武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 森の月桂樹(8)

 巨大な、たくさんの目の付いた、多くの足を持つ、化け物。それに、総一郎は踏みつぶされ続ける。
 何も、ない。ただ、苦痛がある。しかし、総一郎にとってそれは遠い物だった。うっすらと、足で踏みつけて加工する料理があったようなことを思い出す。はて、アレは何だっただろう――
 ――眼が、覚めた。薄暗い部屋。シルヴェスター家に貸し与えられた、自室である。
「うぅ……、やはり朝は冷えるな……」
 寝ぼけまなこで総一郎は起きあがった。布団が引力に引かれて剥がれ落ち、その寒さにブルリと体を震わせる。その上、何故か眠い。自発的に起きたのに、と考えた。寝不足なのだろうか? 欠伸をしつつ右の窓を見ると、しんしんと雪が降り始めていた。
「おお……」
 白い粒が、ゆっくりと風になびかれて地面に沈んでいく。そして積もり、地面を厚く覆っていくのだ。少し上機嫌になって、ベッドから降りようとする。――その、過程で起きた。
「ん……」
「え」
 布団の端から除く、あどけない少女の顔。総一郎は硬直する。そして、改めて自分は、このために寝不足に陥ったのだという事を思い出した。
 左手を上げる。そこには、小さくて華奢な白い手が握られている。だが、離せない物でもあった。文字通り、繋がっているのだ。
「……昨日のラブコメっぷりは酷かったなぁ……」
 嬉恥ずかし目を背けてのシャワー、嬉恥ずかし耳栓をしてのトイレ付き添い、嬉恥ずかし一緒のベッド。もちろん皮肉だ。アイロニーである。そして恥ずかしさのあまり記憶から精神魔法で概要以外吹き飛ばしたから描写もされることはない。様をみろ。
 しかも、それで一丁前にドギマギしてしまった。対するローレルは、途中から慣れたのか何なのか、割と平然そうにしていたというのに――あれ、意外と記憶飛んでない。
「もちろん僕だって平然を繕ったしそこまで揺さぶられたつもりはないけどさ。暴走してたらこんな健康的な朝迎えてないし。それにしたって記憶童貞はすでに喪失してる僕がまさかこんな小さな子に欲情とかありえないというか、それ以上に犯罪めいているというか、いや別に好意的な感情を抱いていないわけではないにしろそれは異性としてのそれなのかどうかっていうとちょっと「あれ……、ソー?」うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!」
 跳び上がった。絶叫した。それにローレルもまた驚として目を丸くして体を竦ませる。
「え、何ですか!? 背後に何か出ましたか!? ひっ、あんな所に忌まわしき虫が! ソー! ソー! アレ、何とかしてください!」
「えっ、ああ、うん。……とうやっ」
 水、風魔法を飛ばし、捕獲の後ぐるぐるとかき回す。さらには雷魔法での原子分解要素を加えてまぜこぜにして、捕獲前と完全に同じ無色透明な水を作り出した。タンパク質以下に分けてしまえばこんなものである。要約するとG入り汁は甘い水に変わった。
「……あれ、私、見間違えたんでしょうか。確かにソーの魔法がアレを捕えたように見えたのですが……」
「最初からそんなのいなかったんだよ。ほら、朝食を作ろう。今日はニューイヤーズ・イブだ」
「あ、はい」
 総一郎は窓を開けて水を放り出し、ローレルの後ろについて行った。「しかし」と何気なく彼女が言う。
「今から下ごしらえすると、多分朝食よりも前にやることがなくなってしまうのですが……。どうしましょうか。イブでそれは、少し味気ないような気もするのです」
 ふむ、と総一郎は考えて、提案した。
「じゃあ、ちょっと出かけてみる?」


 独自の文化を持つ国には、必ず何かしらの雰囲気がある。そんな事を、イギリスの街並みの中を歩いているとしみじみ考えさせられる。
 日本しかり、イギリスしかりだ。逆に言えばアメリカなどはそういう雰囲気が希薄と言える。精々インディアン程度だろう。
 イギリスは、黄土色の石造りの家が多い。そこに寒い気候特有の針葉樹が街中にぽつぽつと生えていて、いい雰囲気だと総一郎は思った。はちみつ色の町である。
 そんな道を、ローレルと二人で歩いていた。
「さぁ、どこへ行きましょうか、ソー。ちなみに何も案がなければ、自動的に本屋に入り浸りになります」
 ちょっと興奮気味のローレルは、手を妙に激しく動かしながら総一郎に問うてくる。対する少年は、「入り浸るのだけはやめようよ。積本の量がおかしいことになっちゃうから」と困った顔をする。
「異議の申し立てがおかしいです。どれだけのお金があるのですか。というか、おばあちゃんからは五十ポンドくらいしかもらってないですよね」
「いやー、……自腹をきればもうちょっとあるんだな、これが」
「そうなのですか。――ちなみにお幾ら?」
「いやらしいよ。ローレル」
「ごめんなさい……」
 呆れ顔で諌めると、自覚してしゅんとなる少女である。反抗期なんか来ないんだろうと思わせられた。もっとも、育て親がカバリストでそんなことが起こるのかどうかは、甚だ疑問だったが。
「それで、何処へ行きましょう?」
「んー、無難に映画とか見る?」
「いいですね、それ。映画は五年ぶりくらいです」
「いくら何でも見なさすぎだと思うよ」
 打ち解けたな、と我に返る瞬間がある。最近、頻繁に思うのだ。ローレルの最初の拒絶っぷりと言ったら、現状はおおよそ信じられるものではない。今では竹馬の友のような関係性で、彼女自身もそれを認めている節さえあった。
 もともと趣味は合う相手だったのだ。出会い方が悪かったとしか言いようがなかった。
「伸ばせるうちに、精一杯羽を伸ばしておきましょう。騎士学園に戻ったら、忙しくなるのでしょう?」
「……うん、そうだね。その時は、手伝い頼むよ?」
「もちろんです、ソーの為なら!」
「どこまで本気で言ってるのかさっぱりだけどね」
「結構私信頼されてませんね」
 少ししょぼんとした表情を浮かべるローレル。慰めに頭を撫でると、くすぐったそうに身をよじって笑みを浮かべた。純粋な少女である。体つきが思わしくない為異性としては見づらいが、ずっと付き合っていけそうだと思ってしまうほどには、総一郎はローレルを好いている。
 二人でのんびりと歩き、そもそも映画館はどこだという話になった。驚くべきことに、ローレルは地元の映画館の場所を知らなかったのである。仕方なしに彼女の携帯を奪い(彼女は通話以外に使っていなかった)、場所を調べる。
「二駅先なんだね。まぁ、近い方じゃない?」
「え、列車を使うのですか。そんな遠いところに行って迷いません?」
「今思ったけど、ローレル。君は本を買う以外に自発的に外出したことってある?」
「……さぁ」
『……駄目だこりゃ』
 思わず日本語で呟いてしまう程度には駄目だった。下手したら貴族よりも純粋培養かもしれない。総一郎は「今なんて言ったのですか。ねぇ、今の日本語ですよね? なんて言ったんです?」とジト目のローレルに「何でもないよ」と慈母が如き微笑みを返す。
「じゃあ分かった。本以外にも、この世にはたくさん面白いことがあるってことを教えてあげよう。うわ、そう思うと僕も久々にやる気出てきたな。何年ぶりだろ。合計で二十年ぶりくらいじゃないか」
「生まれてないですよ」
「夢で見たんだよ。さぁ、じゃあひとまず、列車に乗ろう」
 訝しげな少女の手を取って、総一郎は歩きだした。行きたいところなら色々ある。総一郎は理系だが体育会系でもあるのだ。今世は文系も吸収しつつあるから節操がない
 鼻歌交じりに歩いていると、ローレルが「楽しそうですね」と素朴な声色で言った。「まぁね!」とテンション高めに返すと、「何だか子供っぽいです」と彼女はくすくすと笑う。
「前々から思ってたんだけど、僕って初対面辺りは大人っぽく見えたりする?」
「はい。でも、私よりよっぽど子供だと思います。大人びてはいますが、付き合いが長くなれば誰でも分かりますよ」
「そっか」
 なるほど、と思った。他人のことを子供だといいながら、しかし彼女は構わないとでも言うような笑みを浮かべている。そんな風に言われてしまえば、総一郎は納得するしかない。
 不快感はなかった。自分の方が難しい運命を歩んでいる自信があるが、彼女には確固たる自尊心がある。自分には無い物だ。羨ましくもあり、眩しい気もする。眩しいなんて思ったのは、それこそ何十年ぶりだろうか。
 列車の切符を買い、ホームに入った。電光掲示板を見て、「あと五分だね。……予定通りに着けば」「なるほど、あと十分くらいですね」と気の抜けた会話をする。
 そんな会話から八分して、電車はやってきた。空いている個室を探し、二人で向かい合って腰かける。
「映画ですか……。本当に久しぶりで、何だかそわそわします」
「ローレルってその辺り可愛いよね」
「私のお小遣いは上げませんからね」
「そんな意図はないのだけれど……」
 昨日のあの慌てようが、今日になると大分小慣れている。こんな短期間でよくもここまであしらうのが上手くなった物である。とはいえ羞恥心が残っていない訳ではなく、照れ隠しか頬を膨らませていた。その様は、種をほお袋に詰め込むハムスターに似ている。
 列車を降り、改札を出た。町並みは少し変わり、都市的になる。地下で、少し進むとショッピングセンターの中であることが知れた。この中に映画館があるのである。
「何か昔と変わらないなぁ……。目新しい物とかないのかな。それとも後進国寸前の国に期待するのは無謀なのか」
「馬鹿にしてます?」
「亜人差別が激しいのは駄目だよ。うん」
「普通の人はそうでもないのですけど」
「そうなの?」
「私は亜人のことを騎士学園に入るまで一切興味ありませんでしたよ?」
「君だけでしょ」
「怒りますよ。他の、私の友達もほとんどそうでした。というか、ネットをやっても見られませんからね、亜人のこと。最近それが情報規制の一環なのだとわかってきました」
「一昔前の中国みたいだね」
「え? 第三次日中戦争中の日本じゃなく、ですか? 母国なのに……」
「ああ、いや……」
 ついボロが出てしまったが、気にすることでもあるまい。事実ローレルはそれ以上の追及を求めようともせず、「そういえば」と話題を変えてくる。
「ソーって、いったい何の亜人とのハーフなのですか? いえ、私はあなたの人柄を知っていますので、素朴な疑問にすぎないのですが」
「んー」
 思い出すのは、ギルに自室でボコボコにされた時のことだ。あの時彼は、『天使は真っ先に人間を裏切った』というようなことを言っていたはず。ローレルは読書家だから、その事実を深いところまで知っていてもおかしくはない。今更その程度で崩れるような関係でもないと思ってはいるが、どうにも躊躇ってしまう。
 そんな総一郎の葛藤を見透かしてか、ローレルは「大丈夫ですよ」という。
「オーガとのハーフとか言わない限り、私は引きませんから」
「むしろオーガとのハーフなら引くんだね……」
 自信がなくなってきた総一郎である。もっとも、日本でオーガは亜人でなく魔獣扱いなのだが。
「というか、ソーの外見からして、限りなく人型に近い種だと思うのですが」
「あー、うん」
 しばし考える。だが、結局秘密にした。
「大したものじゃないよ。ほら、日本って人間の形をした亜人――妖怪が多くってね。もともと昔話では妖怪と人間の間に生まれた子っていうのは結構ざらで……、多分知らないと思うし、ともかく普通に歩いていて気づかないような、そういう亜人の子供なんだ」
「そう……ですか。分かりました」
 ローレルは、全てを察して微笑した。総一郎も笑って、「もうすぐ映画館だよ」と告げた。
 映画館では、二ケタに届かんばかりの映画がやっていた。総一郎はどれでもよかったが、ローレルが「この映画の原作読んだことがあります!」と言ったので、それを見ることに決めた。どうでもいいが、総一郎は映画で、原作を超えるものに出会ったことがない。
 見ることになった映画は古典的名作とされているもので、これは五度目のリメイクだという。主人公は、生まれた時から今の今まで箱庭で生活していて、そこから出たことがなく、また箱庭であると気づいてもいない。その箱庭というのは、つまりはテレビのセットなのだった。主人公は生まれ落ちた瞬間からずっと、テレビに出演し続けてきて、それを知らない。ある男の、真実のドラマである。
 見たことがあった。最初はただ明るいだけの話だが、途中から主人公は自らの身の回りの違和感に気付き始め、セットの中である町から出ようとする。だが、セットから出られたらテレビ番組が成り立たない。テレビスタッフ側の奮闘は見ていて滑稽でもあるが、主人公に感情移入すれば、それは強い恐怖と成り得る。
 総一郎は、夢中になって映画を楽しむローレルとは別の意味で、この内容を深く受け止めていた。カバラによって無理やり操作されていた、これまでの二年弱。そこには、何の意図があるのだろうか。
 学校にいるとき、総一郎は迫害された。それも、ほぼ全クラス、全学年からだ。総一郎の血の半分が亜人であったとしても、誰も詳しいことを調べず、外見的に完全な人間である総一郎をいじめるか見て見ぬ振りするかであったことは、明らかにおかしい。
 だが、自分が学園の外に出た瞬間、状況は一変した。総一郎はいつの間にか迫害の外にあり、前述の延長上の嫌がらせこそあったものの、彼の命は何者かに守られているような動きがあった。
 ――自分も、この映画の主人公と何か違いがあるだろうかと、総一郎は思う。終盤、主人公は自分のようにテレビのセットの存在に気が付いて、しかしその正体も分からず必死にその外へ出る方法を模索する。
 自分を取り巻くこの状況に、何か意図があるのか。真犯人の存在も、その内の一人も知れた。だが、そこからどうする。自分も、映画の彼のようにイギリスから出ようと試みるか?
「……そもそも」
 映画も、ラストに差し掛かった。主人公は、映画のセットの出口にたどり着き、最後に彼の口癖である挨拶の言葉を残してセットから出ていく。だが、彼には国籍もないし、箱庭で働いているように見える程度の事務能力しかない。外に出て、本当にやっていけるのか。当時見た時、総一郎はまずそれを心配した。
 カバリストたちの目論見を暴いて損をするのは、自分なのではないか。彼らはある意味では総一郎との共生関係にあって、彼らを拒絶するのは総一郎自身の首を絞めることになるのではないか。
 映画が、終わった。エンドロールが流れ始めてもローレルは動きださなかったので、総一郎も付き合って椅子に座っていた。表情は、まさにご満悦だ。エンドロールもしっかり終わり、場内が明るくなってから、彼女は言った。
「原作の本にも劣らない、素晴らしい出来でした」
「うん、そうだね。かなりいい出来だった。……ただこれ、原作は本じゃなくて映画だよ?」
「えっ!」
 その時の少女の顔は驚愕と間抜けさがいい具合に交じり合い、思わず総一郎は比較的小声ながら笑いを数分、止めることができなかった。

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