武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 胡蝶の夢(2)

 木刀が、黒ずみ始めていた。
 部分部分と言うのでなく、全体的に、うっすらと。何故と思ったが、分からなかった。だが、その黒さは何処か血の色に似ている。
 雪解けの時期が来て、総一郎は退院することになった。
 荷物を片付けながら、ふと気になって見つめていた。もはや、分身と言ってもいい様な一振りである。自前の杖は折れてしまったが、復帰したらしいワイルドウッド先生に新しく買ってもらった。
 総一郎は木刀を刀袋に入れ、杖を腰に差してリュックを背負った。世話になった看護師、患者仲間、院長先生にそれぞれ挨拶をして、病院を出る。
 少し歩くと、壁に寄りかかって携帯で暇をつぶす少年が居た。栗毛で無邪気そうな顔つきをしている。彼は総一郎に気付き相好を崩して、こちらに手を挙げて合図してきた。
「久しぶり、ファーガス」
「退院おめでとう。ソウイチロウ」
 早足に、彼の元へ近寄った。軽いハイタッチ。「ほれ」とチョコバーを投げ渡される。
「そこの店で買ったんだ。退院祝い」
「ありがとう。大事に取っておくよ」
「いや、食え」
 しぶしぶ封を切り咀嚼する。そのまま、駅へ歩き始めた。
 大分、暖かくなってきていた。もっとも、日本の春に比べればまだまだ寒い。息を白くしながら歩く。途中で昼食の事を聞かれて、首を振った。それなら、驕ってくれるとの事だ。
 適当な店を見つけ、メニューも見ずにフィッシュ&チップスを頼む総一郎。ファーガスも同様だ。この料理に限って外れは無いし、大抵の店で売っている。
 そこに自分好みの調味料をぶっかけて、口に運んだ。厨房の調理段階では、何もスパイス類を使わないからだ。旅行に行った日本人などは、その所為でイギリスの料理がまずいと判断してしまう。まぁ、プレーンすぎるとは思うが。
「そういえば、最近どう?」
「俺の周りは変わらないままだな。ベルに勉強見て貰ったり、ローラは昨日まで休みで帰省中だったからアレだけど、あとハワードとは会うたび修練場だからいつだって喧嘩勃発だ」
「充実してるんだね」
「そっちはどうだ?」
「記者が来たよ。幾つか話した。そういえば、この事件って世間ではどういう風に扱われてるのかな」
「テレビじゃ見てないから、もみ消されてるものだと思ってたが……。もみ消されるなら、普通ソウイチロウが有罪になってるよな」
「まぁ、いろいろ謎が多いからね、この件は」
 言いながら白身魚のフライを息で冷ました。次いでパクつく。美味いといえば、美味い。
「平然としてるのな。……でさ、それは何だ? 突込み待ち?」
「何が?」
「胡椒が山になってんだけど」
「気のせい」
「気のせいじゃない!」
 ファーガスが叫んだせいで胡椒の山が崩れ、「あぁっ!」と悲鳴を上げる総一郎。慌ててスプーンでフライの上に戻し始める。
「何をするのさ!」
「え!? 俺が悪いの? 常識から明らかに外れた行動を取ったアホを注意しただけなのに?」
「人の事をアホとかいうから」
「常識はずれの自覚あるんじゃねぇか」
「うっ。……何勝何敗?」
「俺の初白星。お前の白星の数なんざ数えてない」
「君も成長したなぁ」
 と言いつつ胡椒を大量に付けながら、総一郎はポテトを食べた。ファーガスはあんぐりと口を開ける。唖然も茫然、という風な表情だ。
「え……、ガチ?」
「うん。まぁ」
「……やっぱ俺の黒星だな。人の趣味に口出すとか人としてなってない」
「ああ、いや……」
 少々人が良すぎる対応に、むしろ総一郎の方が困ってしまう。何だこの包容力、という感じだ。気になって聞いてみる。
「マヨラーってどう思う?」
「ん、いや別に。いいんじゃないか? 俺もジャムを付け過ぎることあるし」
「……ファーガスってさ、良く優しいって言われない?」
「いや。何で?」
「……何でもない。後でジュースでも驕るよ」
「いやいや。今日はお前のめでたい日なんだから、俺に金遣わせてくれよ。お返しなら俺の誕生日か何かにしてくれ」
 微笑と共に肩を竦めるものだから、総一郎は恐縮するばかりである。それからしばらく、無言で食べ続けた。話題が無い時の男の食事風景なんてこんな物だ。
 食べ終わり、一息を吐いた。最後に紅茶で一服してから、店を出るつもりだった。紅茶はまだ来ない。「それで」と総一郎は問う。
「ファーガスの周囲ってさっきは言ったね。じゃあ、それ以外はどうなの」
「……ピリついてるよ。平和なのは俺の所――イングランドクラスだけだ。アイルランドはハワードがいっつも組手終わりに『雰囲気が悪い』って愚痴ってきやがるし、偶にローラとかお前の居るスコットランドクラスの奴らが、他のクラスと喧嘩してるのを見るな」
「……何で?」
「さぁな。当然ソウイチロウの事もあるんだろうが、喧嘩の種でしかないって感じだ。不満の根っこは違う気がする。でも、不思議とイングランドとアイルランドはやり合ってないかな。イングランドとスコットランドの組み合わせも、多くは無い。大抵はスコットランドとアイルランドだ」
 最近、だんだん酷くなってる。そのようにファーガスは言った。総一郎は口元に手を当てる。考え込むときの癖だった。
 今まで、騎士学園の事に目を向けてこなかった。向けるだけの、余裕が無かったとも言える。しかしこれからは違うのだ。総一郎はただ敵として騎士候補生たちと向き合うのでなく、他の立場を探していかなければならない。
 障害はある。亜人とのハーフである事が露見した直後よりも、それは多いだろう。だが、意気消沈しては居ない。総一郎も、障害に負けない程に強くなった。
 しかし。
「一応、今のうちに言っておくけれど」
 総一郎は、切り出す。
「ファーガス。僕は、学園の中で君に会うつもりはない。そうすれば、多分君は目の敵にされる」
 何で、とは彼は言わなかった。聡いとも言い切れないが、馬鹿ではないのだ。しかし睨むような表情で、彼は総一郎を見る。
「嫌だね。文句を言われて友達を裏切るようなまねは、俺の主義に反する」
「僕だって、自分のせいで友達を危険に遭わせる主義は無い」
「主義と主義のぶつかり合いって訳だな。じゃあ、そこは互角って事で論点をずらそう」
「え、それはどういう……」
「ソウイチロウ。俺はお前とつるんでいたい。ハワードのクソ野郎は、心底嫌いって訳じゃあないが仲良くは出来ない。お前は俺の唯一の男友達みたいなもんでさ、気が楽なんだよ。……お前はどうだ? 会わない方がいいってんなら、お前は俺の事が嫌いっていう事になるんだが」
 言葉が返せず、口を閉ざす総一郎だ。この論法は、少々ずるい。特に、若干自信なさそうな表情の変化がある所が。
 苦笑して、「負けたよ」と肩を竦めた。紅茶が来て、また談笑に戻った。ジャムや砂糖を大量に入れる総一郎と、何も入れないファーガスとの間で『どちらが美味いか』という論争が起こったが、友情を確かめ合う会話を経た二人は常に笑っていた。
 駅に揺られている間も、寮へ戻る最中も、遮るものは現れず、笑顔を保たれ続ける。別れた後も、ファーガスは高揚したように歩調が弾んでいた。
 対して、総一郎はまるで感情が抜け落ちたように無表情になる。
「……僕には、過ぎた友達だな」
 寮の自室に戻った。そして再び少し出かけてから、鏡の前に立った。顔を洗うというのでない。試したいことが、幾つかあった。
 まず、笑った。次に、顔を顰めた。様々な形に表情を変化させていく。一通り終わらせてから、過去の思い出を想起した。昔の事は思い出せないから、最近の事。ファーガスとの談笑。ギル達からの虐待。グレゴリーからの拒絶。そして後に聞いた彼の保護。もう少し前に行く。ヒューゴ。ホリス。ギル。ブレア。ジャスミン。ティア。ジョージおじさん。
 表情は、一度だって変わっていない。
「……次」
 昨日ファーガスと別れてから、数種類の調味料を買い揃えてきた。食堂には備え付けであるから、当然自前に用意する必要なんてなかった。
 これは、実験用だ。
 塩を、指先につけた。舐める。次に、胡椒。砂糖。ビネガー。どれも、同じだ。
「少し増やすか」
 指先ほどの量を、一摘まみに変えた。変わらなかったから、もう少し多くした。繰り返して、昨日の様な山盛りにしてから、やっと微かに感じた。舌を包むようにしていた多量の塩を、洗面台に吐き出す。
「無くなったわけじゃないのか」
 大量の水を飲み下しながら、総一郎は独り言を言った。鏡を見る。まるで、能面のような無表情が浮かんでいる。
 我ながら、父に似てきたと思った。しかしまだ、未熟だ。

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