武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 トリックスターは毒を吐く(6)

 筋骨隆々の肢体が、転がって無防備になった生意気小僧に向かって飛びかかった。同胞の仇を取る意気込みに充ちた、酷く荒々しい怒気を放っていた。
 ハワードは、しかし先の一撃に大剣を折られ、呆然としていた。ファーガスは決死の思いで自らの剣を投げつける。それは顔に刺さり、黒鬼は痛みに声を漏らし、追撃とばかり、少年は盾による殴打を繰り出した。
「お前、何アホ面晒してんだ! さっさと逃げるぞ! というか、その大剣に予備は無いのかよ!」
 手を取り、無理やり立ち上がらせた。奴は、少年に目を向けたままきょとんとしている。まるで、心底驚くような事を知ったと言わんばかりの顔つきであった。
 ファーガスは、袋から予備の剣を取り出した。オーガに刺さった物は、勿体無いが放置だ。ハワードは予備を取り出さないから、無いのだろうと推測して「倍にして返せよ」と奴に、残る数本の剣の一つを渡した。
 山を走りながら、索敵を行った。オーガは、まだ立ち直っていない。山の外への距離も、数十分もしない内に出られるだろう。これならいける。だが、そう上手くいくものではない。
 夜は、比較的亜人の動きが活発になる。昼は横を素通りしても大丈夫な種族が、夜になると襲い掛かってくることもある。それが原因で、夜はエリアナンバーが吊り上るのだ。逃げるだけでも、命の危険を孕んでいる。
 道中には、多くの邪魔者が現れた。ゴブリン、オークは鉄板。運の悪い事に、スライムの大軍が占めていて、迂回しなければならない道もあった。各エリアごとの転送陣はすでに消えていて、恐らく結界が張られたと同時に使い物にならなくしたのだろう。亜人が学園に入っては困るからだ。
 幸い、フェンスのカギはタブレットを翳す必要がなくなっていた。そのため、ほとんど素通りだ。そうしていると、いつしか索敵範囲外に出てしまったあのオーガの事が心配になった。いつ襲って来るかが分からない。ただでさえ、夜は危険なのに。
 眼前に現れる敵の、アキレス腱などの重要な腱だけを撫で斬って、脅威でなくしてから走り出す。そういう、最低限の安全を確保する方法で、ファーガスは進んだ。ハワードは、何かを考えているようだった。奴らしくもない陰鬱な思案顔で、俯いたまま走っている。
 そうして、やっとの事で出口が現れた。ファーガスは、より一層速度を出して走り出す。だが、背後で断続的なあの音が聞こえ始めた。足を素早く運びながら、索敵をする。する必要もなかったが、恐怖の為にせざるを得なかった。
「クソ、あと少しなのに!」
 先ほどのオーガが、迫っていた。しかも、その数百ヤード後ろにはオーガの大軍が迫っている。相手にしている暇はない。ひたすら駆け続ける。
 そういえば、と思い立った。結界は、一体どうなっているのか。今すぐに発動せねば、奴らは山から出てきてしまうだろう。悪夢の体現。ファーガスは更なる聖神法を掛けて、足を進める。ボスオーガへの余力はない。
 それでも、巨人が如き怪物は、ファーガスの前に現れた。顔に傷を負っているから間違いは無かった。その横をすり抜ける。奴の攻撃は、ぎりぎりの所で躱すことが出来た。山から、出た。出られてしまった。素早く、踵を返す。オーガが、通常の結界に阻まれ、一度墜落した。ファーガスは、安堵する。このオーガでも、通常の結界は超えられないのか。
 しかし奴は、地に降り立ってから、力を溜めはじめた。諦めないのかとぞっとする。何度か、殴打が続いた。マズイ、と歯噛みする。結界が、視認できるレベルにまで摩耗し始めた。
 最後とばかり怪物は気に飛び上がって、強烈な一打を繰り出そうとした。ファーガスは、身体を硬直させ、見ているしかなかった。聖気はもうない。
「……見てるだけなら、貸せ」
 ハワードが、言った。奴はファーガスが貸した一本と、彼から奪った一本で双剣を構えた。オーガは結界を打ち破る。奴は、それに空中で応戦した。
 飛び上がり、身体を捻っていた。そして、繰り出される連撃。ダメージはあまりない。ハワードの攻撃力はあの大剣があってこその物なのだと知った。オーガは、怯んでいる。逆に言えば、怯んでいるだけだ。
 それが、一体いつまで続いたろう。オーガの大軍が、木々の合間から盗み見えるまでに近づいてきた。ハワードとオーガの対戦に、決定打はない。ファーガスは、空を仰いだ。使うしかないのか。夜空にはいつしか雲が掻き消えていて、都市部でないこの周囲は星が良く見える。
 ファーガスは、プラネタリウムが嫌いだった。吸い込まれそうで、怖い。
「クソがッ! さっさと死に腐れろ、このゴキブリ野郎!」
 ハワードの焦燥の咆哮すら、夜空は吸い込んで消してしまう。ファーガスは、自分の周りの人たちの事を想った。呑まれたくない。だが、失いたくもないのだ。そして、覚悟しかける。
 彼の肩を、叩く者が現れた。
「もう大丈夫だ。よく頑張った」
 振り向く。ワイルドウッド先生が、そこで柔和な笑みを浮かべている。
「全員! 射て――――!」
 背後から、数多くの弓矢がオーガの頭を貫いた。奴はよろけ、森の中へと倒れ込む。だが、その体勢はまるで、見えない壁に寄りかかるようだ。結界は、発動していた。
 向かい来るオーガの大軍も、そこから一歩も出られはしなかった。ファーガスは、力が抜けて足腰がぐらついた。そこを、彼の名を呼びながら支えてくれる人が居た。ベルの顔を見て、安心のあまり嗚咽が出た。彼女は何も言わず、抱きしめてくれる。
「……フー。危ない所だった。しかし、安心してくれ。もう、奴らが出て来ることは無いよ」
 ワイルドウッド先生は緊張が解けたのか、その笑みに疲労が見えた。ファーガスも落ち着いて、今更に弓矢は珍しいのにな、と疑問を抱く。見れば、ベルを除いて全員スコットランドクラスの教官だった。納得する。
 しばし、休んだ。ファーガスとハワードはそれぞれに治療を受け、今までの緊張に対して脱力していた。使わなくてよかったと、改めて思った。そうだ。こんな『能力』一生使わなくていい。
 少年は改めて立ち上がり、体をほぐしていた。そこに、ばつの悪そうにハワードが歩いてくる。「一時はどうなるかと思ったぜ」とからかうと、「お前も昔に比べて口が悪くなったな」と言われた。お前の影響だろう。
「……何というか、ありがとな。クリスタベルも、よくやってくれた」
「わ、私はただ、アンジェに言われて来ただけだ。まぁ肝心のアンジェが今ちょっと気分悪くて寝込んでいるのだけど」
「バカの話はいい。オレは、お前の手柄の事を言ってる。クリスタベルの矢はオーガの脳天の、一番痛ぇ場所を貫いてた。それは確かな事だろうが」
「それは……そうだけど」
 ベルは、少々落ち着かない面持ちで歯切れ悪く答えた。彼女のハワード嫌いは根が深い。それに対して奴の今の素直さは一体どういう事か。
「……どうした? オーガの一撃の打ち所が悪かったのか?」
「うるせぇ、タコ。――オレは、今までお前らの事を侮っていたんだなって、痛感しただけだ。悪かったな。山の中で、世話掛けた」
「……俺はだいぶ慣れてたけどな」
「水を差すようなこと言うんじゃねぇよ!」
 身ぶり激しく突っ込むハワード。ファーガスはそれが妙におかしくて、くつくつと笑いだした。奴は笑うんじゃねぇ。としかめっ面をしていたが、笑い続けていると、まずベルがつられ、結局はハワードも笑い出してしまった。
「ともかく。改めて、これからよろしく」
「らしくないな。どっかで落ちが用意されてんのか?」
「落ちなんてねぇっての。最初はオレも餓鬼だったというか、……そういう事だ」
「そうかい」
 握手をし、これでやっと頑なだったハワードと親しくなれた気がして、不思議に頬が緩む感じがあった。そうだ。と少年は思い至る。どうせなら、友人の輪は広い方がいい。ベルの苦手意識も、今のタイミングに解消してしまおう。
「そういえばさ、ハワード。ベルの話ではお前がベルの父親に許嫁話を持ち掛けたって聞いたんだが、真相を教えてくれよ」
「はぁ!?」
 文字通り、ハワードは驚愕した。顎が限界にまで開かれ、もう少し開いたら外れてしまうのではないかとファーガスは想像する。ちょっと笑えた。
「えっ、ふぁっ、ファーガス!? 君は一体何を言ってるんだ!?」
「だってさ、今の内にこういう蟠りはなくしておいた方がいいだろ? と言うか間違いなく事実じゃねぇよ」
「……いや、でも」
 怯えにちらちらとハワードへ視線を向けるベル。ハワードは、彼女に呆れたというか評価を取り消したような視線を向けつつも、深い深い息を吐き出した。
「そんな訳ないだろうが……。あれは、兄貴が無理に取り付けた話だ。しかもすぐにお前の親父が受け入れちゃったんだから世話が無い」
「何でお父様が」
「何でも、娘に着いた悪い虫を取り払いたいとか言ってたっけな」
「あ」
 ファーガスはすっと視線を外へやる。斜め下に俯くような感じだ。
「……なるほど、そういう繋がりか。そういえば昔馴染みだのっていう話は聞いたことあるな。どこから聞いたのかは忘れたが」
「えっ、じゃっ、じゃあ。君がお父様と楽しそうに話していたのは何なんだ!」
「ん? そんな昔の事覚えてねぇよ。んー……だが、あのおっさんに会ったのって三回程度だしな。……ちょっと話が変わるが、お前の親父は甘党か?」
「あ、ああ。無類の茶菓子好きだ」
「あ、俺全部わかっちゃったわ」
「言うんじゃねぇぞ。絶対に言うんじゃねぇぞ」
「それは振りか?」
「フリって何だ?」
「えっと、どういう事なんだ……?」
「簡単に言うと、ハワードとベルのお父様が、茶菓子の話で盛り上がり過ぎちゃったって事」
「えっ」
「言うなっつったろうがぁ!」
 ハワード、本日二度目の大爆発である。ソウイチロウが前にハワードの事を弄り倒していたが、こいつはそういう扱いでいいのかもしれない。
 ったく。と髪を掻き上げる黒髪の少年は、存外まんざらでもなさそうだった。そういえば大声をよく出すから、そういうのが好きなのかもしれない。ファーガスもカラオケでストレスを発散するタイプだ。それに、あんまり甘党の事は、言うほどは恥じていないらしい。ベルの視線を受けても、照れている様子は無かった。
 ワイルドウッド先生に、今日は三人とも帰りなさい。と言われた。後の事は、大人に任せろという事らしい。「もっとも、後日事の次第は聞かせてもらうがね」と先生は注釈した。ファーガスは疲れ声で肯定を返す。
 帰り道。蟠りも消え、三人で話しながら歩いていた。別れる寸前で、「そういや」とハワードは言葉を繋ぐ。
「お前らの事、これから名前で呼んでもいいか?」
「お、おう」
「う、うん。そうだね」
「照れてんじゃねぇよ。何だお前ら、愛嬌あるな」
 片眉を跳ねあげて、表情を作りながら奴は笑う。
「オレの事は、……まぁ、何でもいいぜ。一番多い呼び方は、ネルだな。お袋だけは、ミドルネームからとっと、ベネ、って呼ぶ」
 あとは、と彼は視線を浮かせた。数秒経ってから、こう続ける。
「誰に呼ばれたかも覚えてないが、頭文字から、ナイ、って呼ばれることもあるな。まぁ、自由に呼んでくれ」
「……ナイって、何か女の子みたいな愛称だな」
「ホントだな。まぁ、呼ばれても別に気にはしねぇが」
「んー」
 ファーガスは、ベルと目を合わせた。無難な物でいいだろう。
「これからよろしくな、ネル」
「ネル、よろしくね」
「ああ」
 それぞれと握手して、ファーガス達は分かれた。と言っても、途中まではネルとファーガスは一緒である。試しに美味いスコーンを店の話を振ると、見事なまでに食いついてきて、思わず笑ってしまった。
 就寝前。今更気付いて自室のカーテンを閉める寸前、夜空に見入ってしまった。そして、不意に思いつくのはクリスマスだ。
 急いでタブレットを開きネットに接続する。クリスマスは――雪だ。ホワイトクリスマスが、もうすぐ近くに迫っている。
 ファーガスは、あまりの期待に胸を弾ませた。今年こそ、ベルとのクリスマスを楽しむのだ。そして――出来れば、はっきりと告白もしてしまいたい。
 OKは、貰えるだろうか。貰えるだろう、という安易な決めつけと、貰えなかったらどうしよう、という万一に備える不安が両者互角にせめぎ合っている。
 星空を見つめていると、心臓が苦しかった。「早く寝よう」と、はやる気持ちを押さえつけ、ファーガスは駆け足気味にベッドに飛び込む。

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