武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 勝気なビスクドール(3)

 夜の事だった。
 ベンと、明日から使う予定の聖神法についていろいろと話していた。共に高揚していて、取った聖神法でどのように闘うだとか、タブレットから亜人図鑑を開いてこいつが敵だったらどう戦うかを考えるとか、そんな事ばかり話していた夜だった。
 ノックがして、ドア側に近かったベンが立ちあがった。彼は扉を開けて、少し外の人物と話した後、「ファーガス、君に用事だって」とこちらを向いた。
 そこに立っていたのは、明らかに年上の、メガネをかけた少年だった。
「君が、ファーガス・グリンダーか。どうも初めまして、ぼくはイングランドクラスの寮長を務めるラティマーだ。君には学園長から呼び出しがかかってる。ちょっと付いて来てもらっていいか?」
「え、あ、……着替えた方がいいですよね」
「まぁ、出来ればな」
 ファーガスは一度「失礼します」と扉を閉めた後、大急ぎで着替え始めた。ベンが心配そうな表情で「何をしでかしたの?」と聞いてきたのが癇に障り、「知るかよそんなん!」とズボンを穿きながら思わず怒鳴ってしまう。
「えっと……、まぁ、いいや。なんて言えば良いのか分からないけど、とりあえず頑張って」
「何かフワッとした声援ありがとうよ……。じゃあ行ってくる」
 軽く片手を挙げて、目を細めた笑顔という切ない表情で別れを告げた。対するベンも、何とも言えない微妙な顔つきだ。もやもやしていることだろうし、あとで何があったか教えてやろう。
 ラティマー寮長に「準備できました」と伝えて外に出ると、彼はそっけない相槌と共に歩き出した。何かしでかした記憶はないが、懸念材料はある。タブレットにあった、『クラス・チェンジ』のボタンだ。しかも自分は、そこから他クラスの聖神法を取ってしまった。
 もし叱られるとしたら、そこだ。しかし、反論できないでもない。ままならない気持ちで歩いていると、「どうして君はそんな渋い顔をしている」と尋ねられる。
「あ、いえ。俺、そんな悪いことをしたのかなー、と思いまして」
「したのか?」
「え? ……いえ、記憶がないので戸惑っているんですけど」
「そうか、言葉が足りなかったな。君は別に、お叱りを受けるために学園長の元に向かっているんじゃない。そんなものは教官で十分だろう。今回は別件だ」
「別件て……」
「それは、ここでぼくが言う事じゃない。学園長から直接言葉を頂くんだな」
 はぁ、と生返事のファーガス。とうとう何の事やらさっぱりとなってしまった。半ば投げやりな気分でついていく。
 道順は、複雑だった。説明された構造では寮の中央と両端を螺旋階段が貫いていて、ファーガスたちはまず中央のそれを下りた後に、東側の螺旋階段の近くの暗証番号入れて扉をくぐり、さらに階段を下る。すると廊下が現れて、そこを少し歩いてから右に曲がると、あとは一直線の廊下が伸びていて、豪奢な扉が待ち受けている。 まるで秘密部屋だ、と少年が思うのも無理からぬ話だろう。
 なおさら、そんな場所に連れてこられた意味が分からない。
 寮長は扉を開け、ファーガスを手招きした。怪訝な顔つきで入っていく。
 はたして、そこには十一人の人物がいた。まず、イングランドクラスの教頭をはじめとした大人が五人。教頭含む三人は部屋の端でむっつりと立っていて、もう二人は老齢の女性が椅子に座り、四十路ほどの男性がそれにつき従うようにそばに立っている。 そして、残る六人はすべて子供だった。二人組が、三つ。どれもファーガスと同じような年ごろの少年少女と、こちらの寮長ほどの青年男女たちという組み合わせだ。関係も似たり寄ったりだろう。ファーガスは、そんな中ローラを見つけて目をぱちくりさせる。次いで黒髪の目つきの悪い少年に微妙に威圧されつつ、最後の一人――ベルを見つける。
 思わず、声を掛けそうになった。だが寮長に手で諭され、一旦はつぐむ。
「皆さん良く集まってくださいました。どうも初めまして、私は学園長のヘレン・セルマ・パーソンです。昨日の入学式には出席できなくて御免なさいね。何せ先生方の折衝で忙しいものだから」
 小柄な老女は、そのように言って笑った。見れば教頭たちが、多かれ少なかれムッとしている。スコットランドクラスの教頭らしき人など、青筋を浮かべているほどだ。対するアイルランドはすぐに涼しい顔に戻っている。
「さて。じゃあ本題に入らせていただきたいのだけど、特待生であるあなたたちに私からちょっと頼みがあるの」
「……特待生なんですか? 俺」
「ここに居るってことは、そうだろう」
 ファーガスとラティマー寮長でこそこそ話。おかしいな、と首を傾げていると、ローラも目をぱちくりさせていた。――なるほど、多分先生たちの情報伝達ミスだ。
 しかし、納得いかないのは自分がなぜそれに選ばれたかという事だ。学力は標準よりちょっと上という程度で(いつも意外と言われるのが心外である)、特待生になれるというほどではない。騎士についての能力に関しては、測ってすらないので理由にもならない。
 そんなファーガスの戸惑いを置き去りにして、彼女は続ける。
「あなたたちには、パーティを組んでいただきたいの。本来パーティっていうのは自分のクラスだけでやるものだけれど、あなたたちは特待生だから特別にね。お願いできるかしら」
「あ、はい」
「分かりました」
 ファーガス、ローラはそれぞれ了解の意を示した。一瞬互いに視線を交わし、クスリとほほ笑みを交換する。
 実際、大した頼みごとではなかった。何故こんな仰々しい場所に呼び出されたのかも疑問なほどだ。しかし、収穫がないわけではなかった。どうやって接触を図ろうかと考えていたベルに、こうして引き合わせてもらったのだから。
 だが、彼女は信じられない言葉を口にした。
「私は、お断りさせていただきます。すでに約束している友達がいますし――」
 そこまで言って、彼女は鋭利な視線をぐるりと一周させた。黒髪の目つきの悪い少年、ローラ、ファーガスときて、微かに、少しずつその眉が下がる。少年がそこにどんな感情が眠っているのかを考えようとした。しかし、彼女のきっぱりした声に寸断させられた。
「彼らとは、上手くやっていけそうには思えません。では、私はこれで」
 貴族流の一礼を済ませて、ベルは足早に去っていった。きょとんとするのはファーガスだ。穏やかな印象が強かった彼女なのに、一体全体これはどういう事だろうか。
「……オレも、こいつらと組む気にはなれませんね。というか誰とも、ですか。どいつもこいつもオレの足を引っ張る未来しか見えない。一人の方が気楽でいいんですよ。だから、今日はここいらで」
 目つきの悪い少年も、四つある扉の内の一つから出て行ってしまった。ぽかんとして、ファーガスはローラと目を合わせる。
「……何なのですか? あの二人は……」
「いや、片方はもっとまともだったはずなんだけどな……」
 ぽかーんと目を丸くする二人を見て、四人の寮長たちが思わずと言った風に吹きだした。「えっ、何ですか?」ときょろきょろ見回すファーガス。
「いや、今年の新入生は穏やかなのが多いと思ってね……。プっ、ふふふ……」
「違うだろう。ぼくたちの気性が荒かったんだ。全員アイルランドの――ナイオネル・ベネディクト・ハワードだったか? そんな風で、ここで剣を抜いて暴れ出す始末だった」
「何スかそれ……」
「特待生は大抵、大貴族かつ優秀な人材が選ばれるのですよ。しかし、そのプライドの高さ、年若いために衝突も激しい。そういう意味では、今年の特待生がぶつかり合わないのは当然と言えば当然ですね」
 優しげな口調で、ファーガスたちに教えてくれる学園長。その時、不意に三教頭全員が消えているのを知ってまたもげんなりしたファーガスだったが、とりあえずは学園地ように先ほどからの質問を投げかける。
「というか、何で俺が特待生なんですか? 知らされてもいないし、そうなる理由すら分からないんですが」
「私も、そうです。何故なのですか?」
 ファーガス、ローラの質疑に、咳ばらいをした男性が一人。
 ファーガスはその人を見て、整った髭の持ち主だと思った。長身痩躯、よりは少し筋肉がついている体躯。もみあげがあごひげと合体させた上に口髭もあるのに、ぴっちりとした性格を感じさせる顔つき。目つきが鋭いというのもあるだろう。規則に厳しい鋭さだ。
「それは、私が説明しよう。申し遅れた。私はエドモンド・ヒース。学園の職員ではあるが、教師ではない。学園長の補佐ともいうべき立場にいるものだ。――さて! 君たちの質問は、『なぜ自分が特待生に選ばれたのか』――だったね?」
「は、はい」
 どうも独特の雰囲気の持ち主のようである。苦手な部類の人間だが、嫌いではないタイプだ。
「では順番に説明しよう。ではレディファーストという事で、まずシルヴェスター君について述べよう」
「はい。何故私なのですか? 他にも、私より優れていそうな人は居ましたが」
「それは、君が洗礼を受けない庶民のままで、聖神法を使えたからだ」
 え、とファーガスは言葉を詰まらせる。そしてローラに目を向けて、この様に言った。
「そりゃ今更『何で』も何もないだろローラ……」
「五月蝿いですファーガス」
 少々縮こまりながら半眼で睨み付けてくるローラに、ファーガスは降参の意を示すべく両手を上げる。
「でも、何でそうなったんだ……?」
「いえ、私にもさっぱり……」
「そう、君たちがパーティを組む理由の内の一つに、彼女の特異体質の解明も含まれている。そして、グリンダー君。君も彼女と似たような理由で、特待生入りになった」
 Mr.ヒースの言葉に、強張った半笑いで「え?」と言った。ちらと盗み見ると、ローラがしたり顔でこちらをニヤニヤ見つめている。
「……それで、一体何なんですか?」
「君は、ウェールズの騎士だね」
「はい。そうですけど」
「しかしね、グリンダー君。本来、ウェールズの騎士なんて存在しない。ウェールズ出身者は全てイングランドに組み込まれてしまうんだ」
「え? ……どういう事ですか?」
「しかも、確認したうえでは君は全てのクラスの聖神法に適合している。妙だとは思わなかったかね? 君のタブレットにだけ、『クラス・チェンジ』のボタンがあるんだぞ?」
「あ、確かに!」
「私のそれと似たり寄ったりじゃないですか!」
「ごめんって! 俺が悪かったよ!」
 後ろからクスクスという嘲笑が聞こえるが、ファーガスは強い子なので気にしない。顔は熱くないし恥ずかしくもないのである。
「ファーガスってもしかして赤面症ですか?」
「それで、つまるところ俺は全クラスの聖神法が使えるってことですね? ついては、使ってもいいと」
「ああ、もちろんだ。だが、出来るだけ他人には伏せるように」
 ローラを意図的に無視して、ファーガスはMr.ヒースに是非を問うた。納得できる回答が来て何度か頷きつつ、側面から突き刺さる冷たい視線は怖いのでスルー。
「という事です。とりあえずは、二人で組んでいただけますか?」
「はい、わかりました」
「私も、それに異論はありません」
 学園長の再確認に、二人は肯定を返した。「ところで、いいですか?」とファーガスは片手を挙げる。
「何ですか?」
「いや、自分もさっきのベル――クリスタベル・アデラ・ダスティンみたく既にパーティを約束した友達がいるんですけど、そいつを混ぜちゃ駄目ですかね」
「もう居るのですか。凄いですね」とローラ。
「いや、同じ部屋だからな。仲良くなるのも早いだろ。ローラもそうじゃないのか?」
「私あぶれたみたいで二人部屋を一人で使っているんです……」
「それは、ご愁傷様で……」
 ローラの微妙な不幸に手を合わせていると、吟味していたのか少し唸っていた学園長が、「まぁ、いいでしょうか?」と言った。
「幸いパーティは五人まで組めますから。一人増えても問題ではないですよ」
「よかったですね、ファーガス」
「ん、ありがと。ローラ」
 礼を言って、Mr.ヒースからの何かほかに疑問点はないかという問いに首肯して、とりあえずその場はお開きになった。
 部屋に帰って、簡単な概略を、自分の全クラス云々を省いたうえでベンに伝えた。「凄いじゃないか! 特待生なんて!」と彼は自分のことのように喜んでくれて、なるほど、こいつは良い奴なのだと思い知った。


 その日、夢を見た。ベルの夢だ。久々に会ったからなのだろう。
 その姿は、今のそれより幼い。今でもまだ幼いともいえるが、それはファーガスの中身が前世の事で少し大人びているだけだ。
 夢の中で、ベルは仏頂面だった。今にも泣きそうな顔で、ファーガスの怪我を見つめている。
 修業が始まった時、ファーガスは生傷が絶えなかった。盾の使い方が下手だったのだ。
 それを治すのが、ベルの役割だった。父親に頼み込んで、方法を教えてもらったのだという。
『何で、ファーガスは笑われていたんだ……?』
 夢の中で、ベルが問うてくる。
『笑われるって?』
『ファーガスは、騎士の才能がないってみんな笑っていた。だから、いつも怪我をして帰ってくるって』
 ファーガスの怪我をベルは親の仇のように睨んでいる。しかし、少年をそのように評した兄弟子たちとの関係は良好だった。
 とはいえ、全く蟠りがなかったわけではない。師匠の主人のご令嬢に気に入られているというのは、やはり最高でもジュニアハイスクールの生徒にすぎない兄弟子たちにとっては嫉妬の対象だったのだろう。
 親しみもあるが、妬みもある。それ故の言葉だった。ファーガスにはそれが理解できるから、苛立ちも覚えない。
 ――それに、ベルが代わりに怒ってくれる。
『……ファーガス、強くなれ。私は、悔しい。だから強くなってよ。でなきゃ許さないぞ』
 上目づかいで少年の顔を見つめる彼女の瞳は、零れそうなまでに潤んでいた。ファーガスは、彼女に向かって首肯する――
「――ベル。一体お前に、何があったんだ?」
 本来なら、誰よりも再会を喜んでくれるはずだった。だか、そうならない。理由があるはずなのだ。それを見つけ、取り除かなければならない。 ファーガスは、かつて彼女に騎士になると誓ったのだから。
 ファーガスは、ベッドから上体を起こす。カーテンから漏れ出る薄い光。鳥の鳴き声が聞こえ、ベンの健やかな寝息が部屋に微睡をもたらしている。
 朝が、来ていた。

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