武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 山月記(1)

 焼却炉は思った通り聖神法によって動いていたようで、取り出した木刀には煤がついているだけだった。
 あとは山へ向かうだけだ、と総一郎は顔を上げる。
 山の方はどっちの方だったかと思案しながら門の方へ近づくと、ギルが立っていた。厳しい表情で、総一郎を睨みつけている。
「イチ、今すぐ戻って謝るんだ。そうでないと、君は本当に殺されるぞ」
「謝ってどうにかなるものとは思わないけど」
「だとしても、ぼくは此処を退かない。君を動かなくしてあの場に連れて行く」
「……。しかし、君は僕を殺すとき、恐らく躊躇するだろう?」
「そうだね。だが、ぼくは殺すなんて一言も」
「死なない限り戦うのは止めない。来るなら来ると良い。僕は一向に構わないよ、ギル」
 ぴり、とギルの表情が僅かに強張った。杖を掴む手が、さらに強まったのが覗えた。総一郎は何も変わらない。出会った時から、いつでも跳びかかれる体勢でいる。
「さっき君は、ぼくが殺人を躊躇すると言ったけれど、それは当然じゃないのか? 君がもし躊躇しないなら、何故逃げる。君も、再び人を殺せと言われたら躊躇うだろう」
「そうかもしれないな。今は心が凪いでいるが、直前になったら時化るかもしれない」
「……それは、恐いな。躊躇しないと断言される方が、まだ良かった。――もしかして、イチは今までに人を殺した事があったのかい?」
「亜人なら何回かね」
「……。亜人は、日本においては国民では」
「ああ、そうだ」
 それを聞いて、ついにギルの表情は凍りついた。敵意を感じなくなって、総一郎はその隣を通り過ぎる。「イチ」と名を呼ばれた。総一郎は、振り返らない。
 追手に先回りされても面倒だと考えて、返り血を浴びて訳でもなし、と室内の転送陣に直接向かった。飛ぶ。景色が、一瞬にして森に変わる。
 そのまま、真っ直ぐに進んだ。厳しい傾斜も、避けなかった。これからは、ここが家となるのだ。そう思うと、迂回しようという心持が消える。ただ、ロープを持ってくれば良かったかとは思った。木の蔓などがあれば、代わりになるだろうか。
 登り続け、人目を避けるためにフェンスを乗り越え、更に登るその途中、人に会った。
 年上の少年たちだ。五人の集団。彼らは総一郎を見て、おや、という顔をした。瞬間総一郎は身構えるが、彼等の目に敵意が見えないのに気付いた。手を振られ、振り返す。
「どうしたんだ? パーティからはぐれたか?」
 少年の内、背丈が真ん中の人物に尋ねられた。腰には長いロッドを付けている。イングランドクラスか、と見て取りながら、にこやかな表情を作った。表情を作るのは、ここ最近に慣れてしまった。
「いえ、最初から一人なんですよ」
「はぁ!?」
 一番のっぽの少年が、驚きの声を漏らした。確認すれば、多かれ少なかれ全員が驚愕に顔を染めている。失敗したかとも思ったが、はぐれたと言っても好転するとは思えなかった。
「えっと……。何でそんなに驚いているんですか?」
「いや、だって……。一年だろ、君?」
「はい」
「一年じゃパーティ組んでもここには来られないはずだろう。どれだけ優秀な生徒でも、絶対に二年か三年の先輩と組んでなきゃこんな所には来られないはずだ。実際、俺たちも全員第五学年だし」
「成程。……ちなみに、どんな魔獣が出るのか聞いても?」
「そういうのもタブレットで知れるはずなんだけどなぁ……。まぁ、いいか。 ここはさ、ヘル・ハウンドの群れが支配してるんだ。常に三匹か四匹で行動してて、その場で全部討伐しないと救援を呼ばれて泥沼になる。しかも、あいつらは一匹でも随分と強いからな。体当たりをまともに食らうと、爆発させられるんだ。最悪、奴らは神へと祈りだせばある程度逃げて行ってくれるんだが、もっと酷いのがオーガだな。極稀に居るんだけど……正直、騎士候補生に敵う相手じゃない。騎士でも熟練じゃないとちょっと危ないくらいだ」
「ヘル・ハウンドにオーガですね。……確かに、ここにはあまりいない方がよさそうだ」
「だろ? 一人じゃあ危険だし、もし良かったら送っていこうか? こっちも帰る途中なんだ」
「あー、っと。お構いなく。実は、待ってる人がいるかもしれないんです」
「一人って言ってなかったか」
「いや、ちょっと仲違いしまして……。強がりみたいなものです」
「そうか。何か悪いな」
「いえ、気を遣っていただき、ありがとうございました」
 手を振り、別れた。途端、総一郎の顔から表情が抜け落ちる。
「ヘル・ハウンドにオーガか……」
 日本に居た時読んだ『魔獣図鑑』という本で、名前とその特性は知っていた。ヘル・ハウンドは拘束紋を用いて家畜化に成功しており、主に警察犬になるのだという。警察犬の本来の役割である、嗅覚によって何かを探すというのにも使えたが、この犬種は犯罪組織に対する戦闘によく用いられたとか。それなら父さんが連れていたのかもしれない、と考えながら、再び真っ直ぐに歩を進める。
 そしてオーガ。こちらは、魔獣図鑑に載せられていたものの、利用価値が低く、そもそもの理性や知性が低い為、日本のそれは一部の保護されたもの以外駆除されたという。日本においては絶滅危惧種であり、動物園などで見ることが出来るとか。
「国で、随分と変わるものだな」
 この国の人間が――ひいては貴族が弱いのか。それとも、魔法において世界一位の日本が強すぎるのか。しかし、今や日本は転覆してしまった。
 総一郎は、教科書をぱらぱらと捲りだした。新学期の最初に全ページに一度目を通してあって、記憶が正しければ役に立ちそうな知識があったはずだ。
 その瞬間、背後から殺気を感じ、総一郎は木刀を構えた。眼前から襲い来る獣の大口。木刀を噛ませ、杖を突きつける。
「『神よ、我が敵に暗闇を』」
 ギルにとらされた聖神法の一つ、『ダーク』。敵の視界を淀ませる効果がある。狙うはその瞳。獣は視界が閉ざされたことによって木刀を開放し、総一郎はその頭蓋を粉砕した。
 素早く確認すると黒々とした靄を纏う獣がさらに三匹、総一郎を睨みつけていた。これがヘル・ハウンドか、と木刀を上段に直し、間合いを測る。
 ――今は三匹居て自分を狩り殺そうとしているが、一匹ずつ削れば恐らく救援を呼ばれるだろう。
 素早く、逃がさずに斬らねばならない。腹を括れば道も見える。総一郎は、わざと隙を作った。二匹が跳びかかってくるが、一匹は誘いに乗ってこない。
 総一郎は、跳びかかる二匹を避けて動かなかった一匹を狙った。他二匹は仕留めようと思えばいつでもできる。
 仕留めた、と思った。頭蓋を捉える軌道。しかし、ヘル・ハウンドは身を半回転させて木刀へ食らいついた。動かない。顎に力が入ったのが見えたが、けれど砕ける様子もなかった。総一郎は、獣の顎を蹴りぬく。背後から、迫りくる二匹の気配がしていたのだ。
 蹴り足が獣に触れた瞬間、爆風が総一郎を襲った。
 地面に転がり、絶息した。慌てて体勢を立て直すも、一匹がこちらへ向かってきている。木刀を握っていた為、突きだした。口の、その奥。ブレナン先生と同じ場所。
 脳を破壊されて死んだ一匹から、他の二匹へ目を戻す。どちらも総一郎を注視していて、隙と言う物はない。杖を掴んだ。祝詞を唱える。
「『神よ、癒しの水を授けたまえ』」
 宿った水色の光を、患部へと投げかけていく。痛みも引き、呼吸も楽になった。その隙を、先ほど反応しなかった強いヘル・ハウンドが狙ってきた。速い。木刀を噛ませ、祝詞を口にする。そこで、もう一匹が襲い来た。
 間に合わない、とそう思った。素手で触れればヘル・ハウンドの爆発にやられる。桃の木刀だから、ここまでやれているのだ。仕方なしに、動かせない得物を手放した。祝詞。杖の黒い光を投げかけ、ヘル・ハウンドの視界を奪う。
 その一匹は頭を振り、その拍子に木刀を投げ捨てた。草むらに沈み、見えなくなる。総一郎は狼狽を示した。死が、そこにうっすらと形を成し始めている。
 そして、二匹が跳んだ。
 総一郎はただ脇目も振らずに駆け出した。牙が掠るが、爆発はしない。飛び込んだ草むらから木刀を探した。見つける。しかし眼前にヘル・ハウンドが迫っている。愛刀に、手が届いた。
 獣の牙と打ち合い、喉を突いて怯ませた後に頭蓋を打った。
 もう一匹、と見回すが、もう影も形も見当たらなかった。逃げられたか、と顔を顰める。もうここには居ない方がいいかもしれない。応援を呼ばれれば、この分だとやられてしまう。
 足元に横たわる、ヘル・ハウンドの死骸を見た。外見にそれほどの差は無かったが、強い一匹ではないと分かった。


 山に籠り始めてから、数週が経った。時間感覚はすでに狂っていたため、実際のところ何日過ぎたのかは分からない。
「待て! 半魔! ブレナン先生の仇!」
 背後から聞こえてくる怒号。総一郎は、そのしぶとい声にうんざりしていた。速度も自分より速いくせに、スタミナ切れと言うものを知らないかのような持久力。自分にあるのは地の利だけで、それさえも非常に微々たるものだ。
 三つか四つ、年上だろうと踏んでいた。それが、三人。クラスはそれぞれ別だったので、恐らく特待生パーティなのだろう。総一郎は、気の陰に隠れて一時呼吸を整える。
「休ませるつもりなんかねぇぞクソが!」
 声に反応して、総一郎は身をかがめた。耳の痛くなるような鈍い音。危機感を抱いて走れば、背後の木がズレ落ちるところだった。普通、一抱えもある木など剣で切れる訳がない。総一郎は今の一撃が自分を狙ったものであると再認識し、血の凍るような思いをする。
 再び、逃げ出した。そうしながら、そうだ、奴らには聖神法があるのだと、改めて思った。自分も、使えないわけではない。しかし、それは片手で数えきれてしまう程度のものだ。総一郎は、絶望的な気持ちになる。
 背後を見る。すでに奴らは集合して、一様に総一郎を直視している。息が、切れ始めた。それでも疾走し続けていると、だんだんと視界が朦朧としてくる。
 山に籠ってからの数週間、総一郎の毎日は常に争闘の中にあった。殺されないために魔獣を殺し、生きるために魔獣を殺し、騎士候補生からは徹底して逃げ続けた。生に対する執着が、総一郎にそうさせた。いつもギリギリまで追い込まれて、思考も何もかもが途切れて、その果てに敵に死体があった。
 総一郎は、体力が切れて倒れこむ。そこに、騎士候補生たちが追い付いた。倒れ伏している少年に近づいて、「とうとう捕まえたぞ……!」と嫌らしく笑っている。
 それぞれの武器が、突きつけられた。総一郎は、もはや何も考えてはいない。ただ、雰囲気と言うべきものの変容が、手の内でうねっていることだけが実感できていた。もうすぐ、色を変える。
「なるべく苦しむように殺してやるから楽しみにしてろよ?」
 手首に向けられた鋭さに反応して、総一郎は手の中の空気がはっきりと弛緩したことに気付いた。腕を横に滑らせる。少年の手首を狙っていた剣が地面に刺さる。総一郎は木刀を振った。その少年の、手首を砕く。
 うめき声。力を振り絞って、総一郎は立ち上がった。腕を怪我した一人の腕をつかんで、他二人に倒れこませる。怯み。一度深く息を吸うと、大分意識が安定した。踏みこみ、一人ずつ手を砕いた。そのまま、坂道を蹴落としてしまう。
「や、止めてくれ。悪かったから、頼む、助けて!」
 残った一人は、総一郎に怯えの視線を向けながら、地面に座ったまま後ずさった。背中が木にぶつかって、下がれなくなる。ちょうどいいと、総一郎はその頭蓋を蹴り飛ばした。木と足裏にはさまれて、彼は意識を失う。
 総一郎は力を失った少年から視線を外して、木に寄り掛って嘆息した。――今回もまた、ギリギリだった。再び重い息が出る。このままでは、近いうちに、いつか死ぬような思いをすることになる。
 考えろ、と自分に言い聞かせた。折角、あの地獄から解放されたのだ。あの時は、ろくに考えるということが出来なかったように思える。しかし、今は違う、とは言い切れないのだ。唸る。そして力を抜いて目を開いた。ぼんやりと視線を彷徨わせていると、彼らの腰に着いた袋に目が向いた。
「……そうか、その手があった」
 総一郎は、彼から袋を強奪した。ついで、坂道の下の方にうずくまる二人からも回収させてもらう。中身を選別して、食料を片っ端から自分の袋に詰め込んだ。メモ帳とペンがあったので、それも貰い受ける。
 そうなると頭も働き始め、彼らのタブレットを操作してみた。自前のそれがすでに失われていたからなのか、触れてもどうという事はない。スキルツリーさえ盗み見ることが出来てしまって、セキュリティの方向性に疑問を抱いた。 とはいえ、平民の人々はこれを見ても使えないのか、と思い直す。スコットランドクラスの生徒のタブレットを探し、袋から先ほどのメモ帳を取り出した。
 スキルツリーをメモに写し終わり、彼らの周囲に『亜人避けの結界』を張った時、すでに日はほとんど落ちていた。久しぶりに、楽しい時間を過ごした、と言う気分になった。頭を覆っていた靄が、取れたような感覚だ。見ればそれらの聖神法の中に神の風で体重を軽くできるものがあった。総一郎は近くの木を見上げる。悪戯っぽく、にやりと笑う。
 その頂上にまで登ると、日没があった。赤き残光が山々を強く照らし、一瞬だけ緑色に光って消えていく。少年は、ほぅと溜息をついた。
 足元から聞こえてくる唸り声。ヘル・ハウンドのそれだ。ブルリと震えながら、総一郎は自らの悪運の強さに感謝しつつ、その場で夕食と洒落こむ。そうしながら、危機を回避するためには木の上に居ればよいのだと思った。彼らだって、常に索敵しているわけではないのだから。
 それなりに、コツが掴めたかもしれない。総一郎は、そのように感じた。そうすると、この山が何処か愛おしく感じ始めた。ここには危険がある代わりに、自由がある。
 ねぐらとして見つけた小さな洞窟に戻り、総一郎は丸くなった。そこには、煩わしい他者の存在が全くない。
 今は、満足だった。胸の内にわだかまるものが、風によって消え散っていくようなものだった。
 その日、山に入って初めて夢を見た。どこか遠く。遠近法のために豆粒のようになった獣が、胡乱な瞳で総一郎を見つめていた。

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