武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 修羅の腕(1)

 森を出る頃には、大分冷静になっていた。ただ、動揺は隠しきれない。怪我などの後処理は全て済ませていた。あのドラゴンの死骸はそのまま放置し、森からのそのそと出てくると、何やら嫌な風に騒がしくなっていることを知る。
 ひとまず、様子を見るべくテントの方へ向かっていった。するとライトの一つが総一郎を照らした。次いで、声がかかる。
「ブシガイト! 一体森の中で何をしていたんだ! みんな心配していたんだぞ!」
 咎める声にも穏やかに「すいません、勝手な事をしてしまって……」と返した。我ながら、弱い声だと思った。ナイの言葉、空間魔法で知ったその姿。それらが、脳に焼き付いて離れない。
 すると一変して、彼は酷く心配そうに総一郎の顔を覗き込みながら、この様に問うてくる。
「な、なぁ、一体、何があったんだ? お前が脈絡もなく森に行くような奴だと考える奴は居ない。何か、考えがあったんだろう?」
「……ごめんなさい。今は、少し疲れてしまって。休ませていただけないでしょうか」
「……そう、だな。その通りだ。ちょうど、明日は休暇だしな。お前も、英気を養ってくれ。――だが、出来れば明後日の突撃までには、今回の行動の理由を教えてくれないか。気になることが、あったんだろう?」
「……はい。それまでには、きっと……」
 親身になってくれる四十半ばほどの騎士に何度か頷き返して、総一郎は自分のテントに戻っていった。そこにあるのは、ナイの居ない空間だ。あまりに寂しい、孤独である。
「……う、……」
 思い出して、涙が浮かんだ。表情が歪む。強引に拭って、ことなきを得た。だが虚無感が付きまとっている。
「確かに、ナイの言う通りだ。ナイが居ないだけで、こんなにも苦しくなるなんて思わなかった……!」
 クソ、と毒づく。今までは、こんな言葉を口にはしなかった。どこか、ネルを思い出す。大貴族の生まれながらアウトローにあこがれる、少年の事だ。
「……ハハ。今更になって、うつったのかな」
 乾いた笑いを浮かべてから、沈鬱な表情になる。駄目だ。と思った。あの、ナイの態度が嘘であれ本当であれ、このままでは駄目だ。
「……とにかく、もうここに居る意味は無い。残るドラゴンは、あと二匹だ。……手早く、ぶち殺さないと」
 手が、震えた。殺意が、そこを中心に満ちて行った。そこでハッとする。今の感情は、一体何だ?
「……右手」
 違和感。自分の意思を離れて、勝手に動いているような感覚があった。目の前に持ってくる。そして、気づいた。
「何だ、これ……」
 総一郎の右手は、歪んでいた。手首から先。肌――なのだろうか。人間の物でもない、かといって他の動物とも思えない、異常な変容。ミイラの様だとも、獣の様だとも評せる手首。探してみるが、爪らしきものが見つからない。
 左手で触れる。感覚は、あった。強く、つねる。痛みはない。総一郎は眉を寄せた。触覚が通っていて痛覚がないなど、有り得るのか。
「……ナイ、なのか?」
 そう、考えたくなかった。しかし、それ以外に考えられない。
「おーい。大丈夫か、ブシガイト」
「ッ! は、はいっ!」
 急いで剣を持つ時用に支給される手袋を嵌めて、総一郎はテントの入り口に声を返した。その慌てように「どうした?」と声をかけてくるが、「い、いえ。何でもないです」と誤魔化す。
「そうか。それならいいんだが……、っと。そうそう。元気がないようだったから、ほれ、差し入れだ」
 言いながら、小さな袋を突き出してくる。受け取って中を覗き見ると、お菓子類が詰め込まれていた。「これ……」と顔を上げると、「いやぁ」と照れた風に頭を掻く。
「みんなで何かしてやりたい、って話になったんたが、家族と離れて生活する者も多くてな。どうしてものかと考えあぐねた結果が、それだ。もっと気の利いたものを渡してやれれば良かったんだけどな。子供心に疎いおじさんたちを許してくれ」
「……ううん。ありがとう、ございます。……あはは、一人じゃ食べきれないな、これ」
 丁重に礼を言ってから目の前でチョコバーを取り出してかじり出すと、ようやく安心した様子で「おやすみ」と彼は去って行った。総一郎はそれを、黙々とかじりながらいつしか無表情で見つめていた。
「……味が、しないんだけど、これ」
 齧りかけのまま、パッケージの表記を見た。何処をどう見ても、普通のチョコバーだ。けれど、これがチョコだとは思えない。別の何かのようにすら感じられ、食欲も失せてそのままゴミ箱に捨ててしまった。テント内用の、簡易的なそれだ。
 きっと、おかしいのは彼らではない。総一郎は、寝袋に横になりながら悟っていた。瞼を半開きにしながら、眠るでもなくじっとしている。
 ――有難い、と言う気持ちは、本当にあったのだ。騎士とは思えないほど、総一郎によくしてくれている。だが、遠い。薄っぺらな存在が、ルーチンワークにのっとって動いた結果のようだと考えてしまう。
 現実感が、ない。言葉にするなら、それに尽きた。
「……もう、いいや、別にさ……」
 目を、瞑る。このまま、流れに任せようという気分だった。無理して、ドラゴンを探し回る必要もない。この森のドラゴンの死骸が見つかれば、真偽の追及などはあるだろうが、結局は残る二匹のために援軍として差し向けられる。
 今は、寝よう。そう思っていれば、睡魔はすぐにやってきた。


 ナイの夢を見た。化け物に踏みつぶされる夢でもあった。しかし化け物の事などどうでもよかった。醒めなくていいと願った。朝なんて来なくていい。
 だが、朝は来た。総一郎は憂鬱な心持で、木刀を手にしながら立ち上がる。
 テントに出て、雪の上を歩く。踏み固められ、汚れた雪だった。近くの大テントを少し捲って覗いてみる。大人たちが、苦しそうに唸りながら数人単位で折り重なっていた。周囲には、酒瓶がいくつも転がっている。
 その内の一つを、眺めてみた。ドンペリニョンと、記されている。
「……随分高価なものを……」
 微笑して、総一郎は人気のない場所に来た。空を見上げる。よく、晴れた日だった。笑う。どんなに抗おうと、朝は来る。来てしまうのだ。
「寝て起きれば、多少は吹っ切れる物なんだね」
 素振りを、始める。淡々と、続けた。風を断ち、木刀は音を響かせる。何度も繰り返し、寒くなくなるまで終わらせなかった。少し物足りなさを感じて、仮想敵を作り出す。オーガ。朝の軽い運動としては、今となってはちょうどいい相手だ。
 呼吸を深くして、構える。敵は、容易には襲いかかってこなかった。慎重なオーガ。そんなものに出会ったことはない。一度襲いかかるのを躊躇った個体が居たが、それは総一郎が怯えさせすぎただけの事だ。
 慎重さ、大胆さ。その二つを兼ね備えたオーガが居たら、と少し考える。最初は蛮勇をひけらかし、押されると途端に及び腰になるオーガしか、総一郎は戦ったことがない。そう考えると、あの魔獣は精神魔法ですぐに人間の支配下におけるのかもしれない。聖神法で言うなら、『聖獣』にしやすい種族である、ともいえるのか。
 想像上のオーガは、総一郎の考えに応じて、少しずつ微動するようになった。その動きは、何処か父を彷彿とさせる。総一郎は構えながら、汗の噴く感覚を覚え始めた。そして、膠着。どちらも、全く動かなくなる。
 息が、上がってきた。父が、オーガに乗り移ったかのような敵だった。巨大な棍棒を、上段に構えている。総一郎はその時、息を深く吸い過ぎた。
 膠着が崩れ、オーガはすさまじい勢いで総一郎に肉薄する。
 恐怖。正面から断ち割り、踏み込んだ。身をかがめ、懐に入る。オーガが跳んだ。棍棒が、上空から襲いかかってくる。
「――舐めるな」
 総一郎もまた、追従するように跳び上がった。棍棒が総一郎に届くよりも先に、その腕を斬り飛ばす。そして、足、胴体。着地してすぐに反転し、崩れ落ちたその体から首を刎ねた。オーガの首はくるくると宙を舞って、雪の上に落ちる。その先に一人、騎士が立っていた。
 知り合いだ。総一郎を抱える班の、分隊長だったか。一番親身になってくれる人の一人だ。思えば、昨日菓子類を届けてくれた人物である。
「……凄いな。鬼気迫るシャドーだった」
 彼は少々引きつった笑いを浮かべながら、しかし大きく拍手を送ってくれた。総一郎は突然の事に戸惑って、「恐縮です」と頭を下げる。
「いやいや、そんな。……少し、ブシガイトに対する認識が変わったよ。今までは、何かの間違いで駆り出されてしまった、私たちが守らなければならない可哀想な少年だと思っていた」
「今は、どうなんです?」
「下手すると即戦力もあり得る遣い手だ。何せさっきのシャドーでは、哀れ無残に四つ切にされる亜人の姿が見えたくらいだからな」
 肩を竦めて言う分隊長に、総一郎は乾いた笑いで答えた。
「じゃあ、汗、少し流してきます」
 騎士団の野営地には、バスのような車がある。その中で、シャワーを浴びることが出来た。しかも、お好みで湯船もどうぞ、ときたものだ。それにしては外から見ると手狭な設備だったが、そこはイギリス貴族お得意の圧縮空間技術を応用して作られている。中には広々とした空間が広がっている、という訳だった。
 しかし、「少し待て」と呼び止められる。振り向けば、何処か神妙そうな表情があった。何ゆえ、と立ちどまり、返事をする。
「どうかしました? 昨日のお菓子なら返しませんよ?」
 捨てはしたが、思い返せば重要な栄養源である。これから有用になる場面も多いだろう。
「え? いや、そうじゃない。……その、なんだ」
 言いにくそうに、彼は続ける。
「……辛いことがあっても、自棄になるなよ? 相談だったら、俺たちがのるから」
「……何ですか、それ」
 意味の分からない言葉に、総一郎の語調が険に帯びる。
「いや、その……な」
「……何故、自分が自棄を起こすと思ったのです? そんなに、むしゃくしゃして言う風に見えましたか? それとも、簡単に自棄を起こすような愚か者に? 僕は大丈夫です。意味の分からないことを言わないで下さい」
「済まない、違うんだ。そういう事じゃない」
「……では、何だと」
 苛立ちが募る。その一方で、驚いてもいた。自分はこんなに神経質な性質だっただろうかと疑う。
 分隊長は、頭を掻いて、この様に総一郎へ告げた。
「さっきのシャドー。見事ではあったんだが――何処か、獣や、亜人を見ているような気分にさせられた。それこそ、あの森のドラゴンが思い出されるくらいにな。言葉にはしにくいんだが、危ういと思った。それだけなんだ。気を悪くしないでほしい」
「……。すいません。僕も少し、カリカリしていたみたいで」
 ――シャワーを浴びたら、また寝ることにします。その後で、昨日の事を話させていただいてもよろしいですか? 総一郎は言うと、分隊長は安堵を滲ませて頷いた。少年は宣言した通り、シャワー車に向かって、汚れを落とした後すぐにテントへ戻り、寝袋にくるまる。

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