武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

8話 我が名を呼べ、死せる獣よ(5)

 二度目の逗留。日本の夏は、イギリスよりもジメッとしていて暑かった。
「王手飛車取り」
「む、中々ファーガスもやるようになったね。ならこっちはこうだ」
 ぱち、とソウイチロウは王を横に移動させる。そこに、ファーガスは飛車を取ってホクホクだ。「じゃあ僕だね」とソウイチロウがさして悔しくもなさそうな声で一手。
「詰み」
「え?」
 詰んでいた。
「……あれ?」
 縁側。蝉が五月蝿かった。風鈴の音だけは、ファーガスのお気に入りだ。障子を開け放っていると、風が通り抜けやすい。その度に鳴る静かで涼しい音が、好きだった。
「碁は結構強いのに、将棋となると弱いね、ファーガスは」
「畜生……。タマも将棋となると助言もろくにせず帰っちまうしさ」
「将棋できるのなんか、山姥の婆様くらいだからね。僕もあの人には勝てないんだ」
「ふぅん」
 盤面を崩して、「もう一戦やる?」と尋ねてくる。しかし、あまりソウイチロウ自身も乗り気ではないような顔をしていた。「いいや」と言い終わる頃にはすでにほとんど片づけて、伸びをして家の中に入って行ってしまう。
 テレビをつけると、ニュースがやっていた。いつもなら、チャンネルを回すように言う。だが、特報として映っている事件に興味が湧いて、変えないように言った。きょとんとした顔で、ソウイチロウはファーガスの顔を見る。
『現在特区から脱走した屍食鬼たちは、幼稚園に立てこもっている模様です。その人数は不明。保育士らは全員殺害され、子供たちが人質に取られている為突入が困難な状況となっています』
「……何て言うか、日本って治安がいいと思ってたんだけど、そうでもないみたいだな」
「え? 治安は良い方だと思うけど」
「……これで?」
 ファーガスは、目をぱちくりさせながらテレビ画面を指さした。ソウイチロウはしかし、さして動じた風もなく「ブラフだから、あれは」と薄く笑う。
「人食い鬼たちは、多分テレビを通して情報を掴もうとしているんだろうね。そして、警察側にそれが漏れてる。多分五分以内に解決したって速報が入るよ。日本人なら常識だからね、こんなのは」
 ソウイチロウが言い終わってすぐに、画面が切り替わった。園児たちは全員無事に保護され、屍食鬼たちは全滅したという報道が流れ始める。
「え? はぁ!?」
「人食い鬼関連のニュースは、小学校二年生で習うんだけど、精神魔法が掛けられていて対応した魔法を使ってみると内容が全然違うんだ。ファーガスには多分ヤバい感じの状況説明だっただろうけど、僕にはあのニュースが『迷彩突入隊、幼稚園内に入り、状況確認終了間近』と見えていたよ」
 状況確認が終われば一分弱で彼らを全滅させられるからね。と平然と言う。ファーガスは、文化の違いに酷い衝撃を受けていた。
「で、でも保育士さんが死んでるんだろ?」
「え? 死んでないよ? ほら」
 ソウイチロウの言うとおり改めて画面に目を向けると、『死者なし。軽傷一人』と文字が出ていた。あんぐりと、ファーガスは口を開ける。
「人食い鬼の犯罪には慣れてるから、日本は。人食い鬼は魔法が使えない。確実に勝てる幼児しか手を出せない。だから、保育園とか学校教師とかは大抵強い人ばかりなんだ。僕も助けられたことがあるよ」
「え? ……ソウイチロウ、じゃあ」
「まぁ、当時は怖かったよね。今はあいつらが何人来ようと勝てるけど」
 ファーガスは、ぺたんと座り込んだ。目を瞑って、唸る。ソウイチロウは「あーっと、カルチャーショック?」と気まずそうな声で言った。そんな一言で終わらせていい感情でもないと思うのだが。
「……こういう事って、よくあるのか?」
「うーん。人生で一回もない人は、当然いるよ。でも逆に、図書にぃみたいな何度もさらわれる人も居る」
「何度もさらわれてんのかよ、あの人」
「慣れたって笑ってた」
「……」
 ファーガスは、渋く黙り込む。「どうしたの?」とソウイチロウが覗き込んで来るから、気乗りがしないまま尋ねた。
「特区って言ってたけどさ、つまり人食い鬼っていうのは、一応その中では生きていていい、って扱いになってるんだよな?」
「うん」
「でも、頻繁に脱走して子供をさらって食べようとするわけだ」
「脱走を止める手段がまだ確立できてないんだよね。何でかわからないけど、どうやっても逃げられる。その一方で、事後対策がどんどん熟練されていくから年々犠牲者が減って行ってもいるんだけど」
「何で、日本人はあいつらを生かしておくんだ? 全員、殺しちまえばいいだろ。要はほぼ確実な犯罪予備軍なんだから」
「あー……」
 そう思うよね、とソウイチロウは苦笑した。その、どこか冷めた反応に、ファーガスは苛立つ。
「訳分かんねぇよ、この国。こんな、ニュースに仕掛け組み込むくらいなら、折角ほとんどを一か所に集めることが出来てるんだ。皆殺しちまえばいいじゃんか! どうせ何の役にも立たないんだから!」
 ファーガスの怒りに、ソウイチロウは困り顔で笑いながら「まぁまぁ」と諌めるばかりだ。そんな聞き分けのない子供のような扱いが気に食わず、ファーガスは一層ヒートアップしそうになる。
 それを遮るように、ソウイチロウは「でもさ、」と言った。
「日本人は、彼らがどんなに無秩序で無価値でも、生かしておかなければならないんだよ」
「は、はぁ……? 何で、そんな……」
「だってさ」
 ソウイチロウは、こちらを見て微笑した。彼はそのまま、何かを言った。それがきっかけで、ファーガスはソウイチロウの前世を疑い始めたのだ。
 しかし生憎と、ファーガスはその詳細を覚えていない。


 剣戟。鍔競合い。不思議なことに、今のところ勝負は拮抗していた。
 ファーガスは、一度距離を取った。ソウイチロウは木刀の先を揺らしながら、顎を引いて視線を鋭くしている。表情は、よく分からない。喜んでいるようにも見えるが、この殺し合いを楽しんでいるという風ではなかった。
 再び、じりじりと距離を詰めていく。そこから、不意を突くように盾を突き出して迫る。ソウイチロウは、以前の模擬戦に使った麻痺を警戒して、こちらから見て右に避ける。そこに、ファーガスは杖を振った。
 スコットランドクラスの聖神法。日本の魔法さながらの炎弾が、ソウイチロウに向かって飛んでいく。
 背後に、跳んだ。ファーガスは、盾を投げ飛ばす。そうなると、彼に逃げ道は一つしか残らない。左に避けたソウイチロウに、ファーガスは切りかかった。当たる。しかし、手ごたえは薄い。
「……皮一枚」
 ソウイチロウの頬。薄い傷から、血のしずくが伝った。「随分と強くなったね」と彼は笑う。
「ちょうど良かった。手加減はしたくなかったんだ。今の君なら、魔法を使っても簡単には死なない」
 風が、ソウイチロウの周囲でうねり出した。ファーガスは体勢を低くして、手を目の前に翳す。
 凄まじい風圧だった。もしかすれば、飛ばされてしまうかもしれない。そうなったら、終わりだ。手の出しようがないだろう。
 圧倒的な力。それは、かつてのファーガス自身を思い出させる。あの時の黒いドラゴンから見た自分は、こんな感じだったのか。ならば、何だというのだ。俺は、今自分と対峙しているというのか。
 ソウイチロウ。一番の親友だった。そしてきっと、前世にファーガスが三番目に殺した、あの青年でもあるのだろう。立場は、まるっきり入れ替わってしまった。何故だろうと、悲しくなる。
 自分は、過去と決別した。対峙しているのは、ソウイチロウだ。前世の自分ではない。
「今度は、こちらから行くよ。ファーガス」
 言葉と同時に、ソウイチロウの姿が掻き消える。前に披露された光魔法。音も、同様だった。だが、酷く高ぶったファーガスにとって、それはほとんど意味のない一手だった。如何にソウイチロウとて、消えた直後に高速移動はできないだろう。風も、その手助けをする程度だ。
 そのように直感して、駆け出し、斬った。手ごたえ。しかし、硬すぎる。殺気を感じて、踵を返しざまに杖の炎で焼き払った。ソウイチロウは姿を現し、少し驚いた顔で嬉しそうにしている。
 奴は、これが始まってからずっと嬉しそうだ。だが、ソウイチロウは戦闘狂ではない。きっとファーガス以外の相手と対峙してここまで手間取っていたなら、酷く不機嫌だったろう。
 分かるのだ。何となく。ファーガスは間髪入れずに迫り、片手剣で素早く五回、六回と細かな突きを繰り出していく。ソウイチロウは、為す術もない。木刀でこちらの籠手を打とうとしても、ファーガスは察して盾で防ぐだけだ。
 ソウイチロウの纏う風が、一段と強くなる。対して、奴の動きが急に軽やかになった。神経が過敏なまでに鋭くなったファーガスには、ソウイチロウの次の手が容易にわかった。飛ぼうとしているのだ。そうすれば、ファーガスに打つ手はない。
 しかし逆に言えば、飛ぶために軽くした体重では、木刀でのダメージなど考えるまでもなかった。
 盾を捨てて、ファーガスは全速力で走った。わずかに宙に浮きかけたソウイチロウは、それを見てぎょっとする。一瞬の隙。急いで浮き上がろうとしたが、ファーガスはギリギリのところでその足首を捕まえた。次いで、その側面から剣を突き刺し、内側からアキレス腱を両断した。
 うめき声。木剣が迫り来たのを、ファーガスは寸前で反応した。恐らくだが、奴の体重にかかる魔法の効果が切れている。食らえば致命的な隙になる。負ける。ファーガスはソウイチロウの胸元辺りを思い切り蹴飛ばして、根っこから強制的に攻撃を止めさせた。反動でこちらもよろめくが、蹴り足を強く着地させ、そのまま駆け出す。


「ファァァァァァアアアガスゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥ!」


「ソォォォォオオオオオイチロォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!」


 互いに、互いの名を高く呼び上げた。勝てる。ファーガスは、確信する。ソウイチロウは、もはや立つことさえままならないだろう。このまま、攻め手を緩めなければいい。ソウイチロウの土俵は、張り詰めた緊張との静寂と一瞬の交錯にある。連続する斬り合いでは、本領など発揮できないのだ。
 最後の一手とばかり、ファーガスは走りざまに捨てた盾を拾ってソウイチロウに投げつけた。しかし、あえて当てない。横を通り過ぎるだけだ。ただし、掠るほどのギリギリの弾道。そうすれば、斬りこむときに邪魔にならず、当ててショック状態にさせるのとほぼ同じほどの意識の空白が作れる。
 ファーガスの予想通り、掠めた盾を、自分の背後にまでソウイチロウは目で追ってしまった。人間の反射神経による弊害。終わりだと、思った。
 寂寞が、ファーガスの一太刀を後押しした。
 最高の一撃だった。これでソウイチロウを葬るのだと思うと、手向けが出来たように感じられた。首を狙えば頭が飛ぶような鋭い一閃。
 だが、それは剣に刃が付いていればの話だ。
 ファーガスの刃は、折れていた。甲高い音と共に、ソウイチロウの背後の地面を滑っていく。
「……はっ?」
 ファーガスは一瞬硬直し、我に返って後ろへ飛んだ。ソウイチロウは、座り込んだまま荒く息をついている。それは、怪我によるものではなかった。一体、奴は何をした? ファーガスは訝って、座ったままのソウイチロウに手が出せなくなる。
 しばらくして呼吸を整えたソウイチロウは顔を上げた。まっすぐに、少年の目を見ている。
「すまなかった、ファーガス。模擬戦と実戦を同じにしては駄目だね。君は、遥かに予想よりも強かった。魔法は十中八九使わないだろうと思っていたのに、使ってまで僕は追い込まれた。近距離戦には向かないんだね、アレ。勉強になったよ。まさか自分を巻き込みかねないから、ほとんど使えないとは……」
 ソウイチロウは、平然と立ち上がる。見れば、アキレス腱の辺りが治癒していた。「生物魔術だよ」と短く告げられる。そんなのアリかよ、と心の中で毒づく。
「随分と余裕かましやがって。何だ? まだ奥の手は残ってるってか? というか、もしかして今剣が壊れたの、ひょっとしてお前がやったのか?」
「うん。そしてそれが奥の手だ。ただし、安心してくれ。これで打ち止めだから。……えっと」
 ソウイチロウは人差し指を立てて、何かを数えるように数回振った。次いで「おし」と呟く。顔から、油断や親しみと言ったものの全てを落ちた。ギラギラと光る眼が、自分の事を強く射ぬいている。
「来いッ! ファーガス!」
 木刀を改めて構える。頭上。あまりに好戦的な姿勢。ファーガスは剣と盾を装備し直し、それぞれに聖神法をかけて、機を窺う。
 隙は、ない。だが僅かながら疲労が見て取れる。それが、数秒後に隙に転じると見出した。ファーガスは、間を詰める。どちらの得物も届かない位置で、じりじりと言葉無く挑発する。
 苛立ったような身じろぎ。そこに、疲弊から来た一瞬の停止。間隙を縫い、深く踏み込んだ。剣が、ソウイチロウの胸に突き刺さる。
 しかし、それは罠だった。
 回避からの三発。木刀でひざの裏、腰、のどを打たれた。辛うじて最後だけは盾で守ったが、一撃一撃の重さに背面からひっくり返る。急いで、転がって逃げた。追ってくる。突き。防ぐものの、それにより盾に掛けていた聖神法を解かれ、奴の蹴る足で防御を引っぺがされた。木刀が正面から襲い来て、それを剣で止める。その時、先ほど打たれた腰に痛みが走った。力の釣り合いが取れなくなり、吹き飛ばされる。
 ファーガスは、今までの攻勢をまるでひっくり返されて、半ば恐慌状態に陥っていた。今まで、それほどまでに手加減されていたのかと思うと、腕に震えがくる。
 対して、ソウイチロウはむしろ、先ほどよりもはるかに負担が軽くなったという雰囲気だった。動きも、緩慢なものと鋭い物を織り交ぜるということが出来ている。ソウイチロウの土俵。引きずり込まれたと、今更に気付く。
「……やっぱり、『これ』は少し卑怯だったかな」
 ソウイチロウは肩を竦める。ファーガスは袋から予備を取り出すが、それでも心許なかった。起死回生の案はない。ただ、真正面から圧倒されている。
 死ぬのか。ファーガスは、身震いをした。ソウイチロウは、自分に殺されたいと言った。しかし、額面通りの言葉でない事は明言する必要もない。
 その時、絞り出すような声が聞こえた。遠く。五十ヤードほど先で、ベルが心配そうな表情でこちらを見つめている。彼女は口をパクパクさせ、しかし何も言えないでいた。その顔色は真っ青だった。酷い緊張と恐怖に支配されていた。
 ハッとして、ソウイチロウに視線を戻す。奴はベルを一瞥して、薄く笑ってからこちらを見た。その時、ファーガスは状況を理解した。自分の死は、ただそれだけではない。ベルの命もまた、自分が担っているのだ。
 負けられない。その時、不意にソウイチロウの姿が何者かと重なった。血まみれで、こわばった表情をして、脊髄の付いた頭を鷲掴みにする少年――前世に、鏡越しに見つめた自分。
 恐怖に、耐えられなくなった。同時に、思い出す。
「……ネル」
 ファーガスは、口を開いた。再び間合いを狭め始めていたソウイチロウは、その挙動を警戒して足を止める。
「――――――――――――――――――――――――――――――」
 呪文を、放った。次いで、所作を加える。ソウイチロウは、感づいたのかこちらに駆け出した。必死な形相。しかし、手の届く寸前でソウイチロウは倒れた。
 濡れ雑巾を、落としたような音がした。
 水ぶくれのようなふくらみが全身に浮き上がり、倒れた拍子に潰れたようだった。くつからも液が漏れ出ていて、その所為で倒れたのだと気づく。ソウイチロウは地面の上でのたうっていた。酷い苦しみ様で、血が目に入って何も見えていないらしい。彼は、自らの体から出た血と膿の中でもがき、そのまま動かなくなった。『破壊』。文字通り、破壊した。
 ネルが、出会いがしらにお見舞いしてやれ、などと威勢よく言わなかった理由が分かった。出来れば、彼も使ってほしくなかったのだ。
「……ごめん。ごめんな、ソウイチロウ……。ちゃんと、殺してやれなくて。俺が、お前を止められるほど強くなかったから……!」
 こぶしを握り締めて、震えた。涙は、彼に向けて流せなかった。不甲斐ない。自分は、一番の親友もまともに看取ることが出来ないのだ。
「ファーガス!」
 ベルの呼び声。少年は、振り返った。すると、飛び込んで来る銀色の少女。「ファーガス、ファーガス」と少年の名を連呼しながら、嗚咽する。
 生者に安堵するのも、死者を悼むのも、この場には不釣り合いだった。彼女も、きっとその判別がつかなかったから、何も言わないでいるのだ。ただ、愛しいと思っていることを伝えてくれるために、名を呼んでいる。
「ベル……」
 ファーガスも、ベルの事を抱きしめ返した。すると涙が漏れ出てきて、次第に堪らなくなるのだ。
 何故、ソウイチロウを殺さねばならなかったのか。ローラが殺されねばならなかったのか。
 亜人への迫害。しかし、それすらも謂れがないと言っていい。当時のソウイチロウには人間に対する悪意などなかった。それをむやみに迫害し、反抗したことをやり玉に挙げて弾圧を過激化させた。
 ファーガスは、声を上げた。ベルの抱きしめる手が強くなる。
 憎悪。復讐。きっと、ファーガスの歩む道の先にそれがある。しかし、今は悲しみしかないのだ。ただ、いまだ強さを身に付けられない自分が呪わしい。
 泣き続けた。何分も、何十分も。涙が枯れるまで、泣こうと思った。
 だが、その前に異変が起こった。
 呼吸が、突如として苦しくなった。泣き声が詰まり、えずき、咽始める。ベルがとまどったように「ファーガス?」と名を呼んだ。少年は崩れ落ちて、地面に手を突き咳き込む。
 水。
 嘔吐するように、ファーガスは気管から水を吐きだした。その水はやがて肺を満たし、ファーガスを地上で溺れさせる。
「ファーガス? ファーガス!」
 ベルが、震える手で少年の背中をさする。それは、意味をなさなかった。不可解な恐怖がファーガスを襲う。けれど、彼を襲ったのはそれだけではなかった。
「『破壊』と言う魔術は、見た目は派手だけれど相手にダメージを与えるものでは決してないんだ」
 存在しえない声が、背後から聞こえた。
「ただ、相手の機能を一時的に破壊する。痛みを起こす手錠をかけるようなもので、しかも数十分もすれば解けてしまう。僕を殺すんだったら、この上でとどめを刺さねばならなかった」
 どこか水気のある足音が、背後から迫ってくる。夜の中、一層濃い影がファーガスを覆った。「ひっ」という、ベルの息を呑む声。
「だけど、これはそれ以前の問題だ。何故、君がこの呪文を知っている? ……答えは一つだ。ファーガス。君が、禁じ手を使ってしまったことに他ならない」
 水を口より垂れ流しながら、ファーガスは背後を見る。血と膿で全身を濡らしたソウイチロウが、木刀を片手に酷く冷たい視線を向けている。
「ファーガス。僕は、君に殺されたかったんだ。あんな奴らに騙されて死んでいく運命の君に――君の死体に、殺されたかったわけじゃない」
 木刀が上がり、そして掻き消えた。残像が、目に焼き付いて離れない。

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