武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

3話 少年たちの寸暇(2)

 ソウイチロウに会うのが、少し難しくなってきていた。
 春は終わり、初夏に差し掛かっていた。ソウイチロウはまだ少し寒がっていたが、この国出身の少年たちは時折上着を脱いで水を被ったりと、楽しそうにしているのを見る。ファーガスもその一人で、偶に思い切り日向でのんびりしたくなる。
 だが、明るい季節とは裏腹に、問題もあった。きっと、スコットランドクラスで自分の存在が知られ過ぎてしまったのだろう。事実そのようで、すれ違いざまに嫌悪の視線を向けられることも多くなった。
 ファーガスは考え込む。スコットランドクラスに行くと、偶に突っかかってくる輩などが居てソウイチロウに会えない事がある。いい方法が無いものだろうかと考え、あそこでなければよいのだと思った。
 勿論、アイルランドクラスはハワード曰くソウイチロウの知名度が高いらしいから避けなければならない。しかし、イングランドクラスならその限りではなかった。山狩りに真剣に参加する騎士候補生も少なかったようで、顔を知らないものも多い。
 今日は、そういう集いだった。イングランドクラスの、複数ある中で一番狭く人気のない中庭。だが、風景は悪くない。単にここに至るまでの道が入り組んでいて、面倒だからと違う場所へ向かう人が多いだけだ。
 そこに、ソウイチロウを連れて来た。ベルも、彼女の取り巻きから借り受ける形で来てもらった。彼女らはベルの実家の方の従者であるらしく、何よりもまずベル自身の意思を尊重すべし、と言われているらしい。
 数分後中庭に戻ると、二人は大盛り上がりと言うほどではないが、何だか静かに話し込んでいた。割り込む前に、少し聞き耳を立ててみる。
「つまるところ、どんなスポーツでも根幹になるのは体重をいかに乗せられるかってことなんだよ、ベル。相当体力使うけど、体をおもりの付いたバネみたいにして走ると、一歩一歩の伸びが大きくて、遅く見えるけど普通に走るよりも速かったりするんだ」
「いやいや、だからって『ハイ・スピード』に勝てるっていうのは言い過ぎだよ、ソウ。聖神法を使っているんだから、言ってみれば車と同じなんだよ? それにただの走りで追いつこうだなんて……」
「……お前ら打ち解けるのものすごい早かったな」
「あ、お帰りファーガス。そしてアメリアちゃんお久」
「わ! 何々? そのかわいい子がアメリア!?」
「そうだ、とうとう昨日やって来たんだ! 我が愛しのアメリアが!」
 ババーン、と高く掲げると、肝心の愛猫は眠たげに欠伸する。それに対して「はにゃーん……」と完全に無意識で蕩けきった声を漏らすベルは、予想通りの猫好きらしい。入学当初の硬さはどこへやらだ。
 アメリアは芝生に置かれると、きょろきょろと忙しなくベルとソウイチロウの間で視線を彷徨わせ、結局ファーガスの膝に戻ってきた。それがファーガスには堪らなく可愛らしい。ちなみにベルはショックだったのかちょっと涙目である。仕方なく、彼女に直接アメリアを託す。
 猫の鳴きまねを繰り返しながら手元のアメリアと戯れるのを見ていると、ベルのポニーテールにまとめられた一房の銀髪は、まるで猫の尾のように見えた。昔の無邪気さが全く失われていない。むしろ、猫と戯れている今の方が素なのかもしれない。
「……何だかうれしそうだね、ファーガス」
「え? あ、いや、あはははは……」
 気を抜いていたところでのソウイチロウの言葉だったから、ちょっと戸惑ってしまった。見れば彼は悪戯っぽい表情をしていたものの、すぐに緩んで、安らいだような顔つきになる。「お前も何だか幸せそうだな」と言ってやると、臆面もなく「まぁね」と返された。
「こういう、時間がゆっくりとすぎる感じは、すごい好きだ。何だか懐かしくなってくる」
「……騎士学園を卒業したら、すぐなんだろ?」
「うん。それまでの辛抱だ。――ああ、待ち遠しいなぁ」
 椅子にもたれて、ソウイチロウは薄雲が点々と泳ぐ青空を仰いだ。この空は、アメリカのそれに続いている。 ソウイチロウがこの学園に入ることを了承した理由の一つに、卒業後の渡米と、アメリカでの姉妹校への編入と言うものがあった(もちろんUKでないから騎士学園ではない)。騎士学園で六年間を過ごせば、それが叶う。もっとも、当初の彼を騎士学園に通わせ続けるメリットは、彼曰く形骸化していたらしいのだが。
 辛いことがあったという事だけ、ファーガスは知っている。しかし、そこに具体性はないのだった。今の彼から感じるのは、トラウマを背負ったとかそういう生々しい重みよりも、やるせない寂寥がふさわしく思う。
 ベルからアメリアを取り上げて、ソウイチロウに渡した。残念がる少女に遠慮しようとしていたが、いざ受け取ると「可愛いね」と少し泣きそうな顔で喜ぶのだった。
 そんな朗らかな集いの帰り道、ファーガスは三人の先輩方に呼び出された。
「……それで、何でこんな所に?」
 イングランドクラス教室棟を貫通する階段の、一番下にファーガスと数人の先輩が立っていた。少し歩くとテラスがあるのだが、ここは出入り口としてはあまり使われない場所で、何処か日陰の仄暗さが染みついている。
 まるで不良に絡まれているみたいだ、と少しそわそわしてしまった。貴族だから、そんな事をするような者は少ないのだろうが。いや、ソウイチロウの件を鑑みると、居る事には居るのか?
「君、ダスティン様と仲がよろしいらしいな」
 にこやかに、先頭に立つ柔和な表情の少年が言った。ダスティン『様』か、とファーガスは密かに警戒する。こういう人物は、大抵ファーガスに突っかかってくるのだ。兄弟子などが最初そうだった。
 しかし、彼はその警戒に気付いて「いやいや」と苦笑して手を振った。
「別に、僕たちは君に喧嘩を売ろうっていうんじゃない。……いや、どうだろう。内容からしてみれば、文句をいう事になってしまうのかな」
「……どういう事ですか」
「だから、そんな睨まないでくれよ。ああ、もう、困ったな」
 眉を垂れさせて、彼は頭を掻き上げた。するとファーガスよりも長身の先輩が彼を押しのけて、「俺が言う」と眼前に立った。
「ファーガス・グリンダー。君は即刻、ブシガイトとの関係性を断て。そうすれば、今ならまだ丸く収まる」
「……俺は、まだそういうのにピンと来てないんですよ。だから、そういうこと言われるとまず頭が追い付かなくて、その後、今みたいに頭に来るわけです」
 ファーガスは、苛立ちを前面に押し出して犬歯を剥きだす。睨み付けると、長身の彼の目つきが鋭くなる。敵は三人。倒すのは無理にしても、逃げるには問題の無い人数だ。
 駆けだすタイミングを計って、足に力を込めた。すると、長身の彼は何も言わず三人目の先輩を少年の前に押しだした。小柄な少女である。骨折をしているのかそうでないのか、腕を吊っていた。
 意図が分からず、怪訝な顔つきになる。少女は躊躇うように二人を見ていたが、長身の少年は彼女の肩を掴み、真っ直ぐにファーガスに見つめてくる。
 その言葉は、信じられない物だった。
「彼女は、君のせいで大怪我を負った」
 ファーガスは、あまりの訳の分からなさに目を剥いて唖然とした。彼等には知性と言う物がないのかとさえ疑った。いや、躊躇う分だけ、少女はまともなのかもしれないが。
「理由は、アイルランド生が偶々練習していたこいつに喧嘩を吹っ掛け、いきなり剣で切り付けてきたからだ。そいつは今、謹慎処分が下されている」
 ますます、自分とは理由がかけ離れていった。だが、そこまで来るとファーガスは、一周回って僅かの恐怖を覚えた。引っかかる事が、一つあったのだ。そして、次に続く彼の言葉が、少年の血を凍りつかせた。
「その馬鹿野郎の弁は、『このクラスにブシガイトと仲のいい奴がいるから』だそうだ」
「……本当、ですか?」
「ああ、こんな嘘をついてどうする」
 その言葉の真剣さに、生唾を呑まざるを得なかった。少し前までならば、こんな与太話は一笑に付すことが出来た。だが、ローラからスコットランドクラスがアイルランドクラスに良く喧嘩を吹っ掛けられると聞いてあったから、身動きがとりにくくなった。
 何も言い返すことが出来ずに俯いていると、柔和な表情の先輩が「こっちの都合を押し付けるみたいで悪いけどね。我慢してくれると、僕たちも助かるんだ」と申し訳なさそうな表情をした。それに、と彼は付け加える。
「彼と早めに手を切っておかないと、本当に危ないのは君とかよりもダスティン様みたいな高貴な人だから」
 息を呑んだ。顔を上げると、彼等は申し訳ないような顔で別れを告げてきた。そんな風に言われてしまうと、何を言えばいいのか分からなくなる。彼らは、ソウイチロウ自体の事を憎んでいるのではないのだ。
 昼休みが、来た。
 ファーガスは、修練場をじっと見つめていた。ここを通らなければ、総一郎の居るスコットランドクラスには行けない。足を、踏み出そうとした。持ち上がらず、歯を食いしばった。
「……俺は、あいつの親友じゃなかったのかよ」
 声に出すのは、自分を奮い立たせる言葉だ。だが、心の内では記憶が鮮明に循環している。自分の都合で、不幸になる人が居た。これからもソウイチロウと付き合っていくなら、もっと増えるだろう。
 そして、その歯牙がベルにまで及ぶ可能性がある。
 携帯を、取り出した。アドレス帳から、ソウイチロウの名を出す。メール作成画面が開いた。それ以上、指は動かない。動かせない。
 板挟みだった。けれど、時間は待ってくれない。焦燥が、ファーガスを駆り立てている。
 そこに、声が掛かった。
「何してんだ? グリンダー。今日もへらへら空気読まずに、スコットランドクラスに乞食をしに行くんじゃねぇのか?」
「……あそこは無料だろ。それなら、お前も乞食じゃねぇか」
「何言ってんだ。オレは家が金を払ってる。お前は学校が金を払ってる。つまり、乞食はお前だけだ」
 あまりに空気を読まない嘲笑に、ファーガスは本気で苛立った。やけっぱちになって、奴から離れようと速足で歩きだす。その方向は曖昧だ。とんぼ返りの様でもあるし、直進の様でもある。
 だが奴は、構わず声をかけてくるのだ。
「おら、何この程度の冗談で拗ねてやがる。ああ、そうだ。ついでにクリスタベルも呼べよ。あと、シルヴェスターにも今日の昼食は空けとけって伝えろ」
「何言ってんだ? お前」
「――ったく、察しが悪ぃなぁ。一年のラストの実技試験だろうが。進級にも関わんだ。こんな時くらいはまじめにやるに決まってんだろ」
「……何だそれ」
 初耳である。
 きょとんとする少年に、ハワードはいっそ侮蔑の視線を向けた。氷よりも冷たいそれだ。流石にここまでの反応を取られるとは思っていなかったため、少したじろいでしまった。
「あんまり頭回るタイプじゃないだろうとは思ってたが……。グリンダー、お前は馬鹿だな。機転が効かない話は聞かない察しは悪い。お前のいい所ってどこだよ」
「うっ、五月蝿ぇな! こっちにも色々あんだよ!」
「へぇ、そりゃあ興味あるねぇ。何が悩みだよ言ってみやがれ」
 そんなものは無いだろう、早く謝って楽になれ――そう、しっかと顔に書かれてあった。思わず殴りたくなるほどのいい笑顔だ。
 ファーガスはハワードの緊張感のないアホ面に毒気を抜かれ、こめかみを押さえてため息を吐いた。少しむっとした雰囲気が伝わってくる。
「ソウイチロウの事だよ。ほら、アイルランド生って結構、と言うかかなりソウイチロウのこと嫌いだろ?」
「そういや先輩方が喧嘩吹っ掛けてんのよく見るな。どいつもこいつも苛立ってるし。……ああ、そういう。何だよ馬鹿ばっかじゃねぇか」
 眉を顰めて、奴は呆れたように首を振りながら嘆息した。悔しい事だが、頭だけならば回る奴なのだ。複雑な思いでハワードを見ていると、奴は唐突に腕を組んで何かを考え始めた。十秒もしない内に、「おっし」と腕を解く。
「グリンダー。ブシガイトは一応、全員と面識があったよな?」
「ああ。……いや、ローラが微妙かもしれないが……。どうだろう、あの二人は馬が合うか分からないな」
「ブシガイトが初見で仲良くなれない奴なんかいるのか?」
「随分と高く評価してんじゃねぇか」
「まぁ、お前よりはずっとマシだと思ってな」
 嫌味にファーガスは舌を打つ。
「馬が合わないっていうのは、何となくだよ。ほら、どっちも人をからかうの好きだろ?」
「……同族嫌悪ってか? ブシガイトの圧勝する未来しか見えねぇが」
 それはファーガスも同意見だった。スコットランドクラスの聖神法の実技以外に関して、ソウイチロウがローラに負ける場所がない。まぁ、容姿は別枠としても。ローラと比べられるのはベルくらいのものだ。
「まぁ、そこは追々慣らしてきゃあいいだろ。じゃあ、ブシガイトをオレたちのパーティに混ぜるのに異論はないな?」
「え? ……はぁ!?」
 藪から棒もいいところの発言はファーガスを驚愕させるには十分すぎた。ハワードの言うパーティとは、ファーガス、ベル、ローラ、そしてこの馬鹿ハワードを含めた四人の事を指す。
 ソウイチロウの事を秘匿するためには、バラバラのパーティを組むという事は出来なかったのだ。この四人は、全員ソウイチロウの入院先を知らされていた。ファーガスなどは相部屋だった程だ。配慮の様で、実際は学園側が組ませようと考えたのかもしれない。
 そして、少なくともソウイチロウの居場所を喧伝するほど彼を憎む人間は、四人の中に居なかった。そういう意味で、まずカーシー先輩は知らなかったろう。
 そのようにして出来たこの班は、代表生が主体であるため普通混合しないはずの他クラス同士の生徒が所属した、学年に必ず一つはある変わり種となっている。
 そして当然、代表生のパーティとするなら優勝候補筆頭であった。ここまで考えていると、少しファーガスも思い出してきたようだ。イングランドクラスの男子寮長が厳しい目で「勝たないと恥だぞ」と言っていたのを覚えている。
 ハワードが言っているのは、つまり『そこ』に問題の渦中であるソウイチロウを入れようということだった。
「お前の方が馬鹿じゃねぇか! バーカ!」
「ああ!? 黙り腐れこの『魔獣にするには核が足りない』間抜けが!」
「魔獣から核抜いたら、もうそれ魔獣じゃねぇだろうが! ただの動物だ馬鹿野郎!」
「……君たちは楽しそうだね」
『何処が!』
「えっ。ああ、いや、……ごめんなさい」
 通りすがりのように現れたベルが、二人に怒鳴られ委縮した。しょぼんとなってしまった彼女にファーガスは慌てはじめ、ハワードはそっぽを向いて鼻を鳴らす。前から思っていたのだが、この許嫁同士である二人は本当に仲が悪い。
 ベルをなだめすかしたファーガスは、「それで」と彼女に尋ねる。
「昼飯時なのにこんな場所でどうしたんだ?」
「その言葉をそっくり君に返そう。……というか、だな。今日はすこし、ふぁ、ファーガス、君と昼食を取ろうと思っていて……」
 そこまでたいした事という訳でもないのに、顔を赤らめて言われた所為で、こちらまで恥ずかしくなってしまう。そこにハワードの舌打ちが入った物だから、二人はビクッと体を震わせた。
「まぁ、いい。とりあえず人も揃ったことだし、スコットランドクラス行くぞ」
「えっ、ちょっ、ちょっと待てよ!」
 ファーガスの抵抗虚しく、ハワードは二人を引きずって修練場を横切っていった。さっきの葛藤は一体何だったのだ、と思わせられる。
 しかし、実のところは少々の感謝もあった。ひとまず今日は、葛藤に決着を付けないままソウイチロウに会いに行けるのだ。
 スコットランドクラスの食堂に入ると、空気が微妙に淀むような気がした。ソウイチロウの時の様にあからさまではないが、微妙に視線が集まっている感じがある。
「じゃ、オレはシルヴェスターを引っ張ってくる。お前らはブシガイト捕まえとけ」
 軽く手を挙げて、ハワードは駆け出して行ってしまった。呼び止める間もなく奴は雑踏に消えていく。置いてけぼりにされた二人は、その行動の速さにちょっとぽかんとした。

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