武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

6話 幸せの島の歌 【上】

 幼稚園では、不自然なく子供たちの世話に終始すると決めていた。
 総一郎、幼稚園に入って一年が過ぎ、年中さんになった夏の事である。

 園児たちが、初夏の日差しを浴びながら、無邪気に遊びまわっていた。鬼ごっこをするやんちゃな男の子たちに、砂場で泥団子を作っておままごとをする女の子たち。それを暖かな陽気の中で眺めつつ、総一郎は一つ、欠伸をかます。
 この幼稚園の周囲には自然が多く、木陰となってくれる木も多い。その下で、総一郎は鬼ごっこにも飽きて、木の根にもたれ掛かって昼寝をしていた。とは言えど、本当に眠っている訳ではない。薄目を開けて、ぼんやりとしている、というのが正しいか。
 幼稚園での総一郎の扱いは、みんなのまとめ役にして問題児というような物だった。
 みんなのまとめ役は良く考えもせずに行動していたら、子供好きが祟ってそうなっていて、かといって問題児の称号が、考えて行動した結果かといえば、考えてなどいなかったとしか答えられない。
 総一郎、最近になって自分が好奇心に身を任せ突っ走る癖があるのを知った。
 子供だから、視野狭窄になっているのだろうか、と考えることがある。自制が効かない訳ではないが、自制するという発想に辿り着く前に行動していることもしばしばなのだ。 前世ではさすがにそんな事は無かったから、この子供の体が原因なのかもしれないと踏んでいた。それが真実であってほしい、という希望もある。
「総一郎くーん! みんなもう集まってるから、戻ってきなさーい!」
 遠くから呼ぶ声に、やばっ、と身を起こして駆け出していく。


「それじゃあみんな! 先生が話そうとしているから静かにしてねー!」
 総一郎が大声で言うと、喧騒がピタッと止まる。そして振り返り、先生の複雑な表情を見てから、やっちゃった……、とばつが悪く視線を逸らした。
 先生が呼びかけるのを聞いてから、それに追従する程度の聡い子は、居ない訳ではない。だが先生が大声を出そうと息を深く吸い込んだ瞬間に、ちら、と見やり先んじて喧騒を鎮めるような処世術を身に着けている子は、恐らく総一郎をおいて他に居ない。
 何で子供らしく振る舞えないのかなぁ……、と眉間を摘まむ総一郎であるが、それがさらに周囲の目が困惑することに気付かない辺り、まだまだ子供だとも言える。
 戸惑い気味に笑いながら、先生は言った。
「え、えー、じゃあ、みんな! 今からプリントを渡すから、忘れずにお父さんお母さんに見せる様にしてね!」
 複数人居る内の、先生の一人からプリントを受け取った。見ると、林間学校についてという文字が、軽快に踊っている。下に小さく載せられた予定表の中に、民謡の学習だのと記されているのを見つけた。歌か、と思う総一郎。連想して、自然と目が、ある少女の事を探し始めた。
 隅っこの方に、嫌そうに眉を垂れさせてプリントを睨みつける女の子を見つける。
 般若琉歌。武士垣外家のお隣さんの、一人娘だった。


 夏、夜になると、自然豊かなあつかわ村では、蛍が光を灯して飛び回る。
 武士垣外家の庭も、その例に漏れない。真鯉が泳ぐ池の水を求めて、この近くには多くの蛍が生息していた。夜にもなると、真鯉の動きが緩慢になるのと反比例するように、蛍は活発に飛び回るのである。
 そして、総一郎は蛍が満ちる庭の、中心に立っていた。
 夜ながら蒸し暑い。微かに、汗ばんでいる。周囲には蛍の光がくるくると回って居、中には明らかに蛍の光の大きさでない光源も漂っていた。
 時折ごく近くにまで寄ってくるため、その正体は分かっていた。炎の形をしていて、熱を感じさせずに宙を舞っている。名を、鬼火と言った。日本ではメジャーな妖怪だが、夜に庭に出ると大抵一つはあった為、この世界でもそうなのだろうと思っている。
 風情があるとは思うものの、見る度にこの世界は節操がない、と呆れを覚えた。
 だが、今は気にするまい。一つ息を吐き出して、軽く二回、こめかみを指で突いた。次いで、脳内で呪文を暗唱する。
 それによって、ぱっ、と周囲が光に照らされた。昼間と、全く同じほどの明るさである。
 無論、総一郎にはまだ小さな太陽を作り出すだけの技術はない。これはただ、目に光魔法を使い、視界に映る可視光線の範囲を広げたという事だった。
 総一郎はそのまま地面を見やり、握るのに丁度良さげな石を拾い上げた。それを掴みながら、物理魔術の運動エネルギーを呪文によって込めると、振動がはじまり、掴んでいられなくなる。離すとそれは、手から十センチばかり遠ざかり、止まった。斥力ではない。石を地面へ向けても、落ちてはいかなかった。
 ここで皮切りとなる呪文を唱えると、込めた魔力の分だけ速く飛んでいく。逆に、その呪文を逆から唱えると、魔力は総一郎へと戻り、石は地面に落ちるのだ。
 しかし、今はそのどちらもしない。代わりに、電気魔法を唱えた。現時点で総一郎の電気魔法に対する親和性は、低い。その為相当に魔力を込めないと、理想の結果にはつながらないのである。
 魔力は、使えば使うほどに増えていくと言われている。オーバーワークのない筋肉の様な物だと、テレビで言っていた。使いすぎても、無理が来ないという事らしい。
 その為、残る魔力の全てを込めた。
 僅かな疼痛。その分だけ、紫電は強く石に纏わりついていく。
 狙うは、この一年で仲良くなった般若兄妹の兄に作ってもらった、土像だった。形は鎧騎士であるらしかったが、お世辞にも似ているとは言えない。
 それに向け、石を放った。
 凄まじい勢いで飛んで行く石。しかし堅く作ったそうなので、それのみでは壊せない事を、身をもって知っていた。それを見られて随分馬鹿にされたので、今回は、そのリベンジの意図も含んでいる。
 飛んで行く途中、地面から土の様な物が舞いあがった。飛びゆく石に追従し、鏃のような形になる。最後に、突き刺さった。轟音と共に、石が土像の深くにまで潜ったのか、ひびが入っている。
 しかし、崩れない。
 と思うのも一瞬である。
 束の間遅れて、土像は爆散した。硬質な音と共に、瓦礫に成れ果てていく。疼痛は消えなかったが、おし、と拳を握った。気付けば光魔法も切れていて、周囲には闇と、蛍や鬼火の光が戻っている。
「おー。今の、やったの総一郎か」
 感心しているようにも、気が抜けているようにも聞こえる、成長期のガラガラ声。そこにはぼさぼさ髪に、般若の面を頭の端に引っ付けた、般若家の兄、図書が塀から肩上を覗かせていた。表情はぼんやりと微笑みを浮かべている。高いはずの塀に手を掛け、「よっせい」と軽い調子で飛び越えて、総一郎に寄って来た。恐らく、物理魔術を使ったのだ。
「相変わらず、すげぇな総一郎。一つ言っとくけど、土製でも鋼程度の硬度はあったんだからな? それをまぁこんな軽々とやっちゃってさぁ……。頭おかしいんじゃねぇの、お前」
「図書にぃの口に悪さに比べたら全然だよ」
「お前の口の悪さも相当だがな」
「ははは」
「本当、四歳児とは思えない落ち着きようだよな、お前は……」
 言いつつも、彼の口元は弧を描いている。軽口をたたき合うのが、楽しいのだろう。相手が四歳児であるという現実味のなさも、それに拍車をかけているように思える。
「しっかし、今のはどうやったんだ? お前の年では、単純な魔力押しじゃあれは壊せないだろ。金属の塊みたいなものなんだから」
「うん。だから、この庭の砂鉄に手伝ってもらったんだ」
「それなら魔力押しの方が強いんじゃないか?」
「ううん。一緒に打って砂鉄をあの中に入れたら、磁力による引力を、斥力に切り替えたんだよ。そうすると、内側から崩壊するんだ」
「えっぐ……!」
 図書はそう言って、顔を顰めた。生物に使ったらどうなるのかを想像したのだと思う。 この世界の子供は、どこか生命を軽く見るところがあった。最低限の倫理は持ち合わせていても、決断を迫られると躊躇わないような部分がある。図書に限った事ではないとはいえ、気に食わない総一郎だ。
 しかし、ここで突っかかるのには意味がないと考え、自粛する。余談だが、総一郎の電気魔法親和力は、低いと言えど物理魔術に比べれば強い方だった。しかし加護を受けていくにつれてその差は逆転するというから、この攻撃方法はあまり意味をなさないかもしれない、と少し徒労を嘆いてみる。当然、他の子どもと違って、使う予定などなかったが。
 頭を振った。変な風に根に持つのは、もう終わりにする。 話題を、変えよう。
「そういえば、幼稚園の林間学校って、るーちゃんどんな反応してる? 連れていくのが難しそうなら、手伝うけど」
「は? 林間学校? そんなの家族の誰も話してねーぞ?」
「……ちょっと予想はしてた」
 あの人見知りの臆病娘なら、言われない限り隠していてもおかしくはない。
「マジかよあいつ……。どうやって叱ろうかな……、でもなぁ……、叱るとすぐ泣きだして、結局、話を聞いてないんだよな……」
 あのバカ、とこめかみをぐりぐりとやる図書。口は悪いが、芯には優しさが通っている。口の悪さも、それを強く気にしてしまうような相手には、意識して鳴りを潜めさせる一面があった。 思わず口にしてから必死になって取り繕うため、その慌てようが面白く、どこか可愛らしいのだ。
「まぁ、それは図書にぃが気にしなくても、おじさんおばさんが気に揉んでくれるよ。あの二人なら、そう怖い事は無いよね? 少なくとも僕のとこに比べたら」
「総一郎パパは論外だ。あの人の怖さは人じゃない」
「図書にぃのお父さんもかなり怖いと思うけど……」
「外見だけなの知ってんだろ」
 はぁ、と嘆息して、図書は頭を掻いて踵を返した。「おやすみなさい」というと、同じ言葉が返ってくる。それを聞きながら額に滲む汗を、ぐい、と拭い、総一郎は縁側へと駆けていった。



 林間学校当日まで、琉歌との接触は無かった。
 総一郎はそんなことに気付きもせず、考えなしにバスに乗り込む園児たちを整列させ、先生の微妙な視線に気付いて、ビクッ、と身を竦ませた。
 いつも通りの事であったが、心なしか担任の先生の目つきが鋭い。
 どうしたのだろうか。と考える。あつかわ村の幼稚園は、先生同士の仲がいいので有名だ。総一郎は去年の時点で既にやらかしていた為、まさか今更、自分のせいで変な事は言われないだろう。
 首を傾げながら、考え始めた。しかしバスに乗るよう呼びかけられて、思考はすぐに寸断されてしまう。
 車内から、外の風景を眺めつつ、ため息を吐いた。流れていく景色と、背後からぶつかってくる園児たちの騒ぎ声。心温まる調和を感じながら、総一郎は何処か不安を感じていた。
 この林間学校は、二日間という短い期間の物だった。例えば以前例に出した民謡の学習で言えば、今日の夜に少し練習して、その後みんなで合唱するという予定が立てられている。
 民謡、と聞くたびに、総一郎は琉歌の事を思い出した。視線がその姿を探し始めるが、位置が悪いのか見つからない。
 ぽつりと、「大丈夫かな」と漏らした。いまだ幼稚園に馴染み切れていない琉歌の事だ。少々の不安に顔を顰めて、しばし経ってから、納得した。
 不安の正体の一端が、掴めて来ていた。

 バスが止まりそこから園児たちが吐き出されていく。奔放に走り出す子たちがしばしばいる中、総一郎が声を出そうとすると先生の声がそれを遮った。ちら、と見やると勝ち誇った顔でこちらを横目で見つめている。可愛い先生だな、と総一郎は苦笑を浮かべた。
 無秩序に集まる園児たちを潜り抜けながら、総一郎は琉歌を探した。
 雑踏の中に見つけるが、声を掛けようとした瞬間に先生の説明が始まってしまう。もどかしい気分で終わるのを待ち、再び彼女が居た場所を見ると、すでにその姿は無い。 その後、諦めずに自然と遊具が咲き誇る公園で、総一郎は男友達と適当に遊びつつ、移動を繰り返して探してみた。しかし何処にも琉歌の姿は見当たらないままである。
 時には、女の子たちにも聞いた。
 だが、クラス全員に聞きまわっても詳細が得られない事に気付いてから、総一郎は焦燥に駆られた。
「どうしよう。るーちゃん、迷子になったのかな」
 言いながら、一人寂しく眉を垂れさせて、泣いている少女の姿を想像した。だが、それだけでは終わらなかった。茂みの中から、痩せぎすの、餓えた鬼が、のそりと這い出して、その姿を捉えた。
 身の毛が、よだった。
 軽く今まで遊んでいた友達に別れを告げて、総一郎は足早に駆けて行った。すると先生を見つけ、瞬間頭が冷えていく。
 自分の思い過ごしであるかもしれない、そのように考え、落ち着けた。
 おずおずと、総一郎は先生に近づいて行った。次いで、琉歌の姿を見ていないか尋ねる。
「琉歌ちゃん? んー、私は知らないけど……」
「そうですか、ありがとうございます」
 言いつつ、そこを離れることにした。引率の先生は、あと四人いる。その全てに聞いても誰も知らないようならば、その時に迷子の可能性を伝えればいい。そう踵を返すと、「ああ、待って」と後ろ髪をひかれた。
「何ですか?」
「あのね、総一郎君。琉歌ちゃんの事が好きなのはいいのだけれど、すこし、相手の気持ちを考えてあげた方がいいと思うのよ」
 訳が分からず、首を傾げる総一郎。そんな言い方では、自分がまるで、彼女に付きまとっているかのようではないか。
「確かに家は隣ですけど、ここしばらくは会ってないですよ?」
「え! そ、そうなの……?」
 言うと、目に見えて先生はたじろいだ。恐らく本人による相談だったのだろう。しかし、信用度では総一郎の方が上だ。今の所彼は、『人生で一度も嘘をついたことが無い』を地で行っている。嘘を吐く必要がそもそも無かったからなのだが、対する琉歌は、都合が悪い事を隠す癖があった。
 別れを告げ、走りながら考える。自分は何故、琉歌に嫌われてしまったか。理由は多分、図書に林間学校の事を伝えたからだろう。どうせ後日にメルポコが来るのだから一緒だとはいえ、そんな細かい事は分かるまい。
 だから、総一郎を避けていた。すぐに見失ったのは、きっと逃げたからに違いない。けれど、と考える総一郎である。果して琉歌は、それを先生に伝えるだろうか? あの、誰にでも人見知りを起こす琉歌が。
 きな臭い。そんな風に感じながら、駆けていく。
 人気が、少しずつ少なくなっていった。
 体力が限界を迎え、立ち止まり、躰を折って荒い息を吐いた。近くの冷水器でのどを潤しつつ、ポケットからハンカチを出して濡らし、軽く全身の汗を拭う。びしょびしょの布を絞りながら、周囲を見回した。場所が分からない。
 迷子探しが迷子になってしまった。何となく憮然としてしまう総一郎である。
 とはいえ、この公園は広い為、必ず一定間隔で地図の描かれた看板が用意されている。それを探しながらぽてぽてと歩いた。曲がり角を過ぎると、すぐに見つかる。
 そしてそこには、琉歌が立っていた。
「あ、るーちゃん居た!」
 思わず声を上げると、木陰の中で蹲っていた琉歌は、一瞬身を竦ませ、安堵が滲んだ表情で、こちらへ駆け寄ってくる。それを抱きとめて、「何でこんな所に居たの?」と問うと、言葉にならない声と共に、泣きじゃくり始めてしまった。
「どうしたの? 迷子になって、寂しかったの?」
 垂れ眉を一層垂れさせる琉歌は、しかしその問いに首を振った。そういえば、と思う総一郎。元々彼女は、自分を嫌って避けていたのではなかったか。
「ねぇ、るーちゃん。一旦、深呼吸しよっか。ほら、大きく吸って、吐いて」
 琉歌は息を震わせながらも、大きく息を吸った。それを何度か繰り返させると段々と彼女も落ち着いてくる。そこで、もう一度訪ねた。
「それで、るーちゃん。一体、何があったの?」
「あのね、総くん。恐いおじさんが居てね、私の事を追いかけてくるの」
「え? そ、それってどういう……」
 俯きがちな琉歌は、意を決したように顔を上げ、総一郎の瞳を見つめた。次いで、その眼が恐怖に剥かれる、はっとして総一郎は振り返った。
その後に残ったのは、頭に走る鈍痛と、脱力する感覚だけだった。

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