武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

4話 父の刀

 風を断ち割る木刀の音が、庭中に満ちた。
 家の庭は、土がむき出しになっている場所が多い。とは言っても荒れているという事ではなく、むしろ自然が多かった。秋になれば紅葉がきれいで、夏になればその木が木陰になってくれ、昼寝に向いているのだ。
 また、池もあって、その中では鯉が泳いでいた。しかし錦鯉という事は無く、ただの真鯉だった。時折、捕まえて水桶に移し、土を吐かせて食うのである。
 その庭で、総一郎は父から貰い受けた、桃の木の木刀を振っていた。何故桃の木なのだろうと思うが、父には父なりの考えがあるのだろう、と総一郎は思っている。もしかしたら、手近だからと言うだけなのかもしれないが。庭に生えている、桃の若木に目を向ける。
 そして今、庭の地面には、雪が敷き詰められていた。木刀を振るい、足踏みをするたびに、雪がつぶれて、じゃっ、じゃっ、と音がする。
 総一郎、三歳になったばかりの、冬の朝の事であった。


 父は本当に強いのだろうか、と思ったことがあった。
 確かに父には底知れぬ迫力がある。白羽も、悪戯がばれて父に叱られることはあっても、父に悪戯をしたことは今の所一度もない。
 逆に、総一郎は良く悪戯をされる。だというのに罪が露見した時、彼にそれを擦り付けるのだ。白羽は自分の事が嫌いなのだろうかと、少々悩むこともある。 しかしそうなると、彼女は打って変わって彼に優しくなった。お菓子をわざわざ持って来たり、お気に入りの玩具を笑顔で渡してきたりと、目に見える変わり様なのである。
 それを母に伝えたところ、
「しーちゃんは照れ屋さんだからねぇ、多分、あの子が一番好きなのは総ちゃんだと思うよ?」
 との事。
 ついでに父の事も聞いてみると、
「絶対に本気で怒らせちゃ駄目だからね。……まぁ、そんなことできる人がいるのかも分からないけど」
 と、最初血相を変え、最後には遠い目をしていた。
 取り敢えず、強い事には強いのだろう。と思っている。
 そんな確証の得られない中、総一郎は言われるように刀を振っていた。型はある程度まともになっただろう、と言われてから、めっきり音沙汰なしである。早朝刀を振っているところに出くわしても、父は一瞥のみで何を言う気配も見せなかった。屋敷の端の道場にも、入らせてもらえぬままである。
 ――これで、本当に稽古を付けてくれるのか。
 そんな風に、総一郎、父親を疑う事も少なくなかった。
 さりとて、まだ総一郎は三歳。木刀を振らせてもらっているだけでも、かなり早い方だと思う。何せ、いまだ三歳だ。生前自分が三歳のころ、一体何をしていたか。恐らく、白羽にも劣っていたに違いない。
 そんな風に想いながら、視線を落とした。小さな自分の体躯にはちょうどいい長さだが、大人からしてみれば脇差もいいところである。
 はぁ、と嘆息をし、空を見上げる。いい具合に日も昇ったことだし、そろそろ朝食の時間だろう。てとてとと駆けながら、総一郎は屋敷に入っていく。

 そんな、ある日の事であった。
 いつも通り総一郎は、早朝五時を回る前に、自然に目を開けた。日は、昇っていないようだ。上体を起こし、目を擦る。冬故に肌寒さが身に染みる。ぶるっ、と身を震わせて、総一郎は足早に廊下を駆けた。
 早朝に起き、朝食になるまで木刀を振る。毎日の習慣だった。
 早朝にやれ、と言われたわけではなかった。しかし総一郎、剣豪小説の影響をもろに受けて、素振りを早朝以外に有り得ないと思い込んでいる。母にその事を聞かれ前述の様に答えたら、凄まじい勢いで抱きつかれた。曰く、可愛らしくて仕方が無かったとの事。
 母の感性は、よく分からない。
 冷水で顔を洗い、本格的に目を覚ます。次いでコップ二杯の水を勢いよく飲み干し、道着に着替えて木刀を手に取った。
 裸足で、薄暗い冷え切った廊下を走っていく。
 そして靴を取って、庭に出る。その直前で、ぴたりと止まった。 雪が、しんしんと降り積もっていた。
 出鼻を挫かれ、不満に頬を膨らませる総一郎。この三年間で、子供らしい仕草が板についた。しかし、そうして居ても何も変わらない。それは分かっていても、空を睨み続ける。
「どうしたのだ、そんな所で」
 振り向くと、浴衣に黒い着物を羽織った父がそこに立っていた。冬だろうが夏だろうが、父は変わらない。いつも和服を着て、鋭い無表情をしている。
「雪で、外に出られないのです。これでは、素振りが出来ません」
 総一郎は、敬語で答えた。しかし強要されている訳ではない。ただ、何となく使わねばならない気がするのだ。また、同じ理由で白羽も父には敬語を使う。
「ふむ……」
 それを聞いた父は、思案顔になった。 次いで、言う。
「では、道場の方に来い。ある程度ものになっていたら、稽古をつける」
 言うが早いか、踵を返して道場の方へと向かってしまう。それに慌てて、総一郎は木刀を手に、父の後をついて行った。
 十歩ほど歩いてから、ふわっ、何かが湧きだす。とうとう、と言う期待が、ふつふつと膨らんでいく。それに気付いて、口端が少しずつ弛むのが分かった。
 下駄をはき、道場の入り口までの短い道を、少しの雪に打たれながら早足で歩く。
 道場は、屋敷の敷地の端にあった。聞いたところ、総一郎の為に作ったのだという。ぎょっとした総一郎だが、母は明るく「お父さんには私が言った事は秘密ね?」と人差し指を口に当てて微笑んでいた。ああ見えて、父は我が子に甘いのだという。
 言われて、納得できない訳ではない。感情に任せて怒鳴り散らされたことなど、白羽にも一度だってない。 総一郎はそもそも、叱られた経験すらあったのか無かったのか分かったものではないが、良い子にしているとよく駄菓子を買ってもらったと思う。そして、それを白羽に嫉妬され、二人で分けるのである。
 両親二人が甘やかさない分、自分こそが姉を甘やかそうと決めた総一郎であった。
 父の後から、道場の入り口をくぐる。
 その中はしん、と静まり返っていた。日が入っていないせいで、薄暗い。だが、静寂の中に荘厳さがあった。おお、と声にならない歓声と共に、総一郎は道場内を見回した。 白い壁に、木の床。どれもこれもが新品で、真新しさを放っている。屋敷自体は中古と言うか、売りだしていたものを買ったらしいのだが、ここだけは新しく建てたという事がよく分かった。てとてとと駆けまわっていると、真ん中奥の掛け軸に気が付く。
『武士は食わねど高楊枝』
 見事な達筆だ、と思うが、この言葉が剣術に向いているのか、と総一郎は疑問に首を傾げた。確かこの格言には、武士が清貧を重んずることを象徴していたはずだ。もしや、この節操のない世界には、未だに武士と言うものが居るのか、と考える。しかし、それが剣術に向いた言葉とは、到底思えない。
「総一郎」
 呼ばれて、振り返った。父が、二つの刀を手に立っている。
 目を凝らし、はて、と首を傾げた。何やら黒光りしているようで、漆塗りと言う言葉が連想される。だが、その言葉が示すのは真剣だ。まさか三歳に持たせるまい。
「これを抜き、対峙する。それに多少耐えることが出来たら、これからは本格的に稽古をつけることにする」
 よいな、と質され、強く頷いた。――しかし、抜く? 木剣に抜くも何もないだろうに。
 そんな風に、物事を常識で測っている総一郎は、受け取るまで気付きはしなかった。
 まず、手渡された刀の重さに驚いた。次いで、それが鍔鳴りをさせたことに血の気が引いた。震える手で、柄を握り、僅かに抜く。白い光が、そこから漏れたようにさえ、総一郎には思えた。
「……これは……?」
「真剣だ。鞘を払え、総一郎」
 父は言ってから、手本を見せる様に鞘を払った。音がして、鞘は脇にそっと置かれる。そのまま父は、総一郎の前に真剣を構えた。
 闇を斬るような白さを、刀は放っている。
 息を、呑み下した。手が、震えた。必死の思いで、父の言葉を思い出す。対峙。対峙という事は、父と斬り合うのか? いや、そんなはずはない。しかし、それではこの気迫は何なのだ? 「総一郎」と名を呼ばれ、しどろもどろになりながら鞘を払う。
 手の内に、父の物と全く同じ白さを放つ、人殺しの道具が現れた。
「あ……!」
 取り落としかけて、しかし叱責を浴びる前に構えることが出来た。構え、震える息を吐き出す。大丈夫、と自分に言い聞かせる。毎朝の素振りが生きたのか、構えだけは様になっていた。
 冬だというのに、暑い。しかし寒さもあって、気が変になりそうだった。気付けば、汗が珠になって、いくつも肌を滴り落ちている。暑さによるものか、それとも冷や汗なのか、総一郎には判別がつかない。
 そこで、気圧されるような感じがして、はっと顔を上げた。
 父が、刀を構えて自分を睨みつけている。
 震えだす体を、止めることは出来なかった。死が、眼前に立っている。人食い鬼を見た時に感じたそれよりも、強く、耐えがたい死が。
 息を深く吸い、深く吐き出す。それを、何度も繰り返した。震えは止まらずとも、呼吸によって、辛うじて耐え忍ぶことは出来る。その時、父の剣先が僅かに上がった。それだけで、総一郎の震えは止まった。だが逆に、動くことが出来なくなった。
 動けないまま、ぼう、と闇に佇む父を見つめる。汗が頬を伝い、顎に溜り、落ちていった。頭が、朦朧としている。次第に、父が闇に溶けていく。
 刀だけが、宙に浮いていた。
 見つめていると、少しずつ刀を大きくなっていった。恐ろしい、と言う思いが大きくなる。総一郎は、泣き出す寸前だった。
 けれど、未だ崩れない。その時に、刀が一瞬ぶれて見えた。
 総一郎の体を、恐怖が覆い尽くした。
 短い悲鳴を上げながら、渾身の力で後ろに飛びのいた。体勢を崩し、倒れ込んでしまう。父は、動いていない。だというのに、自分のこの見苦しさは何だ。
 股間に、じわ、と温かさが滲んだ。止めようとしても、止まらない。総一郎はとうとう泣き出していた。隠すようにたくし上げても、次々に袴が濡れてしまい、終わりが見えない。
 悔しさが、湧きあがった。歯を食いしばり、嗚咽を止めようとする。恥ずかしかった。たとえ肉体の年齢が三歳であろうと、こんな事は許されないと思った。
 その時、父の声が上がった。
 顔を上げると、口元を押さえている。躰を折り、振るわせていて、次第に堪え切れなくなっていくようだった。そしてついに、堰が切れた。
「……く、くく、くはっ、はっ、はははははははははははは!」
 涙を滲ませての、大笑いである。
 ぽかん、と口を開けて、総一郎はそんな父を見つめていた。父がこんなにも大笑いするところを、初めて見た。腹を抱えて苦しそうにしている。そして、そうか、と喜色の滲む瞳で、こちらを見た。
「そうか、何となく思っていたが、……くはっ、ま、まさか天稟があるとは思わなかった……」
 父はそのまま、しばらく、くつくつと笑っていた。それも終わり、優しげな眼で、言う。
「袴を、洗ってきなさい。今までお漏らしをあまりしなかっただけに、白羽に見られると恥ずかしいだろう」
 我に返り、しかし涙が浮き出た。――こんな様では、稽古などつけてもらえるものか。そのように想い、とぼとぼと俯きがちに外に出ていく、途中で、父はこう言った。
「明日から、日に一度、稽古をつける」
 え、と思って振り返ると、そこにはもう表情を引っ込めてしまった父が立っていた。見つめ返されて、慌てて風呂場に向かう総一郎。


「総ちゃん。また、お父さんのおけいこ行くの?」
「うん。まぁ、いつも、二、三時間で終わるから、それまで一人で遊んでてよ。白ねぇ」
「むー! 総ちゃんの馬鹿! あっち行け!」
 ぷりぷり怒って部屋を出ていってしまう白羽。しかし、稽古が終わるちょっと前辺りに一人が寂しくなって、半泣きで稽古を見学しにくる辺り、非常に可愛らしいと思う。
 稽古をつけると言われてから、一か月が経っていた。
 そろそろ雪も解け始め、若葉が地面に芽吹き出す季節である。足音ははっきりと聞こえるものの、足踏みをしているようでなかなか春にはなり切れていない。 そういえば、四月になったら自分も幼稚園に入るのか、と思う。白羽はすでに入っていて、家にいるのは単に日曜日だからだ。
 生前のこの年の自分には、曜日と言う概念があったかな、などと考える。考えながら、道着に着替えて足早に道場に向かう。
 稽古は、素面素小手、何の装備も付けないという、虐待染みた物だった。
 だが、竹刀の上、手加減はされている。竹刀とは言ってしまえば固い鞭の様な物で、痛みは有れど、易々と死ぬ事は無い。
 その上、総一郎は避けるという事が得意な節があった。
 当たると痛い。しかも、この三歳の体では、そう何度も打たれれば骨を折るなどの、大怪我をしてしまう。そんな風に考えると、自然と相手の得物に恐怖がへばりつき、実物よりも少しだけ大きく見えるのだ。 そして、総一郎はそれを避ける様にしていた。当然、初心者故に間に合いはしないが、当たるのは恐怖によって肥大した竹刀の影。一瞬だけ早く避ける事となり、最近では大抵の攻撃を避けることが出来た。
 そのお蔭なのか、かつて真剣を振るわれた時の恐怖というものは、心を縛り付けるものではなく、目に映るもの、という風に変わった。それ故、稽古中の父からは常に煙のようなものが立ち上るのが見えた。
 多分、恐怖しているのだろうと思う。態度に出ないだけだ。とはいえ日常生活では普通の寡黙なお父さんをしているので、数日もすれば慣れてしまった。総一郎は存外図太い性質なのだ。よほどのことがない限り、引きずらない。
 構えたまま、機を狙った。こちらが攻めねばならないとなると、総一郎は弱かった。どうしても、足が竦む。
 今日の稽古にも、その悪い癖が出た。一段落してから、父に尋ねる。
「お父さん。どうすれば、足が竦まなくなるのでしょうか」
 しかし、父の答えは何処か懐疑的だ。
「竦むことの、何が問題なのだ」
「え? いえ、だって、踏み込まねば、打ちこめないではないですか」
 それを聞いて、父はじっと総一郎を見つめた。無表情の奥は窺い知れず、思わず硬直してしまう。 ふい、と視線を外してから、父は続けた。
「総一郎。お前は、何か勘違いをしている」
「……というと」
「私が教えているのは剣であって、剣道ではない。試合で勝たせようなどとは、端から思ってはいないのだ。お前は、稽古の間はただ避け続けていればいい」
「ですが、それでは勝てません」
「お前は、勝つために剣を習っているのか? そもそも、何に勝つつもりだ」
 言われて、何も言い返すことは出来なかった。休憩も終わり、稽古が再開される。
 父と、正面から対峙していた。
 向き合ってから、すぐに決着がつくことは少ない。切り結ぶ、切っ掛けがないと、互いに身じろぎさえしないのである。いや、むしろ、身じろぎが切っ掛けとなる事さえあって、そうなると身じろぎをした総一郎がきれいに面を食らう事になる。父は、身じろぎした姿など一度も見たことが無かった。
 そのように痛い目に何度か会うと、躰が痛みを覚えて、対峙している間は隙が極端に少なくなっていった。といっても、それは自分で感じるだけなのだろう。父に至っては、隙しかないように思える。それを狙って踏み込めたのは最初だけだった。今は、もうしない。
 状況は、膠着している。互いに動かず、ぼんやりと父の姿が宙に解けていく。
 微睡むのに、近いと総一郎は思っていた。輪郭が残る時もあれば、少しずつ真っ暗になる時もある。その間に踏み込まれ、打たれたことは、何故か一度もなかった。だが、そのまま何もせずに倒れ込んだことはある。脱水症状という事で、当時は結構な騒ぎになった。
 不意に、父の姿が戻った。今回は、それが切っ掛けとなった。 同時に踏み込み、しかし寸前で足が竦んで、横に跳んだ。打たれずに済むが、情けない、と自らを叱咤する。
 そこで、父が竹刀を下した。
「時間だ。ここで終わりにする」
「ありがとうございました!」
 お辞儀をすると、父も同じように頭を下げた。道場を出ていくのを見ながら、総一郎はふと思う。
 ――自分は、まだ弱い。もっと、強くならねばならない。
 思い出すのは、かつての人食い鬼である。聞けば、奴のような存在は、少なくないという。そして、その被害は馬鹿に出来ないと。
 次あった時、果して白羽を守れるのか。そのように考え、そういえば今日は、彼女が見学に来なかった。と気付く。
 時計を見た。いつもより、一時間ほど早めに終わった事を、総一郎は知った。

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