武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 修羅の腕(4)

 ファーガスから逃げ出した数日後の朝。総一郎が目覚めたのは、イングランドとスコットランドの境にあるビジネスホテルの一室だった。
 最近は、弓を毎晩見る。踏みつぶされる夢。ナイと別れた頃から、ずっとだ。だが、あまり辛いとも感じなかった。右腕を見る。この異形の事を考えると、どうにも、と感じてしまう。踏みつぶされたくらいで何だ、と言う風に。
 薄暗く、カーテンの隙間からか細い光が漏れている。丸まっていた総一郎はもぞもぞと起きだして、光を入れた。
 空を覆うのは、淀んだ雲である。その中央には、悠然と進み来る黄色い龍の姿があった。
 今回の標的にして、最後の敵。
 総一郎はそれを意識から外して、着替え始めた。余計な事は、何も考えない。考えれば、敵を討つにあたって動きが鈍化する。
 着替えが終わり、総一郎は深呼吸をする。いつだって、世の中では人当たりのいい演技が出来なければやっていけない。自らの醜い右手に手袋をして、それを切っ掛けにスイッチを切り替えた。
 光魔法で外見を引き伸ばし、にこやかな笑顔で疑われる事なくホテルを出た。近くの料理屋で飯を済ませ、郊外に出る。人目に付かない場所を探して、飛びあがった。
 そのまま、ドラゴンに痛烈な一撃を加えた。
 宙をうかぶ巨体は、いともたやすく傾いた。総一郎は追撃とばかり、奴の体躯ほどもある炎弾を飛ばす。紫電が走り、炎は霧散する。成程、奴は雷を使うのか。
 電撃は、強力だ。そもそも、電子が無ければ物質は成り立たない。そういう意味では物事の根幹に位置していると言えた。最も根源的で、暴力的な攻撃手段だ。
 最近使っていなかったと、総一郎もそれに応える事にした。ドラゴンが飛ばす様々な色の電撃を、こちらのそれをもって相殺させる。雷龍は、それに焦れたようだった。口の中で、視認できるほどの電気の球を作り上げる。今のドラゴンの頭は、まるで砲台だ。
 総一郎は風魔法による飛行を止め、自然落下で砲撃を避けた。少年の前には、無防備な腹部が晒されている。これで、終わりだと思った。そこに、電撃をぶつけた。
 しかし、奴にはそれが効かなかった。総一郎は、ああ、成程と納得する。人間とドラゴンの体の作りは違うのだ。ならば、と逆に電子を引きはがした。原子のつながりはいきなり虚弱になり、ドラゴンの体は空の中で砂粒の様にほどけていく。
 落下していく最後のドラゴン。上空に浮かんだまま、総一郎はそれを見下ろしていた。今の龍が、先の黒龍と実力を半々にすれば、あるいは丁度良かったのかもしれない。
 肉を地面に打ち付ける、凄惨な音がした。ドラゴンは、力なく地面に横たわっている。その周囲に、人が集まり始めていた。総一郎は少し飛び、全く関係のない場所で下り立った。
「……これから、どうしよ」
 やるべき事は、喪失した。戻る場所もない。
 けれど、やっていけない訳じゃない。総一郎は魔法による自給自足が出来る。法を破る事も視野に入れてしまえば、この国でなら大抵の事は可能だ。
 騎士学園に帰る気は、さらさらなくなった。もう十分だ。他に行くべき場所が、自分には有るか。
「……アメリカ……」
 総一郎は、空を見上げた。一人で海を渡る。考えてみた事はあったが、調べれば調べるほどに無理なことが分かった。
 海には、怪物が居る。それは陸から大体百メートルもいけば出現し始め、沖合に行くほど強くなる。勿論、人類の文明があれば撃退可能だ。だが、例外が居ない訳ではない。総一郎は、その例外以外にすら、連戦して勝つだけの自信がない。
 その上部、つまりは空にも、怪物は居る。ドラゴンもいれば、他の種類もある。そちらは海のそれより強く、イギリスは数百年前から空路を取ることが出来ずにいる。それ故、日本の避難民を救いに来た時も船だった
 船か、と思わなくもない。一度、見に行ってみてもいいだろう。総一郎は、再び飛び始める。風がうねり、空を裂いていく。
 適当な船場に到着した時、夕方になっていた。思ったよりも距離があったと、総一郎は後悔する。腹が減った。何か、食べねばなるまい。
 だが、金を使うのももったいなかった。せっかく近くに海があるのだ。そこでこっそり取っていけば、問題はあるまい。
 人目を盗み、身体の周囲に空気の膜を作りつつ、総一郎は潜った。魚を適当に木刀で突き、捕獲する。そして火魔法で焼き、食らうのだ。
 味は、薄い。海水を汲んで、水分を蒸発させた。その塩をぱらぱらとかけて、食った。こんな物でも、案外イケる。
 咀嚼しながら、夕日を見た。殴打の様に、綺麗だった。こんな場所でこんな物が見られるとは、少年は思っていなかった。小型の船、大型の船。真ん中程のサイズは無い。沖合に出ても、その程度では壊されてしまうからなのだろう。
 ゆらゆらと、揺れている。波も、船も、人も。そして、真っ赤に染め上げられているのだ。夕日が、目に染みる。総一郎はそのように思いながら、眺めていた。
 右腕には、痛みがある。常にではない。とっくに歪んでしまった指先には痛みなどないし、二の腕の中ほどまではそうだ。しかし、人間の肌との境目は、ひりひりとした不快感がある。今の総一郎には、半袖など考えられない。隠せないからだ。
「どうした、坊主。お前、顔に怪我してるぞ。……いや、それ、涙なのか?」
 漁夫らしき人に尋ねられ、総一郎は極端に狼狽した。慌てて逃げ出し、「おい!」との声がかかる。きっと彼は、追いかけてくるのだろう。しかし捕まえられはしない。この国に、総一郎を捕まえられるような人間は居ない。
 路地裏で、荒い息を吐いていた。体力の疲労ではなく、激しい緊張の所為だった。顔を拭う。血。もう、ここには居られない。総一郎は何故かそう思い込んで、この場でないどこか別の場所を探し求めた。
 総一郎は、その日野宿をした。寒さなど魔法で幾らでも凌げたのに、そうすることを拒んで寝た。寒いと思いながら一晩を明かした。いつも通りの、踏み潰される夢を見た。夢でなければいいと思った。目が覚めて、落胆した。
 することもなく、自然の多い道を散策した。イギリスには自然が多い。それは、ドラゴンなど自然災害級の魔獣に対する策なのだろう。被害を少しでも軽微にという事だ。余った政治の金は、その分安全地帯である都市に回せばいい。
 つまるところ、列車沿いでもない限り、治安は悪いという事だ。人間ではなく、魔獣である。奴らは日中にもかかわらずうろちょろと獲物を探しているらしく、総一郎は不運な事に見つかってしまった。
 老人の顔をした赤ライオン。マンティコアだ。その針はサソリの物であるらしい。総一郎には、マンティコアとキメラの区別がつかない。何だったか。背中に山羊の頭が付いている方がキメラだっけ。
 泰然としている総一郎が気に食わなかったのか、奴らは一斉に襲い掛かってきた。少年は舌を打って、くるりと身をひるがえす。一太刀。二太刀。何匹かの尻尾は落ち、それ以外の個体の首も落ちた。
 マンティコアたちは、怯えを見せ始めた。生きている数匹は、総一郎に視線を釘付けにして後ろ向きに下がっていく。総一郎は、この時明確に苛立った。獣のような怒声を上げ、魔法でその動きを止める。
「そんなッ、怖がったような視線を向けるんじゃない!」
 作法も何もない。木刀で、めった切りにした。この得物は、総一郎が戦うたびに強くなる。例え、その精神がどんなに鈍ろうともだ。
 傷だらけになったマンティコアたちは、総一郎が息も絶え絶えに座り込む頃には、一匹しか生き残っていなかった。だが、彼が本当に殺すだけの為に木刀を振るったのなら、一匹だって生き残りはしなかっただろう。
 それが分かっているのか、奴は生きる気力も失くしているようだった。すでに、昼だ。少年は昨夜の残りを腹に詰め込む。念のため、毒魔法で浄化もしておいた。残りは昨日の二分の一程だったのに、途中で食欲を失くして息絶え絶えのマンティコアにくれてやった。見向きもしない。魔法での拘束を取ると、総一郎から一目散に逃げ出していく。
「……何やってるんだろうな、僕は」
 その背を視線で追いながら、考えた。ふと気になって、異形の範囲がどれだけ広がったのかを見た。袖をまくるのでは足りずに、服を脱ぐ。右手。肘先。二の腕。右胸部。もしやと思い、触れた。――首も、すでに。
 あと少しで心臓は異形に呑まれ、その次に脳が侵食される。総一郎は、もういいやと諦めた。終わりは、近い。暇をつぶしていれば、それでいい。
 次は、何処へ行こう。総一郎は、思案する。ドラゴンと対峙した場所に戻るのはどうか。それがいい。少年は、再び飛ぶ。
 ナイと別れた森に着いた。そこは既に、焼け野原となっていた。
「そうか、僕がやったんだ」
 見る気にも、なれなかった。ここからあの町へは、確か近かったはずだ。飛ばずとも良い。歩いて行こう。
 キャムサイドに着いた。深夜だった。ここに居る時が、一番幸せだった気がする。
 公園に座り、放心していた。イギリスの治安なら誰かが寄ってきてもよさそうなものだったが、不思議に何も起こらなかった。本が読みたいと、不意に思った。けれど、止めておいた。
 次は何処だったかと考える。天狗だ、と思いついた。天狗様が居た、山に行こう。
 朝を待ってから、風魔法で飛んだ。そこには、騎士が居た。目につかない場所を探して騎士服に着替え、何をしているのかと問うた。
「死体を、片づけているんだ。ここは割と町が近い。処理しておかなければ、伝染病など大変な事になるかも知れない」
 だから、早く手伝え。そのように言われ、相槌を打ってから素知らぬ顔で逃げた。大変そうだとは思ったが、手伝う気にもなれなかった。
 最初の野営地に足を運んだ。夕方の終わりだった。見るべき場所もなかった。何故こんなつまらない場所に来てしまったのだろうと自分に呆れた。しかし、実際のところ呆れてなどいなかった。呆れている振りをしているだけだ。人間の演技をしているだけだ。
 演技とは、人に見せる物である。だが、此処には誰もいない。誰もいない場所で行う演技程価値のない物はない。誰かに見せなければ。そんな衝動が起こって、耐えられなくなった。総一郎は、あるいは、すでに狂っているのかもしれない。気付いていた。だから何だと思った。
 人に見せる。とすれば、アテは一つだった。三年間、自分を養ってくれた家族。彼らに見せよう。そして、受け入れてもらおう。だが、しばらくもしない内に、この異形は全身に至るだろう。そうなればどうなる?
「良いじゃないか。別に、どうだって」
 ねぇ、と言った。誰かに、相槌を求めた。返って来たような気が、しないでもなかった。「そうだよね」と頷いてから、総一郎は歩き出す。
「えっと、どっちだったっけ。スコットランドなのは分かってるんだよ。だから、えーっと……」
 総一郎は魔法で簡単な方位磁針を作った。構造自体は、簡単なのだ。磁石の製造が、少し魔力を食うだけで。
「あっちか」
 分かった途端、総一郎は方位磁針を投げ捨てた。そして、飛ぶ。鳥の様に。ところで鳥は三歩進むと何もかも忘れるというけれど、それは本当なのだろうか?
 何処までも、飛び続けた。途中途中に、壊滅している村があった。様子を見に下りてみると、どうやら炎では無く雷による発火らしいと分かった。家々が、裂けているのである。炎なら、微妙に違う。
「あんなに弱かったのに、結構アグレッシブなドラゴンだったんだ」
 弱い犬ほどよく吠えるというのを、聞いたことがあった。よく、お似合いだ。鼻歌交じりにその村を散策した。途中遺族の方が居て、不謹慎だと詰め寄られた。精神魔法で記憶を消し飛ばす。忘我している間に手を振り払って、散歩を続けた。
「ああ、つまらないなぁ」
 総一郎は、呟いた。その時、焼け残った家のガラスに映っている自分の顔に気付いて、驚いた。人形かとすら、疑った。……そうか、自分は何も意識していないと、ここまで表情が失せるのか。
 その目の前で、演技をした。理想の物と、遜色は無かった。ならば、いい。演技さえできれば、困る事は無い。
 しかし、困る事とは一体何だろう?
 久しぶりに、その日はホテルに泊まる事にした。演技をしながら、にこやかに部屋を取る。部屋に閉じこもり、ずっと寝ていた。踏みつぶされる夢は、何度も繰り返された。
 睡眠に不足が出るという事は、無かった。
 伸びをする。気持ちの良い朝だった。総一郎は鼻歌交じりに歩く。備え付けの鏡には鼻歌を奏でる人形が映っている。チェックアウトをしてから、少し尋ねた。
「すいません。モントローズへは、どのように行けばよいのでしょう」
「え? ここが、モントローズですよ?」
「え?」
 モントローズ地方は、都市部に位置している。ドラゴンの出現率も低く、村など一つしかない。
 ならば。
 総一郎は、ホテルを出てから駆け出した。物陰から飛び、昨日の壊滅した村に着陸した。見回して、指をさした。
「……ああ、あそこ、サッカーをした広場じゃないか……」
 よろよろと、歩き始めた。人は、居ない。それはもう、驚くほど居なかった。
 少年の頭の中で、思い出が回った。サッカーの記憶は、色濃かった。そうだ、上手いぞブレア。君はボールを奪う事に掛けてはプロ級だ。僕が運ぶ。いいぞ、ガヴァン。絶好の場所だ。パスするぞ。シュートだ。ああ、土まみれのダグラスに防がれた。畜生。
「……家まで土まみれでどうするんだよ、ダグラス」
 瓦礫と化した家は、半分ほど埋まっていた。足跡があるという事は、あの雷龍はここで地を踏んだらしい。総一郎は、ぽつりと言葉を漏らしてから素通りした。
 フォーブス家に着いた。案の定、そこも焼け焦げていた。裏手を覗く。小さな森も、失せている。
 結末は、分かっていたつもりだった。だが、踏み込まずにはいられなかった。妖精たちを、呼んだ。呼びながら、歩き続けた。
 妖精まで、ドラゴンに殺されたという事なのか。あの、逃げるべきタイミングだけは何よりも優れている彼らが。
「……そうか、ブレアも死んだんだ」
 ブレアだけじゃない。フォーブス家の、全員が死んだ。優しかったおじさん夫婦、生意気だったジャスミン、可愛らしいティア、そして兄弟のようだったブレア。
 道に出た。よろよろと歩いて、倒れた。力が、出なかった。息を吐く。吸い込むのは、面倒くさかった。
 目を瞑ると、すぐに睡魔が総一郎を殺した。少年は、夢を見た。踏みつぶされる夢だった。踏み潰してくれと願った。だが何故か、今日は中々踏み潰してくれない。
 早く、踏み潰してくれよ。さぁ、早く!

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