武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 銀世界(5)

 ファーガスは、ソファーに座って天井を仰いでいた。その隣に、ベルは寄り添っている。
「ファーガス、いい天気だからテラスに行ってお茶でもしない? こっそり父上の秘蔵のお菓子を持ち出して」
「いや……、ごめん。そういう気分じゃないんだ」
「そっか……」
 ファーガスの返事がつれなくて、ベルは意気消沈してしまう。しかし、いつもは自分を引っ張って行ってくれるファーガスが沈んでいるときこそ、自分が元気で居なければならないのだと自らを叱咤した。頑張れクリスタベル! こんなことで彼の恋人が務まるか!
 あらましは、父上やフェリックスから聞いていた。夜の狩りに出ようというのは口実で、ファーガスの『能力』がどんなものであるかを確かめに行こうとしたと聞いて、少女は激昂し、二人を叱り付けた。久々に怒ってしまったと彼女は少し後悔している。その所為もあってか、二人は今静かだ。
 この部屋は、薄暗い。不意に、そう感じた。カーテンはベルが開け放ったが、それでも日が入り切っていないように思われた。アメリアも、何だか寒そうにソファーの上で丸くなっている。
 ファーガスに目を向けると、俯いて深刻そうな表情をしていた。何があったのだろう。何が、あのすぐに立ち直ることのできるファーガスをここまで打ちのめしたのだろう。
「……ねぇ、ファーガス。私は、絶対に君の味方だよ? 絶対に裏切らないし、絶対に君から離れていくつもりはない。……だから、君の言う不思議な力のことを、教えてくれると嬉しい。もちろん、使えなんて言わないよ。約束する」
 数日間何も変わらないままで、鬱憤が溜まっていたのかもしれない。気づけばそんなことを口にしていて、「ごめん、何でもないんだ。気にしないで」と手と顔を振ると、ファーガスは力ない瞳で少女を見て、「いや……」と言った。
「そうだな、ベルには、教えておきたいと思っていたんだ。でも、一応『能力』は使うよ。どうせ今更使おうと使うまいと同じだし、見なきゃ信じられないことを言うからな。……あと、さっきの約束は反故にしてくれてもいい」
 その言葉に反応して、ベルはファーガスに言葉をぶつけようとした。だが、彼が言った「あのツボを見てくれ」との言葉に、いったん矛を収める。
「今から、あのツボをここから粉々にする」
 目を向けると、客室のすべてに飾られるツボがあった。値段はあまりしない量産品だ。本当に価値のあるものは、父上の部屋くらいにしか飾られていない。
 何をするつもりだと訝って、ベルはファーガスに目を向けなおす。彼は親指と中指を合わせていた。指でも鳴らすつもりなのか。
 彼の指が鳴った。連動するようにツボが砕け、ベルは身をすくませる。
 だが、それで終わりではなかった。さらに二度、ファーガスは指を鳴らす。ツボの破片はそのたびに細かく砕け、彼の言った通り砂粒の大きさにまで変わる。
「……俺は、今何をしたかわかるか?」
「い、いや……」
 ベルは考えるが、さっぱり見当がつかなかった。ドラゴンを殺したのと、フェリックスを気絶させた事。それと、まるで繋がるところがないように思った。
 ファーガスは、さみしげに笑いながら言った。
「これは、俺が鳴らした指の音を、衝撃波と同等まで強化したんだ。今まで俺が使ったのも、全部強化。ドラゴンの攻撃を倍以上の力にして返す盾と、振るだけでその延長上にあるすべてを切り裂く剣。師匠の時のは、触れると気絶させられる剣だった」
「強化? 強化って……」
「いや本当、それだけなんだよ。だけど、『能力』には限界がないし、使ったことによるデメリットみたいなのも一切ない。手に入れるために努力する必要もない。人生のどっかしらのタイミングで、偶然、手に入れてしまう。そういうものなんだよ、これは」
 もういいか? とファーガスは言った。その眼には、怖がるような拒絶の色があった。出て行けという事なのか。ベルは納得がいかず、問うた。
「それなら、何でそのことをひた隠すんだ? 使ってもデメリットなんかないんだろう?それなら、何で……」
「もういいだろ、出て行ってくれ」
「嫌だ! 全部話してくれなきゃ」
「頼むから、出て行ってくれ!」
 その声は、部屋中の物をランダムに破壊した。テレビが割れ、ベッドが破け、棚が砕けた。彼は、ベルを睨み付けている。それに、少女は体の動かなくなるような恐怖を抱く。
 だが、ベルはそれが我慢ならなかった。非常な理不尽に襲われている心地がした。煮え滾るような激情が、彼女の中で湧き上がっていく。
「……許さないよ、ファーガス」
「何だって?」
「君は、私のことを好きだと言った。私も、君のことが好きだ。なのに、君は何も私に言わないで私のことを拒む。それは、理不尽だよ。私は、そんな横暴許さない」
「ベル、お前何言って」
 ファーガスは論旨の筋立たないベルの言葉に困惑して、意識に隙間を作った。ベルはその間隙をついて、彼の襟首を引き寄せてキスをした。ファーガスは目を剥き、ベルは目をつむる。
 数秒して開放すると、彼は混乱したのかどもりながら「な、な、何を考えてんだよ、ベル!」と後ろにバランス悪く下がった。少女はそこに追いすがり、彼の胴体を掴んで押す。彼は転びそうになりながら後退し、ついに倒れこんだ。そこには、ベッドがあった。
 ベルは素早くファーガスの上に馬乗りになった。瞬間下唇を噛んだが、すぐに止めた。自分自身が弱気でいたら、脅しではなくなる。
 まっすぐにファーガスの目を見つめて、ベルは言い放った。
「ファーガス、君がすべて言ってくれないなら、私は君を襲う」
「襲うって、もう襲ってんだろ、これ」
「違うよ。違う意味での、『襲う』だ」
 言いながら、ひどく顔が熱かった。けれど我慢して、毅然とした表情を保っている。ファーガスは意味を理解して、口を唖然と開閉し、渋面で横を向く。
「ベル。それは、……卑怯だ。逃げ道ないじゃんか、そんな言い方されてさ」
「君が私に説明せずに追い払おうとしたのは、これよりももっと酷かった……! だってそれは、君が私に価値なんてないって言っているようなものだ! 私なんて、どうでもいいんだって……」
 ベルは、ファーガスの降参を聞いて堪らなくなった。彼に怒りを抱いてから崩さないと決めた態度は、それをきっかけに瓦解した。激情は表に吹き出し、涙が珠になって彼の胸元に垂れ落ちる。
 その滴を、拭う手が現れた。ベルが我に返ると、ファーガスが彼女の眼もとに指を当てている。
「悪かったよ。そんなつもりじゃなかった。……本当はさ、墓まで持って行くつもりだったのになぁ。何でこんなことになったんだか」
 諦めたような表情で、ファーガスは言う。「ちょっといいか?」と言われ、ベルは彼の上から退いた。彼はおきあがり、ベッドの端で嘆息する。そのまま薄目でしばし沈黙していた。再び張りつめ始めた空気が、ベルにファーガスの覚悟を感じさせる。
「……俺にはさ、前世の記憶があるんだ」
「前世?」
「そう。前世。ソウイチロウの出身国って覚えてるか?」
「ジャパン……だったよね」
「ん。前世の俺はそこ出身で、ちょっとした出来事をきっかけにこの『能力』を自覚したんだ」
「……今更ぼかすなんて見苦しいぞ、ファーガス」
「いや、本当にちょっとした事なんだよ。なんて言えばいいんだろうな……。学校でさ、当時流行ってたおまじないをやったんだ。恋の魔法とか言ってさ、その時はクラス中が男女関係なく仲がいいっていう珍しい環境で、仲のいい友達に誘われてやった。そのお呪いっていうのは、特殊な呪文を掛けた意中の人の持ち物を持っていると結ばれるっていう、有りがちなものだった。平凡だなと思いながらやって……、その時、俺はこの『能力』を自覚した」
「……何が起こったんだ?」
「俺が、所有者に惚れろと念じたものを持っている奴は、間違いなくその呪いの対象者に惚れられた。効果が強すぎて、まるで人を操る魔法の杖みたいな扱いをされてたな。俺は実験半分っていうか、調子に乗って個人用じゃなく集団用の物を作って、あまりの効果に血の気が引いた」
「……それで」
「……結果から言えば、俺は見ず知らずの人を百人以上殺すことになった」
 ベルは、言葉を失った。何故とは聞けなかった。ファーガスはひどく苦しそうに「何でそうなったかは聞かないでくれ。話せないんだ。思い出すだけで」まで言ったところで、口に手を当てて喉を鳴らした。彼は垂れかけた涎をぬぐい、潤んだ瞳で絨毯を見つめる。
「あの時の俺は、精神的に病んでたんだ。一番の友達に裏切られたり勝手に死なれたりして、世界なんか滅んじまえってずっと思ってた。そこに、態度の悪いおっさんがいてさ。こんな『能力』がなければ悪態ついてスルーしたはずだったのに、あったからつい使っちまった。……これが、初めての殺人」
 はっきりと思い出せるんだ、とファーガスは語る。
「覚える気なんてなかったのに、どんな人をどんな風に殺したかをはっきりと覚えてる。今では、それが頭によぎるたびに申し訳なくて堪らなくなるんだ。俺なんかの八つ当たりで死んだんだぞ? この命をいくつ使ったって謝りきれねぇよ!」
「……ファーガス」
 もういいと、言おうとした。けれど、ファーガスは頭を振りながら、半狂乱でその情景を紡ぎあげていく。
「最初の人は、頭を引き抜いたんだ。頭から背骨伸びた部分と、穴の開いた胴体が残った。無性に汚いって思ってさ! それを強化して、思い切り車にぶつけたんだ。車は爆発して、その破片が当たって一人死んでた」
「ファーガス、もう」
「……その次の、三番目の人がさ、一番俺の中に焼き付いてんだよ。みんながわーきゃー逃げてく中で、一人だけ厳しい顔で立ち止まって、何を必死に考えてた。携帯を取り出したのかな。俺が近づく前か後に必死に何かをして、最後に携帯を落として、拾おうともしなかった」
「もういいよ、ファーガス」
「その人がさ、俺に聞くんだよ。『何で君は』って。その眼が凄い強くてさ。総一郎に似てたっけな……。だからあいつと俺は、仲良くなれたのかな。どうしてもほっとけなくて。――俺が止まれるとしたら、あの時だったんだろうな。止まれなかったから、老人も殺したし、五歳くらいの子供も殺した。その、五歳くらいの子さ、殺した後に持ってたゲーム機を見たら、音ゲーがものすごい上手かったんだよ! ハードモードがことごとく解放されててさ。俺が殺してなかったら、将来ミュージシャンになっていたのかもしれないな」
「ファーガス。だから、もういいって」
「俺に立ち向かってきた若い人も居たっけな。珍しくて、思わず殺し方が残虐になった。あの時のドラゴンみたいに、四肢をそぎ落としたんだ! それでも、その人は簡単には屈しなかった。すげぇって思ったよ。四肢が全部なくなってダルマみたいになっても俺のことを睨んできてよ。こんなところで死んじゃいけない人だって思った。気づいたら死んでたけど」
「ファーガス! もういいって何度も!」
「それで好き勝手やってたら、俺みたいな『能力』を持った、俺よりはるかに強い女の子にぶち殺された」
「……え……」
「死ぬ間際に、正気に戻れた。その子にありがとうって伝えたら、『心よりのご冥福をお祈りします』って、本当に悲しそうに顔で言ってくれてさ」
「……」
「あの時、俺は本当に救われたんだよ。だから、前世のことをあんまり引きずらずに、今までやってこれたんだ。……もっとも、この『能力』が露見して、また難しくなり始めてるけど」
 過ちを繰り返すことだけは、したくないんだ。ファーガスは、そういって切なげに笑った。ベルは彼に縋り付き、震えながらしのび泣く。
「……俺、どうすればいいのかな。どうやったら、みんな死なずに済むのかな」
「分からないよ。でも、君がどうしてその『能力』を使いたがらないのかが分かった。……私からも、みんなに言う。もう君には、絶対に使わせないから……!」
「……ああ。二人で頑張って」
「はぁ? そんな甘っちょろいこと言って何とかなる訳ねぇだろ。お前ら揃いも揃ってバカだな」
 二人は同時に顔を上げた。その先には、いつも以上に舐め腐った態度で自分たちをあざけるネルが立っている。
「……ネル。今のは、許さない。ファーガスがどれだけ苦しんだと思って!」
「知らん知らん。つーか、外野は黙っとけ。――よう、ファーガス。一部始終聞かせてもらったぜ。別に、信じるとか信じないとか、今更無粋なことはいわねぇよ。聖神法で、嘘か真かくらいは簡単に分かるしな」
「……じゃあ、何のつもりだ」
「そうツンケンすんなよ。その『能力』、オレが引き受けてやってもいいぜって話だ」
「……」
 ベルはファーガスと目配せして、ともに真偽判断の聖神法を行った。だが、ネルは驚くべきことに嘘をついていなかった。ファーガスは、顔から表情の一切を失う。
「……本当なのか? 俺の『能力』を、持って行ってくれるのか?」
「ああ、本当だとも。しかも、お前から受け取ったところでオレは使えないことも分かってる。要はお前専用武器の譲渡って訳だ。ゲーム好きなら、言いたいことわかるだろ?」
「この『能力』が、事実上この世から消え失せるってことなのか? ――そんなことが、本当に……」
 ファーガスは、体を打ち震わせながらネルを見つめていた。ベルはしかし、何かがおかしくはないかと疑って、ネルに問う。
「その方法を、君はどこで知ったんだ? いきなりそんなことを言うなんて、不自然が過ぎるぞ、ネル」
「ンなもん本を読んだに決まってんだろ? ファーガスも言ってたじゃねぇか。奴は奴よりはるかに強いオンナノコに殺されたんだろ? つまるところ、ファーガスだけじゃねぇってこった。そりゃ何かしらの情報は残ってるだろうさ」
「……それに、行き着いたってこと」
「おうとも」
 ネルは、泰然と口端を歪めている。だが、どうも違和感があった。ベルの記憶では、もう少し彼は好感のもてる人間だったはずだ。しかし、今はどうだろう。嘲笑が彼の本質にまで染み着いたかのように、彼が不気味に笑っていない状況が想像できない。
「で、どうする? ファーガス。オレに一つ、任せてみるか?」
「本当なんだな? 本当に、この『能力』からおさらば出来るんだな?」
「ああ、約束しよう。ベルも、それでいいな?」
「……出来ると、言うのなら」
「じゃあ、決まりだ。ファーガス。お前はこの瞬間から『能力』を失う」
 ネルが、ファーガスの頭に手を伸ばした。掴み、瞬間光が散った。ファーガスは、手を見つめながら感嘆に声を漏らす。
「使えない。……本当に、使えなくなった!」
 彼の目からは、涙がこぼれていた。彼は心底嬉しそうにベルを見て、震えた両手を伸ばしてくる。
「やった……。やったよ……、俺、あの『能力』が使えなくなった……!」
「――うん。うん……!」
 先ほどまで疑っていたが、ファーガスが喜んでいるのなら問題はないだろうと、ベルはファーガスを抱きしめる。泣きじゃくり、足腰が立たなくなっている彼が、愛おしくて仕方がなかった。ベルは、これで何もかもがうまくいくのだと、大きな安堵を得る。
「……ヒヒッ」
 ネルの歪んだ笑い声は、そんな彼女の耳には入らなかった。

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