだから、実現不可能ではない。
 ただし、懸念材料がないわけではなかった。
「ローレル。分かってるとは思うけど、この学園にはカバリストが居るはずだ。怪しい人物は全く目星がついていないわけじゃないけど、慎重に頼むよ」
「直接問い詰めて、一人になったところを倒してしまえば良いのではないですか?」
「倒すって……そんな野蛮なことはしないよ。倒したところで殺すわけにはいかないし。そう考えると学校は窮屈だね。調べ物をするにもいろいろと面倒だ。残り一年くらい静かに暮らしたいなぁ……」
 ふーむと考え込む。外聞などどうでもよいから、総一郎はのんびりと日々を暮したかった。人間関係とは真に奇怪で御しがたいものである。とにもかくにも、少年は平和が欲しい。
 そう考えていたところ、ローレルが画期的なことを言い出した。
「というか今思ったのですが、カバラがあるなら上手いこと同級生と仲良くなる道はないのでしょうか?」
「それだ!」
「うわっ」
 彼女の言葉のあまりの衝撃に、総一郎は身を乗り出して指をさした。ローレルは総一郎のその行動にむしろ衝撃を受けたようで、声を漏らしつつ体を仰け反らせる。
「それだよ、ローレル! ああ、もう凄い! 尊敬する! むしろ愛してる! 今すぐ結婚しよう!」
「ソーの感情表現は激しすぎます! 冗談も程々にしないと怪我させますよ!」
「す、すいませんでした……」
 『しますよ』ではなく『させますよ』と言われれば、流石の総一郎も戦々恐々としてしまう。
 まったくもう、と憤然と息をつく少女。とはいえ照れがあるのか頬が少々赤い。
 そろそろいい時間になってきたと、二人は共に時間を確認して立ち上がった。ローレルの案があまりに総一郎の想像の向こうを行っていたため、初めて教室に行くのが楽しみに感じた。不安もある。だが、総一郎はこの不安さえ愛しかった。今までなら、不安さえ抱かない。諦念があるばかりだ。
 カバラで視線が集まらない一瞬一瞬を作りながら、潜むように教室へと足を運んだ。教官はすでに教壇に立っていて、授業が始まる数瞬前に滑り込む。
 ローレルと、並んで座った。これでも彼らが総一郎に気付かないというのは計算済みだった。そして改めて、二人で彼らの様子を観察していく。始業式に集まれと言った教官の口調、声のトーン。それに対する生徒たちの反応。
 計算していくにつれて、二人の計算スピードは落ちた。桁数が多く大変だったからではない。こんな行為は無為であると、打ちのめされたからだ。
「……二世紀もかかるって、馬鹿じゃないのか」
 喧騒に、総一郎の呟きは紛れて消えたかに思えた。だが、それに反応する者がいた。総一郎は息を呑んで素早くローレルに光魔法をかける。自分以外に、その姿が見えなくなった。
「おや、君はブシガイトじゃないか。いつから学園に戻ってきたんだい?」
「……ギル」
 いつも通り不敵な笑みと共に言葉を投げかける彼に、教室中がどよめいた。総一郎は、ただでさえ落胆していたところにこれだから、どうにも腹立たしい。
「どうしたんだい? 機嫌が悪そうだね。そういえばドラゴン討伐はどうだった?」
「……ニュースでもやっていただろ。ドラゴンは全部死んだよ」
「そうだね、死んだ。それも、そのうちの一匹はイングランドクラスとはいえ我が高の生徒というじゃないか! ファーガス・グリンダー! 彼は面白いし凄い奴だよ!」
「……ああ」
 何か、危険な予感がした。アナグラムが、今の総一郎では解き切れないような、複雑で妙な変動を見せている。ローレルと、目配せをした。彼女は確かに首肯する。
「……それに対して君はどうだ、ソウイチロウ・ブシガイト。君は騎士団から逃げ出して、今までほっつき歩いていたそうじゃないか。よくものこのこ学園に顔を出せたな、チキンボーイ」
「……」
 教官は、取り立ててギルの演説を止めようとはしなかった。むしろギル以外の生徒と同じように、呑まれ、総一郎に敵意を向けている節がある。総一郎は、どのように返せばよいかわからなかった。アナグラムが難解すぎるのもあるし、どのように答えてもさらに複雑化してしまう。
「……どうした? 何も言わないのかい? ってことはつまり、君は正真正銘のチキンってことでいいんだね?」
「おい、黙ってないで、何とか言ったらどうだよ!」
 ギルの隣に立つ、性格の悪そうな細い少年が叫んだ。かつて総一郎をいじめた三人の内の一人だ。ホリスだかヒューゴだか。名前などとうに忘れてしまった。
 総一郎は、何だか面倒になってしまった。期待するだけ無駄だったという訳だ。不幸なことに、精神魔法の加護はこの教室のほぼ全員にかけられるほど多くない。精々、数人の記憶の中から総一郎を消せるくらいのものだ。
 静かで平和な日常は、望めないらしい。少年はおもむろに杖を取り出し、ぽいと投げ捨てる。
 ローレル以外の全員が、その行動に集中した。宙をくるくると回る杖を呆然と見つめ、姿見えぬローレルの手を引いて退出する総一郎を、意識の外にはずしてしまっている。
 廊下を早歩きしていると、背後から驚くような十数人の声がこだました。総一郎は、ローレルに話しかける。
「ごめんね。君の案、どうしても叶えたかったのだけど」
「いいですよ、そんなこと。それより、私のこれからの出席日数、どうにかしてくれませんか? それが出来れば、二人きりで勉強ができます」
 彼女の言い草に、きょとんとしてしまう。総一郎は、戸惑い気味に首をかしげた。
「……いいの? そんな事をして」
「いいですよ。私は教わるよりも独学の方が楽しいんです。分からないところがあっても、多分ソーが教えてくれますし」
「僕そんな万能じゃないよ?」
「私、貴方が聖神法以外の科目で学年一位以外を取ったことがない事を知っていますからね」
「……でも、あのクラスには君の友達が」
「いません。もともと、彼らは変に意識が高くって私には合いませんでしたから。それに、この件でやっとはっきりしました。私はあのクラスが嫌いです」
 眉根を寄せながら、強く前方を睨むローレル。総一郎は「そこまで言うなら」と受け入れたが、後々になってからそれが彼女なりの気遣いであったと知り、深く心に染み入る感覚を覚えた。
 翌日から、二人は教室へ行かずに図書館に入り浸るようになった。アナグラムの計算によって最も人の寄り付かない、かつ人目に付きにくい席を選び出し、その周囲に弱い認識阻害用の光魔法をかけた。
 これで騒がれない、平和な空間の完成だ。手柄顔でローレルを見ると、何故なのか微笑ましげな表情で頭を撫でられた。彼女は総一郎を自らの弟のような目で見ているのかもしれない。その割に撫でる際、身長が足りず背伸びしていたのが何とも可愛らしかった。
「ローレルって、もしかしてお姉さんぶりたいお年頃?」
「違います。ソーが何だか弟っぽいのがいけないのです」
 まぁ実際そうだからね、と言うと、彼女はああ、と思い出したような仕草。
「そういえば、離れ離れになってしまったのでしたっけ」
「うん、一つ上のね。今はアメリカで……何してるんだろうね。さっぱりだ」
「どんなお姉さんでした?」
「んー、僕より子供っぽい。むしろ僕がお兄さんやってた気がするな。けど、僕の言いなりって訳では決してなかった。芯が強いんだよね」
「素敵な人なのですね」
「うん。愛してた。多分僕が努力して会える、唯一の肉親でもあるから」
「……そうですか」
「あ、いや、ごめん。前にも行ったけど、別に全員が死んだって訳じゃないんだ。ただ、会おうと思って会える相手じゃないってだけで」
「お父さんの方はまだご存命でしたよね」
「うん。今日本にいるんだ」
「それは、大丈夫なのですか? 今日本の国土は性質の悪い亜人に占領されていると聞きましたが」
「大丈夫だよ、絶対。父さんに限っては、殺せる人はいないんじゃないかって思う」
「それほど、ですか」
「僕の数少ない自慢だよ」
 総一郎ははにかんで笑った。そういえば、父のことはイギリスに来てからあまり思い出さなかったように思う。彼は総一郎に依存させるような所がなかったし、彼に限っては心配事すらないからだろう。ただ、興味はある。尋常でない剣技と発動さえ感じさせない魔法、魔術をカバラで制御する父は、今日本で単身何をしようとしているのか。
 ローレルは総一郎をして、「個性的な家族ですね」とほほ笑んだ。そういえばと思い至る。ローレルは祖父母と共に過ごしているが、彼女の両親とはどうなっているのかと。
 だが、少し考えてその質問は止めておいた。本来そうあるべき姿でない。つまりは何かしらの事情があるのだろう。聞くだけ彼女の心を抉るに決まっている。そんな愚行を犯すつもりはなかった。
 余談もここらへんにしておこっか。と総一郎は教科書を取り出す。教科は国語だ。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が載っている。音魔法で盗み聞いたのだが、今はここをやっているらしい。精神魔法でローレルの成績をすべてパーフェクトにする事も出来たが、それでは彼女のためにならないと思ったのだ。
 新学期という事もあり、初めてそのことを知ったらしいローレルは、「あっ」と嬉しげに声を上げる。
「私、ルイス・キャロルが大好きなのです。特に好きなのは『スナーク狩り』という詩なのですが、知っていますか?」
「またしてもお前は僕の前に立ちふさがるのか!」

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