生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした
68.天空都市~レイチェル・マルグリッドⅡ~
3人の旅は、いつしか生活のために稼ぐことではなく、日々をより楽しむことが目的となっていた。
見たことのない国や街を訪れ、様々な文化に触れ、困っている人がいれば助け、未踏のダンジョンがあれば果敢に挑む。
その日々の積み重ねはやがて3人の名を徐々に世に知らしめることへと繋がった。
戦いの場でもネロが前衛として正しく機能し、シャルが戦況を読んでバランスよく臨機応変に動き、レイチェルが戦場全体を見渡しては後方支援、または魔法による怒濤の一撃を繰り出していた。
3人の名を知らぬ人がいなくなることは、近い将来、間違いなく訪れていたはずだった。
しかし、その未来は訪れない。
3人がギフティアより北西の大国ルーデンハイムを訪れていた時に、3人の未来は消滅することになる。
ルーデンハイムには多くの魔法都市遺跡があった。その全てが、天空より落下したと言われていた遺跡だ。
ルーデンハイムが1つの大国となった理由が、その遺跡である。ルーデンハイムの前身と言われるノーザンファームは広大な領地を持ち天候にも恵まれていた農業大国だったと言われている。しかし、魔法都市落下により、その大国は滅亡を迎えたと言っても過言ではない程に被害を受けた。経済を支えていた農作地は荒れ果て、王族や貴族にも多くの死傷者を出し血は途絶え、国としての機能はほぼ失われていた。
しかし、落下した魔法都市から発見される数々の魔法道具が、あっという間に国を生まれ変わらせた。魔法都市を探索――悪く言えば荒らして魔法道具を手に入れた冒険者達。それで以って財を成し、その財を崩壊しかけた国の再興に使ったもの達が現在のルーデンハイムの王族貴族と言われている。
古代魔法文明滅亡からすでに幾多の年月が過ぎており、探索し尽くされたであろうことが容易に推測できるにも関わらず、ルーデンハイムには一獲千金を夢みる冒険者達が後をたたなかった。その理由に『アイビスの大空洞』があった。
アイビスの大空洞とは、壁面がドリルのように渦巻き状になって地下へと続く大穴であり、それは1つの街がおさまっても余りあるだろう程の大きさだった。
地上からではもちろん底が見えることはなく、それ程の大きさの穴であれば魔法都市がこの大穴にも落下しているかもしれないという淡い希望が冒険者達の間にはあった。実際アイビスの大空洞の入り口付近に瓦礫が散乱していたこともその噂に信憑性を持たせていた。
ルーデンハイム領内の地上にある遺跡は、ほとんどすでにただの廃墟。それは冒険者にとって共通の認識だった。しかし、踏破した者がいないと言われているアイビスの大空洞の深奥であれば、魔法都市の遺物だけでなく、神話時代の秘宝すらあるのではないかという夢物語があったのだ。
冒険者として、数々の困難を乗り越え、実力もつけていたネロ達3人も、金には興味がなかったものの神話時代の秘宝には興味を唆られていた。
そして挑んだのだ。未踏の大空洞に。
生涯忘れることのない、心の傷を負うことになるとも知らず。
◇◇◇
「思いの外、同業がいないんだな」
ネロ達は大空洞の入り口から、地下を見下ろしていた。地上から見える壁面沿いの道には、ポツリポツリと冒険者の影が見えるものの、その数は予想よりもだいぶ少なかった。
所々に見える横穴の探索をしているからかもしれなかったが、そうは言っても少なかった。
「地上から見えなくなるところまで潜った冒険者達が誰も帰って来てないっていうくらいだもの。それが何千年も続いていれば、流石に挑戦者も減るってもんじゃないかしら?」
「行くのね?! 本当に行くのね?! 帰ってこれなかったらどうしよう!! きゃー!」
怯えているかのような言葉とは裏腹にその口ぶりは明るいレイチェル。
シャルも冷静を装ってはいるものの、その顔には僅かに笑みが見える。
そんな2人を見て、ネロも武者震いする。
「冒険の中で、お前達と共にこの命燃え尽きるなら本望だな」
この仲間達となら、ネロは地獄の底でも戦える気がしていた。
「私は死にたくないわ」
「私もー!」
「え?!……いや、そりゃ俺もだよ」
「「……」」
「いや、お前達が『私も』って言ってくれるかと思ったんだよ!」
「私は、あなたとレイチェルとここで死ぬよりも、あなたとレイチェルと生きたいだけよ」
「私もー!」
「……いや、そりゃ、俺もだよ」
「じゃあそう言いなさいよ」
「気分だよ気分! そんな雰囲気だったんだよ!」
ネロの子供のような言い訳にシャルは苦笑して溜め息をつく。そして2人の顔を真剣に見つめ、願い出た。
「約束して。どんなことがあろうとも、みんなで絶対戻ってくるの」
「当然!」
「あぁ、約束な」
3人は互いに視線を重ね、拳をぶつけ合う。
「よし、行こう」
そしてアイビスの大空洞への挑戦が始まった。
所々にある横穴に興味を惹かれている他の冒険者を横目に、ネロ達はただひたすらに深奥を目指した。
陽の光が薄くなっていく。
見上げればだいぶ地下深くへと潜ってきたのがわかった。
あと少しで、誰も戻ってきたことがないという深闇のエリアへと突入する。
すると、大きく広がる横穴が見えてきた。
休みなく潜り続けてきた3人はちょうどいい場所にちょうどいいスペースが出てきたことに安堵し、そこで休憩をとることにした。
「この先、野営できる場所なんてあるのかしら?」
「ここが最後の休憩場所かもな」
「ゆっくり休んで備えないとね!」
明かりが心許ないその場所でシャルが光精霊を喚び出す。横穴の隅々までが見えるような強さではなかったが、腰を落ち着けるには十分な明るさだった。
「この奥、道あるみたいだよ?」
「1人で進むなよ? 何が出てくるかわからんからな」
「ダイジョブダイジョブ〜何かいたら大声出すからさ」
「ったく緊張感のない奴だな……」
休憩だと言っているのにひょこひょこと周囲を確認しに動き回るレイチェル。
そのレイチェルを心配して、シャルは光精霊をもう一体喚び出す。そして(何かあったら、守ってあげてね)とお願いをしてレイチェルの傍に漂わせた。
ネロは適当な岩に腰を下ろして、シャルに現況の意見を求める。
「何か感じるか?」
「このスペースは大丈夫そうかしら。ただ、地下からは嫌なものを感じたわ。何かいるのは間違いなさそうね。ずっと、下が気になってしょうがないわ」
「やっぱそうだよな。俺も同意見だ。だから自ずとこの休憩スペースに縋っちまったんだよ」
ネロの言葉に、シャルはハッとする。
「まさか……このスペースは罠?!」
「!!」
シャルの言葉にネロが目を見開くのと、光精霊が横穴の奥の方で弾けるのは同時だった。
光精霊が弾けたということは、レイチェルを守るべく、敵対する存在にその身を打ちつけたということだ。
「「レイチェル!!」」
ネロとシャルが横穴の奥に向かって駆け出す。進めば進むほど横穴の幅は広がっていく。
「無事よ! でも、あれ、やばいかも」
背中越しに無事を叫ぶレイチェルは杖を構え、何かと対峙していた。
レイチェルの姿が見えたところは、大きなドーム型の空洞となっていた。壁面には魔石が埋まっているのか、淡い紫紺の光が空洞を包んでいた。
レイチェルの前に2人は躍り出る。
そこにはいたのは、大型の蜥蜴。蜥蜴と言うには大きすぎる。翼はないが、それは竜だった。目は鋭く、魔力光を赤く反射している。凶悪な牙を並べる尖った顎と鼻先からは、熱を帯びた吐息が勢いよく溢れ出している。光精霊の爆発を受けて憤りを感じているのか、唸り声も響いていた。
「地竜かよ……」
竜はこの世界で最強の野生動物だ。ただひたすらにその圧倒的な力で以って暴虐の限りを尽くす存在。それが竜である。
竜殺しが讃えられるのは、その栄誉を得ることが困難であることを誰もが知っているからである。竜は人によって止めることなどできない天災のようなものだった。
好奇心と絶望感が3人を襲う。
今まで強敵と言える魔物も散々撃ち倒してきた。しかし、どれも竜と比べてしまえば高が知れている。
ただ、自分達が竜とどれだけやり合えるのか知りたいとネロは思っていた。
「逃げるわよ……レイチェル、転移魔法の準備を――」
「わ、わかった!」
ある程度の実績を積んだ冒険者は、敵に背を向けることに抵抗を覚える者が多い。逃げることは自分達が積み上げてきた強さを、自信を捨てるかのように感じるからだ。
しかし、シャルにはそんな迷いはなかった。地竜の存在をその目に映した刹那、シャルにはその選択肢しかなかった。
自分達の力量と目の前の敵の力量差を見極めるのも、冒険者として必要な素養だ。
絶望感に包まれた瞬間に下したシャルの即決は、英断だった。
ネロも即座に自らの好奇心を抑え込む。今回の冒険で最も大事なのは実力を試すことよりも、3人全員で無事に戻ることだ。自由に動き回れる地上ですら竜と戦ったことはない。であればこの限られた範囲で竜と戦うことは危険な行為でしかないのだ。
警戒はとかず、3人は地竜を見つめながらジリジリと退がった。
しかし、その時、重く、低く、声が響く。
『ほう……転移魔法が使えるのか』
「「「?!」」」
3人は目の前の地竜を警戒しながらも周りへと視線を走らす。しかし、誰もいない。
『我はお前達の目の前の地竜だ』
その言葉を聞いた瞬間、レイチェルの警戒がとける。その様子に、ネロもシャルも怪訝な顔をする。
[会話が出来るのは古代竜よ。古代竜は普通の竜とは違って一方的に襲ってくることはないから大丈夫]
小声で、怪訝な顔をするネロとシャルをそう制するとネロとシャルの前に踏み出し、レイチェルは地竜へと話しかけた。
「偉大なる古代竜よ、私達に敵意はありません。先程は驚きのあまり精霊が暴発してしまい誠に申し訳ございませんでした。私達は、この大空洞の下層に向かっている途中です。貴方の住処とは知らず、勝手に足を踏み入れたことをお詫びします」
『……ふっ……全くだ。我はこの魔力に囲まれて安穏と過ごしていたいだけなのだ。にも関わらずお前達冒険者は、我を討ち取ろうと何度も何度も……腹立たしい』
地竜は鼻息を荒くして、憤りを見せる。
「同じ冒険者としてお詫び致します」
『話のわかる魔術師のようだな。転移魔法が使えると言ったか。お前、近う寄れ』
「はい」
[レイチェル!]
[おい! 大丈夫なのか?!]
[大丈夫だから。待ってて]
小声で囁き、レイチェルは一歩一歩、ゆっくりと地竜へと歩を進める。
大丈夫とは言いながらも、やはり地竜に近付くというのは恐ろしい。レイチェルの足は震えていた。
レイチェルは近づきながらも、もしもこの地竜に敵対されたらと考え、策を巡らす。
あと数歩進めば鼻先に触れられそうな距離まで近づくと、違和感に気づく。
地竜の喉元に、赤く光る何かが見えるのだ。
(あれは何……? 石? 魔石?!)
レイチェルの歩みが止まる。
(失敗した……大丈夫じゃなかった……この距離じゃもう……)
『どうした? 早く来い』
僅かな思案の時を咎められ、思考が遮られる。
レイチェルが出せた答えは、1つだった。
「ネロ、シャル、ごめんね――」
「「?!」」
レイチェルは2人に詫びると、早口に魔法を詠唱する。そして――
「転送!!」
ネロとシャルの身体が淡い光に包まれる。その様子に、地竜が激昂して転移魔法を唱えたレイチェルをその巨大な手で捕縛する。
「くっ――」
「「レイチェル!!」」
『逃さぬ! 逃さぬぞ! やっと現れた転移魔法使いを逃してなるものか!』
「に……逃げないわよ。あんたみたいなのを……地上に連れて行くわけには……いかないからね」
その言葉の通り、レイチェルには転移魔法の光が纏われていない。レイチェルは、ネロとシャルにだけ転移魔法をかけたのだ。
「レイチェル! 何を!!」
「こいつは魔獣よ! 魔石がある! 私の判断ミスよ! ごめんなさい! あなた達は、絶対に無事に送り届けるから!!」
「やめろ! 今助ける! 早くこれを解け!!」
「楽しかったよ!! ちゃんと幸せになりなさいね!!」
『貴様! 何をする気だ?!』
そしてレイチェルは、杖を高々と掲げ、別の魔法の詠唱を始める。それは、ネロがレイチェルから聞いていたレイチェルのとっておきの魔法だった。
「レイチェル!!」
「レイチェル! やめろおおおおお!!!」
2人はレイチェルに駆け寄る。
手を伸ばし、レイチェルに触れようとしたその瞬間――
「終末の天地爆砕」
その言葉と共に、ネロとシャルの目の前は突如明るくなる。
最後に見えたのは、ネロとシャルに向けられる、レイチェルのいつもの優しい笑顔だった。
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