武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 1/0≒∞ クルーシュチャ方程式の真偽 (4)

 ナイと、手を繋いで歩いていた。てくてくと進んでいく。会話はないが、別に気にすることもなかった。総一郎は無言も好きなのである。
 ただ、ナイの方はと言うと、奇妙な面持ちだった。顔面を息が詰まったように赤く染め、ちらちらとこちらに視線をよこしては明後日の方向へやってしまう。随分とナイらしくない行動だ。彼女を見つめると、何故か怯えられてしまった。
「どうしたの? 何かナイ、おかしくないか?」
「……君がそれを言うの?」
 一体どういう意味だ、それは。
 視線を向けられ、真っ直ぐに見つめ返すと、彼女はしかし顔を赤らめて下を向いてしまう。それでも、ちらちらとナイが見ている物が在った。目線を辿ってみる。
 その先には、総一郎が指を搦めて繋いだ、二人の両手があった。
 そういえばこれが初めてだっけ。と思わなくもなかった。腕を抱かれるというのは抵抗が難しいが、手を繋がれるのは比較的簡単なのである。今までは、抵抗した。今回は真逆だ。
 ナイが初心なのは素か演技か。どちらでも良かった。総一郎は、ミステリアスなのは魅力なのだと解釈している。


 天狗と別れてから、さて、次は何処へ行こうという話になった。ナイはしばし俯いていたが、再三声を掛けると我に返っていつもの通りになった。
 騎士達から事情を聞こうにも、生きている騎士は少なかった。息が在っても総一郎の精神魔法では探り出せない程に、精神が荒れた者がほぼ全員を占めていた。精神魔法とは加護がよほどあるならともかく、対象が欲しい情報を思い浮かべていない限り読み取るのが難しい、不便な魔法なのである。その代りほぼ唯一無二の効果を持つのだから、性質が悪い。
 そのため頭を悩ませていた折、ナイが言ったのだ。
「……あの、一応ドラゴンの場所は全部知ってるけど」
 我ながら、何故彼女に尋ねなかったのだろう。と呆れたが、よくよく考えれば習慣なのだとも思った。ナイを警戒していた頃のそれである。
 今は、総一郎は彼女の事を信頼している。そもそも、自分を正攻法で命まで脅かすことの出来る存在は、この国では中々少ない。多少騙されたとしても、それは愛嬌と言う物だと割り切った。
 それに、彼女の知らない手段は、総一郎だって持っている。
 空間魔法だ。
 これは、ナイが寝ている間に調べたのだが、調査の結果『魔法ではない』という事が分かった。魔法は前提として、まず手の先から発生する物である。それに自ら定めた運動エネルギーをつぎ込み、飛ばす超技術を総じて魔法と呼称するのだ。
 けれど、空間魔法と呼んでいた『これ』は、それに当て嵌まらない。当て嵌まるものだと思い込んでやっていたが、『これ』は手の先からでなくとも出現させることが出来た。その上、呪文は一つしかないのに、イメージ通り自由に動くことが判明した。
 今までは、ナイの加護だと思い込んでいた。しかし、父は一言もそうは言わなかったのだ。それにその分だと、父もまた、ナイのような無貌の神やそれに類する邪神の加護を受けていることになる。あの嫌悪ぶりからして、その可能性は少ないと思うのだ。あの地下室には極力行かせたがらなかったし、自身で入る時にも嫌な顔をしていたのを覚えている。
 可能性として考えたのは、父の遺伝によるものだという仮説だった。
 思い至った理由は、純粋に消去法である。加護ではない。母からの遺伝もあり得ない。だが遺伝だとしても、人間の親から移らない訳ではないというのを、総一郎は知っている。
 闇魔法を総一郎が発動した時、それは半ば暴走を起こした。しかし、空間魔法に置いては安定していた。それは、闇魔法が天使の血が半分流れる総一郎にとって異物だからで、空間魔法はそうでないからではないのか。
 しかし、その事のみでは闇魔法の次に発動させた理由が分からない。結局、諦めた。それより先は、妄想以上の物にはならないだろうと思ったのだ。新しい知識が総一郎の身に付けば、その限りではないのだが。
「この先?」
「うん。一応キャムサイドとかいう町があったはずだから、ちょっと休んでいこうよ」
 総一郎は言い様の無い違和感を抱いたが、疲れもあり、見過ごしてしまった。
 ナイの話では、そのドラゴンは発見が難しいため討伐に難航している類の個体であると聞いた。この近くにはセヴァン谷という峡谷が在り、そこの奥深くに住んでいるという事だった。
「騎士団ってどうなってるの?」
「んーとね、この近くに居るドラゴンには子供が居るんだけど、それが親とそっくりでね? 騎士団は子供を討伐対象だと勘違いして、今は見当違いの場所を探してるよ」
 予知で見た。とナイはつまらなそうに言った。
 昼。街に着く寸前で、総一郎は光魔法で自らの身長を高く見えるよう細工した。ついでに日本人特有の、目と目の間が広いのも直しておく。その所為で、一昨年までは童顔と呼ばれることも多かったのだ。身分証明書などを求められれば困るのは自分なので、やれるだけはやっておく。
 宿では、無事に部屋を取ることが出来た。これからは金の調達が難しいので、節約の為安い宿だ。天狗の言うツテを、聞きだしておけばよかったと嘆息する。やろうと思えば家くらいなら作れる総一郎だが、それなら金属を生み出した方が、魔力燃費がいいのである。
 安っぽいスプリングのベッドに寝転んで、息を吐き出した。ここまでは飛んだり歩いたりの繰り返しで、しかも野宿続きだったため疲れがたまっていたのだ。
「ちょっと寝る……」
 言い残して、早くも総一郎は泥の様に眠りこけた。夢は、見なかった。起きた時、ナイが総一郎の頭をゆっくりと撫でていた。橙色の輝き。夕方だ、と思った。
「……おはよう。ナイ」
「この場合おはようなのかな? まぁ、いいや。おはよ、総一郎君」
 微笑まれ、微笑み返した。すると彼女はきょとんとしてから、再び頬を赤らめてしまう。総一郎は、それに眉根を寄せて奇妙な顔をした。ナイが、おずおずと言う。
「……何か、総一郎君。天狗ちゃんの一件から、よく笑うようになったね」
「え? その前も結構笑ってたと思うけど」
「でも、それは演技じゃない? 顔から力を抜いたら、すぐに無表情に戻る類の」
「今は違うって?」
「……うん」
 何だ、と総一郎は思った。随分と前から、見抜かれていたらしい。所詮は、子供の演技か。いや、ナイの目を騙せるほどの演技と言う物が存在するのかは甚だ疑問だが。
「まぁ、ちょっと前までは君の事警戒して、気を緩める事なんてできなかったからね」
「えっ?」
 総一郎は、言いながらナイの虚を突いて、自分の上に倒れ込ませた。優しくその華奢な肩を抱き寄せる。困惑したような声が断続的に上がるのを聞きながら、少年はくすくすと笑う。
「僕を騙せるものなら、騙してみなよ。全部、正面から破ってやる。そう決めれば、随分と楽なものなんだ。警戒していた自分が、馬鹿なんじゃないかって思う位にはね」
「……あの、総一郎君? 本当に、悪かったから。ボクが何をしたのか分からないけど、謝るから。だから、放して?」
 震えた声のナイに「嫌だ」と総一郎は笑う。
 熱い。そう思った。いつも彼女が引っ付いてくる時よりも、その体温は酷く高い。放せと抗う声にも、張りが無かった。総一郎は、満足するまでナイの事を抱きしめ続ける。途中途中暴れたが、すでに拘束は剥がれされない域に達していた。いくら彼女が少年より上手でも、どうしようもないのだ。
 ナイ、と名を呼ぶ。
「いつか、君の核を担う無貌の神を追放する。そうすれば、君はただの可愛い女の子だ」
 髪を撫でる。彼女が、いつもしてくれるのと同じに。少年は満たされて上体を起こした。若干衣服が乱れた彼女は、顔を真っ赤にし、頑として総一郎の方に視線を向けなかった。
 その日、ナイはついぞ総一郎に向かって話しかけてくれなかった。時折こちらに視線を送っては、恥ずかしげに伏せてしまう。それが素だったら、非常に可愛らしい。それがわざとだったら、随分な食わせ者だと笑わずにはいられない。どちらにせよ、総一郎にとって好ましいのだ。
 夕食をつつましく済ませた二人は、再び寝室に戻った。総一郎は本を読みだし、ナイは何だか訳も分からず悶えている。「どうしたの?」と偶に言葉を掛けるとぴたりと止まり、再開した時は激しくなるのである。総一郎は彼女にばれないよう必死に笑いを堪えていた。
 翌日になると、ナイは昨日に比べ随分としゃっきりしていた。いつもの様に引っ付いて来たので、隙を見て抱きしめた。すると、上手い事意識の間を抜けて、彼女は総一郎にキスをしてくる。
 口を、離した。僅かに、心臓が動悸している。唇を舐めると、甘い、と思った。
「総一郎君。ボクをからかおうったって、無駄だよ?」
「からかうつもりなんてなかったんだけどね。でも、昨日の君は面白かった」
「やっぱり、からかっているじゃないか」
 顔を寄せられ、総一郎は応えた。もう一度唇を交わす。今度も、心臓の動悸は微妙に激しい。慣れる事は、無いのかもしれなかった。
 ひとまず、物資を確保しに街へ出た。ドラゴンと対峙したとして、その時にも街が無事である保証はない。
 一通り買い揃えて、ホテルで荷物を簡単にまとめ、件のドラゴンが居るというセヴァン谷へ向かった。最初は、ただ川だと思ったのだ。太い運河である。しかし、ナイの言う通り飛んでその源をたどると、段々と川の場所が深くなっていき、最後には暗く、底が見えなくなった。
「ここを、下りるんだ。その奥深くに、ドラゴンは居る」
「……分かった」
 ナイを抱き寄せ、風、重力魔法で加減しながら、ゆっくりと下りて行った。途中から、光魔法による光源が必要になった。闇に、ぽぅと丸い光が滲んでいる。
 忍び寄ってくるようだ。と総一郎は表情を硬くした。緩やかに、下りていく。だが、途中で思った。
 ――いつまで、下りるんだ――?
 時間の感覚が、薄れている。自身で、そう感じざるを得なかった。一言、「大丈夫? ナイ」と尋ねると「酔った……」と返された。
 音魔法で反響させると、意外にも地面は、もうすぐそこである事が分かった。少々加速し、寸前で減速する。久しぶりの地面の感触に、何となく嬉しくなる総一郎である。ナイはと言えば、腰が抜けたらしく地に手をついてぶるぶると震えていた。自分で誘っておいてこの様では、アホである。
 仕方が無く助け起こした所、隙をついてキスをされた。一時きょとんとするけれど、結果的には緊張が解れる。ただ物足りなかったので拘束したら、するっと逃げられてしまった。「後で」と言われ、ムズムズする感覚を覚える。どちらかと苛々かもしれない。後で目に物を見せてやらねば。
 光魔法をふんだんに使って、闇に包まれたここ一帯を照らした。すると、ここが小部屋のような場所であるという事が知れる。目の前には、建物の入り口の様に開いた穴。大きさは、総一郎が初めて戦ったドラゴンの半分程度なら、苦労せずにくぐれるだろうと思わせる大きさである。
 試しに進んでみると、おや、と思わせられた。壁の、一枚一枚は厚い。進み過ぎるのも危険なので、音を反響させると意外な真実が発覚した。
「ここ、迷路みたいになってるみたいだ」
「うん、流石総一郎君。頭がいいね」
「君に言われても嬉しくないよね。むしろ馬鹿にされてる気分になる」
「何でさ!」
「冗談だよ。嬉しい、嬉しい」
「嬉しくなさそうだなぁ……」
 適当な会話を交わしながら、総一郎は思考する。何故こんな場所に迷宮があるのか。ここに住むドラゴンは、迷宮を作るだけの知能と、その目的があるというのか。
 壁を壊そうかとも考えたが、軽く叩いてみる限り難しそうだった。探っていくしかあるまい。「行こう」と手を引いた。ナイは嬉しそうに頷く。
 しかし、それにしても不思議な空間だった。音魔法を信じる限り、迷宮は延々と続いている。ドラゴンにこんな習性を持つモノが居るのだろうか。ナイにちらと目線を向けると、楽しくて仕方がないという風に、満面の笑みを浮かべている。
「随分と、ご機嫌だね」
「そりゃあもちろん。総一郎君と一緒に居られるんだもの。嬉しくないはずがないよ」
「それは嬉しいことを言ってくれる。そういえば、前々から思っていたのだけれど、君が僕を好いている理由って一体何さ?」
「……それは、言わぬが華って奴じゃないかな」
「でも気になるんだよね。普通なら、邪神であるところの君が僕を好きになる理由なんてない訳だから」
「んー、そう? まぁ、君が未来の分からない子供の一人でなかったら、そもそもボクは君と出会う事すらなかったとは思うけどね」
「それは、大前提じゃない?」
「でも、重要だよ。行動が完全に分かり切っている相手なんか、はっきり言って何の価値もないに等しいからね」
「……それはつまり、僕が未来の見えない子供だから好きになったって事?」
「ううん。それだけなら他にも居る。事実、何人かは接触してるしね。その中でも、君は一番愛らしかった。頭がいいのにすっとぼけていて突拍子が無くて、それでも芯が一本通ってる。『あ、この子面白い』とすぐに思ったよ。その所為かなぁ?」
「その所為って?」
「……ううん。何でもない」
 ナイは、はぐらかすように笑った。それを見た総一郎の脳裏によぎるのは、数週間前の彼女の自殺未遂についてだ。偶に、思う。あの時、自分はどうやってナイを救ったのだろうと。――今でも、思い出せるのだ。流れ出て止まらない出血。食い破られた内臓は、何とかなった。だが、ナイの血に関しては、もはやどうにもならなかったはずだったのだ。しかし、いま彼女は生きている。
 何か、恐ろしい決断をしたことだけは覚えている。不思議な事に、それはナイと一切関わりのない事だという印象もまた、残っていた。いつかナイが語っていた外宇宙の神話は末恐ろしい物があったが、それとはまた、別方向の恐ろしさなのだ。
「あれ。行き止まりに来ちゃったね」
 ナイの声に我に返り、適当に歩いていたことを知った。道を間違えた、と踵を返すと、だいたい五十メートル先で、何か白く巨大なものが横切った。
 総一郎は、一時呼吸を忘れた。亜人とも違う、まったく異なる異形だった。それは総一郎達に気付くことは無かったらしい。光源を手元ではなく迷宮全体に飛ばしたのが良かったのだろう。それはすぐに過ぎ去り、見えなくなった。
「……今の、何? ドラゴンじゃ、なかったよね」
 固い声で、総一郎は呟いた。全身が、硬直しているような感じがした。遠目でも分かった。アレは、地球にとっての異物だ。見ているだけで、気分が悪くなるほどの。
「……アレに見つかると、危険そうだ。目的はドラゴンなんだし、極力避けていこう」
 手を引くと、しかし、ナイは動きださなかった。奇妙に思って振り向くと、彼女はへたり込んで、声もなく大粒の涙を零している。
「ど、どうしたの? 大丈夫、ナイ」
 小声ながら、総一郎は動揺した。ナイは先ほどの、言い様もない化け物が居た方向に視線を釘づけにしていたが、少年の言葉に弱弱しく動き出す。
「総一郎君。……ごめん。ごめんなさい」
「え? 何が? 何がごめんなさいなんだ?」
「ごめんなさい……。ごめんなさい……!」
 言いながら、ナイは総一郎に縋り付いてくる。それを抱きしめて、彼女が震えていることを理解した。一体どういう事だと、総一郎は頭を悩ませる。ここで立ち留まっていても危険なだけだから、魔法で先ほどの化け物の場所を探りながら、少年は少女を抱えて立ち上がった。
 半ば走る様にして、化け物から遠ざかった。迷宮は何処までも続いていて、不運な事に、目ぼしい物と言えば化け物しかないのだった。その化け物は、しばらくはうろうろしていただけだったが、いつの間にか心なし自分たちに近づき始めている事を知る。
「魔法を、逆探知しているのか?」
 独り言をした。走っていたが、息が切れるほどではない。そもそも、化け物の進む速度は遅かった。迷路の地図は割り出してあるから迷わないし、上手くいけば遭遇することもないだろう。
 上を見上げると、天井があった。無いのは、先ほど通った入り口だけらしい。帰る時は、いざとなればあの化け物も殺して通るしかないという訳だ。何故かそれを考えるだけで、薄ら寒さが背中に下りた。ナイは声もなく、相変わらず泣き続けている。
 迷宮に、果ては無かった。
 ふと、総一郎はこの道で正しいのかと疑った。先ほどの化け物は、魔法を逆探知した。ならば、魔法によってもたらされる情報を、欺く事さえできるのではないか。
 一度、立ち止まった。迷宮の壁は何処まで行っても材質は変わらず、ずっと同じ光景が続いている。人間は、延々と続く同じ光景に酷く弱い。総一郎もまたそうで、もしかしたらすでに正気ではないのかもしれないと、自身で惑った。
 踏みつぶすような音が、聞こえ始めた。
 少年は、今自分が魔法を使っているのかそうでないのかさえ分からなくなった。頭痛がしている。もしや、魔力が切れたのか。だが、これほどまでに自分の魔力は少なかったのか。混乱は、恐慌へ変わった。がむしゃらに走り出す。精神状態に反映して、簡単に息が切れる。
 そして、先ほどの化け物と出会った。青白く楕円形に膨らんだ胴体。肉のない無数の足。いくつもあるゼリー状の目は、まるで品定めをするように無機質な視線を、総一郎に向けている。
 殺されると、反射的に思った。魔法を使おうとする。だが、呪文が思い出せなくなっていた。
 そこからの記憶は、ふっと途切れている。

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