武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 森の月桂樹(1)

 ローレル・シルヴェスターは、駅に着いてからずっと走り通しだった。はやく、祖父母に会いたい。その一心だった。
 見慣れた街並みは、少し壊れている所さえあった。ローレルは、それを見てさっと血の気が失せた。それから、走り出したのだ。
 彼女の家は、街角の骨董屋だった。古物商としてはあまり儲かっていないが、生計は兼業の杖屋で何とかやっている。
 冬の石畳を叩く音は、酷く目を引くらしかった。自分以外の、誰一人走っていない。それで少し躊躇ったが、結局は止めなかった。気付けば額には汗の粒が伝っている。そんな事は、気にもならなかった。
 家に着き、何処も壊れていない事に安堵した。玄関を開け、大声で「ただ今戻りました!」と叫ぶ。家の中からどたどたと音がして、まず祖母が下りてきた。「おや、まぁ!」と声が上がる。
「よく帰って来たねぇ。まぁまぁ、そんなに汗びっしょりで。シャワーを浴びて来なさい。大丈夫。私もおじいさんも元気だから」
「おばあちゃん……!」
 抱き着き、力を込めた。祖母は困ったような嬉しい様な、そんな声で「おやおや」と笑っている。
 言われる通り、シャワーを浴びた。タイルのひび割れに、掃除してもすぐにぬるぬるになってしまう謎のシャンプー置場。そこに手をやって、やっぱりぬるぬるだ。と苦い顔をした。次いで、笑う。
「やっぱり、家は安心します」
 ああ、帰ってきたのだ。そんな感慨は、彼女の心に強く染み込んだ。


 シャワーを出て居間に行くと、祖父が座ってテレビを見ていた。ちらとローレルを見て、「うむ、よく帰ったな」とだけ素っ気なく言う彼だが、その格好は外出用にしても遜色のない、気合の入ったそれである。いつもはシャツ一枚でだらしない癖に、とローレルは嬉しくなる。「ただ今戻りました」と微笑みながら言うと、「うむ」と言ってより一層祖父は、顔を背けてしまった。
「まったく、おじいさんも素直じゃないねぇ」
「儂ほど実直な人間は、そうは居ないぞ! 全く、失礼なことだ」
 憤然とする祖父に、ローレルと祖母はくすくすと笑っている。それで、と祖母が言った。
「ドラゴンを口実に戻ってきただけとはいえ、一応数週間は居られるんだろう?」
「あ、はい。そのまま冬休みに入るので、学校は年明けです」
「なら、ニューイヤーも祝えるねぇ」
「クリスマスには一足及びませんでしたけどね」
「そんな事いいのよ。だって帰ってきてくれるだけでも嬉しいんだもの。ねぇ、おじいさん」
「ふん! 数年は居ないと覚悟を決めさせた癖にすぐに戻ってきおって。儂の覚悟を返せと言うんだ」
「去年はちょっと泣きそうだった人が何を言ってるの。ごめんねぇ? ローレル。ちょっと離れ離れだったから、おじいさん照れてるみたい」
「いいですよ。いつもの事でしょう? 明日には優しいおじいさんに戻っているのは、分かっていますから」
「……おい、ローレル。お前、話し方は戻さないのか? ずっとそんなのじゃあ、疲れてしまうだろう」
「いいのですよ。しばらくここで話し方を崩していたら、騎士学校に戻った時苦労しそうで怖いのです」
「あら、おじいさんフラれちゃった」
「ふ、フラれてなどおらんわ! おい、ばあさん。儂はもう腹が減った。早く夕飯を作ってくれ」
「はいはい。ローレルも一緒に作る?」
「はい。やらせていただきます」
 ローレルは、祖母に付いていった。彼女は、料理が趣味なのだ。とはいえ騎士学校では作る機会がいっこうに無く、久々だから腕が落ちていないかと心配でもあった。
 だが、杞憂の様だった。自分でも上手くいったという自負があったし、祖父も「やはり、これを食っていたら料理屋には行けんな」と頷いている。ほっと一息を吐くローレルだ。祖父の態度も、段々軟化しているし。
 そんな風にして、ローレルは我が家へと戻ってきた。そこで、数日を過ごした。家にいると、やはり、騎士学園の自室よりも安らいだ。事が動き始めたのは、そんなある日の夜の事である。
 夕食を食べ終えて、三人はまったりとしていた。テレビをつけると、ニュースがやっている。しばらくは平穏な物だったが、次に取り上げられたのは追跡中のドラゴンが墜落したという内容になった。死骸が、テレビに映し出されている。腹が破れているのか、モザイクが入っていた。
「……これは、隣村を襲ったドラゴンだね」
「討伐された訳ではなさそうだな。しかし、死因が分からん。腹の破け方も妙だと言うし。他のドラゴンは無事討伐されたとされているが。そもそも、今年に限って何で七匹も……」
 祖父母は、ニュースを物騒な面差しで見つめている。ローレルは、言うか言うまいか迷っていた事を、二人に問いかけた。
「……おじいさん、おばあさん。私、明日にその村に行きたいのですが、連れて行ってはくれませんか?」
「は?」
 声を上げたのは、祖父の方だった。不快でもあり不可解でもあるのだろう顔つきで、問い返してくる。
「何で、そんな事を望むんだ? ローレル」
「私の友達が、数人あの村に居るのは知っていますでしょう?」
「だが、行ったところでその安否すら分からないかもしれないぞ。いや、それならまだいい。もしその友達の両親か何かが居て、お前に死んだと告げたら……!」
「いいよ、連れて行ってあげようじゃないか」
「ばあさん!」
「いいんだよ。この子は言っても聞かない子だ。それに、何となくそうした方がいいようにも感じる。おじいさんは違うのかい?」
 祖父は祖母に尋ねられ、しばし沈黙した。彼は気に食わなそうに鼻を鳴らし、「分かった、勝手につれて行け」と居間を出て行ってしまう。「これは、機嫌が直るのしばらくかかりそうだねぇ」と祖母は笑った。
 翌日、ローレルは酷く緊張した面持ちで車に乗っていた。運転手は祖母で、鼻歌交じりである。暢気なものだ。生まれてこの方、祖母の慌てたところを見たことが無い。
 だがそれは祖母にとってのみであって、ローレルは内心震えるほどの不安と戦っていた。祖父が止めるほどの光景が、そこに在るというのか。一応後処理などは済んだという話だったが、復興自体はままならないという。
 後処理とは何かを想像して、気分が悪くなった。「着いたよ」と祖母が言った。ローレルはドアを開け、光景を目にした。今まで目を瞑っていたから、それが初めての機会だった。
 言葉を、失った。建物は、面影が残っていれば十分なほどのものだった。荒野だ、と真っ先に思った。開拓不可能な亜人の出る地域でもないのに、この荒れ様。口を押えて、しばらく動けなかった。
「……ローレル? 大丈夫かい? 無理そうなら、このままでも帰れるんだよ?」
「……いいえ。これは、騎士団のミスが招いた結果なのでしょう? 私は、ゆくゆくはその一人になるのですから、今の内にこういう、……酷い光景を、ちゃんと目に焼き付けないといけないと思うのです」
 多分友達はここに居ないのでしょうとは、思いましたが。そのように祖母に告げ、少女は足を動かし始めた。
 歩いていて気付いたことは、緑の一切が消えているという事だった。ここを襲撃したドラゴンは、雷を操ったという。黒々しい残骸がいくつか残っていたから、それがその名残なのだろう。
 独特の臭いがする。ローレルは、袖で口元を押さえた。恐らく、死臭だ。死んだ人間のそれが、死体が無くなった今もなお、残っているのだ。
「……可哀想に」
 言った。だが、泣かなかった。自分が泣いていいのは、友達が死んだと聞いた時だけだ。それ以外は、筋違いと言っていい。
 ビレッジグリーンの跡地を横切って、ドラゴンの足跡がある家を通り過ぎた時、ローレルは道の真ん中で人が倒れている事を知った。彼女は目を剥いて、まずそこに駆け寄った。「大丈夫ですか?」と声を掛けようとしたその瞬間に、ある事に気が付いた。
「……ブシガイト、君?」
 答える声は無い。彼が、本当に気を失っている事の証左だった。
 ローレルは、しばし固まっていた。彼は、ローレルが最も忌避し、怖がっていた相手だった。苛められていた少年。そんな彼への侮蔑。助けられない自分への失望。反転。一歩ずつ獣になっていくような戦いぶり、その噂。そして畏怖。
「……で、も、……そんな事、関係ないです」
 その手を、取った。だが、瞬間その手ごたえに驚いて、反射的に放してしまった。固い様な、柔らかい様な、奇妙な手応えだ。触れた事は無いが、虫嫌いの彼女にとっての、昆虫を思わせる触れ心地。震える手で、その右手の袖をまくった。そして、とうとうローレルは恐怖した。
 異形。亜人は大抵、純粋な動物などをベースにしていることが多く、敵意こそあれ生理的な嫌悪感と言う物は少ない。だが、これはそうではなかった。見るだけでも背筋に寒気が下りるのに、これに触れなければならないのか?
 少女は、その時明確にブシガイトを助けることに葛藤した。助けたくない。助けなければならない。彼女の表情は蒼白で、ますますその肌は陶器染みて、人形のようになった。
 ローレルは、一度目を瞑り、深呼吸をした。深く吸い、強く吐きだす。そして件の少年を見つめた。
 抵抗感は強い。だがローレルは、いつだって葛藤と戦っている。
 勝ち方は、心得ているのだ。
 少女は、その『嫌悪感のある右腕』を自身の首に回し、ブシガイトを担ぎ上げた。重い。男にしては細いとも言える体躯だったが、身長差と、後はその密度だろう。山籠もりに耐えられる肉体を持っているのだ。重いに決まっている。
 ローレルは負けず嫌いで、後に残る害などが無ければ、自分が嫌だと思った選択肢を選ぶ癖がある。祖父には「随分と生きづらいだろう」と言われた事もあったが、直す気はない。
 そのまま直接、祖母の元へ戻った。彼女は少女の抱えている者を見て瞠目し、ともかく、一旦家へ連れて帰ろうという話になった。
 後ろに寝ているブシガイトについて、祖母からいろいろ尋ねられたが、腕の事は省いておいた。何となく、言わない方が彼も困らないだろうと思った。
「……あの時何もできなかったことのお詫びです。元気になったら、出て行って貰いますから」
 眠っているだけだろう。と半ばローレルは見抜いていた。だが、衰弱もしている。それが治ったら、穏便に出て行って貰うつもりだった。彼は聞き分けが悪そうではないから、そこにも確信があった。
 運転席で、祖母が笑った。何故かそれに嫌な予感がして、少女は目を窓の外へ向ける。

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