武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

5話 トリックスターは毒を吐く(4)

 アンジェにデューク先生から聞いた事を告げた。彼女もまた、信じられないというように瞠目して、しばらくの間硬直する。
「……ちょっと、それは予想外でしたね」
「でも、どうするつもりなの? 君たちは。私は、止めるべきなのかどうかも、よく分からなくなっているのだけれど」
「俺は続けた方がいいんじゃないかって思う。申し訳ない話だけど、散々あの人の細かいところを物笑いの種にしたんだ。俺達じゃない方の犯人を捕まえるまでが、筋なんじゃないか?」
「でも、それはきっと騎士だよ」
 ベルの低い声に、ファーガスは難しい顔をする。何もかもが、こんがらがっている印象だ。馬鹿ではないが、天才でもないファーガスには少し難しい。
 沈黙が、下りた。それを、柏手で打ち破る少女が一人。
「ともかく、物事は動き出したって事です。私たちも動かなければ、置いて行かれます。置いて行かれるって事はつまり、情報が足りずに危ない目に遭いかねないって事です。必死に付いていくしかありません」
 アンジェは、強い口調でそう言い放った。根拠は、彼女の経験に基づくものなのだろう。すでに聞かされているから、その重みが分かった。ファーガスが頷くと、ベルもそれに追従する。
「では、これからは先生だけじゃなく周囲にも気を配る事にしましょう。大丈夫です。私は今まで、失敗したことがありませんから!」
 あまりに無邪気な言葉に、二人は笑った。アンジェは笑わせるつもりなどなかったのか、その反応に戸惑っている。
 デューク先生の顔色は、日に日に悪くなっていった。
 だが、一向にその犯人というのは現れなかった。先生の部屋の扉の前に仕掛けた小さな監視カメラにも、何かが引っ掛かった様子はない。デューク先生が出入りしているだけだ。
 仕掛けを提案し実行したのは、案の定というか、アンジェだった。奴の技術は、もはやその筋の職種レベルなのではないかと、ファーガスはこっそり疑っている。
 ともあれ、結果は出ていない。ファーガス達の監視に真剣みが入って久しいが、だから何だという話なのだ。
「……俺達って一体何をやってるんだろうな」
「いつか成果が出る。そう信じるしかないんだと、私は思う」
「さっさと事っ件、おっきなっいかっ、なー!」
「アンジェはとりあえず黙ってろ」
「……ファーガス、私たちは一体何をしているんだろう?」
「ほら見ろ! お前のふざけた台詞の所為で、ベルがちょっとナーバス入っちゃっただろうが!」
 アンジェはまだまだお子ちゃまなので、人の気持ちというものを測りかねているところがあった。監視などという提案をしてきたのも、そこに起因するのだろう。
 監視場所は、アイルランドクラスの図書館。そこから、ファーガスは『ディティクション』という実体のない遠隔カメラを作り出す聖神法を習得し、デューク先生を見張っていた。
 非常に監視について都合のいい聖神法だった。見つけた時は、これで苦行がなくなると喜んだものだ。しかし唯一欠点は、必要ポイント数が異常に高いという事だ。
 仕方なく三人はポイントを折半し、一人がスキルツリーを開き、他の二人は他人の感覚を共有する『ジョイント・センス』というもので視界を共にしていた。今回白羽の矢が立ったのは、スキルツリー解放までに最も必要ポイントの少なかったファーガスである。
 先生に今すぐ何かが起こるとも考えられず、ファーガスは集中力が途切れて窓の外を見やった。真っ白な世界が、そこには広がっている。
 今年も、雪が降った。クリスマスまで、もう近い。
 ファーガスは、ちらりとベルを盗み見る。だが感覚が共有されているのを思い出して、すぐに逸らした。これでは、彼女の顔を視認することさえできない。嘆息して、ファーガスは『ディティクション』に意識を集中させる。
 神経が過敏になっているデューク先生は、時折、訳もなく周囲を見回すことがあった。
 何かに警戒している。という雰囲気があった。人通りの多い場所では滅多に行われず、逆に人気のない場所ではたびたびしていた。その眼には隈が出来ていて、酷く充血している。
 行動も少しずつ異常をきたし始め、修練場にはめっきり赴かなくなりつつあった。目に見える異常が、まるでファーガスとベルの二人が彼の愚痴を聞いた日を境に日常を侵食しているようだ。
 それはファーガスに、まるで自分が原因となって彼を病ませているような不快感を与えた。
 一日、一日と彼が徐々に意気消沈していくさまをまざまざと見せつけられ、一週間経つ頃には放課後が酷く憂鬱だった。ベルはいつの間にか消えていた。記憶の片隅にファーガスを止めるよう誘ってくれたような気がしていたが、それが現実の事なのかもぼんやりしている。
 変わらないのは、アンジェだけだった。ハワードの稼ぐポイントで自身も『ディティクション』を身に着け、より一層、真剣みを増してデューク先生を見張っている。
「……アンジェは、見てて辛くならないのか?」
「え?」
 ふとした瞬間に、ファーガスは尋ねていた。我に返って、「いや、何でもない」と首を振る。
「――確信がありますから」
「え?」
「何か悪いことが起きるっていう、確信がありますから。だから」
 アンジェは聖神法に集中しながら、鋼のような言葉をファーガスの眼前に突き出した。それに、少年は発動中の術式など忘れて呆然とする。
 言葉に詰まっていると、一度少女は術を解いて伸びをした。「疲れますねー、これ」と無邪気な笑みを向けてくる。
「辛いなら、やめてもいいですよ?」
「……え?」
「さっきからそれしか言ってませんけど、大丈夫ですか? とうとうハンプティ・ダンプティの殻が割れましたか」
「割れてねぇよ」
「おし、会話できる程度には元気になりましたね」
 そう言って、アンジェは勝ち誇ったような顔。そして再び相好を崩して、ファーガスに言葉をかける。
「あたし的には、ベル先輩にやめようって言われた時点で折れると思ってたんですよ。それでも付き合ってくれると言ってくれた時にはびっくりしたくらいです」
「……そんなこと言ったか」
「言ってはないですね。でも、集合場所にいてくれました」
 無理することないですよ。とアンジェは言う。
「あたしは従兄の戦闘狂と一緒で、何処かしらネジが外れてますから。でも、ファーガス先輩は普通で、ちゃんとしてます。少しでも顔見知りの相手が元気失っていく様なんて見れたものじゃないでしょう。だから、良いんです」
 まだ職員室で仕事してるし、大丈夫だよね。と独り言をして、アンジェはファーガスの手を取る。
「それじゃあ踏ん切りがつかないっていうなら、あたしが奢って一区切りつけてあげましょう! 感謝してくださいよー? あたしが驕るなんてそうは無い事なんです。言って見ればレアですよ、レア!」
「……そう、か。うん、ありがとな」
 結構優しい面もあるではないかと、少年は見直した。ファーガスの礼に、「ふふーん」とアンジェは鼻高々にふんぞり返る。
 椅子から立たされ、引きずられるように歩いていた。そのまま進むと、修練場に到る。何処へ行くつもりだと考えていると、イングランドクラスへ足が向かっていた。慌てて異議を申し立てる。
「おい、そっちは違うだろ。アイルランドクラスはあっちだぞ!」
「ああ、イングランドクラスのスコーンって、悔しいことにアイルランドクラスのよりおいしいんですよ。あっ! 奢るもの秘密にしようと思ってたのに言っちゃった!」
「いつも以上にすっ呆けてるけど大丈夫か?」
「そんな事ないですって!」
 アンジェが顔を紅色に染めて言い返してくるものだから、それだけ恥ずかしかったのかとファーガスは苦笑い。次いで、我ながら細かい事を気にしてしまったと少し後悔した。
 しかし、とファーガスは首をひねる。改めて、何故彼女を止めたのだろうと考えた。そして、思い至るのだ。やはり止めなければならない理由がある。「おい!」と呼び止めるたが、間に合わなかった。
「……何で、アイルランドクラスの生徒が、こんな所に居るんだ?」
 デューク先生が、そこに立っていた。土気色の顔で、気味の悪い陰気な表情をしている。かつての面影は何処にもない。
 ファーガスは、呼吸を忘れた。確かに、彼からはしばらく目を離していた。しかし、それでも今会ってしまうとは、何と間の悪い!
 アンジェは驚きのあまり、瞠目したまま彼に指をさす。不可能ではない移動時間。けれど、不自然でもあった。彼女はどもり気味の言葉で、混乱のままに口を開いてしまう。
「な、何でデューク先生が、ここに……?」
「それは、どういう意味だ?」
 ファーガスは、アンジェの口を閉ざそうとした。その時、足がもつれた。転ばない。だが、その言葉は遮るものなしに発せられてしまった。
「だって、さ、さっきまで職員室に居たはずじゃ……」
「……何……?」
 その瞬間のデューク先生の変貌ぶりは凄まじかった。疲れたような半眼がカッと見開かれ、恐怖が顔全体に染み込んだ。後ずさりながら、彼は唇をわななかせる。そして、こちらに指差しながら、大声で言い放つのだ。
「あっ……悪魔め! お前の魂胆は分かっている! どうせ口封じに私を殺すつもりなのだろう!? そんな事はお見通しだ! 全て暴いてやる! お前たちがしてきた悪辣な虐待も、匿っている大量のオーガも!」
「オーガ? 先生、今オーガと言いましたか?」
 ファーガスは、思わず口を挟んでいた。彼は少年を見て息を呑む、逃げ腰で、走り出そうとしながらも、必死の形相で叫びだした。
「グリンダー君! 君は早くここから逃げなさい! 一番危険なのは君だ! 君は殺される為にこの学園に連れてこられたのだ!」
「は? え、ちょっと待ってくださいよ! ねぇ!」
 デューク先生は、すでに走り出してしまっていた。ファーガスは走り出し、それにアンジェが必死についてくる。
 だが、途中で上級生に足止めを食らった。彼らも先生ほどではないにしろ困惑した表情で、二人の腕を掴んでくる。
「おい、どうしたんだ!? さっきやつれたデューク先生が必死に走っていったぞ? なぁ、何か知ってるなら教えてくれよ。おれ達先生がどんどん弱っていくのを心配してたんだ」
「うっさいですね、邪魔すんじゃないですよ! こちとら遊びじゃねぇんです!」
 アンジェの怒気に当てられ、上級生たちは硬直した。ファーガスも、彼等から逃げる様に走っていく。デューク先生の影は、山への転送陣へと吸い込まれた。二人もそれに続く。視界が、真っ白な山の雪景色に早変わりする。
 先生の姿は消えていた。それでも、兎にも角にも山へと入るしかなかった。走りながら血眼になって探す。一体彼は、何処に居る。
 森のざわめきは、先生の痕跡さえ隠してしまうようだった。雪に残る足跡は、あてにならない。少しの降雪なら、大抵の騎士候補生は構わず入山してしまうからだ。
 曇り空。したがって、木々の間にも薄闇が佇んでいた。何百回と入った山だ。迷う事は無い。しかし、先生の居場所までは分からないのだ。
「アンジェ! 二手に分かれよう! 通信の聖神法は出来るな!?」
「はい! では先輩、また!」
 予想していたかのような、素早い応答である。有難いと思いながら、ファーガスは走った。索敵を行う。スコットランドクラスのそれは、感覚的な負荷に耐えられれば動きながらでも可能だ。
 走りながら、何か引っかかる物はないかと探した。亜人たちは、この際無視する。今は日が落ち始めた時間帯だ。人間は少ないはずだから、虱潰しに当たっていけばいい。
 駆けまわっていると、一人の人間が引っ掛かった。亜人と交戦中らしい。恐らくデューク先生ではないだろうとあたりを付けたが、掛け声に聞き覚えがあり、猫の手にはなるだろうと、そちらへ向かっていく。
「おら死ねクソ兔! 人の臓物ぶち撒けようとすんなら、される覚悟は当然あるんだろうな!」
「……傍から見たら、動物虐待にしか見えないな」
「あん?」
 角を持ち、足が異常に発達した兔を大剣でなぶり殺しにする十四歳の少年が、そこには居た。前世の記憶を持つファーガスだから言えることだが、奴は少々強すぎはしまいか。
「グリンダーかよ。どうした、息上げて。女の裸でも見て興奮したか?」
「んだよお前も思春期かよ」
「思春期真っ盛りの奴に言われたかねぇな」
 からからと嘲笑うハワードに嘆息し、「手を貸せ」と言った。奴は数秒訝しげに片眉を跳ねあげるが、すぐに察して嫌らしく笑う。
「何かあったな。しかもその表情は、お前ら三馬鹿が見張ってたあのデュークとかいう教官の事だろう」
「お前のその察しの良さには本当頭が下がるよ。だから手伝え。お前好みの秘密を、あの人は握ってるかもしれない」
 ハワードの趣向に合わせた言葉に、奴は簡単に引っかかった。しかし次の瞬間には顔を顰めてしまう。鼻を鳴らして、奴はぼやいた。
「本当なら少し焦らすつもりだったんだが。良い様に扱われてるみたいで腹が立つな」
「いいから、早くしろ。さっさと見つけないと、大変なことになるかもしれない」
「大変な事って」
「分からない。ただ、予感がするだけだ」
「……へいへい、分かったよ」
 ぐちぐちと文句を垂れながら、ハワードは大剣を背中にしまった。軽い身のこなしでこちらに近づいてくる。

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