武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

11話 虹色の珠

 その道は、川辺にあった。
 流れは遅いが、底が見透かせない深い川だった。何かが潜んでいる、と言う気配がある。実際、潜んでいるのだろう。河童が住んでいると聞いて、ここを歩いているのだ。
 マヨヒガからの、帰り道だった。
 空は、雨の降らない曇天だった。その為、総一郎と琉歌は、少々早足で進んでいた。河童が祀られている小さな祠がその先にあるらしく、そこにたどり着くまでに河童に声を掛けられなければ、山姥に渡されたキュウリを投げ込めばよいという話だった。そうすれば河童が現れ、二人に水の加護を与えてくれると。
 時間の加護は、帰るまでに何かなければ、他の神社などで貰うと良いと言われた。大抵の子供はこの山で、一部の加護を重点的に貰い、他の貰えなかった加護を他の神社で授かるのだとか。
 確かに偏りがあると、総一郎も思っていた。総一郎の場合、火、風、光、木、雷の加護が妙に多かった。琉歌の場合だと、水、氷、音、精神の四つである。同種の加護を与える亜人の人格と言う物はある程度似通っていて、好く子供の性格もそうなのだろう、と言う話だった。それがいずれ、得意分野を分けるのだろうと。
 余談だが、あの堅物の振りをしていた本性がひょうきんらしい雷神は、誰よりも多く総一郎に自らの加護を与えていたらしい。山姥から下山寸前に聞いた話だったが、雷神は自分に食って掛かる童など初めてだったそうなので、たいそう気に入ったのだと。風神も加護を与えたがっているから、また気が向いたら来ると良いとの事だった。
 神様を脅すなどという暴挙に性根では怯えていた総一郎だったから、これを聞いて大きな荷が下りた気分だった。
「……雨、降りそうだね」
 ぽつりと、琉歌が呟いた。見れば、空を見上げている。これは、早く下りた方がよさそうだと、総一郎も思った。黒々と山にもたれる空一面の雲は、時折、雷の前兆なのか光を放っているのである。
「うん。早く河童さんに加護を貰って、帰る事にしよう」
 総一郎は琉歌の手を握り、小走りを始めた。古びた木の標識は、山の中腹だという事を示している。この川辺の道は、正規の登山道の一つらしかった。
 しばらく走っていると、川が滝に変わった。総一郎は滝横の階段を軽やかに下りていく。滝壺の端に、祠があった。現代の物とも、総一郎の前世の時代とも違う、亜人がただの妖怪であった頃の、小さな、年季が入った古めかしいそれだ。
「総くん」
「うん。多分、ここだ」
 祠には、河童らしき小さな石像が荘厳ささえ湛えて座っていた。水虎という字が見当たったが、山姥の話ではそれで大丈夫なのだという。互いに見つめ頷き合い、キュウリをそれぞれ一本ずつ滝壺へ投げ入れた。ちょうど滝に巻き込まれて深くに潜っていく。
 同時、二人の足元の水辺にブクブクと水泡が立った。円形の影が浮かび上がり、次第に濃さを増していく。そして、皿が現れた。また、緑の体躯もだ。
「山姥のお使いか? ご苦労さん。ええっと……琉歌ちゃんに、総一郎だったか。聞いてるよ。加護が欲しいんだって?」
 水面からの眼が、二人を見つめた。「はい」と強く答える総一郎と「う、うん」と戸惑い気味に答える琉歌。その様子を見て、琉歌には暖かな目を、逆に総一郎には冷たい視線をよこした。ブクブクと、河童の口元辺りに水泡が浮かぶ。それは何処か、ため息を思わせる。
「……琉歌ちゃんにはやるよ。ただ、総一郎にはあんまりやりたくねぇなぁ……」
「……聞くけど、何で?」
「なんかよ、お前、子供らしくねぇんだよなぁ。子供らしい馬鹿さは持っているっていう話だったが、一目見ただけじゃあわからねぇ。俺はよ、子供が好きなんだ。子供と相撲取るのが昔からの楽しみだったんだが、……お前は嫌がりそうだなぁ……」
 今度は分かりやすく嘆息する河童に、むっと口を尖らせた。別に総一郎、子供らしい遊びが嫌いなわけではない。ただ、初対面の時はしっかりしておきたいというだけだ。
 しかし、今回の場合はそれがマイナスに働いたという事なのか。子供に子供らしさを求める相手というのは、当然いる。思えば、そういう輩は加護を与える時も最初は渋っていたような記憶があった。土蜘蛛などがそうで、その時は難儀したと思い出す。
 だから総一郎、河童の要求を受けることにした。
「いいよ。相撲の勝負、受ける」
「その言葉が、何か大人ぶってて嫌なんだがなぁ……」
 ぐっとなるが、総一郎、二段構えで言う二段目の言葉がまだ控えていた。
「河童さん。何か勘違いしているようだけど、僕はこの天候でやろうって言っているんだよ?」
「あん?」
 渋面で、河童は空を仰いだ。そこには、気分が重苦しくなるほどの曇天がある。いずれ雨が降るのは、誰の目に見ても明らかだ。
 総一郎、訝しげな視線を送られながら、不敵に笑う。
「河童の皿は、晴れの日は乾きやすい。逆に雨の日はいつだって潤っている。皿が潤っている河童は強い。その河童に、勝負を挑みたい」
「……その心は?」
 口元を歪ませて笑いつつある河童に、こう答えた。
「その方が、楽しそうじゃないか」
「……おし、その話乗った!」
 水しぶきを上げて、河童は滝壺から飛び上がった。二人を飛び越えてその背後に降り立ち、森に向かって「オイ! お前ら聞いたか!? 神童と名高い総一郎が、かつて水虎水神と呼ばれたこの河童に相撲を取ろうってよ! 興味がある奴は寄って来い! 一世一代の大相撲を見せてやる!」
 言うが早いか、わらわらと亜人たちが木陰から姿を現した。半分近くが総一郎に加護を与えた人物で、知らない亜人たちも琉歌の反応を見る限り見たことがあるらしい。ちなみに反応というのは総一郎の背中に隠れるというものだ。流れ弾が痛かったのだろう。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。話が大きすぎない!?」
「いいんだよ。煽る時はこのくらい煽っておいた方が。それより、規律を確認しておくがよ、総一郎、まず二本先取り勝負なのと、魔法の禁止だ。あとは、急所を狙っちゃならんという位か。それ以外は相撲の常識内で何でもアリ。当然、相手を転ばせるか枠から出すかで勝利だ」
 河童は言って、ノームという土と木の妖精に土俵作りを命じた。小人の老人の妖精は陰気に承り、その陰気さと裏腹に素早く美しい円形の土俵を作っていく。
 かくして、相撲が執り行われた。土俵は大きくも小さくもない。前世のテレビ中継のそれと大体同じようにも思える。ギャラリーは多かった。天狗などが大声で総一郎を応援し、滝壺から顔を出す河童の仲間らしき亜人たちが、河童に野次を飛ばす。
「おい河童、分かってんだろうな! 相手はあの総一郎とはいえ、まだまだ餓鬼だ! まさか華を持たせてやらねぇって訳はねぇだろうな!」
「うるせぇ! こいつは皿が潤った俺を負かしてやるっつったんだ! そこまで舐められちゃあ本気出さなきゃ男がすたるってもんよ!」
「やーい、この負けず嫌い」
「黙れ座敷童!」
 河童のその人気ぶりに、苦笑を隠せない総一郎である。きっと、憎めない人物なのだろう。そんな事を考えていると、先ほど河童に野次を飛ばした、総一郎にとって初対面の座敷童が彼に向かってこんなことを言ってくる。
「総一郎。その糞生意気な河童を黙らせてやったら、私がお前に格別の加護をやる。私の加護は精神に音、時間の三つだ。お前は確か時間の加護を持っていなかったろう。ついでに運も良くなるぞ」
 その言葉を聞いて、総一郎、俄然やる気が出た。
 相撲の審判であるところの行司を務める山姥が、ザックを脱いだ総一郎と、ある程度湿ったままの河童との間に立って、「はっけよい」と声をかける。両人とも片拳を地面に着き、皮切りの声を待った。
 風は、強い。総一郎の背後の森が、ざわめくのが聞こえる。河童の背後の滝つぼが、波立つのが見える。
「のこった!」
 残る片拳を地面につけ、お互いに掴み合った。河童は力が強い。その事は知っていたから、初めから受け流すつもりだった。しかし、掴む手が強く、易々とは流せない。
 だが、それで良かった。
 まだ、雨は降っていない。その間は、河童の皿は乾き続けているのだ。ちょくちょくフェイントを入れると、面白いように皿から水を零してくれた。力が弱まるのが分かったから、そうなってからは存分に攻めた。
 一番勝負は、総一郎の寄り切りに終わった。
「……く、くそ……。水が乾くの、待って居やがったな……!」
 ぜぇぜぇと息を吐く河童。だが、これでも総一郎はかなりギリギリの戦いだった。疲労具合は大体同じである。総一郎もまた、河童と同じように息を吐いていた。
 そして二番勝負。再び向き合い、「のこった!」の声でぶつかり合う。
 しばらくは、拮抗していた。先ほどの場合、最初は総一郎が押されていて、時間がかかると河童が力を弱めてきていた。今回もそうなるはずだったが、ついにともいうべきか、雨が降り始めてしまったのだった。
 しかも、豪雨である。
 琉歌はどうやら数人の亜人に雨を凌いでもらっているようだったが、総一郎はびしょ濡れだった。その所為か段々と寒さを感じて、力が入らないようになる。逆に河童は、総一郎を圧せる最初の力を維持するようになった。
 二番勝負の結果は、押し出しだった。
「へっ。この方が面白いって言った割には、元気がないじゃねぇか」
 豪雨の中、転んで泥だらけになった自分を見下ろしながらの河童の言葉に、総一郎は歯を食いしばった。――このままでは、負ける。眉を顰めて立ち上がりつつ、頭を捻った。服についた泥を払う。改めて、河童の弱点を探る。
 体格差は、ほとんどないに等しい。河の童と言うだけあって、その体躯は総一郎と似たり寄ったりだ。しかし、力が強い。雨に皿が潤っている今は、一勝目の様に姑息にはいかない。
 かといって、それをダシに魔法の許可を求めるのも無謀だった。昨日の朝ならいざ知れず、今のそれは強力過ぎる。
 けれど、このまま負けるのも癪なのだ。
 知恵を絞り唸るも、策は浮かばない。河童に対する知識と言っても、皿が乾けば力が減ると言った常識レベルしか無いのである。西洋ならもう少し行けるのにな、と思う。ファンタジー小説が好きだったが、日本の妖怪ものというのは意外と少ないのだ。
 そんな総一郎を待たずして、三番勝負が始まった。合図と共に動き出す。河童は前へ。総一郎はとりあえず横へ。
「おっと」
 よろめく河童を背後から捕らえ、押していく。
 少しの間は、それで行けると思ったものだった。勘違いも甚だしい。体勢を立て直した河童は容易く総一郎を突き飛ばし、体をしっかりとつかんで押していく。抵抗もままならなかった。
 ――終わった。
 総一郎は苦渋の表情で堪えながらも、そんな風に確信していた。観客たちも、それを悟ったかのような雰囲気がある。負けてなるものかという足腰の踏ん張りは、力強くも頼りない。
 河童の表情は、勝ち誇っている。それが、総一郎には腹立たしくて仕方が無かった。総一郎、平素には大人びているが、記憶以外は心身ともに子供なのだ。このまま負けると思うと、涙が出るほど悔しくなる。
 その時だった。
『河童は片腕のどちらかが脆いから、それを狙うと良いよ』
 幼いながら、何処か媚と艶を感じさせる、琉歌の可愛さとは別種な声が、総一郎に助言した。
 豪雨の音は大きい。しかし、その妨げを苦にもしていないような、囁くのにも似た声だった。総一郎への応援、河童への応援、どちらも豪雨に負けぬよう大声を張り上げているのに。
 その声の主が誰であるのか、気になった。しかし、その余裕が無い。押し出される寸前で、河童の腕へと手を伸ばす。左腕。攻撃を防ぐにも至らない反抗。右腕。あまりにも軽い手応え。
 見れば河童の右腕は、血すら出さずに千切れていた。
「なっ、お前それ……!」
 驚愕の表情の河童に、総一郎は大きな隙を見つけた。彼の体を掴んで、自分ごと引きずり倒すようにする。河童は、抗おうともしなかった。出来なかったのかもしれない。
「決まり手うっちゃり! 勝者は総一郎じゃ!」
 予想だにしていなかった河童の腕が千切れるというハプニングを前に、観客たちは異様なまでに沸き上がった。


「……すごい。あんなに降ってたのに、もう止んでる」
「総くんの勝利を祝ってね、雲を飛ばしてくれた人がいたんだって。天狗さんじゃなかったから誰だろうってみんな言ってたけど。それにしても、凄いね。河童さんも座敷童さんも物凄い一杯加護をくれたんでしょ? 見てた人たちも結構くれてたし」
「うん。何て言うか、みんないい人たちだった」
「ねー」
 下山しながら、ぼんやりと話していた。加護も全て揃い、ほくほく顔の総一郎だ。琉歌は知らないが、腕を返す返さないで加護の吊り上げや一生溺れないという特典も手に入れている。
 暢気に二人で童謡を歌いながらも、あの声は結局誰だったのだろうと思った。道はいつの間にか神社につながる石段に変わっていて、これを下れば昨日の朝出発したあの場に戻るのだろう。
 そして、見覚えのある場所についた。ここから数十分もいけば、確実に辿り着く。その時、不意に琉歌の気配が消えた。握り合っていた手も同様である。
「やぁ、初めまして総一郎君」
 振り向くと、そこには絶世の美少女が立っていた。
 純白の肌に、優しげな双眸。幼さと妖艶さの矛盾なき両立。背丈は総一郎より少し高い程度で、到底山に登るのには向かないであろう、薄絹の服を着ていた。
「……君は、一体誰? るーちゃんは、何処へ行ったの?」
 半ば呆然としながら、総一郎は尋ねていた。それに、きょとんとしたように彼女は答える。
「琉歌ちゃんは、先ほど君とはぐれちゃっただろう? それを、探しているんじゃなかったっけ?」
 ああ、そうかと首肯する。確かに、その通りだ。
「で、ボクの事だっけ。ボクはね、神様だよ。この山の、っていう訳じゃあないんだけど、神様。その証明としては、この晴れた空がボクからの総一郎君の勝利へ捧ぐプレゼントってことで、どうかな?」
 にこにこと満面の笑みを総一郎に向ける神様。何とも愛らしい神様ではあるものの、そこには亜人らしさというものが無い。
「あ、その表情は疑っているね。じゃあ、そんな総一郎君には加護をあげよう! ありがたーく受け取ってね!」
 言ってから、階段をひょこひょこ下りて総一郎と並ぶ少女の神様。そこまで言った所で、彼の目を見つめながら、「う~ん?」と首を傾げた。
「何か、覗いているのが居るね」
「え?」
「いやいや、こっちの話。……うん、これで御仕舞。という訳で、加護をあげましょう!」
 ていや、と可愛らしい掛け声と共に、彼女は総一郎に向かってしっぺをした。大して痛くもない加護に、やる事もなく苦笑する。それに、「えへへ」と笑う神様。
「じゃあまたね、総一郎君。ちなみにボク、いろんな国の神様だったりするから、イギリスとかエジプトとか行った時には、会いに行くからね!」
「あ、ちょっと待って」
「ん? どうしたの?」
 手を振って遠ざかろうとする神様を呼び止め、総一郎は問うた。
「君、有名な神様なら多分名前があると思うんだ。だから、有ったらで良いから、教えてくれない?」
 神の多くは、名を持っている。サラマンダーやシルフィードなどの力が強い亜人もそうだ。しかし、力が弱くなるとその限りではない。多すぎず少なすぎない彼らは、住む場所と種族名だけで通ずるため、名を欲しない者もいる。
 彼女は、自らを複数国の神だと自称した。つまり、それだけメジャーな神であるという事だ。そのように思っていたのが見透かされたのか、恥ずかしそうに「いやぁ……」と赤面してしまう。
「ボクはそんな、有名な神様じゃないよ。多分、総一郎君は名前も聞いたことが無いくらいだと思う。ただ、……そうだね。今のご時世調べれば何でも出て来ちゃうから、少し捻って……うん」
 にか、と総一郎に笑いかけ、少女は言った。
「ボクの事は、ナイ。ナイって呼んでよ。この国でも、『持たない神』って呼ばれることもあるし」
「『持たない神』?」
「そう。まぁ、それだけマイナーって事なんだけどね。じゃあ、改めてバイバイ」
 元気に手を振って、ナイは行ってしまった。新たな加護と言うが、結局、何属性かも聞きそびれた。嵐のような子だったな、と総一郎、仮にも神を子ども扱いする。
「まぁ、加護は無いより合った方がいいしね」
 言いながら、ぴょんぴょんと石階段を一段飛ばしに下っていく。すると琉歌の姿が見えてきて、更には白羽、図書が山のふもとに立っていることが分かった。
「ただいま、みんな。……どうしたの? そんな驚いた顔して」
「どうしたもこうしたも無ぇだろうが」
 仏頂面になって言ったのは、図書だった。
「急にはぐれたって聞いたけど、大丈夫だったの?」と白羽。
「うん、それは大丈夫」
「でも、不思議だね、ここは一本道なのに」
 言って、白羽は石階段を見上げた。綿々と連なり、木陰の奥に見えなくなっていく。
「ま、ともあれ無事に終わったって事だな。加護の習得おめでとう二人とも。何事も無くてよかった。総一郎、スナークには遭えたか?」
「危うく遭いかけて全力で逃げたよ。あの立ち入り禁止のテープに落語の常套句みたいなのが書いてあった時には何事かと思った」
「ああ、アレか! でも別に逃げる事は無かったと思うぜ? ブージャムなんかは本当に奥の奥にしかいないんだから。外回りに居るのは全部優しいスナークだ」
「狩りやすい位置に狩りやすいのが居るんだ……」
「スナークは訳分からんからな。それで、琉歌も加護はどうだった?」
「えっとね、水と氷と音と精神が沢山もらえたよ。それでね、総くんが凄いの! 加護皆貰ったんだって!」
「おぉ、すげぇ!」
 にかっと笑いながら、図書は二人の頭を乱暴に撫でた。髪の毛がくしゃくしゃになるが、その乱暴さが不思議に嬉しい。
 その後、兄と姉に二人は思い出話をさせられた。天狗に投げられたという総一郎の話に白羽が顔を真っ赤にして憤慨したり、マヨヒガで雪女にほっぺを舐められてひんやりしたという琉歌の話に図書が大笑いしたりと、家路を歩きながら加護習得の山登りが終わったのを感じていた。
 河童と相撲を取った事を話す時には、全員で般若家にて昼食を取っていた。武士垣外家は両親ともにそれぞれ用が有って出かけているという事で、預かってもらう様に言われていたのだと。「すいません」と総一郎が頭を下げると、般若の面そのものの顔を一層険しくしながら、図書達の父は「いやいやいいんだよ。長い付き合いだしね」と相好を崩してくれた。この表情が相好を崩したと分かったのは、一体知り合って何ヶ月してからだろう。
「河童かぁ、懐かしいな。俺も加護を貰う為に相撲を取った気がする」
 図書は表情を柔らかくして、そんな事を呟いた。
「……河童さんって、やっぱり誰にでも相撲を取るの?」
「まぁ、あの人は相撲好きだからな。俺の場合なんかは、夏休みの加護習得に登る前から山に入り浸っててさ、いつも勝ってるから今回も楽勝だろうと思ってかかったら、もう滅茶苦茶強いんだよ。何回負けたか分からないくらいになってさ、でも悔しかったから日が暮れるまで挑んでたら、気付いた時には投げ飛ばしてた。力なんかろくに入ってなかったはずなのにな。多分気を効かせてくれたんだろうけど、当時は嬉しかったんだよなぁ……。そういえば、総一郎はどうやって勝ったんだっけか」
「え? それはもう、皿から水を零させたり手を千切ったり」
「……総一郎はやっぱりおかしい。性格は至って普通の優しい少年って感じなのに、結果が伴ってない。何だお前、アホか」
「アホとは何さ、知能派って呼んでよ」
「いや、ホント、水を零すは分かるし、皿を壊すも分からなくはない。ただ腕を千切るのは有り得ない」
「どっちかというと皿の方が致命的なんじゃない? 腕はすぐにくっついたよ?」
 そこから少々の口論に発展しかけたが、琉歌の「食事中はもう少し静かにして」の一言でしょぼんとなる少年たち。白羽は少し前から会話に混ざりたそうにしていた為、女友達の兄貴分と実弟への一喝によって、安堵の様な落胆の様な複雑な表情をしている。
 それから数時間。会話は途切れる事を知らず、四人でそれぞれの加護話を話していると、とうとう総一郎たちの母、ライラが迎えに現れた。ザックを背負い玄関へ向かう過程で、思い出したような様子の図書が、総一郎を呼び止める。
「総一郎、お前、迷宮って興味あるか?」
「……迷宮?」
 少年、言葉こそ小さいながら、目に輝きを灯しだす。
「そうだ、迷宮だ。いやさ、俺、最近友達と良く潜って、魔物とかから素材剥いで小遣い稼ぎしてるんだよ。総一郎も加護を得たし、近所のそれは危険度も少ないしで、お前の迷宮デビューにはぴったりだと思うんだよな。危ないと思った時には友達もひきつれてフォローするし」
「……魔物って、亜人とは違うの?」
「あんま差は無いんだけど、知性理性が無い物を指すな。迷宮に居る大抵はそういう奴らだ。――で、どうよ」
「もちろん興味ある。けど、僕なんか足手纏いじゃないかな。図書にぃの友達って、学校の、って事でしょ? そこらへんは大丈夫なの?」
「……誰にも言うなよ?」
「うん」
 図書は総一郎に耳を寄せ、ぼそりと言った。
「……実は、好きな子にお前の事言ったら、会ってみたいって言っててな。それで一緒に迷宮潜る約束しちゃったんだよ」
 総一郎、思わず噴き出した。
「ちょっ、ちょっとお前、笑うなよ! こっちは真剣なんだぞ!」
「い、……いや、くはっ、だって図書にぃがそんな初々しい事言うか……、ぷっ、はは、あっはははははは! そっか! 図書にぃもとうとう恋の病を患いましたか!」
「大声で言うんじゃねぇ! ああ、くそ! 言わなきゃよかった!」
「いやいや、行くよ! 行かせて貰いますとも! ちゃんとお膳立てもしてあげるから楽しみにしてて!」
「お前のお膳立ては恐いんだよ!」
 半ば追い立てられるようにして、総一郎は荷物を抱えて玄関へ向かった。白羽は母と一緒にすでに靴を履いていて、やっと来た彼に「遅いよ、総ちゃん」と膨れ面で文句を言う。
 それに片手謝りをしながら、靴を履いて外に出た。いつの間にか日は暮れて、すぐにでも夜になるだろう。随分と話し込んでいたのだな、と思う。時間が経つのは、こんなにも早い。
 ――生まれてから今まで、一瞬だった。
 母に夕食は何がいいかと尋ねられて、総一郎は思案した。あれでもないこれでもないと考えている内に、焦れた白羽に提案され、それに乗っかりハンバーグに決まる。何とも子供らしい夕食だ。
 それも食べ終え、総一郎の前世で言うテレビジョンに相当する電化製品の番組を見ていると、父が帰ってきた。相変わらずの無口だが、ただいまの次に発した「総一郎、加護は貰えたか?」という無愛想ながらの気遣いが、総一郎には嬉しかった。
 ――だが、平穏な日常という物は、いつ瓦解するかも分からない。
 父も食事を終えて、総一郎たちに近づいてくるようだった。総一郎も白羽も番組に夢中だったから振り返りもせず、足音でそのように思ったのだ。スン、という音が聞こえた。番組を見続けながら、臭いを嗅ぐ音だとぼんやり推察した。
「……闇の、匂いがする。色濃い、渾沌とした匂いが」
 その言葉を、総一郎は初め、意識すらしていなかった。
 しかし、肩を掴まれ力づくで振り返させられた時、そうもいかなくなった。痛いという不快感に瞬間顔を顰めたが、父の抜身の刀のような視線を前に、何も言えなくなった。
「総一郎、立て」
 何か悪い事を仕出かしたような気分で、困惑と共に立ち上がる。父はそんな総一郎を、頭のてっぺんからつま先の先まで、射竦めるように見回した。次いで、命ずる。
「総一郎。―――――――――、と唱えろ」
 それは、総一郎が使えるはずもない、闇魔法の呪文だった。
「あ、あの、父さん」
「分かっている。分かった上で、唱えろと言っているのだ」
 父に抗う気は、起きなかった。言われるがままに、闇魔法を唱える。そそぐ魔力は、今の火魔法の加護量でも爪先にライター程度の火が灯るか否か、というほど少なくした。
 使える訳がない。それは確信にも近かった。白羽が試しとばかり街中に住む亜人に加護を貰っても、光でも火でもない時は何の効果もなかったのだ。直接見た話ではないとはいえ、嘘である意味もなかった。
 けれど、総一郎の意に反して、構えた手の平には小さな黒い靄の様な物が出来上がった。総一郎は目を剥き、母も「嘘、」と驚愕の声を漏らした。その時、その靄が微かに横に揺れ動いた。
 襲い掛かる様に、小さな靄は色濃い闇の球体へと膨れ上がった。
 成長の仕方は、歪だった。まるで触れるものすべてを呑み込もうとしていたように見えた。球体は膨れ上がるにつれて球体で無くなり、奇妙な形の細菌の様に増え続けた。白羽の怯える声が聞こえて、取りやめようとした。しかし、出来なかった。
 気付けば父の木刀が、闇の球体を砕いていた。
 パァッ、と闇の残滓が散り、空気の中に溶けて行く。それを総一郎は、呆然としながら眺めている。茶の間は、恐いほどに静かだ。父が、総一郎を呼ぶ。
「次は、――――、だ」
 聞いたこともない呪文を、考えもせず唱えた。手の先に浮かぶのは、何とも判別のつかない、虹色ともいえる複雑な輝きを放つ球体だった。こちらは爆発的に巨大化もしない。ただ、ここにあるだけで恐ろしいという雰囲気を醸していた。
「総一郎、消せ」
 言われたとおり、消した。すんなりと消えたが、今度は忍び寄るような恐怖が総一郎の背中にしがみついた。自分に何が起こったのか。躰の芯まで、震えている。
 縋る様に、父を見つめた。思案顔で、目を瞑っている。しばらくは、そのままだった。緊張の糸が切れる寸前で、父が目を開けた。
「総一郎。お前の夏休みは今日をもって終わった。明日からは毎日稽古をつける。それを、心しておけ」
 踵を返した父を、追いかけることは出来なかった。
 誰もかれもが、黙りこくっている。母のライラは我が子を思い引き攣った表情で頭を抱え、白羽は総一郎に怯えた視線をよこしている。総一郎は、脳内で先ほどの呪文を反芻した。闇、そして、あの謎の玉虫色の輝き。不意に、図書との約束を思い出し、もう行けなくなったのか、と虚ろに思う。
 夏の夜には、虫の鳴き声も響かない。

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