武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 胡蝶の夢(1)

 血と、争闘。延々と、殺し合う。終わらない回廊。この先にあるものは、きっと奈落なのだろう。

「誰か、鎮静剤! 早く! このままじゃ、拘束具に絡まって窒息死するぞ!」

 鬼、獣、それらを含む、化け物ども。それらに交じり合い殺戮を行う自分が、一体何を根拠に化け物でないと言えるだろうか。

「頼むから、落ち着いてくれ! 私たちに君を傷つける意思はないんだ! 頼む、頼むから!」

 遠くでは、悲痛そうな表情で自分を見つめる人間が居る。白羽、父、母、図書、琉歌、その両親、フォーブス家の人々も。だが、その中で一人、強い意志を持って総一郎を睨む視線があった。

「君、待ちなさい! 君も治療を受けるんだ!」
「そんな事は分かってます! でも、ソウイチロウが、ソウイチロウが!」

 総一郎は、化け物どもを殺しながらその少年の姿を見つめた。少しだけ、思い出すのに時間が必要だった。そして、ハッとする。総一郎は、その名を呼んだ。
「ファーガス……」

「動きが治まったぞ! 今の内に鎮静剤!」
「はい!」

 不意に、化け物どもが姿を消していく。総一郎は、足を止めた。その先には、幼き日の――それこそ、剣すら握ったこともなかった時の自分が立っている。そして彼は、首を傾げて、無邪気そうな顔で聞くのだ。
『ねぇ、君は、一体誰?』
 総一郎は、微笑んで返した。
「修羅さ」


 目覚めた。次いで、総一郎は異常を察知した。ベッドの存在。人工物。捕えられた。とすれば、待っているのは死だ。ぞくりと体を震わせる。逃げ出さなければ、そう考えた総一郎を止めたのは、頑強な鎖だった。
「クソッ」
 もがく。だが、何ともならない。そうして暴れていると、あまりに唐突な睡魔が来た。瞼が重くなる。思考が回らない。そしてまた、眠りにつく。


 目覚めた。総一郎はベッド、そして手錠の存在に驚き、その次に前に一度覚醒していたことを思い出した。次に、周囲を見回す。白い部屋。日光が入るように設計されているが、開かれたカーテンの間にあるのは鉄格子付きの窓だ。逃がす気はない、という事らしい。
 けれど、このまま死を待つつもりは総一郎には無かった。手錠を外し、逃げ延びる。そのためなら、何でもするつもりだった。
「……杖」
 無い。ある訳はないだろう。他の武器も同様だ。しばし考え、思いつく。魔法。
 射出音が、した。
「うっ、ぐっ……」
 痛みはない。しかし、あまりに強引な眠りへの誘い。射出音のした方向は、分からなかった。倒れこむように、総一郎は眠る。


 三度目の覚醒で、総一郎はやっと少し冷静になった。もっと周囲をくまなく確認し、この場所が病院であることを知る。
 天井の四隅には、半球の、黒いガラス窓のようなものが付いている。恐らく監視カメラだろう。そして、暴れる度に麻酔弾か何かを打たれていた。
「ようやく、落ち着いたようだね」
 人の声に、思わず総一郎は飛び退いた。広いベッドの上、拘束具の事もあって、ベッドの端に寄るだけだ。鎖が鳴って、ガシャン、という音がした。
「ああ、驚かせてしまったようで済まなかった。……君は、利発な子だと聞いている。この状況が一体どういうものであるのか、分かるかい?」
 白衣を着た人物が、問いかけてくる。恐らく、医師だろう。知れたのは、それだけだった。総一郎は彼の問いかけに、警戒の無言を返す。
「……」
「分からないなら、無理はしなくていい。まだ十分冷静になったという訳でもないようだし、出直せというなら出直そう」
 黙っていても埒が明くわけではなさそうだ。総一郎は、口を開く。
「……ここは、病院ですね。そして僕は、騎士候補生たちに捕獲された」
「――! ああ、概ねその通りだ」
「ですが、それでは辻褄が合わない。騎士候補生に捕獲されたなら、僕は今頃棺桶、いや、土の中だ。ベッドの上など有り得なかった。……どういう、ことですか」
「ふむ、思考能力に関しては、欠如の様子は見られない……と」
「質問に答えてください」
「おおっと、これは済まない。だが、君が落ち着くまでは教えられることが限られているんだ。とりあえず、回復しつつあるという事は伝えておくよ。暴れたりしなければすぐに手錠もはずれるし、君の知りたいことも知れるだろう」
 穏やかに言って、彼は別れを告げて部屋から出て行った。総一郎は、ため息を吐く。どうやら『イイコ』にしていない限り、要求は通らない、ということのようだ。
 演技と言うだけなら、総一郎の得意分野だった。ギルのお蔭で、総一郎は呼吸するように嘘と笑顔を紡ぐことが出来る。
 そう考えていると、再び、眠りへの誘いが忍び寄ってきていた。今回のそれは、強引なものではない。体が、求めているものだとわかった。
 しかし、今まで散々寝たのではなかったのか、と言う考えも儚く、総一郎はベッドに倒れこむ。その時、まだ疲れが取れていないのだという事にやっと気が付いた。


 ――手錠が外れたのはその三日後。情報を与えられたのは、五日後の話だった。
 なかなか消えない手錠の跡をさすりつつ、医師の話を聞いていた。表面上は、にこやかにしている。医師たちが総一郎の敵ではないという事も、最近分かり始めていた。だが、心を開くという事がどうしてもできない。好感は抱いても、そこで止まる。
 精神科医の医師は総一郎が抱くそれらの異常を、『人間不信』であると看破した。その露見に酷く総一郎は怯えたものだったが、「これは責められるべきことではないから、安心していいよ」と笑いかけてもらって、やっと一息つくことが出来た。
 裁判が行われ、総一郎は無罪になったのだという。
 様々な思惑の渦巻いた事件だったらしい、と総一郎は教えられた。総一郎の夢想染みた『魔法を使わなければ』と言う願掛けもそれなりに功を奏した結果だったという。多くの人間を負傷させたが、全て正当防衛で処理されたと。
 だが同時に、相手側も大した罰を下されていないとも伝えられた。
 一部の職員の減俸に、ワイルドウッド先生を筆頭とした総一郎の編入を画策した数名の教員の復帰。罰とも、言えないような罰だった。だが、初犯だからこの程度で済んだのだとも言われた。
 相手は、貴族だ。だから、今回は穏便に済まされた。しかし、この一件で方々に弱みを握られた彼らに次はない。警戒して、迂闊に君には手を出せないだろうから、とその様に諭された。総一郎はその全てを信じられはしなかったが、ひとまずはこの身の安全を約束されたのだと知った。
 それから数日間は、何もなかった。総一郎は様々なことを考えて、まず白羽に連絡しようと考えた。
 毎日、一度は医師が訪ねてくる。そうでなくとも、ナースコールがあった。総一郎は朝一に朝食を届けに来た看護士に、電話を頼む。担当医師に相談してきますと言って出て行った彼女は、戻ってきた時に電話を手にしていた。
 今、総一郎の手の中で、海を跨いだ通話が繋がろうとしていた。いい時代になったものだ、と思う。前世の国際通話は、こんなに手軽ではなかった。
 コール音が切れる。声が、聞こえた。
『あー、はい、もしもし』
 図書の声。それに総一郎は素直に少々の落胆と、気の置けない相手への親しみを示す。
「何だ、図書にぃか」
『何だとは御挨拶だな、総一郎』
 低いが、微かに笑いの含んだ返答。総一郎は少しだけ笑って、「白ねえと話したいんだけど、今大丈夫?」と尋ねた。
『あー。それは、ちょっとなぁ……』
 しかし、図書の声音は難しい。
「……何か、あった?」
『ん、あ、いや。大したこと……、でもあるのかぁ……? よく分からねぇな』
「何さ、はっきり言ってくれないと分からないよ。早く教えてくれ!」
『分かった、分かった。ごめんな、焦らすつもりだった訳じゃない。いや何、はっきり言っちまえば、白羽が家出してるんだよ、数週間前からな』
「そんなッ」
『まぁ待て、黙って続きを聞け。でだ、俺が大した問題かどうか言いよどんだのは、白羽が現状どうしているかっていう事を把握しているからなんだな。と言うかぶっちゃけあいつ友達ん家居る』
「……。えっと」
『そもそも、家出の理由も般若家のメンツに愛想を尽かしたってことでもなく、純粋に都合がいいから、って本人が言ってたらしい。その、泊まっている友達の家の母親がちょくちょく連絡入れてくれるんだわ。本人からは音沙汰がない当たりよく分からないんだが、俺みたいなデリカシーのない奴が思春期の女子中学生の相談相手になろうはずもないってな。理由はよく分からんまま放置している。何か質問は?』
「……それ、そのままにしていていいのかな」
『家出ってことは、あいつは相当な覚悟を持って行動を起こしたんだって俺は見てるよ。いずれ問題が解決したら帰ってくるさ。他には?』
「……いや、とりあえずは、これでいいよ。そうだね。なら、今日のところはここまでにしておく」
 本当は、連絡先を聞きたかった。やっと、自分の顔を見せてやることが出来る。逆に、彼女の姿を見ることが出来る。しかし、白羽自身が今、問題を解決すべく動いているのだ。それに水を差す道理もない。
「じゃあ、また。この分じゃあしばらくは白ねえと話せそうにないし、また一年後にでもかけるよ」
『おい総一郎。お前頼れる図書にぃともっと話したいとは思わねぇのか』
「ははは。ごめん、そろそろ僕宿題に取り掛からないと」
『さらっと大人な言い方で通話切ろうとすんなよ! ネタなのか違うのか分かり辛くて地味に傷つくだろ!』
「あ、やばい。全然聞こえない。もしもーし、もしもーし! 駄目だなぁ、全然通じないや。仕方ない。じゃあ図書にぃ、切るからねー。後ついでに言っておくけど、図書にぃと話す時は十割ネタだからねー」
『ばっちり聞こえてんじゃねぇか馬鹿! まぁいいや、気が向いたら連絡して来い! 元気でやれよ、総一郎』
 返答はしない。ただ、相変わらず良い奴なのだと思いながら、通話を切った。癖で壊しそうになるが、ギリギリのところで我に返って、きょとんとした顔でこちらを見つめる看護士に「ありがとうございました」と告げて受話器を返した。
 不思議な感覚だった。どこか、歪んでいる。演技ともいえないような演技だ。人間の振り。親しい相手だからこそ、自然な会話が行えた。医師との会話は、もっと不愛想になる。
 だが、もやもやとした感じは、その後しばらくしても消えなかった。むしろ、大きくなりつつある。考えれば考えるほど分からなくなり、最後にはトイレへ向かう間もなく嘔吐した。その時、何かが切れた。他人との会話への無感動。味覚の欠如。様々な事柄が、変わった。
 ファーガスとちゃんとした形で再会したのは、その更に三日後の事だ。
 精神科医をも欺けるようになった総一郎は、上手く健常者の振りを続け、大部屋へと移ることになった。「まだ全快という訳ではなさそうだけれど、あなたの積極的に元気になろう! っていう気持ちを見ている限り、一人にしておくよりもお友達と一緒にいた方がいいでしょうからね」と、そのように医師は語っていた。彼女はきっと、退室する自分を見つめる総一郎の無感動な瞳のことなど、知りもしないに違いない。
 ともあれ、反射的に吉報に喜ぶという習慣を会得し始めていた総一郎は、ファーガスとの再会に表情を綻ばせるのを忘れなかった。本人と対面した時も、上手くいった。
「久しぶりだな、ソウイチロウ!」
「ファーガス! こんなところで会えるなんて思ってなかったよ!」
 嬉しい。と言う感情は、嘘ではない。だが、遠い所で、自分ではない誰かが喜んでいる。そんな風に感じてしまって、駄目だった。罪悪感に一度、人知れず吐いて、それで割り切った。それ以来、他者との会話には全く動じなくなった。
 彼とは、色々な事を話した。互いの近況、思い出話、現状に至る経緯。その翌日には、ファーガスの彼女(当人らは違うようなことを言っていたが)が訪ねてきた。その子も交えて三人で話していると、思った以上に盛り上がった。
 クリスタベル・アデラ・ダスティン。銀髪染みた金髪をポニーテールにした、可愛らしい子だった。ファーガスの事が好きなのは一瞬で分かったし、少し話し込んでいると、過去に彼が語った初恋の君であることはすぐに知れた。
 その一方で総一郎には、彼女についての全く違う角度からの興味もあった。
 彼女が居なくなってからもしばらくファーガスと雑談をして、途中、話題が途切れた瞬間を狙い、何でもない風を装って総一郎は言葉をかける。
「そういえばさ、ファーガス。ダスティンさんって、僕が捕まったあの日に僕と会ってる?」
「ん、おう。気絶してたと思ってたのに、起きてたのか?」
「んー、なんというか、朧に記憶がある。アレでしょ? オーガが何匹か襲ってきてた時の」
「結構しっかり覚えてんじゃん」
 ファーガスは相好を崩し、「それで?」と先を促した。総一郎は一度頷いてから、こう尋ねる。
「昔聞いたっきりだから覚えてるか自信ないんだけど、ダスティンさんって一回オーガに襲われたことがあったよね? しかも、その恐怖に何日も晒された」
「……ああ、そんな事もあったな。確か三日か四日くらいだな。木の洞にずっと閉じこもってたんだよ。オーガがその周囲をずっとうろついてたらしくってさ。――そう思うとオーガに自力でとどめを刺したのが、凄い感慨深くなってくるわ。アイツもつらい出来事を乗り越えたんだな」
「うん、当事者じゃないから詳しい事は分からないけど、凄い事だよ。普通なら、何年も話せなくなっててもおかしくはないんだからね」
「そうなのか? 数日間は会話できなかったって聞いたけど、一週間もしないうちに亜人関係以外の会話はちゃんとこなせるようになったって聞いたけど」
「そりゃすごいね。途轍もない心の強さだ」
「止めろよ、そんなに褒めるなって。そもそも、あいつは割と臆病な性質だぜ? 買い被りだっての」
「……何でファーガスが照れた上に卑下するのさ」
「あっ。今の無し! 頼むから本人にはご内密に!」
 ただの雑談。その様に見せかけたが、実際は違う。気になる、記憶があった。酷く怯えた表情をしながら、あまりに滑らかな動きでオーガを仕留めた少女の姿。あやふやで、ともすれば実際にあったことなのかどうかわからないような記憶だ。
 だが、あの光景が事実ならば、と考える自分が居る。具体的な事は何も言えない。だが、引っかかりがあるのだ。言い表しがたい、疑惑のようなものが。
 しかし度々訪ねてくるダスティンを見ていても特に気づくこともなく、次第に気のせいだと思うようになってからすぐに、ファーガスは総一郎よりも数週間、早く退院することになった。
 別れは大したものにはならず、「明日見舞いに来るからな」とファーガスに告げられ、「もはや退院する意味ないよね、それ」と苦笑したのを覚えている。
 気づけば、総一郎は病室で一人になっていた。
 夕焼け。黄昏。逢魔が時。霊的な意味で言えば、深夜などよりこちらの時間の方が、よっぽど危険だという話を耳にしたことがあった。総一郎はベッドから降りて、松葉づえを使ってえっちらおっちら自販機に向かう。
 無性に、のどが渇いていた。歩けど歩けど、松葉づえの遅さの所為かなかなか進まない。何ゆえか妙な疲れがあって、息を切らして立ち止まってしまった。そして、その時になってやっと、廊下の向こう側から歩いてくる人物がいるのに気が付いた。
 華奢で小柄な少女。プライマリースクールの途中ほどの背丈の彼女は、まるで総一郎の意識の間隙を突くかのようにするりと総一郎の横を通り過ぎる。そして、その際に囁くのだ。
「久しぶり、総一郎君。ごめんね。下準備に忙しくって、こんなに時間がかかっちゃった。でも、もうすぐ終わるから、それまで良い子にして待っててね?」
 その声を聴いてから、総一郎は二秒の時間を過ぎた頃に急激に覚醒した。勢い良く振り返るが、何者もそこには居ない。目を剥きながら、立ち止まる。
「……ナイ」
 頭を振って、再び歩き出した。気のせいだ、と思い込もうとしている自分と、警戒せよ、と喧伝する自分がせめぎ合っている。
 昼と夜が交じり合う夕焼け。それは秩序と混沌の絶え間ない争いの火花を思わせた。

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