武士は食わねど高楊枝

一森 一輝

1話 ファンタジー

 真っ暗で、しかし暖かな場所で漂っていた。
 だが、それも唐突に終わった。
 辺りには、幸せが満ちている。何故かそんな風に思ったが、すぐにそんな雰囲気が変化し始めた。
 幸せの代わりに、焦燥がその場に満ちた。
 足を力強く持ち上げられる。抗う事は出来なかった。臀部に走る痛み。思わず声を上げると、困惑が辺りを包んだ。
 瞬間、口をふさがれる。呼吸の出来ぬ苦しさに悶えると、拘束が解かれ更に周囲の困惑が大きくなったように感じた。
 湯につけられ安堵する。何となしに目を開けると、白い部屋が目に入った。
 病院だ。と何故か直感した。


 事実は小説よりも奇なり。と言うが、まさか小説の通り生まれ変わってしまうとはついぞ夢にも思わなかった。
 そんな事を、元、若者は思う。
 だが周囲を見渡す限りでは、おおよそファンタジーには見えない。現代医療、と言う言葉が思い浮かぶ程度には現代的だ。
 そんなことを考えるのは死の直前まで読んでいた小説のせいだろうか。
 と、元若者は思っていた。
 だが母親らしい人物を見て、おや、となる。見事に整った顔立ちはいい。遺伝的に有難い。しかし混じり気なしの真っ白な髪に、同じように白い肌だ。アルビノと言う言葉が浮かぶが、その眼の色は蒼天を思わせる気持ちのいい青色である。 こんな人間がいるのかと手を伸ばすと、母親は微笑んで元若者の頭を撫でた。むず痒く、拒否すべく動こうとした時に、気付いた。
 母親の背中辺りから、羽らしきものが生えている。
 雲行きが怪しくなってきたぞ。と元若者は思った。ともすれば、髪から眼、ひいては翼まで、全てコスプレという想像に至る。しかも見た瞬間に違和感を抱かない程の熟練度だ。その翼さえ様になっているのだから恐ろしい。
 仮にも人の母親が、しかも産婦人科の病院で、である。
 訝しく思いながら機会を見て鏡で自らの姿を見たところ、自分の髪は見事な黒色であった。まずい、と思ったが、目の色は青であり、そこ辺りはちゃんと遺伝なのかと安心した。 まさか、眠っている我が子にカラーコンタクトを入れるほどのアホではないと信じたい。 優しそうな笑みがどこか歪んで見えるのは、気のせいだろうか。
 しかしそうなると、自分の国籍は何処になるのだろう、と元若者、赤子ながら一丁前に考えた。
 周囲の人間は、全員が流暢な日本語で話している。母もそうで、だがその容姿は明らかに日本人ではない。
 恐らくは父親が日本人なのだろう。と見当を付けた。

 生まれて初めて、父親に会った。
 というのも、ちょくちょく来ていたのだがその度に元若者は眠っていたのだという。 そもそもこんな生まれたばかりの時期から目が開いているのは異常だという話を聞いて、基本的には目を瞑り、必要な時に限り薄目を開けるという体制を初日から取り始めたのだが、その所為かそれ以前に赤子の体のせいか、そのまま眠ってしまうという事が多かったのである。
 父は、厳格そうな顔つきだった。
 切れ長の目をしていて、口を一文字に結んでいる。更には渋い着物を着ていて、江戸時代か、と元若者、内心で突っ込んだ。イケメンだな、と思うよりも前に、恐そうだと言う印象を受けた。 けれど、恐いだけという事でもないらしい。元若者を抱き上げた時、ふっとほころばせた表情が非常に魅力的である事を知った。これはモテる。と元若者は少しだけ恨めしくなる。
 というか、この父ならば妻のコスプレという奇行を真っ先に切って捨てそうなものだったが、何かを言う様子もない。 もしかしたら強そうなのは外見だけなのか。

 また、父は数回に一度赤子をその胸に抱いてきていた。
 一歳上の、姉、であるらしい。
 生前兄弟の居なかった元若者には、少々新鮮だった。話を聞くところ白羽と言う名前らしく、しかし髪の色は黒い。しかも眼の色が父親譲りの日本人らしい茶色である。 こうなると、カラーコンタクト説がかなり現実味に帯びてくる。そしてそれは大変なことだ。
 おい父親、しっかりしろ、と思ったが、偶然居合わせた女性の看護師のミスで赤ん坊の元若者の上にカルテが落ちてきた時、父はやっぱり恐いのだと知った。
 ものすごい剣幕だったように記憶している。しかも、声を荒げていないのだ。看護師は涙目で震えきってしまい、紆余曲折の末院長が土下座して、父がそこまでする必要は無かったとバッサリ切って捨てるという事になった。 確かに看護師は中々謝らなかったが、どちらかと言うと謝れなかったという方が正しいのだ。理由は父の恐ろしさに他ならない。しかしそれを自覚していないらしく、ばっさり切って捨てた直後に母に頭を引っ叩かれていた。
 瞬間口論になったものの、最後に父は納得し院長に土下座して終わるというシュールな結末に終わったが、それにより父と母の立場は対等で、しかも母は常識人かつしっかりした性格という事が分かった。
 その為、余計に母のコスプレの意味が分からなくなった。


 元若者が自らの名を、総一郎、と知ったのはだいぶ遅い事に入院の七日間が終わり、母と共に家に行く最中であった。
「そういえば、総一郎には翼が生えていなかったのか?」
 そんな自らを抱き上げる父の言葉が、彼に自らの名を教えた。 と共に、元若者、もとい総一郎はぎょっとした。
「ええ。だから、小学校の魔法の授業も、普通の子と同じになると思う」「そうか。白羽とは違うのだな。……しかし、生まれながらに炎と光の属性の魔法は使える、と」「うん、そういう事になるわね」
 そうか、と父が相槌を打つのを聞きながら、この夫婦は一体何を言っとるのだ、と総一郎は思った。しかし、会話の度に表情に合わせて形を変える母の翼を見ていると、総一郎はもしかしたらと思うようになる。
 もしかしたら、日本語らしきこの言語は日本語ではないのかもしれない。 もしかしたら、日本らしきこの国は日本ではないのかもしれない。 もしかしたら、地球らしきこの世界は地球ではないのかもしれない。
 ファンタジーだ。と総一郎は死ぬ間際に呼んだあの小説を思い出した。

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