武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 胡蝶の夢(4)

 図書館で、本を読んでいた。静謐な空気が満ちている。床も机も飴色の木で出来ていて、古びていながら心の休まるここは、総一郎にとって非常に好ましい場所だった。
 ページをめくっているのは、聖神法についての書籍である。貴族が訳あって外国へ留学し、その際聖神法と魔法、アメリカにおける特殊銃戦術や、中国の一部の人が使う仙術の違いを強く印象付けられたというのが前書きに記されている。しかし亜人に対する差別への言及はないから、アジアへはあまり行っていないようだ。仙術についても友人だとしか書いていない。
 著者曰く、聖神法は非常に異質な異能であるらしい。そもそも起源がここ数百年というのは非常に年季が浅く、また行使できる人間が貴族階級やその血族だけと限られているのも聖神法だけであるとか。
 それに加え、聖神法は異能の中でも飛びぬけて使いづらいらしい。
 それは総一郎も確信していたことだ。魔法は加護の概念が薄い外国では才能に左右される部分も多いが、一等使いやすい技術でもある。
 逆に努力にそのまま比例する『特殊銃戦術』は、簡単に言えば異能に対抗するだけの効果を持った銃火器を使用するだけの格闘術で、才能の有無は習得の速度にしか関係が無い。威力は魔法に劣るものの、攻撃対象がアフリカ象のサイズまでなら撃退が可能だ。戦闘センス次第でそれ以上も叶う。その代り、素人にはいちばん縁遠い技術でもあった。
 そして、聖神法はこの特殊銃戦術とだいたい同じ程度の努力を要して、やっと使い物になる。
 しかも、攻撃よりも防御や長寿に着眼点を置いた仙術よりも、威力が低い。
 もちろん亜人登場前の銃火器に比べたらコストも低いし威力も高い。しかし聖神法なんかを習うならば、まず魔法を軽く試してみた方がより有意義な人生を歩めるだろう。後書きは、そんな風に締められていた。
「……これが、騎士学園の図書館の蔵書なのか」
 聖神法を批判する主旨の書籍は珍しいからと手が伸びたのだが、最後まで悪辣な点を挙げ連ねてフォローをしないとは思わなかった。確かに魔法に比べて不満の残る聖神法だが、これほどの意見はいっそ苛烈である。確かに祝詞も規則性が無く覚えにくいとは思うが。
 総一郎は奇妙なまなざしでその本の表紙を眺めていたが、しばらくして席を立った。この本は言って見れば息抜きで、本当は他の事を調べていたのだ。
 『美術教本』
 ただの美術作品の製作指南書だと、総一郎は思っていた。しかし、ナイはこの本に何かがある事を匂わせた。父からの言伝では彼女の言葉に耳を貸してはならないのだそうであったが、そもそもこの本に限っては父からの餞別である。
 何かあるというなら、調べる。好奇心の犬の性であった。
 それ故勿論ドラゴンについても調べたのだが、あまり多くの事は分からなかった。すでに一匹が出現し、その討伐に赴いているという事だけ、偶に寮の談話室でテレビ放送されている程度である。
 数冊新たに見繕って、抱えながら戻った。ここには魔法に関する書籍が非常に少ない。だが、亜人の生態に関わる物ならばかなりの数が確保されている。何から調べていいか分からないのならば、という事で細かい内容が詰まった亜人についての本を選んだのだ。
 もちろん、この内容なら時間を無駄にしないだろうという打算もあった。総一郎はただでは転ばないのである。事実、山籠もりで野営にはひとかどの自信がある。
 そして席に戻ってみて、おや、とさせられた。
 椅子を立っていた隙を突かれたのか、自分の席の隣に、小柄な少女が座っていた。ナイほど小さい訳ではない。恐らく同学年だろうと踏んだ。短い金髪が揺れている。
 総一郎は、少々難しい顔をした。見回せば、図書館内は混雑している。人が少ないのは総一郎の付近だけだ。彼の悪名が学園中に轟いている証拠だろう。
 少し考えて、気にする事ではないと思った。気を遣う必要性はない。ファーガスやその仲間を除けばこの学園には敵しかいないのだ。椅子を引いて座ると、微かに横の少女が総一郎の顔を見た。一瞬ぎょっとするが、すぐに冷静な顔になって手元の本に目を落とす。
 総一郎は、ちら、と彼女を見やった。どこかで見たような顔である。少し考えて、思い出した。クラスで、いつも一番に教室に到着し、誰とも話さずに読書に耽っている少女だ。
 しかし、声をかけるほどの義理もない。総一郎は黙って本を読み続けた。横で焦れるような雰囲気があったが、無視する。この様子なら、いずれ逃げていくだろう。
 だが、予想に反して少女は「あ、あの……!」と総一郎に向き直った。意外に、肝の据わった人物であったらしい。だが、どちらにせよ対応は変わらない。文句を言ってくるなら、正論で論破してやればいい。
 そんな総一郎の敵愾心に満ちた心構えは、次の彼女の言葉に空ぶる事となった。
「私は、あなたが悪いとは思っていませんから! だから、その、……それだけ、です」
 語気が強かったのは最初だけで、最後には主張を見失ってしまったのか、尻すぼみになって締めくくられた。しかし、それに対する総一郎の衝撃はかなりのものだ。
「それは……どうも」
 それ以上の言葉を探せど、一向に見つからない。肩口までの金髪を揺らしながら、少女も戸惑った風に「は、はぁ……」と目も合わせないまま曖昧に頷くばかりだ。
 結局、根負けして逃げ出したのは、総一郎の方だった。
 翌日、ファーガスと少し話した後に図書館に向かい、昨日と同じ場所に座って『美術教本』の解読に取り掛かった。相変わらず、人が寄り付かない。そうしていると、少し離れた場所で、こちらに視線をやってぎょっとする姿を見つけた。彼女は、再びおろおろしながらこちらに寄ってきて、総一郎の横に座る。
「……ローレル・シルヴェスター」
「っ!?」
 背筋に寒い物が昇ったかのように、少女はブルリと竦みあがった。髪の毛の中で、金色の三つ編みが大きく揺れる。
 何故、自分の名を、とでも言いたげに、シルヴェスターはこちらを見やった。総一郎は目も合わさないまま、「ファーガスに聞いたんだよ」と告げる。一応の納得を見せる少女。しかし、警戒は解かれていない。
 総一郎も、それ以上の興味があったわけではなく、名前の事を告げただけでしばらくは本を読んでいた。シルヴェスターは恐る恐ると言う感じに、椅子に座ったまま総一郎から距離をとれるだけとって、そこで読書を始める。
 一時間ほど、そうしていた。すると、集中力が切れて、嘆息と共に本を机に置いたのだ。そのタイミングが、シルヴェスターと被った。それがどうにも気まずく、二人は硬直する。
 このまま気にせず何かをするというのは総一郎にも少し敷居が高く、苦悩の末に、ぽつりとこんなことを尋ねた。
「君、何でこの席に?」
 総一郎の周囲は空いている。しかし斜め前なども空いていたので、真隣に座る必要は無かったはずだった。その上、隣が彼であると知っても退こうとしない。不思議に感じていた。
 彼女はしばしためらってから、細々とした声で言った。
「……ここに、いつも座っていたんです。取られた時とか横で勉強している時は仕方がないですが、隣の人が読書しているくらいなら、この席に座っていました。それだけです」
 随分と負けん気が強い少女だった。反骨心旺盛というか、気位が高いと言ってもいいのかもしれない。少なくとも、総一郎が隣だと知ってすぐに逃げ出さないのは非常な心の強さである。
 それに、先日の言葉。
「ファーガスは、気の強い子が好きなのか」
「はい?」
「君も、話に良く聞くダスティンさんも、気が強い。そう思っただけだ」
 シルヴェスターは、呆然とこちらを見つめている。総一郎はそれっきり彼女に関心を払わず、『美術教本』に隠された謎を解き明かそうと図書室の本と教本を読みふける。
 その日はいつも通り、何の成果も得られなかった。


 ファーガスの紹介で、改めてナイオネル・ベネディクト・ハワードと言う少年と対面した。
 貴族にしては荒々しい言葉遣いだが、ネイティブでない総一郎としては、こちらの方が貴族言葉よりも聞き取りやすかったりする。ひょっとすれば言葉遣いがつられてしまうのが難点だったが、それ以外としてはからかうと乗ってくれる、気の良い奴であるとわかった。
 そんな彼と、ある日の早朝に修練場で偶然遭遇した。彼は木刀を振り続ける総一郎を見つけて、終わるまで待ち、その後にこのように言った。
「まるで、何かを斬ってるみてぇな音だな。何を斬ってやがる?」
「そうだね、強いて言えば空気かな」
「ハッ、違ぇねぇ」
 鼻で笑って、彼はこちらに近づいてくる。総一郎は袖で汗をぬぐいながら問うた。
「あまり、面白くはなかったかな」
「ん? まぁ『自分』とか『過去』とか言ったら指さして笑っただろうけどよ。そういうのは天然ものだから面白いんだよな。とはいえ、クソ真面目に『何も斬ってないよ』なんて言うよりはマシじゃねぇのか?」
「君はアレだね、嫌いな作品を読ませて一緒に悪口を言いあったら楽しそうだ」
「お、そりゃあオレもやってみたいな。ブシガイトが陰口叩くなんてのは、金積んでも見れねぇレアものだぜ」
「そんな純粋な性格はしてないよ?」
「バカ野郎、皮肉だよ。お前なら陰口叩く前に本人仕留めに行くじゃねぇか」
「なるほど、リトルブラザー。君はやはりブラックジョークが上手い」
「だからリトルブラザーは止めろっつってんだろ!」
 会話しつつ、互いにくつくつと笑った。ファーガスが居ると、彼はもう少し仮面を深く被る。新密度がどうこうと言う話ではなく、それぞれの付き合い方の問題だった。ファーガスは徹底的にいじり倒しても本気で怒らないため、その方が楽しいのである。
「それで、君は何をしに来たのさ。まさか見学だけして帰る、なんてつまらない事は言わないよね?」
「ん……。そうか、どう言おうか考えてたんだが、そっちも最初からその気だったって訳だ。なら、一戦交えようぜ。ルールはそっちが決めていい」
「殺す気で来なよ」
「お前、それマジで言ってんのか?」
「ああ、僕も殺す気で行くからね」
「……やっぱよう、ブシガイト。お前、表面は穏健に見えて、根っこの部分でぶっ飛んでんだな」
 分かりやすい俺なんかより、よっぽど悪質だ。ハワードはそのように言って、大剣を構える。魔獣を狩るための、自前のそれだ。
 総一郎は彼の押してくるばかりの闘気に応えるべく、上段に構えて臨んだ。彼は、碌に機を待つという事もせず、走り出した。
「……」
 総一郎はひとまず落ち着いて、ハワードの太刀筋を観察し始めた。以前の戦闘の時の、蛇のようにうねる切っ先の記憶はいまだ鮮烈だ。同じように、斬りかかってくる。それを、見切りにかかる。
 様々な角度から、蛇は食らいついてきた。それを、後退することで躱す。本来なら、勝負事は踏み込まねば勝てない。だが、今は勝ち負けを問題にすべきではない。
「おらおらおらぁ! どうしたブシガイト! ブルっちまったか!? えぇ、おい。チキンボーイ!」
 罵倒してくるのは、ソウイチロウよりも数センチ小さな少年だ。それが、自らの体躯ほどもある大剣を振り回している。筋肉に頼る攻撃でなかった。どちらかと言うと、体重移動の巧みさによるものだろうか。
 この大剣は、総一郎が知る限り最も大きいものだ。他のどんな騎士候補生も、これほどの物を使う者はいなかった。持ち上がることはできても、武器として使うには重すぎるのだろう。
 全く攻めてこない総一郎に焦れたのか、ハワードはさらに攻撃に比重を重くしてきた。剣の太刀筋が変わる。蛇のようなうねりが消え、剛直になった。けれど、よけなければこちらに届く。その上、次の一撃にすぐに繋がる。
 独楽を、連想させる動きだった。体軸をぶれさせず、大剣を振るう。ここでも、筋肉はほとんどと言っていいほど使われない。総一郎は、だんだんとハワードの太刀筋の本体が分かってきた。
 初見では、荒々しいだけの戦い方。しかしその根幹を占めるのは、あまりに卓越した技巧である。
 総一郎はハワードの剣を紙一重まで見切って、懐へ飛び込んだ。二歩。次の手が来るのを察知し、その腕を蹴る。そして、木刀を突きつけた。
 対して、ハワードは反転からの大剣の一閃で応じた。封じた攻撃を、それこそ独楽のように回転し、真反対から放ったのだ。互いに、大きく離れる。総一郎は唇を引き締めて、ハワードはにやにやと笑っている。
「ちょいと戦法が見抜かれた節があるな。まぁ、二回も見せてるし当然か。じゃあ、次だ。聖神法使わせてもらうぜ」
 祝詞を挙げ、剣の纏う空気が変わった。途端、速攻をかけてきた。今度は、体重移動など気にもしない、酷く真っ直ぐな戦い方だ。
 総一郎の得物は、木刀だ。無論、普通に受ければ折れるに決まっている。だがそう言う手合いとの立ち合いは、小慣れたものだった。ハワードが振るった大剣を後追いするように木刀を振るい、その聖神法を途切れさせる。「はっ?」と戸惑った声を出した。それを隙と見出し、総一郎は肉薄する。
 だが、防がれた。総一郎は眉根を寄せる。ハワードは、もはや笑っていない。距離を取り、構え、動きを止めた。総一郎も、今度は正眼に構える。硬直。長引くと感じ、こめかみの真横に立てた。八双である。
 シン、と修練場に静寂が下りた。総一郎は、ジワリと汗の流れる感覚を得た。今までの斬り合いは、ただ動いているだけだった。汗はかくが、息は切れない。しかし、今は動いてもいないのに汗が噴いた。張り詰めた空気に、微かに息が切れ始める。
 総一郎はこの様な、立ち止まっての相対は自分の本領だと思い込んでいた。しかし、偶にいるのだ。総一郎と静かに向かい合って、それでも圧倒してくるような敵が。
 ハワード。雲を掴むような相手だと、総一郎は評する。独自の戦法がいくつかあって、それを使い分けているのだ。だが、これで打ち止めだ。と言う風にも感じていた。勝負は、ここで着く。
 雲。雲を斬るには、どうすればいい。総一郎は目を細める。父と向かい合った時は、初めは空気と向かい合っているような感覚だった様な気がしている。それが、ある日突然壁になった。高く、越えられない壁に。
 騎士候補生たちは、よほどの手練れでもない限り、はっきりと何かを感じることはなかった。手練れの場合は、いつも相手は自分に変わった。数瞬前の自分と向かい合い、その度に斬り捨ててきた。
 雲と相対している。と言う気持ちにさせられたのは、初めてだった。捉えどころのなさも勿論ある。しかし、その本性は違った。隠して、誰にも掴ませないようにしている。だからこその、雲なのだ。
 膠着が崩れる未来が、見えなかった。一生向かい合わねばならないような、そんな気がした。汗が、より多く伝う。ハワードもまた、幾筋もの汗に濡れていた。
 そこに、番狂わせが起きた。
「ハワード! 俺、本当はお前の事を愛していたんだ!」
「はっ、はぁ!?」
 ファーガスが横から入れた大声に、ハワードは大きく狼狽した。総一郎の緊張はその一瞬に解かれ、思わず「あ、隙だ」と言いながら駆け寄って、胴体に一撃入れる。
「ぐぁぁあああああああああああああああああ」
「悪は滅びた……」
「やった! これで世界に平和が戻るんだ!」
 ファーガスと適当な事をテンション高めに言い合って、総一郎はテクテクと彼に近寄って「いぇーい」とハイタッチ。「ちょっと待てや……」と恨み深そうにこちらを睨む一対の視線。「キャッ怖いわ」とファーガスが裏声で飛び込んできたので、片腕で抱きしめながら「安心してくれ、マイハニー」と言いつつハワードに木刀を向ける。
「魔王よ! お前の時代はもはや終わった! さっさと地獄に落ちるなりなんなりするがいい! さぁ、ハリーアップ!」
「急かすんじゃねぇ! 地獄行きを『バスに乗り遅れるぞ!』みたいに言うんじゃねぇ! というか、何だお前ら。もしかして示し合せてやがったのか?」
「うんにゃ。ソウイチロウが憎きハワード相手に頑張ってたから、当然のように助けを入れたまで」
「そして僕はそれに乗ったまで」
「お前らもう死ね……」
 ハワードは目を覆ってため息をついた。
「うっわアイツ軽々しく死ねとか言いやがったよ。あり得ねぇな」
「ちょっと危ないね、これから近づかないようにしようよ」
「お前ら二人そろうと凶悪だな!? 何でこの三人になると必ずオレが弄られるんだ!?」
「うーん。数の暴力と言いますか」
「いっつも俺の事弄ってくれるから、ソウイチロウと言う頼もしいパートナーが居る時くらい弄りまわしてやろうかと思ってよぉ」
「ファーガスの目がマジで怖ぇよ……」
 引き気味に言ったハワードに、くつくつと総一郎は笑いをこらえられなくなってくる。それにハワードがすぐに乗っかってきて、ファーガスによって高笑いに変わった。中々相性のいいトリオなのかもしれない。と総一郎は嬉しく思う。心の奥底が冷めていても、ひとまず表面は温かいのだ。
 一層ハワードと仲良くなって、別れる頃には「オレの事はネルでいいぜ」と軽く告げられた。信頼の証のつもりなのか。「ああ、よろしく」とハイタッチして、別れた。
 イギリスの空の上で、雲が風に乗って走っていく。

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