武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 幸せの島の歌 【中】

 甲高い、すすり泣く声で、総一郎は目を覚ました。
 周囲は薄暗く、しかし光が差していないという訳ではないらしい。高い位置に窓があって、しかし磨りガラスらしく陰影しかわからない。床はタイルが敷き詰められていて、何もなく殺風景な場所だった。そこで総一郎は起き上がろうとして、出来ない事を知った。手首と足首が、封じられている。
 泣き声の方に目を向けると、琉歌が自分と同じ体勢で転がされていた。
 しかも、彼女の方にだけ猿ぐつわがされている。
 顔が、無意識のうちに引き攣っていくのが分かる。ぐるぐると、かつて出会った人食い鬼の姿が頭の中で渦巻いている。このまま、自分は死ぬのか。せっかく新たな生を授かって、彼女に瓜二つな姉と出会うことが出来て、だというのに、何もせずに食われて死ぬのか。
 かつかつと、音が聞こえた。足音だと、直感する。蝶番が、軋みを上げた。欠伸をしながら、目つきの悪い男が部屋に入ってくる。
「よう、元気にしてたか家畜ども」
 下卑た笑みを浮かべて、男はしゃがみ込み、総一郎と琉歌の顔を睥睨した。家畜。恐らく自分たちを喰らう心積りなのだろう。何か下手なことを言っても意味はないと判断し、総一郎はだんまりを決め込む。
 しかし、琉歌は余計に泣き声を上げた。猿ぐつわ越しに、泣きじゃくりながら喚いている。すると、男の視線はそちらへ向かった。まずい、と思いながら、恐怖に何も出来ない。
 父と対峙した時の事を思い出した。踏み込む、勇気が出ないのだ。
「ん~? 何だ嬢ちゃん。何でこんな事をするのか気になるのか?」
 舌を伸ばして、奴は彼女の頬を舐めた。身を竦ませ、琉歌は硬直する。
 それを奴は、心底楽しみながら言った。
「オジサンたちはなぁ、人食いなんだ。人食い鬼は俺だけだが、他の仲間も人食いを覚えちまった人でなしばかりなんだよ。だが、皆でつるんでいると、どうしても量が足りねぇ。大人ならどこにでもいるが、俺たちゃそんな偏食家ってわけでもない。喰うなら旨くて悲鳴の綺麗なガキを喰いてぇんだ。 するとどうだ。ガキがこぞって旅行としゃれ込もうってんじゃねぇか。これを狙わない手はねぇってな。大人も数人いるが、聞いた限りの人数なら勝てないまでもちょろまかすくらい出来そうなんでな。 言ってる意味分かるか? 嬢ちゃんだけじゃない、お友達も一緒に食っちまおうってんだ。――だからほら、さっさと泣き喚けよ! 固まってんじゃねぇ! 今すぐ食っちまうぞ!」
 奴は拳を固めて、琉歌の頬を強かに殴りつけた。それを皮切りに、彼女は大声で泣き始める。その柔らかそうな頬はすぐに赤く腫れていき、増え続ける涙の痕を見ながら、目つきの悪い鬼は大声を上げて笑った。
「これだよなァ、これ! やっぱりガキの悲鳴ってのは聞き心地がいい! ほら、お前もだんまり決め込んでねぇで泣くんだよ! あと数人ちょろまかして来たら、全員喰っちまうんだからな!」
 腹部を蹴りぬかれ、総一郎は一瞬宙に浮いた。息が出来ない。しかし、鬼の笑い声を聞いていると、そんな事がどうでも良くなるような気がしていた。強く鬼を睨みつける。すると奴は、「あん?」と表情を顰め、しゃがみ込んで総一郎の髪を掴んだ。
「何だ、その顔」
「黙れよ。大人が、子供に手を上げていいと思っているのか」
「はぁ? 何だそりゃ。お前、子供のくせに何言ってんだ」
 そんな言葉と共に、総一郎は床に強く頭を打ち付けられた。鼻が折れ、血が流れる。だが、構わなかった。怒りが、痛みを消していた。
「泣けよ、何ガン付けてんだよ! お前みたいな糞餓鬼、今ここで殺しちまってもいいんだからな!」
 言葉の回数だけ、総一郎の頭は足で床に叩きつけられた。頭が割れたのか、目の上から血が出ている。しかし、総一郎は睨み続けた。数度繰り返してなお睨み続ける総一郎に、微かに鬼は怯みを見せた。
「……くそ、何だこいつ、調子出ねぇな。ムカつくったらありゃしねぇ。……ああ、そういや丁度いいのが居たな。おい、坊主。俺はな、ロリはいけてもショタを犯す気はおきねぇんだ。だが、例外が居ない訳じゃあない。言ってる意味分かるか? 分からねぇよな。それでいい。とりあえず、地獄を見せてやるから、待ってろよ」
 手を離し、総一郎の頭は地面に落とされた。受け身を取るだけの体力は残っておらず、ゴンッ、と硬い音を立てる。鬼は意気揚々と出ていった。
 足音が遠ざかり、ふっと消える。十秒の間。力ない視線でこちらを見る琉歌に、「大丈夫だよ」と微笑みかける。
 それからさらに数分が経った。何が起こるということもない。しかし、奴の言葉を聞く限りでは、総一郎を犯す輩を連れてくるように聞こえた。
 その想像が、総一郎には出来ない。ただ、具体的に考えようとすると、妙な恐ろしさが体の中心に湧き上がるような感覚がある。
 靴音が、再び聞こえ始めた。あの人食い鬼ではない。どこか、性根の深いところにある嫌らしさのようなものが、音からにじみ出ていた。扉が、開く。
「ハァーイ、威勢のいい可愛子ちゃんが居るって聞いたのだけれど。あら! 本当に可愛いじゃない! やっだぁ~もぅ、早く私に知らせてくれればよかったのに~」
 にやにやと笑みを浮かべながら総一郎に寄って来たのは、サル顔の男だった。服の色はピンクなどの極彩色で、趣味の悪さが窺える。見た瞬間に、怖気が湧き立った。しかし、恐怖を押し殺して総一郎は睨み返す。
「やだ! 本当に威勢がいいのね。もう、すっごい好みだわぁ~! 虐め倒して泣き叫んでくれたら、私、我を失っちゃうかも。でも、それはまだ。まずは、貴方の過去を覗いとかないとね?」
「……過去?」
 サル顔の変態の言葉に、総一郎は疑問の声を上げた。「ええ、そう」と奴は相槌を打つ。
「私はね、種族名を『覚』っていうの。知ってるかしら? あら! 知ってるのね! でもそこの不細工! は知らないみたいだから~、お姉さん、特別に教えてあげちゃう。可愛子ちゃんにブス、私はね? 他人の心を読むことが出来ると言われているの。でも、私は強いから、もっと他の事も見れちゃう。例えば――」
 琉歌の事をこき下ろしつつ、ずい、と総一郎の瞳を深く覗き込んだ。
「貴方の過去とか、未来とか……、ね?」
 総一郎は、思わず目を剥いた。過去を、覗き見られる。何でもないように思えるが、ただ、こいつだけには見られたくないという感情が起こった。思い出が、穢される。そんな風にさえ「あら、貴方外見どおりの年齢じゃないのね。お姉さんびっくり」
「見るな!」
 思わず出していた声に、帰ってきたのは拳だった。床とサンドイッチにされ、頭が朦朧としている。脳震盪を起こさせられたのだ。と思った。
「いやぁよ、こんな面白い物。ふんふんふん。あら、こんなすごい死に方しちゃって。彼女が居たのね。で、プロポーズの日に死んじゃうとか、可哀想すぎて笑いが止まらないわ。それに今はー、……凄いのね。もう物理魔術の練習なんかしているの。本当、残念でならないわ。貴方がもしここで死んでいなければ、歴史に名を残せたかもしれなかったのに。……逆に、そんなすごい子を、今の食べ時に食べてしまえる私は幸運よねぇ~! ――って、アレ?」
 ――『未来がある』。きょとんとした表情で、呆然と覚は呟いた。困惑の声と共に、その瞳孔が開いていく。
「えっ、えっ? 何で貴方未来があるの? おかしいでしょ。今から私が食い殺すのに、何で貴方まだ生きているのよ。ねぇ、……あ、え、嘘。そんな、私、目が合っちゃった? 何よ、こいつ。気持ち悪、え、嫌、嫌だ。こっち、こっち来ないでよ! ねぇ! 来るな! 来るなっつってんだろ! 殺すぞ!」
 途中から慌てたように男声になって、総一郎から遠ざかりつつ手を振り回す覚。その表情は壁に背中をぶつけてから、どうしようもない恐怖に歪んだ。泣きながら半狂乱で手を振っている。そして、大口を開け、絶叫の一端をのぞかせた瞬間だった。
 悲鳴ごと、奴は潰れた。
 鈍い破裂音と共に、顔の大部分が膨れて割れた。そこから血と膿があふれ出し、奴の体を伝って地面へと落ちていく。破裂音は、連続した。躰の表面を、余すところなく破裂させ、その中から血と膿を溢れさせた。
 そして覚はくずおれ、自らの血だまりに沈んでいった。
 痙攣はしているものの、白目を剥いている。触れずとも分かった。奴はもう、絶命していた。
 何故、こんな事が起きた。と総一郎はパニックに陥った。震え、何を考えていいのか分からない。その時、琉歌の声が聞こえた。彼女を見ると、眉を垂れさせ、すがるような目をしている。
「……逃げないと」
 ぽつりと漏らすと、総一郎は自らの拘束具を見やった。縄は、火で燃える。使用は禁止されていたものの、呪文自体は覚えていた。
 物理魔術以前の段階で詠唱を止め、縄を焼き切った。同じように足も対処し、自由を得る。
 総一郎はしゃがみ、琉歌と視線を合わせた。
「るーちゃん。今、僕たちは物凄く危険な場所に居る。あいつらに出会ったら、たぶん僕たちは何も出来ずに捕まるだろう。それは、嫌だよね? だから、静かにしていることを、約束してくれるかな」
 こくこく、と琉歌は必死に首を縦に振った。総一郎は頷き返して、拘束を解いてやる。
「じゃあ、静かに移動しようね」
 小声で告げて、光魔法で自分と琉歌を不可視にする。無音に出来れば完璧だったが、音魔法は属性的にあるのかさえ分からなかった。 少しだけドアを開け、周囲を見渡す。ドアは一直線の廊下に面していて、右からは馬鹿笑いが聞こえるので、恐らく人食いたちのたまり場になっているのだろう。
 声を聞く限りしばらくは大丈夫そうだ、と判断して、総一郎はドアを出、左を見た。誰も居ない。手招きして、琉歌とともに歩いていく。曲がり角を通ると、行き止まりである事を知った。しかし、ドアがある。入るべきか、入らざるべきか。
「……どうせ、このままでは脱出できないしね」
 窓があるのでそこからの脱出を考えたが、総一郎の物理魔術は物を弾き飛ばす以外の事が出来ない。図書の様に高く飛びあがるという事は無理なのだ。また、琉歌を抱えるだけの膂力もない。
 少し待ってて。と言い残し、総一郎は曲がり角の先の廊下の、右側にあるドアに近づいた。泣きそうな表情で琉歌が追従してくるが、念を押して留ませる。危険があっても、琉歌を守り切るだけの経験を、総一郎は得ていないのだ。
 警戒しながら、扉を開いた。中は暗い。総一郎たちが拘束されていた部屋と、全く同じ殺風景な内装。誰の気配もしないため、大きく開けた。足を踏み入れる寸前で、気付き、止まる。何かが、こちらに背を向けて立っていて、しかし目前にするまでわからなかった。
 その人物の背丈は低かった。総一郎や、琉歌と同じほどの幼さを思わせる。人間のシルエットをしているが、何も着ていないようで、薄暗い中に白い肌が浮き上がっているようだ。ただ、暗闇に佇むその姿を見て、何故か、寒気が下りた。ゆっくりと、その人物は振り返る。
 総一郎は、一も二もなく逃げだした。
 すぐに飛び退き、扉を閉めた。炎魔法でドアノブを溶かし、琉歌の手を掴んで、全速力で元居た部屋に戻る。死臭。しかし、あそこに比べたらまだマシだ。
「駄目だ、アレだけは、駄目だ」
 総一郎は知っていた。あの幽霊染みた雰囲気を纏う、瓜二つの存在。出会ったら死ぬと言われる、不可避の化け物。幸い総一郎の姿ではなかったから良かったが、琉歌が部屋の中をのぞいて居たら、きっと大変なことになっていた。
 ドッペルゲンガー。もう一人の自分と言われる幽霊。それは、琉歌と全く同じ外見で、闇の中に立っていた。
 危う過ぎる。琉歌に見せるだけで、もしくは奴が総一郎の姿をしていただけで、どちらかの生命は永遠に奪われていた事だろう。落ち着け、と言い聞かせる。 しかし、これで一つ謎が解けた。琉歌によるものだと思われた先生への告げ口は、琉歌の孤立を狙ったことだったのだろう。用意周到だ。くそ、と毒づく。もっと、自分が琉歌を見ていてあげればよかったのだ、という後悔が、薄く総一郎にもたれ掛かる。
 琉歌を見やった。彼女の容姿はあの般若の面が如き顔の父を持つとは、到底思えない程に整っていた。目につく特徴は眉が常に垂れ下がっている事で、また、人見知りで気弱なところがある。それに加え、注意して聞けば、その魅力ある可愛らしい声に気付けるだろう。 その三つが相成って、今の彼女は見ているこちらが辛いほどだった。先ほどからずっと震え、声を殺しながら細い涙を流し続けている。右の頬は先ほど殴られたため、痛々しく腫れ上がっていた。それを見ることが出来るのは、今は総一郎だけである。互いの姿が見えなくなっては困るため、そういう風に魔法を調整したのだ。
 ふと、尋ねてしまった。答えが、分かり切った問いを。
「大丈夫? るーちゃん」
 言ってから、はっとした。大丈夫な訳がないのは、一目瞭然であった。もし白羽にこんなことを言ったなら、あの勝気な姉は怒り出し、けれど語彙が足りずに訳が分からなくなって号泣し始めた事だろう。 慌てて、謝ろうとした。だが、ずっと握っていた手を両手で握り返されて、何も言えなくなってしまう。
 琉歌の表情が、強く総一郎の網膜に焼き付いた。垂れ眉なのは変わらず、口を一生懸命への字口にして、今だけでも涙をこらえようとしている。
「大丈夫だもん。……総くんが居るから、大丈夫だもん……!」
 その声は、涙に滲んでいた。しかし言葉が、人を惹きつける強い魔力を持っている。
 総一郎はどうしようもなくその言葉に元気づけられた。と共に、決心が着く。自分も、琉歌に負けず劣らず恐怖していたのだ。その事に今更気付かされるとは、自分も未熟だ。そう思い、微笑んだ。
「うん、ありがとう、心配してくれて。るーちゃんは、優しいね」
 包み込むように抱きしめた。背中を二度軽くたたいてやり、少し離れて、目を合わせる。「行くよ。付いてきて」といえば、大きな頷きが返ってきた。
 ドアを再度開け、まず左の方を凝視する。ドッペルゲンガーの気配はない。ただ、日が少し落ちて、薄闇が濃くなっただけだ。そこには、何も居ない。恐れる必要も、ない。
 人食いたちの、たまり場へ向かう。

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