武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 森の月桂樹(6)

 雨の日だった。
 バケツをひっくり返したような雨である。二人掛けのソファーでローレルと二人で座り、テレビを見ていた。対面では、安楽椅子に座ってヘレンさんが編み物をしている。
 ふと思い立って、総一郎はテレビに目を向けたままうつらうつらし始めていたローレルに尋ねる。
「そういえばさ、何でこういう大雨の事を、『猫と犬の雨降りだ』っていうのかな」
「え?」
 “ It rains cats and dogs” 土砂降りの事を、英語ではそのように表現する。
 それを不思議に思って、尋ねると、困ったようにローレルは唸り、この様に言った。
「い、犬と猫が喧嘩しているように、……聞こえません?」
「ううん、聞こえない」
 そうですか……。と少し傷ついたように顔を背けるローレル。すると、くすくすとヘレンさんが笑いだす。
「どうしたんです?」
「いえね、ローレルのつたない説明が可愛らしくってしょうがなくて……」
 しばらくクツクツと笑っていると、ローレルは仏頂面で祖母のことを睨みつける。それに気が付くと、彼女は「悪かったよ。じゃあ代わりに、由来を教えてあげるから許してくれな」と言った。
「知っているのですか?」
「そりゃあ、長い事この国の人間やってるからねぇ」
 好奇心の犬二匹は目を輝かせながら、それぞれヘレンさんに向けて身を乗り出す。
「そうだねぇ。この言葉を説明するには、大分昔のロンドンの事から説明しなければならないんだけど」
「ロンドン?」
「そう、ロンドン。というのもね、昔のロンドンには水道とかのインフラが整っていなくてね、大雨が降ったらそりゃあ酷いもんだったそうだよ? ノアの方舟ってあるじゃないか。もう町中があんな感じになってしまったそうで」
「それは悲惨ですね……」
「それで、だ。大雨がやみ、溜まっていた水が何処かへはけていくと、やっと人間が扉を開けて外に出られるようになる。そうして歩いていると、所々に見かけるのさ。野良犬、野良猫の死体をね」
「ほお」
「それを見た昔の人々はこう思った。『これは雨に紛れて犬と猫がふって来たに違いない!』ってね」
「でも実際のところは猫と犬の溺死体って訳だ」
「ご名答」
「町の増水に巻き込まれて……。普通、街で水害とかありえないですよね。可哀想な犬猫でした……」
 少年少女はそろって感心。長年の謎が解けた気分である。
「……というか昔の人は馬鹿なのでしょうか」
「どの国も教育が浸透してないときはそんなもんだろうさ」
「そうですか……」
 何故だかローレルは悲しげな顔。窓を見ると、相も変わらず空はバケツをひっくり返している。
「長雨だねぇ。もう少ししたら外に出て行かなければならないのだけど」
「そうなのですか?」
「おや、言ってなかったかい? 二日か三日、返ってこれないって。おじいさんも出張中だしねぇ」
『え?』
 子供二人、声が重なる。
「……初耳だけど」
「私もです……」
「あらら、済まないねぇ。言い忘れてたみたい。じゃあ、どうにかするかい? ベビーシッターでも今から頼む?」
「いやいやいや、この年でそんなの要らないよ。自分たちの面倒は自分たちで見れる。ねぇ、ローレル」
「その通りです、ソー。おばあちゃんは心配性なのです。私たちは大丈夫ですから、気兼ねなく行ってきてください」
「そうかい。悪いねぇ」
 そんな会話があってから、少し物事の説明をして、ヘレンさんは家を離れて行った。その頃には、二人とも察しがつき始めている。開かれた扉がゆっくりと閉まりきるのを見届けてから、どちらともなく、ぽつりと呟いた。
「……ベビーシッター云々って、あれアナグラム合わせてたよね」
「言い忘れてたのを、カバラでどうにかしようっていう魂胆がちょっと見え隠れしてました」
 しかしそれを本人が居なくなってから確信するようでは、まだまだ未熟だという事だ。ため息をつき、精進せねばとやる気なく思う。
「……という事は、つまり」
「うん? どうしたの、ローレル」
 彼女はテトテトと居間の方へ戻っていく。追従すると、カレンダーを見上げていた。
「……一日か、二日と言ってましたよね」
「うん、そうだね」
「その二日目、つまり明日が、丁度ニューイヤーズ・イブと言いますか……」
「あらら」
 困り顔で総一郎が言うと、ローレルは頭を抱えて落ち込み顔。本気でショックを受けていたようなので、「だ、大丈夫。一日とも言ってたじゃないか!」とフォローを入れてみる。
「……計算した所、多分、帰ってきません……」
「いや、でも、ほら。フィリップさんの方が」
「おじいちゃんは時間間隔無い上に、急ぎの用事がない限り、出張の時は時間をひたすらかけて仕事しますから……」
「……じゃあ」
「アウトです……」
 二人そろって沈み込む。という事は、二人きりという事だ。あまりに寂しいニューイヤーである。いや、ドラゴンと争っていたクリスマスに比べたらマシだが。
「……そう考えると二人きりって別に寂しくないか?」
「えっ? 二人きり?」
 ローレルが、きょとんとする。
「……誰と、誰がでしょう」
「いやだから、君と、僕が」
「……ああ、確かに」
 ローレルはソファーに座って考え込む。
「何を考えてるのさ」
「いえ、二人きりでできるだけ料理を豪勢にするとするなら、どんな献立がいいのかな、と思いまして」
 思った以上に前向きだった。心なしか嬉しそうにも見える。
「さっきあれだけ落ち込んでいたのに、ご機嫌だね」
 苦笑交じりに告げてみる。ローレルは不思議そうな顔で「はい? そうでしょうか」と首を傾げる。しかしすぐに肩を竦めて、譲歩的に納得を示した。
「でも、確かに、言われてみれば先ほどよりは悲しくないです」
「どうしてさ」
「そりゃあ、ソーが居るからに決まっているでしょう」
 肝が止まる。
「……うん?」
「クリスマスに、一人帰省の電車に揺られるのは、本当にさびしいものなのですよ……」
 しみじみと言われたので直前の動揺が吹き飛んでしまった。


 さて、ではどうしようかと考える。明後日が大晦日(この国風に言うならニューイヤーズ・イブ)であり、その日に普通は大騒ぎするわけで、そのための用意は大抵食事に終始する。
 つまるところ、今日は暇なのだった。
 だからこそ、朝っぱらからテレビを見てだらだらするということが出来たのであるが。
「……暇ですね」
「そうだね……」
 すっかり互いに慣れた風で、ぼんやりと会話を交わす。テレビも飽きてきて、他に何かしようと言う話になるのは自然と言えた。
「で、問題は何が出来るのか、ってことなんだけど」
「ソーは何かしたい事がありますか?」
「読書」
「奇遇ですね、私もです。――ここに居るのが私一人なら、ですが」
 冗談に乗ってこられかけて一瞬焦った。
「二人で、です。テレビが飽きたから読書をしよう、と言うのは違うでしょう」
「じゃあ、カバラで当てっこする?」
「……微妙ですね」
「だよねぇ」
 見合って思案。すると、「そういえば」とローレルが思い出したように人差し指を立てる。
「私たちがぎくしゃくして居た頃に、おばあちゃんに教わったおまじないの様なゲームがありました」
「へぇ、それまたどんなの?」
「いえ、詳細は分かりません。ただ、これを使えば仲良くなれるから、仲良くなりたいって思うようになったら試しにやってみなさい、みたいなことを言っていましたね」
「ほぅ……」
 何だろう。
 そこはかとなく危険な予感がするのは、気の所為なのか。
「確か……ちょっと、手を出してもらっていいですか?」
「え、実験台?」
「しませんよ! 人聞きが悪いですね、もう」
 ぷりぷりと怒り出すローレル。それに愛嬌を見出してしまうあたり、本当に慣れたものだと我ながら呆れてしまう。
 馴染むつもりはない、などと豪語しておきながら、この様だ。自嘲しながら、手を差し出す。
 握手された。
「……どういう儀式?」
「最近分かってきました。ソーは毒舌です。罵倒とか悪口とかではなく、言葉の選び方が」
「ぐぅ」
 言い返せない。
「それで……何でしたっけ。確かこんな感じに……」
 くるくるとされたり握り方に強弱を付けられたりする。総一郎は釈然としないまま従っていた。そのまま、十分。すでに飽きた少年は、付き合いながらも片手間に本を読みだしている。
「……ソー」
「ん。何、終わった? ところで何でそんなむくれてるの?」
「終わりました。そしてむくれてなどいません。さらにはソーは一度人間関係で酷い目に遭って後悔すればいいと思います」
「ははは、時すでに遅し」
「あっ、……その、ご、ごめんなさ」
「真面目って損だよねぇ……」
「それを謝ろうとしている私に言いますか」
 膨れっ面を晒すローレル。本当、いつの間にか妹のような存在になっている彼女だ。この二人なら、何処ででもいられそうな気さえしてくる。雨音しかないこの孤独な雰囲気でも、ローレルと共にいると空気が和らいだ。
「それで結局、何が変わったのさ」
「さぁ……」
 言いながら、手を離した。だが、ローレルに掴まれている。引っ張る。腕力の関係上、ローレルがこちら側に引っ張られる。圧し掛かられた。退ける。
「手、離しなよ」
「こちらの台詞です。強引に引っ張って、何ですか」
 少し不機嫌そうな声。嘘の数字は見えない。彼女からもそうだったようで、おや、と互いに眉を顰める。視線を自らの手に向けながら、不安そうな声で、ローレルは言った。
「……どういう事ですか?」
「分からない。ともかく、一旦落ち着こう。まず両方とも手を開いて」
「はい」
 両方とも、開く。握り続けるということが出来ない状況にする。そして、腕を互いに引いた。先ほどよりも強く圧し掛かられ、重心を崩す。
「きゃああ!?」
 押し倒された。
 ソファーの上。酷く手狭な空間に、二人は収まっていた。顔が至近距離にある。あと数センチ近ければ、唇がふれていた。総一郎は思わず息を止め、ローレルは気付いて目を丸める。格好としては、ローレルが総一郎を覆いかぶさるような体勢だった。
 少女の肌の柔らかさ、匂い、その重み。自由に動けない現状が、総一郎に目の前の彼女が女であることを思い出させた。顔が、熱くなる。それは、ローレルは同じらしかった。顔が、見る見るうちに紅潮していく。
 驚愕に見つめ合う視線は、同時に横を向いた。素早く、ローレルは起き上がる。
「……危険でした、色々と……」
「確かに、危なかった……」
 総一郎は、言いながら深呼吸。総一郎が息を荒げるなど久方の事だ。これほど息を荒げたのは、確か黒いドラゴンと殺し合った時以来である。
 そして案の定、まだ手の繋がりは続いていた。ローレルが、ジト目で見つめている。総一郎も目頭をもみつつ、推論を立ててみる。
「つまりこれは……、そういう事、なのかな」
「多分……。押しても引いてもどうにもならなそうですしね」
 振ったり軽く押し引きしたりしているローレル。力なく、総一郎の腕がそれに従って揺れる。ぽつりと、現状確認の一言。
「くっついた」
「くっつきました」
 後悔先に立たずの見本だった。
 ふむ、と総一郎は考え始める。ひとまず出来ることをしようという事になって、ヘレンさんへの連絡から始めた。しかし、繋がらない。無機質な声が、ヘレンさんの携帯の電波が入っていないことだけを示している。
「おばあちゃん……!」
 テーブルに手をついて嘆きの声。こんなに抒情的な叫びを、ローレルから初めて聞いた気がする。
 そこで二人で思案し始めた。パッと思いつくことの一つは、不発であった。しかし、次がないわけではない。
「という訳で、この『おまじない』の仕組みを完全に分解して、見事解いて自由になろうじゃないか!」
「オーッ!」
 途端にやる気を出す二人。やはり好奇心の犬である。
「という訳なんだけど、ひとまず『おまじない』の所作から洗い出してみよう。カバラだったら割とすぐに解決できるかもしれない」
「あの……、それについてなのですが」
「何かねローレル君」
 きりりと真面目な視線を向けてみる。素早く魔法で伊達眼鏡も用意した。
「何処から出したんですかそれ」
「まぁまぁ」
「いや、いいですけど……。――すいません。申し訳ないのですが、所作のことははっきり言って覚えていません」
「はい?」
 目が点になる。
「えっと……どういう事なの?」
「つまりはですね、おばあちゃんから教えられた所作を、うろ覚えながら一通り試して。しかしそれでは自信がなかったからさらにうろ覚えで付け足して……、と言うような感じなわけで……」
「冗長なアナグラムがあると」
「です」
「……万策尽きた」
「早いですね尽きるの!」
 と言われても、世間を知らない総一郎の術などこのくらいだ。やけっぱちになってメガネを壊す。「結構似合ってましたのに……」と残念そうに言われる。
 しかしローレルは足掻いてみるつもりであったようだった。「他にもこう、例えば、こんな風にですね……」と言いながら、繋がれた両人の手の間に自分のもう片方の手を差し入れ、それをもって引き裂くという方法を試み始める。
 手が、入った。そして今まで繋がれていた手が離れる。総一郎は目を見張った。ローレルもぽかんとしてから、高揚したように身振りを激しくさせる。
「ほ、ほら! こんな風に試してみれば、意外と何とかなったりするものなんですよ! あとはこれを引きはがすだけです!」
 言いながら、強く手を引く。気を抜いていた総一郎はまたも体勢を崩し、自分よりもはるかに軽いはずのローレルに引っ張られる。
「おわ」
「はれ?」
 だが、総一郎は先ほどのようになってなるものかと抗った。空いている右手でソファーのヘリを掴み、耐えた。するとどういう事であろうか。何故かローレルが思いきり派手にこちらへ倒れこみ、顎に頭突きをされ、総一郎の視界に星が舞った。

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