武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

7話 銀世界(1)

 ファーガスは騎士候補生とその教官たちという名の観客の前で、結界を眼前に立っていた。結界で封鎖されたオーガ達の山は、雪を被った木々に覆われて森閑と佇んでいる。
「グリンダー君。君の役割は覚えているね?」
「はい。オーガを、殲滅すればいいんですよね」
「ああ、その通りだ。この山は騎士候補生の育成に非常に有用な土地で、出来る事なら手放すわけにはいかない。……必ず、成し遂げてくれよ」
「ええ、勿論です」
 まるでパフォーマンスのようなやり取りだと、クリスタベルは思った。彼はこちら側――観客たる他の騎士候補生に、笑顔で手を振っている。そこに陰が差しているのを、一体この中の何人が気付いているのだろうか。
 ファーガスはその後封鎖の解かれた山に入り、再び結界が山を包み込んだ。名残惜しそうに、彼は結界に触れる。そこに、一体どんな感情が込められていたかは、少女には理解が及ばない。
 そのまま山の中に入っていったファーガスを見て、ベルは顔を顰めた。学校側の思惑は、分からないでもない。その上ファーガスのドラゴンを一方的に屠った実力があれば、リスクなしに山を取り戻せるのだ。使わない手はないだろう。
 けれど、少女はそんな大人たちの薄汚さが許せなかった。とはいえ、行動を起こそうにも起こせない。だからこうやって歯がゆく見守るしかないのかもしれなかった。
「おうおう、あんだけ煽っといて、いざ本人が消えたらそのまま解散か。まぁ、そりゃそうだな。ただ待つなんてクソの役にも立ちやしねぇ」
 今日は、特別措置で休日扱いになっている。ファーガスを手厚く扱う為と教師たちは言っているが、単純に山がこの状態では授業が碌にできないだけだろうと、ベルは吐き捨てるような気持ちでいた。
 ネルの言うとおり、ファーガスが見えなくなってから騎士候補たちは各々自由に散らばり始めた。ベルも彼等の立場なら、そうしただろう。だが、ファーガスと深い付き合いの彼女からしたら、ただただ苛立たしい。
「で、どうすんだ、クリスタベル。本気でここで待つのか?」
「うん。私は、私だけは、待つよ」
「そうかい。まぁ、ファーガスも喜んでくれるだろうよ。ただでさえあのヤベェ能力と、……あと、ブシガイトの事で悩んでたからな。ダイスキナガールフレンドが居りゃあ、気も紛れるだろ」
「そういう君の話し方が、私は嫌いだよ」
 少女は言ってから、簡易的に用意された魔方陣近くのベンチにちょこんと座った。するとどういう事だろう。ネルもまた、彼女の隣にドカッと座り込む。
「……どういう風の吹き回し?」
「別に。しばらく山に入ってねぇから、ちょっと眺めようかとな」
「多分、君にとっては暇そのものだと思うけど」
「そこら辺に抜かりはねぇよ。ゲームは持参済み。昼食のサンドイッチと間食のスコーンも十個持って来てある。しかも今回は前回の失敗を生かして保温してるしな」
「君は甘党なのを隠しもしなくなったね……。というか前回の失敗って何?」
 ネルは返事をせず、山の方に目を向けている。ベルも少しの間彼に視線を注いでいたが、結局止めて、ファーガスは何をしているのだろうと山を視界の中心に置いた。
 今日は、ここ最近の中でも冷える日だった。雪は降っていないが、天気予報では近日中に降ると言われている。その為、二人の服装は厚かった。ベルは意地になってもう一時間寒い中待っているが、ネルはと言えばゲーム片手にスコーンを齧ってほくほく顔で居るのだから、世の中は不公平だと感じざるを得ない。
 そうして居ると、ワイルドウッド先生が魔方陣の中から現れた。彼はこちらに目を向けて、「ずっと彼を待っていたのかい?」と目を丸くする。
「はい。それで、何故先生がこんな所に?」
「そっすね、何で……、先生が……」
「ネル。喋るか食べるか、どっちかにしたらどう?」
 会話の途中にもかかわらず黙々とスコーンを齧るネルに、ベルは呆れた。そんな二人に苦笑したワイルドウッド先生は、「いや」と手を振る。
「もう、終わったそうなんだよ。だから、結界を解きに来たんだ」
「え、終わったって……?」
 クリスタベルは、意味が分からずにきょとんとしてしまうる逆にネルは察したのか、「……あいつマジ化け物だな」と嫌そうな顔をした。
「え、どういう事なの」
「だーかーらー、ファーガスがたった一時間で百か二百居たオーガを狩りつくしたんだとよ。――っと。ほら、英雄様のお出ましだ」
 ネルの視線の先には、ファーガスの姿があった。一時間前に入山した時と、全く変わらない様子で、結界に触れている。
 ワイルドウッド先生によって結界が解かれ、ファーガスは「あー、寒」と言って腕の服を擦り合わせた。
「お疲れさま」
「……いいえ、大した手間じゃなかったですよ」
 はは、と先生の労いに乾いた声で笑うファーガスが悲しくて、ベルは少年の名を声高に呼んだ。意外そうに見開かれた瞳に向かって、少女は駆けより、強く抱きつく。
「ヒュー、熱いね」
 ネルがからかうように言ったが、そんな事は気にもならなかった。ファーガスは慌てたように手を動かしていたが、最後には躊躇いがちに少女を包み込んでくれた。
「心配してくれたのか?」
「心配じゃない訳がないじゃないか、バカっ!」
 こんな、子供の様な事しか言えない自分が、後になって恥ずかしい。


 こっそりと、ファーガスの部屋にお邪魔することになった。初心なベルは同年代の威勢の部屋に入ることなど人生で初めてで、顔を真っ赤にしてかすかに震えているほどだ。
 だが、扉を開けた途端駆け寄ってきたアメリアを前にして、少女はそんな小さな緊張などいつの間にか脱ぎ去ってしまっていた。人懐こい猫はすでにベルを好いてくれていて、手を広げると腕の中に飛び込んで来る。
「アメリアー! 会いたかったよ、いつも君はすべすべしてるね~」
「……ベルってさ、将来子煩悩な母親になるんだろうなって予想が付くよな」
「は、母親っ!? そ、そんな、照れるよ……」
「……ほんと、態度が砕けた時のベルの態度は気さくで、――可愛いよ」
「か、かわっ」
 二度目の驚きを示そうとした所で、少女はファーガスの表情に暗い物があるのに気付き、口を噤む。言われなくても、察しはついた。山に討伐に入る前は酷く怯えていて、出てきた時、彼は人知れず涙を流していたほどなのだ。
 人智を超えた、すさまじい力。
 直視したことのある人間は、今のところただの一人もいない。黒いドラゴンも、オーガたちも、彼が孤独に人知れず屠り、残ったのはその骸だけだ。
 その凄惨ぶりたるや、目を背けたくなるほどのものであるらしい。ドラゴンのそれは有用な研究資料であるのにも拘らず、騎士補佐以上でないと見るのさえ禁止されているとか。
 だが、それではファーガス自身はどうなるのだと、ベルは思う。彼は、自分と同じ第二学年ではないか。それなのに、オーガまで殲滅しろというのは矛盾にしてもあからさますぎる。
 アメリアを抱きしめつつ彼の様子を窺うが、ファーガスはただ虚空を見つめているばかりだ。気晴らしに付き合えればという考えで提案し、勇気を振り絞ってきたというのに、これでは何の意味もない。
 泣き言を言ってほしかった。愚痴を垂れてほしかった。そうしてもらえなければ、ベルはただの役立たずだ。空気も読まず、傷ついた友人の前で猫を撫でている馬鹿でしかない。
 しかし、自分まで陰鬱な表情をするのは嫌だった。人を明るくするには、まず自分からなのだと、少女は信じている。
 ファーガスが、口を開いた。辛いという内容でなく、単なる雑談だった。すぐに途切れ、またも彼は考え込んでしまう。これでは、駄目だ。
 ああ、神よ。私は羞恥というものに人一倍弱いのだ。それなのに、更に勇気を振り絞れというのか。これはつまり試練なのか。乗り越えれば、幸福は待っているのか。
 クリスタベルは敬虔なキリスト教徒である。そういう意味では、騎士学園に入ってから試練の多い事!
「ね、ねぇ、ファーガス。冬休みに私に家に来ない?」
 何でもない風に誘おうとしたが、声が震えていた。それさえ取り繕おうと努力しているものの、顔には熱がこもっている。
 しかし、ファーガスは混乱と驚愕を少量ずつブレンドしたような表情で、戸惑い気味に首肯する。ベルの赤面には目が行っていないようにも見えた。ここで押し切れと、神が少女にエールを送っている。
「本当に? 来てくれる?」
「……ああ。いい気晴らしになると思う。ソウイチロウの行方とか、いろいろ気になることはあるけど――、少し、休みたいな。そういえば、久々に師匠にも会えるってことになるのか。そう考えると、楽しみだ」
「やった! あ、いや。う、うん。じゃあ、連絡を入れておくから、急にいけなくなったとかは無しだよ!」
「分かった、分かった」
 苦笑して、ファーガスはベルの頭を撫でてくれた。この、偶に見せてくれる大人びた雰囲気が、ベルは好きだった。いつもは同世代の少年と同じで馬鹿な行動をとったりして呆れさせられたりもするのに、不意にずっと年上と話している気分になって、心臓が跳ねるのだ。
 冬休みは、すぐに訪れた。二人は帰省する騎士候補生たちに混ざり、電車を待っていた。あまり騒がれるのも嫌だったから、あらかじめ買っていたマフラー、サングラスなどで身を隠している。もっとも、貴族の子女の中では別の意味で目立っていたが。
 その日は、雪が淡く降っていて何もかもが綺麗に思えた。歩くたびに雪がサクサクと潰れ、景色から彩りを奪わない程度に花を添える。その時ばかりはファーガスも軽やかな笑顔を見せてくれて、嬉しかった。自分の選択は間違っていなかったのだと。
「ファーガス、来たよ」
「うん」
 手持ちの籠から顔を出すアメリアを宥めつつ、列車に乗り込んで予約していた席を探した。二等車にしかファーガスが乗ったことがないと言っていたから、特上の一等車である。ベル自体は割と質素でも構わない性質なのだが、それを聞いてはいてもたってもいられなかった。
 ベルは車内の個室に入り、「ほら、早くっ」とファーガスを呼んだ。彼は苦笑しつつも従い、少女の横に座る。
 それが何だか楽しくって、頬が自然に緩んでしまった。「嬉しそうだな」と穏やかに言われたから、「それはそうだよ」と返す。
「冬休み中、ほとんど君と一緒に居られるんだもの。だから、その、……えへへ」
 ベルは、照れ屋だ。直接的なことを言おうとすると、どうしても照れてしまう。冬だというのに「何か少し暑いね」と手をパタパタと仰ぐ自分が、尚更恥ずかしくて、収拾がつかない。
 ごまかし紛れにダッフルバッグからお菓子を取り出して、ファーガスに与えた。ポリポリと食べる横顔には不思議な愛嬌があって、ベルは好きだった。少し食べかすがこぼれるのも可愛らしく、それを這い出してきたアメリアが舐め取って食べているのは一層堪らなかった。恋は盲目と言うだけかもしれないが。そして言うまでもないが猫には全盲だ。
 列車が、出発した。お菓子を口にしつつ、アメリアの背を撫でているファーガスからとりとめのない話が始まる。
「師匠ってさ、今は調子どうなんだ?」
「ん。まぁ、昔に比べたら少し寡黙になったけど、まだまだ元気だよ。ファーガスに会えば、もっと元気になるかも。何せ一番弟子だからね」
 師匠、というのはクリスタベルの父であるアダム・バート・ダスティンの執事、フェリックス・カーティスという老紳士の事だ。もともと父の教官だったらしいのだが、様々な経緯で今の位置に落ち着いたのだと。詳しくは知らないが、並々ならぬ敬意を父に払っているので、そうとうな事件があったのだろうとベルは勝手に思っている。
「一番弟子ったってなぁ……。あのひと相手のこと考えずにバンバンしごくから、それに潰れたり逃げたりする人が多いだけだろ? 俺の時なんかは運良く家が別で楽だったからまだ弟子で居られるだけで」
 ファーガスは謙遜する。この国で謙遜などをする人間を見た事がなかったから、出会った当時は奇妙に思ったものだ。肩を竦めて、少女は否定を返す。
「ううん。君の根性は凄いって何度も褒めていたのを、私は覚えているからね。まぁ剣の才能よりも盾の才能があるとか何とかよく分からないことを言っていたけど」
「なんつーかなぁ……。俺は、怪我はあんまりしないんだけど、敵を仕留めるのが苦手なタイプっていうかさ。それに引き換え師匠のアレは凄いよな」
「ああ、アレね」
「素手だからな」
「千切るものね」
「俺は聖神法を使っているっていう前提でも、あの人が本当に人間なのか疑問に思ってる」
「それは失礼じゃないか? 師匠に対して」
「だって師匠ってオークをブン投げるんだぜ!? あいつらの平均体重が何ポンドかベル知ってんだろ!?」
「……確かに、千はあるって聞いているけどさ」
 大体、フェリックスの自重の五、六倍ほどだろうか。それを持ちあげて、まるでホールのように扱うのだから、もはや笑うしかない。
「だからたまーに、無性に見たくなるんだよ。師匠の格闘」
「その感覚は分かるよ。凄いもんね」
「バッタバッタ投げ倒すのが気持ちよくってなぁ……」
「アレはストレス解消になるよ」
「ストレスと言えばあんまりベルのお父さんに会いたくないなぁ……」
「……うん」
 自分の親ではあるが、同意見だった。思い出すのは、ネルの言葉。父が言っていたという「悪い虫を払いたい」とのセリフ。
 ファーガスが邪険に扱われる姿を見たくないのは当然、改まって父に距離を取るように言われるなど、想像するだけでも嫌だった。しかし、遭遇するのは可能性にすぎない。父は多忙の人で、幼少時はともかく、騎士学園に入ってからは帰省をしても会えなかったことだってあった。
 その時は寂しかったが、今考えると好都合だ。帰ってこないでください、と祈る。この事実を知ったら、多分父は泣くかもしれない。親子仲は割といい方だ。
 そんな時、ファーガスが思いつめたように「ベル!」と自分の名を呼んだ。しばしきょとんとしてから、その瞳の真摯さに鼓動が早くなる。顔も熱い。軽い調子で、何? と返すつもりが、「は、はい! 何でしょう!?」となった。恋人に対して、我ながら緊張しすぎだ。
「俺はお前が好きだ」
「え!? う、うん」
 何だろう、とさらに鼓動が早くなる。体が微かに震えている。このままキスでもされてしまうのか。こんな日中で、と体いう事を聞かなくなる。
「だから、ベルのお父さんに気に入られたい。ベルとの交際を、難しいかもしれないけど、受け入れてもらいたい」
「――うん……!」
 いいや、違う。もっと、ファーガスは真剣に考えてくれていたのだ。それを自分は、と少し反省するとともに、やはり彼は凄い人なのだと尊敬してしまう。そして、それが非常に嬉しかった。自分のことを、そこまでちゃんと考えてくれているのだと。
「……だから、その、お父さんが好きなお菓子とかを教えてもらえると……」
「君は最後まで決まらない奴だな!」
 がっかりだった。途中までよかったのに、策がワイロ大作戦というのが本当にがっかりだった。
 しかしファーガスは、ベルの怒りの理由が分からないのか「えっ?」と間抜けな声を出すばかり。頭を冷やせという代わりに、ぷいとそっぽを向いてやった。一人寂しく猛省すればよいのである、こんなおバカさんは。
 そんな風にして、列車で長距離を移動した。もちろん仲直りは途中でしたが、別の理由で何度か喧嘩した。怒るのはベルの時もあればファーガスの時もあって、最後には気が付いたら会話が再開しているという次第だった。
 気づけば日が傾き始め、景色が薄紅色に染め上げられていく。アナウンスが響いた。もうすぐ、我が家だ。

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