武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 勝気なビスクドール(1)

 起きると、アメリアがファーガスの毛布の上で丸まっていた。
 薄暗い真夜中だった。時計を見ると、短針は四時半を指している。窓から入る弱い光は、電灯の物だ。一つ、猫のような欠伸を噛ましつつ、寝ぼけ眼を時計から外し、再び自身の愛猫に目を向ける。
 日本のとある村で出会ったこの猫は、ファーガスによく懐いている。懐いているというだけならどの動物もそうなのだが(自分はそういう体質らしい)、この猫は気遣いというものを知っている。愛おしい猫なのだ。
 そういう性質のために、彼女はファーガスの身じろぎに反応して、目を覚ましたようだった。弱弱しい寝ぼけた鳴き声をあげ、ファーガスの顔にすり寄ってくる。
「んっ、朝から甘えん坊だな、こいつ……」
 キスしてから、寝ぼけた半眼のまま喉をなでてやる。ゴロゴロと気持ちよさそうな声を出し始めた。だが、途中で彼女は焦ったようにその手を振り払い、時計に近寄ってぺちぺちと猫パンチ。
「ふぁあ……。どうしたんだよアメリア……。何か時計に恨みでもあるのか……?」
 彼女に近寄りつつその頭をなでると、アメリアは尻尾をブルンブルンと降り始めた。犬とは違い、猫のしっぽ振りは不機嫌の合図だ。尻尾を誤って踏んづけても怒らないアメリアが、である。ファーガスはそれに目を覚まし、自分の何が彼女の不興を買ったのかと戸惑う。
 だが、とうとう彼は気付くのだ。
 今日が、何の日であるかを。
「……あっ。ヤべぇ」
 ファーガスはダッシュでベッドから飛び起き、冷蔵庫から出したサンドイッチを温めもせず口にくわえた。そして、急いで着替え始める。初めてのシャツ、初めてのズボン、初めての上着。だが、初めて袖を通すというのに彼には感慨を抱く余裕がない。
「ありがとうアメリア! 離れ離れでもずっと愛してる!」
 二分で支度したファーガスは、残された三秒の間アメリアにキスの嵐を振らせてから家の外に飛び出した。荷物の大半はすでに輸送済みだが、それでも高速列車での長旅のため、それ相応のダッフルバッグを抱えている。故に、その走る姿は何とも不恰好だ。
 始発はすでに着いていた。ファーガスは急いで改札を通過し、閉まるギリギリの電車に転がり込む。 そこで、やっと一息つくことができた。しばし達成感の中放心する。そんな時、ふと窓ガラスの向こうの自分を見つけた。
「……随分と、いい格好してんじゃん」
 服に着せられてるぜ、と教えてやる。けれど、いいのだ。これから、少しずつ慣らしていけばいい。
 九月。今日は、ファーガスの入学式だ。そして、ベルとの再会の日でもある。


 ファーガス・グリンダーは庶民である。
 だが、縁があって貴族御用達の騎士学園への入学が許された。
 その話は長くなるのでここではいったん割愛とさせていただこう。ざっくりというならば、貴族のご令嬢を助ける機会があって、それをモノにしたというだけの話だ。あまりに陳腐な話だが、事実なのだから仕方がない。
 そして問題は、ファーガスがそのご令嬢に恋焦がれているという事だった。届かない恋。身分違いの恋。そのために、ファーガスは騎士学園などという場違いな進路を選んだ。
 もっとも、それを儚い初恋で終わらせるつもりはない。少年なりの決心だ。
「……おい坊や! もう終点だ、とっとと起きろ!」
「うぇ!? ああ、すいません!」
 ファーガスは覚醒して、頭を下げてから走り出す。
 三つ目の乗り換えだった。次は高速列車に乗って、五時間程度そのままの予定だ。ウェールズが、中途半端にイングランドに近いのが悪いと思う。スコットランドほど遠ければ、飛行機という手も使えた。そして三時間だけ高速列車で時間をつぶすのだ。どうせ拘束時間は大体同じといえど、その方が、遥かに気が紛れそうである。
 隣の芝は、という奴だとは分かっているのだが。
 無事高速列車に乗り込み、指定席に座る。
「このまま五時間……。アメリアが恋しい……」
 早くもホームシックを起こし始めるファーガス。全面的に、騎士学園寮がペット禁止な所為だ。
 しかしもがいていても仕方がない。餞別に、友人から本をもらっていた。読書にあまり興味のないファーガスからしてみれば他の物でもよかったのではないかとも思ったが、確かに電気なしで楽しめるのは良い。
「俺のケータイ、壊れてて充電滅茶苦茶食うからな……」
 そのケータイは今、ダッフルバックの奥底に眠っているはずだ。個人的にはそのまま安らかに眠っていてほしいが、後進が居ないので老体に鞭打たねばならない。
 窓の外を見る。景色が、みるみる飛んでいく。田舎、都会、田舎、都会……。めまぐるしすぎて、のんびりとはいかないようだ。
 大人しく、本を読むことにした。存外、面白い。だが面白くとも眠くなるという事はままある。不思議なことである。
 目が覚めると、すでにニ時間が経過していた。あと三時間。まだ三時間だ。もう一眠りと考えていると、整備中とのアナウンスが入る。どうやら、駅の一つに着いたらしい。気分転換に、ファーガスは外に出た。
 伸びができるというのは素晴らしいことである。少年はまず、売店で食料を探し始めた。昼食はバックの中に入っていたが、足りるかどうかは心もとない。ファーガスは大食らいなのだ。
 とはいえ売店で売っているものの大抵は、変な味か不味いかのどちらかである。特にチップス系は駄目だ。あれは嫌がらせにプレゼントするもので、人間の食べるものじゃない。
「クッキーか何かないかな……っと」
 適当に物色してから、良さそうな色合いのものを探す。これでよし、と納得してからお勘定を払い、列車内へ足を向けた。と、その時背後で短い悲鳴が上がる。見れば、少女が小銭をばらまいていた。
「あーあ……。ドン臭いのがいるもんだな」
 仕方なしと手伝いに向かうと、ある一人の男性が親切そうに「手伝うよ」小銭を拾い始める。だが、ファーガスはギリギリのところで見逃さなかった。彼が、少女のポケットから財布をスッた事を。
 ――まあ、スリは何処にでもいるからな。と思いつつ、ファーガスは小銭ひろいをやめて近くの壁に寄り掛かって待機した。小銭を拾い終えたのか、少女に礼を言われた男がこちらに向かってくる。ファーガスはその横を通り過ぎつつ、間違えた、とでもいうように肩をぶつけた。「すいません」と間髪入れずに言いながら、奴のポケットから財布をスる。
「おい、これを忘れちゃ意味ないだろ」
「えっ?」
 少女に向かって、財布を差し出した。見れば、彼女の服は質実剛健で、しかし最低限の華美を忘れない、見事な意匠の物だった。
 丁度、ファーガス自身のデザインと、似ていないとも言えない。
「……ありがとうございます」
 少女もそれに気付いたのか、しばし空白があった。だが列車出発のブザーが鳴ったからには、声をかけるのも難しい。挨拶もそこそこに、二人は車内に入る。
「じゃ、お先に」
 返答を待たず、ファーガスは自席へ向かった。また長い退屈が待っているのかと本を読みだすが、今度は眠れない。それなら本の内容に集中すればよいだけなのに、眠ろうと思って読むとどうにもうまくいかなかった。
「……本を、読むのですか?」
 馬鹿丁寧な英語。ファーガスは視線を上げると、見覚えのある少女がそこに座っている。
「……えーっと?」
「相席、だったようです。数時間よろしくお願いします」
「ああ、これはご丁寧に……」
 肩口までの金髪を揺らせて、少女はファーガスの向かいに座った。長距離列車の座席は、個室のようになっている。向かい合う二人用の長いすと、それを部屋のように隔てる壁とドアが特徴だ。
 しばし、無言。ファーガスは人当たりのいい方だが、何の縁もない相手といきなり気さくに話し始めるほどのコミュニケーション能力の持ち主ではない。その上先ほど別れを告げたのが、どうにも極まりが悪かった。対する少女は性格が引っ込み思案なようで、気まずそうに下を向いている。
 その所為か、自然と少女の容姿を観察してしまっていた。小柄だが、年ごろはファーガスと同じくらいだろう。その短い金髪は良く手入れされているのかさらさらと電車の振動に反応し、こちらから見て右側にのみ、髪飾りのような三つ編みがさりげなく自己主張している。
 趣味がいい、と思った。それが、ファーガスを確信させた。躊躇いがちにも話しかけてみる。
「あの……さ、もしかしてだけど」
「あ……、はい。多分、そうです」
「おぉ! そうなのか」
 主語をまだ言っていないのに、驚くべき理解力である。もしかしたら彼女自身予想がついていたのかもしれない。 何となく打ち解けられた気がして、安堵を隠さず「そっか」とファーガスは相好を崩す。呼応するように、少女も「やっぱり」と。
「そっか。君も騎士候補生か」
「やっぱり、あなたも猫好きですか」
「何でバレた?」
 まったく通じ合えていなかったことに戦慄する。しかも驚愕すべきは、彼女の発言が間違っていないという事だ。身も心も捧げた愛猫が、我が家で自分を待っている。
 そのように戦々恐々としていると、少女は小さく噴き出して身を震わせた。笑っているらしい。唖然としていると、震えた声で「す、すいません」と謝られる。
「親しみやすそうな人でしたので、ついからかってしまいました。ごめんなさい」
 素直に謝られてしまえば、ファーガスも怒りなど湧いてこない。それどころか、愉快そうな人柄をしていると感心してしまうほどである。
「というか、本当、何で俺が猫好きだって分かったんだ?」
「え? バッグに写真が付いているではないですか」
 改めて確認すると、確かにアメリアの写真がキーホルダーに収まってバッグに取り付けられている。しかし自分にはそんな覚えがない。きっと、両親のどちらかがやったのだろう。写真を撮る習慣があまりないファーガスだから、有難いやら間が悪いやらで複雑だ。
「う、うん。とりあえず見なかったことにしてくれる?」
「別に恥ずかしがることではないと思いますけど……。そう言うなら、分かりました」
 赤面のファーガスはこそこそとキーホルダーをダックの内側に詰め込んでチャックを締める。「それで」と話を戻した。
「結局君は――」
「はい、騎士候補生です。私はスコットランド出身なのですが、あなたは?」
「俺は、ウェールズ。だからまぁ、イングランドクラスだな」
「それは残念です。気の合いそうな相手だと思ったのに」
「女の子にそういってもらえるなら本望だな。……というか、名前を聞いてなかった」
 軽口をたたいておきながらこの始末。クスリと笑われ、分不相応は自粛しようと決める。
「そういえばそうでしたね。私は、ローレル・シルヴェスター。ローラと呼んでください。ローレルより呼びやすいですし。出身はスコットランドのモントローズです。趣味は読書。そしてすみません。本当は私、犬派なのです。そちらは?」
「俺は、ファーガス・グリンダー。とりあえず同い年で、出身はウェールズのスランディドノ。こっちは猫派だ裏切り者め。……というか思ったんだけど、もしかして庶民上がり?」
「何故バレたのですか!」
「いや、言葉遣いが丁寧すぎるなと思ってさ。貴族は丁寧っていうより格調高い感じだし。お前のは……日本人の英語みたいだな。まったく言葉に崩れがない当たりが」
「そ、そうですか……」
 ショックに頭を抱えだしてしまうローレル。その表情は蒼白で、そこまで? とファーガスは思ってしまう。別に貴族の坊ちゃん嬢ちゃんはそんなこと気にしないのだが。彼らにとっては庶民だろうと友軍なら親友で、亜人なら敵なのだ。
「……というか、あなたもそうなのですよね?」
「ん、ああ。縁があってな。俺も庶民上がり。つまり仲間ってことだ。クラス違ってもいいじゃん。これからよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
 くすりと、ローラは微笑する。微笑みが、よく似合う人柄なのだ。
 早くも友人が一人で来てしまった。とファーガスは嬉しくなった。スコットランドクラスだから接触機会は少なくなるかもしれないが、ひとまず滑り出しは上々だ。
「ところで、ファーガスは貴族の方と出会う機会があったのですか?」
「え?」
 突然の質問に、趣旨が分からず戸惑ってしまう。
「むしろローラは無かったのか? じゃあ何で騎士学園に……」
「私は……何と言えばよいのでしょう。体質とも言いますか。そのため、懇意の貴族の方というのは居ません。だから無理やり言葉遣いも直したのです」
「やっぱ素じゃなかったんだなそれ……。うーん、そういうのもあるのか。俺はとある貴族の子供と仲良くなって、その縁からだな。卒業したらその家の専属騎士になる予定でいる」
「進路も決まっているのですか、羨ましいです。私なんて、『普通じゃないからとりあえず入学しなさい』などという乱暴な説明に対抗できず、流れ流され騎士学園はもう目の前という……」
「あー、引っ込み思案っぽいもんな、ローラ」
 言うと、ちょっとムッとしたらしい少女。しばし目を瞑ってから、「自覚はあります」という。
「ですが、私はその弱さが嫌いです。本当なら意に沿わない提案など突っぱねるところだったのですが、なぜか今回だけは相手の口車に乗せられてしまい……」
「いや、ごめん。そこまで気にするとは……」
「えっ、あっ、いえ。その、すいません」
 ローラの感情の波についていけないファーガスの困惑に気付いた少女は、酷く慌てて首を垂れる。ファーガスは、なるほど、自分は見誤っていたのだと知った。ビスクドールを思わせるこの美しい少女は、どうやらなかなかに気が強いようだ。
 ファーガスは、余計にローラのことが気に入った。彼も、自らの弱さを嫌って貴族の――亜人という異形と戦う世界に足を踏み出したのだ。友人の向上心は、無いより有った方がいい。
 その後、二人は雑談をして時間をつぶした。それぞれの面白いエピソード、ペットの話、ファーガスが手にしていた小説の話を聞かされた時は、いっそう読書欲が湧いたほどだ。
 気づけば時計は十二時を回っていて、終点のカンタベリーもすぐそこだった。二人は身支度を整えて、列車を出る。すると一等席の方からわらわらと同じ服装の少年少女たちが出てきて、見ないと思ったらそっちに居たのかと、二人は静かに驚いていた。
 入学式の直前。貴族の生徒を除いて、庶民上がりはまず大聖堂で洗礼を受ける予定となっている。ファーガスは手短にローラに別れを告げて、イングランドクラスの指定の建物へと駆けて行った。それは少年を小さく焦がす、淡い初恋によるものだ。

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