武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

閑話1 とある病室にて

 ソウイチロウの一件は、彼の無罪に終わった。
 だが、それは勝訴ではなかった。少なくとも、彼はそのように自嘲気味に微笑した。
 ファーガスとソウイチロウは、それぞれ病院のお世話になることになった。ファーガスは片腕の極端なまでの骨折。山から帰還後すぐに病院に担ぎ込まれ、緊急手術を行わなかったら壊死していたと告げられた。当時はそんな大げさな、と青ざめた少年だったが、翌日からは痛みにうなされてろくに眠れたものではなかった。
 対するソウイチロウは、体の節々にガタが来ていたのだ、と言う風に彼は語った。具体的に言えば、栄養失調、折れた後自然回復(聖神法による補助含め)によって間違った繋がれ方をした骨が数か所、更には精神的な幻覚症状がちらほら、と言う具合で、確かにガタが来ていたらしいと納得したのを覚えている。
 だが、ファーガスは数度の手術で何とか再び使い物になる程度に回復するだろうと医師に約束されたし、ソウイチロウはソウイチロウで適切な治療を施していけば、新学期が始まるまでには全快できるだろうと言われたらしい。
 各自、当初は個室だったが、あの一件から一カ月経った今では同じ大部屋に移されることになった。ファーガスは歓喜し、ソウイチロウも思わずと言う具合で、相好を崩すのを堪えきれていなかった。
 あの事件のことを尋ねると、語りにくそうにしながらも、遠回りに語ってくれた。途中ファーガスが察して押しとどめても「聞いてほしい」と強く言われ、ファーガスは覚悟を決めた。
 彼は、核心的なことを言わなかった。だが、ファーガスはベンの一件もあって、言えないのだと悟った。彼が挙げたのは、前提として自分が亜人とのハーフであることと、やむを得ない事情によりアメリカ行でなくイギリス行の船に乗ってしまったこと。とりあえずはイギリスのホームステイ先で平穏に暮らしていたが、亜人への差別意識をなくそうという考えの教官に様々な報酬と提案を持ちかけられ、騎士学園に入ったこと。手違いでそれが露見したこと、その教官が勝手な行動を起こしたとして懲戒免職を食らったこと。
 その先を、彼は語らなかった。言うまでもなかったとも言えたし、語ろうとしてもファーガスが押しとどめたことだろう。何故露見した時点で退学にならなかったのかが酷く疑問だった。その理由を、ソウイチロウはこう語った。
「ファーガスはさ、例えば、悪い事をしたけど、罰を受けていない人が近くに居たらどうする?」
「どうするって……。そんなの、悪さにもよるだろ」
「うん、そうだ。悪さによる。でも、人間によってその悪さの基準っていうのが変わるんだよ。その具体的な悪さが確定すれば、あとはそれを受け取る側が、裁くべきとかそこまでじゃないとか決める。 教師側は、多分僕への悪感情が騎士候補生たちのプラスになるって見たんだろうね。だから罪に問わなかった。問う必要がなかったといってもいい。庶民上がりの特殊な子たちも、どうでもよかったんだろうさ。――逆に、根っからの貴族である騎士候補生は、いまだ亜人とのハーフが騎士学園に在籍しているのが、……」
「ソウイチロウ、無理しなくていい。むしろ、放校させられなかった理由を語るうえでは口が動き過ぎなくらいだ」
「……そうだね、今日は口の滑りがいいみたいだ。ともかく、そんな感じ」
「ところで俺は報復行動として誰をぶち殺せばいい?」
「ぷっ、あはははは……。止めてよ、殺すなんて。あの子たちはまだ子供なんだから」
「……自分たちを虐めた奴らに、そんな事を言えるのか。お前」
「何にも抵抗が出来なかったら、こんな事にはなっていないよ。確かに一時前世のことを忘れるくらいだったけど、……あいつらの驚く顔は、ちょっと爽快だった」
 ファーガスは、ソウイチロウの殺人は正当防衛で片づけられたと聞いていた。凶器は木剣。襲い来た教官の口の中に、剣先を脳に至るまで深く突き刺したのだという。その後逃走し、紆余曲折の末今に至るのだと。
 そのあとは、聞きたいことも聞けたとして雑談に興じた。それぞれの明るい思い出話を語り合っていると、すぐに消灯時間が訪れた。
 ベルが訪ねてきたのは、その翌日。面会が可能になった二日後だった。個人部屋に居る時は面会謝絶状態とされていたのである。常に痛みがあって、悶え続けていたからだ。
 痛みが完全に引いたのと同時に、面会謝絶が解かれ大部屋になった。そしてソウイチロウとちゃんとした再開を遂げたのだ。
 ベルが来たとき、ソウイチロウはちょうど寝ていた。他の病室の人たちもそれぞれ寝るなりテレビに没頭するなりで、非常にありがたいタイミングだ。
 現れたベルは私服だった。白を基調とした服で、ともすれば消えてしまうのではと危惧させられるほどに儚げな印象を、少年に抱かせる。
「ファー、ガス」
 少女は少年を見つけて、酷く複雑な表情をした。嬉しさに頬を緩ませるようでもあり、安堵に瞳を濡らすようでもある。彼女はそこに立ちすくみ、動き出せないでいた。ファーガスは戸惑って、声をかけると彼女は手で顔を覆いながら肩を震わせる。
「良かった……! 面会謝絶なんてことになっていたから、何があったのかって、心配で……!」
 ベルはゆっくりと近づいて来て、ファーガスの手を握った。オーガにボロボロにされ、壊死しかけた腕だ。それを、痛みの無いよう優しく包んでいる。
「ごめんなさい。私がもっと早くみんなを見つけられれば、ファーガスもこんな目に合わずに済んだかもしれないのに……」
「そんなの気にするなよ。こんなのはアレだ、女の子を守った名誉の負傷とか思っとけば、特に苦痛でもなかったさ」
「ううん。違う、私は、そういう事じゃなくて……」
 少女は、首を振る。すると彼女の白銀のような髪が、尻尾のように揺れた。彼女は口を声なく蠢かし、少し下唇を噛んでから、瞼を強く瞑ったのち見開く。
「私は、ファーガスを避けた。別に、嫌いとかそういうことで避けてた訳じゃないんだ。でもそれに気付いた時、ファーガスは驚いたと思うし、多分怒ったとも思う。それなのに、私にあんなに優しくしてくれた……。それが嬉しくて、申し訳なくて」
「ベル……」
「だからね、私も少しずつ勇気を出そうって思ったんだ。もう、ファーガスを避けるなんてことはしないから、昔みたいに一緒に居よう?」
 涙を目端ににじませつつも、ベルは小首を傾げて花のように笑った。ファーガスは、これだと思う。これこそが、自分の見たかった彼女の笑顔なのだと。
 そう思うと、何だか頬の緩みが抑えきれなくなった。ベルはそれをしばしきょとんと見つめてから、慎ましやかに吹き出す。そしてくすくすと笑みを零しながら、「おやつをもらった犬みたい」なんてことを言う。
「あ、そういえば、今回のオーガ殺しとかブシガイト捕獲の功績をたたえて、一つだけ無理のない範囲で特権を許すって学園長先生が言っていたよ」
「うーんと? 正直イメージが湧かないんだけど」
「簡単に言うと、食堂のお菓子を一種類に限り自分だけ無料にするとか、武器を買う時十パーセント値引きとか。数年に一度そういう人がいるらしいんだ。……本当、ファーガスは凄いよ」
「何を感慨深そうに言ってんだよ。トドメ刺したのベルのくせにさ」
「ファーガスあってこそだよ。それで? 私が伝えておくから、何がいいか考えてみて」
「うーん……」
 ファーガスは腕を組んで考えてみる。ベルの言っていた菓子だの武器だのという事には、あまり欲がそそられなかった。確かに十パーセント引きは大きいが、しかしそこまで欲しいとも思わないのだ。
 その時、ふと彼に天啓が届いた。少年は息を呑む。「そうだ!」と声高々に言った。
「アメリアだ!」
「……アメリア?」
「ファーガスの大切な人なんだっけ」
 ベルの疑問符に、カーテンで仕切られた隣から声が聞こえた。いつから起きていたんだソウイチロウ、と恥ずかしくなるが、ベルの「えっ」と言う声が少年の気の逸れを妨げる。
「だっ、大事な人?」
「大事な人っていうか、確かに大事だけど……」
「そ、そうなんだ……」
 何だか話が奇妙な方向へ向かっているぞ、とファーガスは表情を渋くする。対してベルは、心なしかショックを受けているようにすら見えた。口を半開きにして、高い頻度で瞼を開閉し、気まずそうに視線をぐるぐる泳がせている。
 ――これ、アメリアは猫って言った方がいいかななどと考えていると、ふっとベルが穏やかな表情になる。まるで何もかも悟ったような面持ちだ。それにファーガスは安心し、話題を変えようとすると、ベルは「私、決めた」と言う。
「ハワードとの婚約、承諾してくるね?」
「ちょっと待て! なんか絶対勘違いしてるお前!」
 慌ててベルを引き留めると、隣のベッドから押し殺したような笑い声が漏れてくる。「お前ふざけんなよソウイチロウ!」とカーテンを開け放つと、顔を真っ赤にして震える少年の姿があった。
 黒髪に黄色い肌と言うアジア人の特徴と、白人でも珍しいのではないかと言うほどすがすがしい青色の目。ソウイチロウはこちらをちらと見ながら、笑いをこらえつつ「ごめんごめん」と片手謝り。
「件のダスティンさんが、聞いてた以上に真っ直ぐな子っぽかったから、少しからかいたくなっちゃってさ。いいじゃない。いいコンビだと思うよ? ファーガスも真っ直ぐだし」
「つまるところアレだよな、俺の事もからかいやすいって言ってんだよな」
「おっと、なかなか頭が回るじゃないか」
「今俺スゲェ馬鹿にされてる。ベル、あとで一緒にソウイチロウのこと闇討ちしてやろうぜ」
「いやそんな、闇討ちって……。――え? 彼、ソウイチロウっていう名前なの?」
「気づかれてなかった凄い! イギリスでは目立つ方だと思ってたのにその辺りのプライド僕ぽっきりだ!」
「え、え、え。本当に? 彼が、ブシガイト……なの?」
「数日間おかしかったらしいけど、昨日会ったらすでにこんなんだった」
 ファーガスは苦笑い気味に肯定する。ベルはソウイチロウを、酷く唖然として見つめていた。対する彼は少々タジタジだ。
「本当に君が、ブレナン先生を……」
「……あー、えっと」
 ソウイチロウは、ベルの問いに狼狽した。ファーガスはため息をついて、「ベル」と窘める。すると彼女はすぐに理由を悟って、「申し訳ない」と頭を下げた。「こちらこそ」と彼は苦笑する。
「でも、びっくりした。噂に聞いていたブシガイト像とは全く別物じゃないか」
「何て言われてたの?」
「『常に背後を注意しろ、木の上に影が見えたらブシガイトだ』って」
「怖っ! 何だよそれ、人を指して失礼だな。なぁ、ソウイチロウ」
「え、いや、うん……」
「心当たりあんのかよ!」
 ソウイチロウは困った風に窓の外を仰いで「今日はいい天気だな……」なんてことを言っている。完全に黒だった。
「本当さ、お前いろいろ謎多すぎんだろ。勝訴の理由がなんだっけ、『魔法を使わなかったことを根拠とした、正当防衛の証明』だのなんだのだっけ?」
「勝ってないよ、ファーガス。引き分けたんだ。本当なら、スコットランドクラスは解体されていて然るべきだったし、僕自身もそれを望んで使わなかった節がある」
「……いや、騎士学園のクラスが解体されるなんてことは有り得ない。UK全国で一つしかない騎士学園のクラスが解体されるなんて、言ってみれば今の我が国で革命が起きるようなものだよ。対亜人の後進育成に大きな損害を被るし、もしそうなればドラゴンがこの国を蹂躙することになる」
「確かに学園広いからなー。敷地内って言えば、繁華街の方も一応含まれるんだろ?」
「ポイントで買い物ができるくらいだから」
 ファーガスとベルの雑談の狭間、ソウイチロウは、少し意気消沈した風に言葉を止めた。それは、数秒の事だった。ファーガスはそのことをおぼろげに感じ、ベルは気付きもしなかっただろう。そして、彼がすぐに元気に話し出す所為で有耶無耶にされてしまうのだ。
「で、話戻るけどアメリアちゃんどう? 元気?」
「あっそうだ! 結局勘違いってどういう事なの、ファーガス!」
「猫だよ! 俺の愛猫にして愛娘! 要は猫を飼いたいってだけだから、ハワードの嫁入りは考え直そうぜ、なっ……?」
「最後の方必死感あふれてたね」
「あ、何だそうか猫か……。触らせてくれる?」
「もちろん!」
「なら、止めておきましょう」
 ちょこっと偉そうに腕を組んで満足げにそう言ったベル。そんな仕草がファーガスの心を力強く鷲掴み、強く揺さぶっている。だが初心なる少年はそんな事で行動は起こせない。とりあえず全てを見透かしたようににやにやと笑っている総一郎を、後でのしてやろうと思っただけだ。
「で、結局特権はペットでいいんだね?」
「ああ、それで頼むよ、ベル。……いやぁ、でも楽しみだなぁ。アメリア。早く会いたいアメリア!」
「ファーガス。僕もこんなこと言いたくないけど、親友だからあえて言わせてもらうよ。超キモイ」
「うるせぇシスコン!」
「ファーガス、言葉に出さなければ気持ち悪くないんだよ?」
「ちょっと待ってくれ。ベルにそんな困り顔で言われるとマジでへこむ」
「……ふふっ、ごめん。私も少し、ファーガスをからかってみたくなって」
「あのなぁ……」
 茶目っ気たっぷりに言われると、ファーガスも怒るに怒れなかった。彼女は暢気にくすくすと笑っている。
 そんな時、ベルはハッとして、「そういえば」とソウイチロウに問いを投げかけた。
「あの時のヘル・ハウンドって、結局どういう事だったんだ?」
「あの時?」
「ソウイチロウを保護したあの日に、ヘル・ハウンドが滅茶苦茶集まってきて、『お前を殺すな』みたいに言ってたんだよ」
「言ってた?」
「翻訳機があってさ」
「ほぅ。……心当たりがないわけじゃないな。ボス狼っぽいの居たでしょ」
「確かに、居たね。私が作った結界が簡単に破られてしまった」
「そのヘル・ハウンドのことを、僕は勝手にグレゴリーって呼んでるんだよ。あの山ではライバル的な関係でね。何で助けてくれたのかはちょっと分からないけど、そんな頭のいい行動をとるっていうなら、間違いなくグレゴリーだ」
「グレゴリー……。中々いかつい名前だな」
「最近は停戦協定を結んでたから、そのお蔭かな」
「停戦協定ってなんだよ……」
「まぁ、色々あってね」
 ソウイチロウは肩をすくめて追及を躱した。語りたくないことなのか、と訝りながらも、ファーガスは引き下がる。
 その後、また来ると言い残して去っていったベルをベッドの上から見送り、扉が閉められるとともに何だか華やかさが失われた気がしてため息が漏れた。次いでソウイチロウをぎろりと睨む。「悪かったって。次はもっと巧妙にやるから」何に対する巧妙さだ
「だってほら、あの子って数年前に言ってたファーガスの好きな子でしょ?」
「何でバレてんだよ!?」
「いや、見てたらわかるよ。ついでにあの子もファーガスにべた惚れっぽかったし」
「いや、そんな、そんな都合のいいことあるわけが、……いやでも、――いやいやいやいや! そういう甘い考えは自分を傷つけるだけなんだぞ、ファーガス!」
「とはいえ君もダスティンさんもお互いに自分の片思いだって信じ込んでるからそこもやっぱりお似合いか。よっ、鈍感カップル!」
「尻に手ぇ突っ込んで奥歯がたがた言わしたろかお前!」
「凄い懐かしいフレーズ聞いちゃったよ、今日は結構いい日だな」
 押しても引いてもどうにもならないソウイチロウだった。まったく引いてないけど。
「あ、そうそう言い忘れてたことがあったんだ」
 ぽん、と唐突に、彼は上に開いた手のひらに拳を落とす。そしてこちらに仏のような笑みを浮かべた次の瞬間、カッ、と厳しい表情になった。
「シスコンで何が悪いっていうのさ! 可愛いじゃん白ねえ! あのいっつもすっとぼけてる風で意外と人生観出来つつあるところとか!」
「言うの遅ぇよ! ……っていうか何、シラハもうそんな境地に居んの? 早っ。アレか、天使だからなのか?」
「僕ら転生組でも結構手間取ってるっていうのにね。何でかな、生まれ変わる前とか結構そういうビジョンしっかりしてたはずなんだけど」
「体が子供なんだから、脳も子供ってこったろ」
「他人の記憶って訳ではないんだけどさ、どうにもままならないことってない?」
「ある。けど俺の前世自体も結構ガキだったから、強く実感っていう事はないんだよなぁ」
「なるほど……」
 ソウイチロウは相槌を打ちつつ、手を口に当てて深く考え込んでいるようだった。何か、思うところでもあったのか。
 まぁいいや、とファーガスは投げ出した。それぞれの人生には、それぞれの苦難、苦悩がある。それは決して他人には理解できないし、理解しようとしてもいけないのだ、という風にファーガスは捉えている。人間には分相応と言うものがあって、それを超えてはいけないのだと。
 ファーガスは、ベッドに沈み込んで目を瞑った。飯が一等不味い病院で、唯一評価できるのはいつでも眠っていい事だった。

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