武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 修羅の腕(2)

 目を瞑れば、すぐに眠りにつけた。時間を気にせず眠る。ともすれば、山の中に居た時の事を思い出してしまう。あの時は、逆だった。如何にして素早く寝つき、出来るだけ睡眠を確保するかと言うのは、命にかかわる課題だった。
 数時間、寝た。起きてテントから這い出すと、すでに日が傾き始めていた。
 総一郎は伝えなければならないことを思い出し、簡単に身支度を整える。寝過ぎた、と言う気分だった。一周回って、微睡が近い。肌寒さだけが、現実味に帯びている。
 ほっつき歩いていると、分隊長に遭遇した。今日は、よく出会う。朗らかにあいさつされたから、欠伸混じりに手を上げた。
「おいおい。大丈夫か? 結局寝てないのか、ブシガイト」
「いや、……ふぁぁあ。むしろ寝過ぎたせいで脳が醒めていないという感じです」
「はっはっは。まぁ、今日くらいは自堕落でもいいさ。その代り、明日は地獄だからな」
「その、明日の事で伝えておきたいことがあります。昨日の事でもあるのですが」
「……そういえば、そうだったな」
「ここでするのには、少し向かない話だと思います。出来れば、司令官のお耳にも入れておきたいと思いまして」
「そんなに重要な話なのか」
「少なくとも、ここに居る全員の行動を左右する物になるかと思われます」
 ――分かった。少々話を付けてくる。分隊長はそう言って、司令部のテントへと駆けていく。総一郎も、ゆっくりとそちらへ歩いて行った。
 十分も経たないうちに、テントの入口の脇で待機していた総一郎は、分隊長から中へ入るように促された。中に入ると、暖気に息を吐かされる。小休憩をとっている様子の老齢の男性が一人。他にも三人ほど、総一郎の数倍は年を食っていそうな紳士らが待機していた。
「おお! 昨日は酷く疲れた様子で森から出てきたと聞いていたからね。心配したよ。大丈夫だったかね?」
 鷹揚に、老齢の司令官は手を広げて、総一郎を歓迎してくれた。他の方々も、総一郎を嫌悪する意思は見受けられない。騎士学校のことを思うと、不思議で、滑稽だった。自分の正体を知ったら、などと考えてしまう自分は、きっと意地が悪いのだろう。
 椅子に座りつつ、司令官の言葉に返事をする。
「はい、おかげさまで。お菓子、ありがとうございました。大切にとっておきます」
「いや、食べてもらわないと意味がないだろう……」
 少しだけすっ呆けて、空気を和ませる。今回の場合は、これ以上の雑談は要るまい。
「では、早速本題に入らせていただきます。というのも――昨晩、私がこの地にとどまるドラゴンを討伐したことについてです」
 言い放つと、その場の全員が色めきだった。椅子に座っていた司令官は思わずと言った具合に立ち上がり、言葉を詰まらせながら総一郎に尋ねてくる。
「そ! そ、それは、本当なのかね……?」
「はい。まごうかたなき、事実であるはずです」
 司令官はよろよろと椅子に座り込んで、「く、詳しい話を、聞かせてくれ」と言った。声が、震えている。それだけの衝撃だったのだろう。――無理もない。聖神法によってドラゴンを単騎で討伐するなど、事実不可能に等しいだろう。
 だが総一郎は、破綻の無いストーリーをすでに構築済みだった。
「そもそも、自分が昨晩森に入ったのは、そこへ駆けこんでいく怪しい人物を見たからです。騎士服を着ていましたが、何やら周囲を窺っていて、見覚えのない明らかな不審人物だったので、追跡することにしました」
「何故、追ったのかね。不審とはいっても、亜人に与する人間などおるまい。それ以前に、周囲に応援を頼まなかったのか」
「近くに人を見つけられませんでしたので。……今は、軽率だったと思います。申し訳ありません。それで話を戻しますと、不審人物を追ったのは、どうもブリテン人のようには思えなかったためです。これは直観ですが、それが当たっていた場合、魔獣に与する可能性が出てきます。利益を得る人間もいますし、亜人と意思の疎通が可能な国の人間なら不思議はありません」
「それは、本当の事なのか!」
「有り得ない話ではないかと。その人物はドラゴンに殺されてしまったので、定かではないですが」
 ストーリーの出来の甘い部分は、重要度の高い情報を直後に出すことで有耶無耶にする。そのまま、告げてしまいたい話へと持っていく。
「ともかくその人物を追っていると、ドラゴンに遭遇しました。彼はドラゴンに踏みつぶされ絶命し、思わず剣を構えてしまった自分を、次の標的にドラゴンは定めました。直接やり合っても勝ち目がないと判断した自分は、森の木々の毒を使う事にしました。息を止めながら周囲の木を切りつけて、その場から逃げ出すという単純な手でしたが、ドラゴンが毒にもだえ苦しむ様を確認しています。その後その場を離れる途中に大きな衝撃音が聞こえたので、それがドラゴンの絶命した証拠なのでは、と考えています」
「あの木の毒は、ドラゴンにも有効だったのか……」
「確かに、試したものはいなかったな? そうか……。しかし、それでも確認しなければならないだろう。おい、誰か行かせて来い。――それにしても……ふふ。もしそれが真実だったなら、ブシガイトには勲章を五個か六個ほど授けねばならないな!」
 司令官は言って、低い声音で大きく笑った。その場にいた総一郎の次に若い騎士が「どちらにせよよく生き返った! えらいぞ!」と背中を叩いてくる。今まで経てきた騎士団の中でも、一等和やかな空気を持つ組織だった。「ありがとうございます」と、総一郎も苦笑する。
「しかし、疑わないんですね、皆さん」
「何時間か前に、分隊長からお前の剣の腕を教えられたからなぁ。直接目の当たりにしたわけじゃないが、それを聞いた上のこの話だ。お前が嘘を吐くような少年でない事は知っているからな。何となく、信じられてしまったんだよ」
「なるほど」
 意識して、朗らかに笑う。恐らく、明日の昼過ぎにはこの野営地を離れることが決まりそうだった。これでやるべきこともすんだ、と総一郎は目の前の机に手を置いて、立ち上がる。すると、ふと、思うのだ。ナイは居なくなったが、この、家族同士のような温かな関係が得られたではないか、と。
 その時、総一郎の右手中指が伸びた。手袋を突き破って、司令官の左胸に突き刺さり、そのまま貫通する。
「……えっ……」
 誰の、声だっただろう。それは、あまりに陳腐な光景だった。驚きがあまりに大きくて、それ以降、言葉を放つ者は居なかった。しゅるり、と中指は司令官の胸から戻り、元のサイズに落ち着く。老齢の紳士は血を吐いて、横に倒れた。
 静寂。目を、何度も開閉させる。不純物の一切ない、驚き。それは、人間に行動を許さない。
「えっ……、えっ?」
 騎士の一人が、ゆっくりと後ずさった。そして、総一郎を見る。そこには、恐怖や憎しみ、悲しみと言った表情が覗えない。彼もまた、混乱のために効果的な行動が取れない。
 今度は、人差し指が伸びた。またも手袋を突き破って、彼の首を貫く。ぐねり、と蠢いた。その男性の首から、骨の折れたような気味の悪い音がした。
 またも、元に大きさに戻る。そこに至ってやっと、意識を取り戻す人物が出てくる。分隊長が、総一郎に向かって、震えながら問いかけた。
「……それ、何だ? 今、何が起こってるんだ?」
「……わ、分かりません」
「しかし、二人が死んだぞ。……いや、死んだのか? これは」
「恐らく、死んでいる。……死んでいる、よな?」
 騎士二人、屈みこんで検死する。瞳孔、呼吸、心臓。司令官の物はすでに途絶え、次にやられた騎士は、総一郎の開けた首の穴から、呼吸にならない音が聞こえる。
 ゆっくりと、生き残った二人の視線がこちらへ向いた。そこには、微かに恐れの色が浮き出始めていた。総一郎は、その色に恐怖を抱く。
「……手袋、外してくれないか」
「えっ、あっ……」
 とっさに、右手を庇う。分隊長が、眉根を寄せた。怒り。「抵抗するな」と低い声が総一郎に突き付けられる。だが、冷静になれば、これはきっと寛大な処置だったはずなのだ。
 だが総一郎は、この地に赴いて初めて向けられた、敵意染みた感情に怯えた。「違う、違うんです。分からないんです。こんなの、僕の意志ではありません!」と首を振って後退する。
「ごたごた言うな! おい、押さえつけてくれ!」
 一人が総一郎の背後にまわり、羽交い絞めにした。総一郎はほとんど恐慌状態に陥っていて、「違う! 違うんです!」と叫びながら暴れる。しかし、尋常の状態で総一郎が大人の腕力に勝てる道理はない。拘束は解けない。
 再び、右手が伸びた。手袋を完全に食い破って、背後の人物の首を刎ね飛ばし、分隊長の肘から先を切り落とす。
「うぁ、が、」
 次いで、絶叫が上がる。テントの外の空気に、動揺が走った。総一郎は慌てて分隊長の口をふさぐ。彼は涙目になって、総一郎に恐怖の感情を向けて殴りかかってくる。
 避ける。その所為で距離が開く。再び叫び声。「止めてくれッ!」と叫んだ。呼応するように、右手が姿を変える。
 テントの入り口が開いたのか、背後から夕暮れの赤い光が差し込んだ。同時に、総一郎の右手が分隊長の心臓を貫いた。真後ろから、息を呑む音がする。ゆっくりと、少年は振り向く。
 顔見知りばかりだった。彼らは一様に瞠目し、悲嘆と恐怖に震えているようだった。「違うんです。右手が、勝手に……」と弁解しながら彼らに近づく。一歩、遠ざかられた。それが、少年を酷く傷つける。
 手の変容。ドリルのようにねじられながら伸びていき、その内の一人の脇腹を貫いた。それを見た彼らは、一人を残して脱兎のごとく逃げ出していく。
「駄目だ、行かないでください! 違うんです!」
 残った一人は、冷や汗を垂らしながらも倒れ伏すことさえできずにいる。総一郎の異形の手が、彼を縫い付けて放さなかった。「ブシガイト……、お前は、俺たちを騙して……」と彼は涙を流す。腕が、更に変わる。縫い付けられた彼が、苦しみだす。
 そして、弾けた。
 返り血が、総一郎を塗りつぶす。
「あ……、あ……ッ」
 右手を見る。異形の部位が、少しだけ広がっていた。まるで、殺した人間の数だけ増えていくのだとでも言うように。
「何で……? 何なんだ、これはっ!?」
 テントの群れから、何人もの騎士たちが甲冑を着込んで駆けつけてきた。対ドラゴン用の装備。止めてくれ、と思う。自分は、ドラゴンではないのだ。
「手を挙げて投降しろ、ブシガイト!」
 敵意を含む声が、こちらに飛んでくる。その一方で、一定距離は近づいてこなかった。銃を持ち出している人間もいない。この野営地には、軍は配備されていなかった。
「違うんです! 誤解なんです! 自分の右手が、勝手に殺すんです!」
 ナイの事を思い出す。だが、そのことを長々と説明する余裕があるようには思えなかった。右手に目をやると、微かに、力を貯めるような変化を起こしていることに気が付く。そこで初めて、総一郎は激昂した。
「止めろッ!」
 怒号と共に異形の手に左手を当てて、風魔法を直接ぶつけた。呆気なく、それは爆散し、その部位が転がっていく。右手の喪失。二度目だ。しかし、今回はもう、戻ることはない。
 力が抜けて、崩れ落ちた。涙と共に、安堵の空笑いが零れ落ちる。
「……ブシガイト……」
 顔を上げる。年配の騎士の一人が、心配そうに歩み寄ってくる。総一郎は、嗚咽に顔を歪めた。腕を吹き飛ばしただけで、自分の心情を理解してくれる人が、ここには居るのだ。自分は、そんな得難い人物を、得ることが叶ったのだ。
 ――ナイと、引き換えに。
「……え」
 違和感を覚え、視線を下におとす。腕が、異形が、再生を果たしている。
「え」
 数メートル先で、血袋の破裂することが聞こえた。見る。吹き飛ばした腕が形を変え、近寄ってきてくれていた騎士を幾重にも別れて貫いている。
「え……」
 そして、引き裂かれる。その騎士も、作り上げられていたはずの信頼関係も。
「ブシガイトォォォォォォオオオオオオオオオオッ!」
 慟哭が上がり、大槍を構えて突進してくる騎士。総一郎は恐怖を覚えた。立ち合がり、逃げようとする。だが、足がもつれて倒れこんだ。槍が、目前にある。抵抗せねば、殺される。
 この時初めて、総一郎は自らの意思をもって、人間に魔法を使う。


 どんな魔法を使ったのか、自分でも定かではない。だが、火魔法を多く使ったことだけは明白だった。でなければ、野営地が火の海になっているはずがない。
「……」
 生者は、恐らくいない。総一郎も含めて、ただの一人も。残っているのは、生きているとも死んでいるとも言い切れない、修羅の子供だけだった。
「……ああ、そっか」
 右手を見る。いつの間にか、自在に動かせるようになっていた。今は、便宜的に普通の手の形をとっている。けれど、力を籠めれば自由に変えることが出来た。
 気配を感じ取って、歩き出す。テントの、陰。何かが待ち伏せしていると感じた。総一郎は右拳を握り、力を込めた。形が、だんだんと球に変わっていく。そして、投擲と同じ要領で腕を振るった。拳、球の部位のみ千切れて飛んでいく。テントの裏側に至った途端、何者かへ向けてトゲを伸ばした。
「ガッ」
 短いうめき声。足を延ばすと、貫かれて死んだ若い騎士の姿があった。ぎりぎり、子供とは言えない程度の外見。ならばいいか、と総一郎は安堵する。
「……すいません。多分、僕は嘘をついてたんだと思います」
 最後の生者だったはずの若者に詫びる。聞いていないことを承知で、総一郎は続けた。
「右手が勝手にって言ったの、多分嘘です。僕の意思だったと思います。無意識レベルの願望だったから、気づかずに混乱して、あなたたちにも困惑させてしまったことと思います。すいません」
 頭を、下げる。顔を上げる。若者の顔が、恨みがましい物に変わっていた。少し驚く。まだ、僅かに息があったのか。しかし、目を瞑っていて、動く様子もない。絶命したのかもしれなかった。興味はない。
「動機は……何でしょう。八つ当たりですかね。僕は、ナイっていう少女が好きだったんです。彼女を、あなた方の信頼と引き換えに失ったみたいに思えて。でも、多分当たっていると思うんです。僕が人間染みてきたから、ナイは僕から遠ざかって行ったんだと思うから」
 そこで、はっきりと若者の体から力が抜けた。頭が垂れ、ぐったりとしている。死体は見慣れていたはずだが、生きていたのが見破れなかった。見る目がないな、と自己評価を下す。
「化け物が、人間の真似事なんてするものではないですね。だから、両方失ってしまうんだ。――ああ、馬鹿馬鹿しい」
 唾を吐き捨てる。別に、若者の死体にそうしたわけではない。ただ胸糞が悪かったのだ。右手を見てから、左手を見る。その上に、空間魔法を発動させた。見比べる。そして、鼻で笑った。
「……似てるなぁ」
 とするならば、これはそういう事だ。ナイに植え付けられたものではない。恐らく、父の遺伝。しかし一方で、ナイはこのような結末を知っていたからあんな行動を起こしたのかもしれないとも邪推できる。その場合、以前総一郎が彼女にほだされた一件は、完全な自作自演ということになるのだ。
「……あー、訳が分からないな。いいや、ナイなんて嫌いだ。あんな面倒な女の事なんて忘れよう」
 不可思議な気分だ。脱皮して、新しい自分に変わって様な気がする。精神面に、異常がきたされていた。立ち上がる。生き残りが居ないか捜し歩いて、全員殺したことを確認してから自分のテントに戻る。
「餞別だから、有難く受取ろう」
 菓子の束。一つとり出して、口にする。無味。不味いと思いながら、食べ終えた。その他木刀を筆頭とした道具を入れた袋を腰にひっさげて、テントを出る。伸びをした。ごうごうと炎が燃え盛っている。
 太陽はすでに死んでいた。夜。しかし明るいのは、地獄を思わせる劫火のためだ。総一郎は異形の右手の上に、小さな火の鳥を生み出した。火、精神魔法によって形作られたその仮想生物は、火の海へと飛んでいき、姿が見えなくなった。
「まるで、不死鳥だな」
 死んで、生き返る。転生。すると、総一郎にとってもなじみ深い生物だと言える。火の鳥は、周囲の火を吸収し尽くし、かつてドラゴンを討った時ほどの巨躯で戻ってきた。しかし、決してあの時の個体ではない。同じ姿をしていても、火の中から蘇っても、別のものだ。
 その時、血が右手の上に落ちた。頬から、垂れている。最後に受けた返り血は、とっくに乾いたと思ったのだが。拭う。するとすぐに、新しい血が垂れてきた。
「……アレ」
 辿る。血は、己の瞳から流れ出ている。
「……何が、悲しいんだよ。自業自得だろうが」
 表情が、怒りに染まる。それを、異形の部位に向かってぶつけた。木刀で、いとも簡単にこの手は落ちる。それを、地面に着く前に細切れにして、踏みつぶすのだ。
「……」
 言葉は発しない。ただ、体全体が震えていた。止まらない。止めようと思っても、止められないのだ。
 その時、上空で飛行機のような音がした。空を仰ぐ。そこには、あまりに巨大な黒いドラゴンが飛んでいる。
「……そうだ。こんなことしてる場合じゃない」
 右手をはやす。拳を固めて球にし、もぎ取ってから火の鳥に与えた。ドラゴン近くまで舞い上がり、投げ出す。異形は炸裂したらしく、ドラゴンは荒ぶり、口から出る炎を周囲にまき散らしている。驚いたことに、火の鳥はさらに肥大化するのでなく、ドラゴンの炎に紛れて消え失せてしまった。
 総一郎は眉を顰めて風魔法で飛び上がり、そのままドラゴンの上に至ってから自由落下した。再生した右手を五つの触手のようにして、硬化させる。それを、鱗の上から打ち下ろした。攻撃が通らない。つまりは、無駄に居場所を知らせてしまったという事だ。
 炎が、総一郎を覆い尽くす。魔法で守りを入れたが、無傷には収まらない。風魔法で逃げ出す。耳の一部が、炭化している。それに触れながら、笑みを湛えて言った。
「……君、強いね。この国に来てから、初めてだ。僕と互角以上の実力を持つ相手と戦うのは」
 木刀を掲げる。魔法を、いくつか備える。真正面から、対峙した。お仲間と同じように殺してやると、宣言する。
「殺してやる。殺してやるからな。何で――」
 そこで、ほつれ始めた。全身が、姿のない何者かに揺さぶられている。激情が、総一郎の顔を歪めた。それはいっそ、泣き顔染みていた。瞳から落ちる血が、止まらないのだ。
「何で、こんな事に。殺してやる。何で。お前の所為で、お前らの所為で。ナイは、違う、彼らは、何で。僕は、違う、違うッ! 悪いのは、僕で、ナイで、お前で、死ね。殺してやる。何人死んだと思ってる。何でッ。クソッ、絶対に殺してやる! 僕も、お前も、死ねよぉッ!」
 何一つ、言葉はまとまらない。木刀を構える腕は、大きく震え、止まることはない。総一郎は、出兵させられてからの記憶の奔流に流されていた。血の海、屍の山。築いたのは、ドラゴンで、ナイで、自分だ。
 右手が、制御下から外れる。身勝手に荒れ狂い、針のように硬化する。
 人間は殺されかけ、修羅がその上で胡坐をかいている。人間味を追い求めることのできない彼らは、ただ自分の優位に笑っていた。
 死に瀕し、優しき人は、涙を流して罪を謝す。

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