武士は食わねど高楊枝
2話 貴族の園(6)
のそり、と起き上ったのは、深夜の事だった。
目に映るのはまず赤く薄汚れた床と、散乱した総一郎の私物。近くに転がっていた杖を使い、総一郎はまず自分の傷を癒し始めた。太腿が一番重症で、次に顔、そして腕、脛と直していく。腹部は、いつも後回しだった。大抵の状況では、腹は服が隠してくれる。
そして、散乱した服をひっつかみ、適当に畳んでクローゼットの中に押し込んだ。本も、分類別にちゃんと仕分けて本棚に入れ直す。『美術教本』を手に取り、結局残ったのはこれだけだったな、と口の中で小さく呟いた。
口端が引き攣るのを、堪えた。
作業をすればするほど、視界がぼやけていくのが分かった。口の戦慄きを、止められない。総一郎はそれを認めたくなかった。心の支えを全て失った今、認めた瞬間に自分は折れる。その事を、直感していた。
胸に込み上げるのは、恐怖から焦燥を抜いたものだった。目は拭わない。どんなに見づらくたって、絶対にしてやるものかと思った。歯を食いしばり、作業を続ける。水滴が頬を伝う感覚。無視して本棚に書籍を全て入れ、適当に着替えて電気を消した。
眠気は無かった。でも、無理やりに寝てやろうとした。出来なかった。微睡に至る時、燃え上がる木刀が見えた。そうなると、絶対に眠れなかった。
視線が自然と、掛け軸があった場所へと向かった。今は、ゴミ箱の中だ。木刀も、今頃燃えているのかもしれない。
「……僕は、大人だ。大人の、はずだったんだ……」
『なのに』と言うセリフは、噛み殺した。その先を言ったら、泣いてしまう。泣いたら、折れてしまう。折れてはならないのだ。自分は、父の子なのだから。
気分転換に、カーテンを開けて月を見た。三日月。何かを象徴するように、見る度に月は欠けていく。それはまるで、記憶の中の白羽の様だった。最近、少しずつ思い出せなくなっていく。
今目を瞑れば、ギルの貼り付けたような笑みが浮かぶのだ。
「……も、う」
その先は堪える。堪えられなくなったら、その時総一郎は死ぬのだ。肉体も、その時に生きていてもすぐに後を追う。
涙は、絶対に零さない。零したとしても、それを認めない。再び、ベッドに戻る。瞼の裏で燃え上がる木刀。明日の模擬戦を思い、恐ろしくなった。
その時、総一郎はスコットランドクラスにいる事を初めて感謝するのだ。スコットランドなら、木剣を渡される事は無い。剣を握らずに済む。剣を――刀を握って負けない限り、総一郎はしばらくの間生きていられる。
寝つけないまま、夜が明けた。
ドアと一体になっているポストに、何かが入っていた。手紙。送り主は――ワイルドウッド、と記されている。
「ワイルドウッド先生からの、手紙……」
開ける。そこにあったのは、謝罪に次ぐ謝罪。それに続き、ポイントが百ほど得られる、教員が私的に騎士候補生にポイントを与えたいときに使用されるナンバーが記されていた。これを使えば、スコットランドのフォーブス家までの旅費程度にはなるとのことだった。
「遅いよ」
総一郎は呟く。タブレットは、少し前にギル達によって破壊されてしまった。修理と言うか新しい物を頼みたかったが、クエストの受付の方々は全員総一郎の顔を覚えていて、「承れません」の一点張りだ。これは、完全に現状が詰んでいることの証左だった。
続いて記されたのは、独自に調査した、総一郎の親族の住所、そして電話番号だった。総一郎は思わず息を呑んでいたが、学園の全員がタブレットを持っている為、公衆電話の類がない事を思い出し、結局意味はないのだと諦めてしまった。それでもその電話番号だけはしっかり暗記してしまったのは、過去への執着ともいうべきものか。
時間が迫りつつあって、総一郎は急いで準備する。そのまま、食堂へと向かった。
「やぁ、イチ。いい朝だね。今日は模擬戦だ。生憎スコットランドだけだが、なんとアイルランドクラスの先生が実践的な戦闘法を教えてくれるらしい」
騒々しい朝食の中、総一郎を見つけたギルは言った。力なく挨拶する総一郎を、ヒューゴは罵倒し殴ってくる。受け、倒れた。他の人にもぶつかった。その人の分も殴られた。いつも通りだ。
朝食を詰め込み、授業を受け、失敗し、ヒューゴに殴られ、ホリスが拷問法を提案し、ギルが「じゃあ放課後そうしようか」と了承し、昼食を食べ、模擬戦の時間になった。
「では、スコットランド初の模擬戦を始める。武器は、杖としても使える錫杖やメイスなどを用意してあるが、生憎と数が足らず数人は自前の杖を使ってもらう。何なら木剣があるからそれを使ってもいいが……、スコットランドクラスはそれで聖神法は使えないから、ふざけるとしても程々にな。まぁ、これからは模擬戦の機会も増えるだろうから自分に合った武器選びの試しという側面もあるため、一種類の武器の独占はしないように」
アイルランドの教官――ブレナン先生は、落ち着いた風にそう言った。彼はアイルランドらしい黒髪で、たくましい体つきをしている。総一郎の頬が引き攣るのを横目に、ギルが手を挙げて彼に質問をした。
「先生、このクラスには、半魔がいる事を知っていますか?」
嫌そうな顔で、首肯する。
「ああ、一応聞き及んではいる。それが何と言う名前なのか、どの様な容姿かまではな。すでに一度問題を起こしていると聞いたから、……私は、容赦はしないつもりだ」
ブレナン先生の発言に、スコットランドクラスの生徒の大半が歓声を上げた。彼を含めた視線の多くが、総一郎に突き刺さっている。一度起こした問題と言うのは、総一郎がクラス全員に私刑にされた時の事だろう。
行動を起こす気力もなく、何もせずにいた。舌打ちがいくつか聞こえ、「では、始めとする。各自武器を取って、何人かで組むように!」との言葉と共に散らばっていく。
「イチ。君はこれを使いなよ。自前の木剣を持っているくらいなんだから、慣れているだろう?」
ギルが、自分のメイスを取りながら総一郎に木剣を渡した。色が古く、何処か腐っているのかと思うほど柔らかい部分がある。それを、総一郎は拒んだ。
「何だ? ギルの決定に文句があるのかよ!」
ヒューゴの蹴り。条件反射の様に喰らって、総一郎は悶絶した。「嫌です。ごめんなさい。それだけは許してください」と懇願する。頭を地に擦り付ける事さえ厭わなかった。だが、それをギルは当然のようにせせら笑う。
「駄目だ。模擬戦とはいえ、真剣にやるのは当然だろう? 君の本領を見せておくれよ。君たちも見たいだろう? イチの本気を!」
ヒューゴ、ホリスのほかにも、数人のスコットランド生が肯定の声を上げた。こうなると、もう総一郎には反抗が出来ない。木剣を握らされた。手が、震えた。自分が今持っているのは「死」そのものなのだとすら思った。
けれど、視界はそれを皮切りに明瞭になった。
「……アレ?」
総一郎は、何よりもまず戸惑った。世界が、自分のイメージとは真逆の物だったからだ。ホリスが、大きなメイスを持って殴りかかって来、その後ろではヒューゴがこっそりと聖神法の祝詞を唱えている。困惑と共に、木剣を揺らした。ホリスの懐。突く。崩れる。
その向こうに、呆気にとられた様子のヒューゴが居た。近づいて籠手を打ち、その手から大きな杖型のロッドを落とす。まるで狐につままれたような気分で、その喉を突いた。少し吹っ飛んで、苦しそうに悶えはじめる。
「ブシガイトが、ブシガイトが暴れ出した!」
「は?」
一人の男子生徒の呼び声に反応して、何人もの生徒が駆け寄ってきた。それぞれが祝詞を唱え始めるが、完成間近の生徒を狙って頭や胴体を打っていくだけで特に苦戦するという事もない。気付けば、十数人の生徒が総一郎に打たれ倒れ伏していた。気絶は零。全員が苦しげに悶えている。
「……」
そこで、総一郎はやっと理解し始めた。今の状況がどういう物であるのか、そして、今までの惨状がどれだけ異常であったのかを。しかし、その異常さは人間としてのそれではない。生物的なもので、もっと言えば弱肉強食的な考えのそれだ。
戸惑いもいつしか消えた。混乱も、焦りもない。アイルランドクラスの先生が、使命感とそれを遥かに上回る怒りを携えてこちらに駆けてくる。
それを眺めていると、総一郎が抱える虚無感が大きくなった。涙が、頬を伝う。泣いているのだ、とその事実を認めた。認めたからと言って、精神が死ぬわけがないではないか。
「……確か、ブレナン先生と言ったか」
その動きは速い。しかし、同時に遅くもある。ぽつりと具体的に、彼の強さを評した。総一郎は木剣を構える。下段。守りの構え。
斜めに、ブレナン先生の剣が総一郎を二つに裂かんと襲い来た。金属、それも鉄よりも上等の材質だ。総一郎は屈み、手首を柔らかくして木剣を上に持ち上げる。木剣に緩やかな軌道修正をされ、先生の剣は総一郎でなく地を抉った。刀身を踏む。ブレナン先生の動きが、一瞬、確かに止まる。
足を数十センチずらし、彼の剣の柄に足を掛けた。跳躍と同時に、突く。
飛び上がり離れて着地した総一郎の手に、もはや木剣は存在しなかった。刹那の静寂。鳥や虫の鳴き声、風のざわめきすら、その場には有り得なかった。それはきっと、後に訪れる嵐の大きさの為だ。
耳をつんざかんばかりの絶叫。
総一郎は、口から木剣を生やし事切れるブレナン先生に一瞥をくれてから、これからどうしようかと考えた。騎士学園にはもういられない。だから、手早く必要な物だけを回収して逃げるべきだ。
そういえば、と思いつく。焼却炉と言ったが、この学園の焼却炉ならば炎が聖神法によるものである可能性が僅かにある。それでなくとも、焼却炉が昨日の時点で稼働していなければ燃えている道理もないだろう。だから、まずはそれだ。
次に必要な物、と言えば食料だが、それならば山に籠ろうと決めた。近くには騎士候補生たちが足りない分の単位を補う、亜人や魔獣の生息する山がある。だから、食料の心配はあまりしないでもいい。
それに、市街地に出るのは危険だった。警察の手から、逃げ切るだけの自信が総一郎には無い。山なら、騎士候補生たちが向かってくる程度だろう。それに、自分よりも上の実力の人間が来ようと、山の中なら逃げ切るだけの余地がある。
そうと決まれば、善は急げ。修練場から駆け出ていく。妨げようとする生徒は居らず、誰も彼も総一郎の接近に怯えるだけだった。
何となく、修練場から出る寸前、総一郎は死体となったブレナン先生を見やった。大柄な体躯。強かったのだろうとは思う。きっと、彼が油断せず、総一郎が不意を突くような戦いをしなかったなら負けていたに違いない程度には。
けれど、それでも確かな事はある。彼の生前に定めた評価を、総一郎はやはり翻さないのだ。再び、彼をこのように評した。
「やっぱり、父さんよりも弱い」
興味を失い、木刀と教科書を得るために走り出す。
目に映るのはまず赤く薄汚れた床と、散乱した総一郎の私物。近くに転がっていた杖を使い、総一郎はまず自分の傷を癒し始めた。太腿が一番重症で、次に顔、そして腕、脛と直していく。腹部は、いつも後回しだった。大抵の状況では、腹は服が隠してくれる。
そして、散乱した服をひっつかみ、適当に畳んでクローゼットの中に押し込んだ。本も、分類別にちゃんと仕分けて本棚に入れ直す。『美術教本』を手に取り、結局残ったのはこれだけだったな、と口の中で小さく呟いた。
口端が引き攣るのを、堪えた。
作業をすればするほど、視界がぼやけていくのが分かった。口の戦慄きを、止められない。総一郎はそれを認めたくなかった。心の支えを全て失った今、認めた瞬間に自分は折れる。その事を、直感していた。
胸に込み上げるのは、恐怖から焦燥を抜いたものだった。目は拭わない。どんなに見づらくたって、絶対にしてやるものかと思った。歯を食いしばり、作業を続ける。水滴が頬を伝う感覚。無視して本棚に書籍を全て入れ、適当に着替えて電気を消した。
眠気は無かった。でも、無理やりに寝てやろうとした。出来なかった。微睡に至る時、燃え上がる木刀が見えた。そうなると、絶対に眠れなかった。
視線が自然と、掛け軸があった場所へと向かった。今は、ゴミ箱の中だ。木刀も、今頃燃えているのかもしれない。
「……僕は、大人だ。大人の、はずだったんだ……」
『なのに』と言うセリフは、噛み殺した。その先を言ったら、泣いてしまう。泣いたら、折れてしまう。折れてはならないのだ。自分は、父の子なのだから。
気分転換に、カーテンを開けて月を見た。三日月。何かを象徴するように、見る度に月は欠けていく。それはまるで、記憶の中の白羽の様だった。最近、少しずつ思い出せなくなっていく。
今目を瞑れば、ギルの貼り付けたような笑みが浮かぶのだ。
「……も、う」
その先は堪える。堪えられなくなったら、その時総一郎は死ぬのだ。肉体も、その時に生きていてもすぐに後を追う。
涙は、絶対に零さない。零したとしても、それを認めない。再び、ベッドに戻る。瞼の裏で燃え上がる木刀。明日の模擬戦を思い、恐ろしくなった。
その時、総一郎はスコットランドクラスにいる事を初めて感謝するのだ。スコットランドなら、木剣を渡される事は無い。剣を握らずに済む。剣を――刀を握って負けない限り、総一郎はしばらくの間生きていられる。
寝つけないまま、夜が明けた。
ドアと一体になっているポストに、何かが入っていた。手紙。送り主は――ワイルドウッド、と記されている。
「ワイルドウッド先生からの、手紙……」
開ける。そこにあったのは、謝罪に次ぐ謝罪。それに続き、ポイントが百ほど得られる、教員が私的に騎士候補生にポイントを与えたいときに使用されるナンバーが記されていた。これを使えば、スコットランドのフォーブス家までの旅費程度にはなるとのことだった。
「遅いよ」
総一郎は呟く。タブレットは、少し前にギル達によって破壊されてしまった。修理と言うか新しい物を頼みたかったが、クエストの受付の方々は全員総一郎の顔を覚えていて、「承れません」の一点張りだ。これは、完全に現状が詰んでいることの証左だった。
続いて記されたのは、独自に調査した、総一郎の親族の住所、そして電話番号だった。総一郎は思わず息を呑んでいたが、学園の全員がタブレットを持っている為、公衆電話の類がない事を思い出し、結局意味はないのだと諦めてしまった。それでもその電話番号だけはしっかり暗記してしまったのは、過去への執着ともいうべきものか。
時間が迫りつつあって、総一郎は急いで準備する。そのまま、食堂へと向かった。
「やぁ、イチ。いい朝だね。今日は模擬戦だ。生憎スコットランドだけだが、なんとアイルランドクラスの先生が実践的な戦闘法を教えてくれるらしい」
騒々しい朝食の中、総一郎を見つけたギルは言った。力なく挨拶する総一郎を、ヒューゴは罵倒し殴ってくる。受け、倒れた。他の人にもぶつかった。その人の分も殴られた。いつも通りだ。
朝食を詰め込み、授業を受け、失敗し、ヒューゴに殴られ、ホリスが拷問法を提案し、ギルが「じゃあ放課後そうしようか」と了承し、昼食を食べ、模擬戦の時間になった。
「では、スコットランド初の模擬戦を始める。武器は、杖としても使える錫杖やメイスなどを用意してあるが、生憎と数が足らず数人は自前の杖を使ってもらう。何なら木剣があるからそれを使ってもいいが……、スコットランドクラスはそれで聖神法は使えないから、ふざけるとしても程々にな。まぁ、これからは模擬戦の機会も増えるだろうから自分に合った武器選びの試しという側面もあるため、一種類の武器の独占はしないように」
アイルランドの教官――ブレナン先生は、落ち着いた風にそう言った。彼はアイルランドらしい黒髪で、たくましい体つきをしている。総一郎の頬が引き攣るのを横目に、ギルが手を挙げて彼に質問をした。
「先生、このクラスには、半魔がいる事を知っていますか?」
嫌そうな顔で、首肯する。
「ああ、一応聞き及んではいる。それが何と言う名前なのか、どの様な容姿かまではな。すでに一度問題を起こしていると聞いたから、……私は、容赦はしないつもりだ」
ブレナン先生の発言に、スコットランドクラスの生徒の大半が歓声を上げた。彼を含めた視線の多くが、総一郎に突き刺さっている。一度起こした問題と言うのは、総一郎がクラス全員に私刑にされた時の事だろう。
行動を起こす気力もなく、何もせずにいた。舌打ちがいくつか聞こえ、「では、始めとする。各自武器を取って、何人かで組むように!」との言葉と共に散らばっていく。
「イチ。君はこれを使いなよ。自前の木剣を持っているくらいなんだから、慣れているだろう?」
ギルが、自分のメイスを取りながら総一郎に木剣を渡した。色が古く、何処か腐っているのかと思うほど柔らかい部分がある。それを、総一郎は拒んだ。
「何だ? ギルの決定に文句があるのかよ!」
ヒューゴの蹴り。条件反射の様に喰らって、総一郎は悶絶した。「嫌です。ごめんなさい。それだけは許してください」と懇願する。頭を地に擦り付ける事さえ厭わなかった。だが、それをギルは当然のようにせせら笑う。
「駄目だ。模擬戦とはいえ、真剣にやるのは当然だろう? 君の本領を見せておくれよ。君たちも見たいだろう? イチの本気を!」
ヒューゴ、ホリスのほかにも、数人のスコットランド生が肯定の声を上げた。こうなると、もう総一郎には反抗が出来ない。木剣を握らされた。手が、震えた。自分が今持っているのは「死」そのものなのだとすら思った。
けれど、視界はそれを皮切りに明瞭になった。
「……アレ?」
総一郎は、何よりもまず戸惑った。世界が、自分のイメージとは真逆の物だったからだ。ホリスが、大きなメイスを持って殴りかかって来、その後ろではヒューゴがこっそりと聖神法の祝詞を唱えている。困惑と共に、木剣を揺らした。ホリスの懐。突く。崩れる。
その向こうに、呆気にとられた様子のヒューゴが居た。近づいて籠手を打ち、その手から大きな杖型のロッドを落とす。まるで狐につままれたような気分で、その喉を突いた。少し吹っ飛んで、苦しそうに悶えはじめる。
「ブシガイトが、ブシガイトが暴れ出した!」
「は?」
一人の男子生徒の呼び声に反応して、何人もの生徒が駆け寄ってきた。それぞれが祝詞を唱え始めるが、完成間近の生徒を狙って頭や胴体を打っていくだけで特に苦戦するという事もない。気付けば、十数人の生徒が総一郎に打たれ倒れ伏していた。気絶は零。全員が苦しげに悶えている。
「……」
そこで、総一郎はやっと理解し始めた。今の状況がどういう物であるのか、そして、今までの惨状がどれだけ異常であったのかを。しかし、その異常さは人間としてのそれではない。生物的なもので、もっと言えば弱肉強食的な考えのそれだ。
戸惑いもいつしか消えた。混乱も、焦りもない。アイルランドクラスの先生が、使命感とそれを遥かに上回る怒りを携えてこちらに駆けてくる。
それを眺めていると、総一郎が抱える虚無感が大きくなった。涙が、頬を伝う。泣いているのだ、とその事実を認めた。認めたからと言って、精神が死ぬわけがないではないか。
「……確か、ブレナン先生と言ったか」
その動きは速い。しかし、同時に遅くもある。ぽつりと具体的に、彼の強さを評した。総一郎は木剣を構える。下段。守りの構え。
斜めに、ブレナン先生の剣が総一郎を二つに裂かんと襲い来た。金属、それも鉄よりも上等の材質だ。総一郎は屈み、手首を柔らかくして木剣を上に持ち上げる。木剣に緩やかな軌道修正をされ、先生の剣は総一郎でなく地を抉った。刀身を踏む。ブレナン先生の動きが、一瞬、確かに止まる。
足を数十センチずらし、彼の剣の柄に足を掛けた。跳躍と同時に、突く。
飛び上がり離れて着地した総一郎の手に、もはや木剣は存在しなかった。刹那の静寂。鳥や虫の鳴き声、風のざわめきすら、その場には有り得なかった。それはきっと、後に訪れる嵐の大きさの為だ。
耳をつんざかんばかりの絶叫。
総一郎は、口から木剣を生やし事切れるブレナン先生に一瞥をくれてから、これからどうしようかと考えた。騎士学園にはもういられない。だから、手早く必要な物だけを回収して逃げるべきだ。
そういえば、と思いつく。焼却炉と言ったが、この学園の焼却炉ならば炎が聖神法によるものである可能性が僅かにある。それでなくとも、焼却炉が昨日の時点で稼働していなければ燃えている道理もないだろう。だから、まずはそれだ。
次に必要な物、と言えば食料だが、それならば山に籠ろうと決めた。近くには騎士候補生たちが足りない分の単位を補う、亜人や魔獣の生息する山がある。だから、食料の心配はあまりしないでもいい。
それに、市街地に出るのは危険だった。警察の手から、逃げ切るだけの自信が総一郎には無い。山なら、騎士候補生たちが向かってくる程度だろう。それに、自分よりも上の実力の人間が来ようと、山の中なら逃げ切るだけの余地がある。
そうと決まれば、善は急げ。修練場から駆け出ていく。妨げようとする生徒は居らず、誰も彼も総一郎の接近に怯えるだけだった。
何となく、修練場から出る寸前、総一郎は死体となったブレナン先生を見やった。大柄な体躯。強かったのだろうとは思う。きっと、彼が油断せず、総一郎が不意を突くような戦いをしなかったなら負けていたに違いない程度には。
けれど、それでも確かな事はある。彼の生前に定めた評価を、総一郎はやはり翻さないのだ。再び、彼をこのように評した。
「やっぱり、父さんよりも弱い」
興味を失い、木刀と教科書を得るために走り出す。
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