生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした
61.闘技大会~決戦~
「お前、見かけによらず強ぇんだな」
「お誉めに与り光栄です、マルス副団長」
闘技大会最終日。
開催後に突如変更となったスケジュールの最終日を締めくくるのは、優勝者vs騎士団長、準優勝者vs副団長の特別試合。大歓声の中、最初に執り行われたのは準優勝者リズと副団長マルスの試合だった。
白金色の鎧と所々顔をのぞかせる美しき白い肌が眩しいリズに対して、マルスの鎧は魔法都市遺跡で顔を合わせた副団長ギルと同じく全身をくまなく覆っており、その逆立つ紅い短髪が炎のように猛々しい。加えてリズより二回りは大きい巨躯でリズを睨む双眸も獲物を狩らんとする猛獣のように鋭く光っていた。
2人は今、進行役がリズの大会での活躍ぶりを紹介している中、会場の中心で対峙して開始の合図を待っており、リズも来たるべき瞬間に備え集中力を高めようとしていたところだった。そこにマルスが話しかけてきたというところだ。
「シルフィと違ってお前の売りは力なんだろ? 俺様も力にゃ自信がある。どうだ、俺様の女にしてやろうか?」
「……は?」
あまりにも唐突な話にリズはまともに言葉を返せずに呆けてしまう。
「俺様の女にしてやるって言ってんだよ。そんだけ美人でもあんな馬鹿力だと男なんて囃し立てるだけでお前を女としてなんか見ねぇだろ? お前も本当のところ、寂しいんじゃねぇのか?」
リズは目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。目の前にいるのは神都騎士団の副団長と言われている者だ。このギフティアを守る騎士団の副団長となればそれは高貴で紳士な人物に違いない。少なくともギルはイメージ通りの紳士だった。
しかし、今目の前にいる者からは紳士らしさのカケラも感じない。粗野な言葉遣いに、人に全く配慮する気配のない話題の振り方。リズの思い描く騎士道からは程遠かった。
「寂しくなどありません」
「遠慮なんかすることねぇ。何なら今晩から俺様の部屋に来ればいい」
「いえ、お断りします」
「俺様と寝たい女なんて山程いる。そんな俺様に選ばれたんだ。誇っていいんだぜ?」
「……私には心に決めた人がいるので」
マルスの誘いに心動かされるものがあるわけもなく、リズは一刻も早くこの会話を切り上げたかった。
しかし、マルスは確固たる意志で拒絶するリズの様子に不快を感じたのか、更に会話を続ける。
「優勝したあの青くせぇガキんちょか?」
「……」
「あんなガキの何がいいんだ? チョロチョロ動き回るだけだし、お前が負けたのも正直、意味がわからねぇ。ガタイがいいわけでもねぇし若くてガキ臭い。男のよさなんて何もねぇだろ」
自分のことをバカにされたり悪口を言われるくらいならリズは平常心を保てたはずだった。しかし、目の前の男の思慮に欠けた言葉の矛先が、愛する人に向くのはリズには耐え難いことだった。
「ユウのことを悪く言わないでください」
「だいたいあのガキ、隣に金髪の可愛い嬢ちゃんをはべらせて観戦とはいい御身分じゃねぇか。お前の一方的な恋慕ってことか?」
リズから見ても確かにメルは美しく可憐な少女であり、ユウと隣同士に立てばお似合いに見える。しかし、見えるだけであり、それは真実ではない。ユウと恋仲である者は自分であるということは、リズにとっては譲れないことだった。
「いえ……違います。決して一方的ではありません」
「じゃぁ何か? 傍にいつも誰かしら女をはべらせておくのが、魅力のねぇガキにできる精いっぱいの見栄なんかね?」
(ユウに魅力がないですって?! この赤髪ゴリラは何を言っているのかしら。あなたの方がよっぽど魅力ないわよ!)
リズは苛立ちにより胸の内でマルスを罵詈していた。しかし、それを内心で抑えることができていたのは、まだリズの理性が保たれている証でもあった。この男はこれでもこの神都の騎士団の副団長なのだから失礼があってはいけないと。
そして深呼吸をして、再び、マルスの発言の抑制を試みる。これ以上、大事な人を貶められれば自分を律しておく自信がない。
「やめてください」
「私の大事な人なんです~ってか? はっ。アホらしっ。男と女なんて寝るか寝ねぇかだろ。そもそもお前はあのガキと寝てんのかよ」
「……あなたに言う必要はありません」
リズの間を置いた言を聞くと、マルスは下卑た笑みをその口元に浮かべる。
「その顔はねぇーな。けっ、なんだそれ。お前、あのガキの何なんだ? お前に手ぇ出してこなくてもあのガキはお前の知らねぇところで他の女と楽しんでっだろうよ」
「ユウはそんなことしません」
「お前の中でのガキはそうかもしれねぇな。だがお前の見ているガキだけが真実か? 男はみんな女に言い寄られたらホイホイ手ぇ出す生き物だぜ? 言い寄られてなくても手を出すのが男だ。なのにお前には手ぇ出してねぇ。お前を女と見てねぇってことなんじゃねぇのか?」
この男は年がら年中発情期なのだろうか。年の頃はネロに近いように感じる。しかし、ネロと比べるのすら申し訳ない程に下品の塊としか思えなかった。加えて考え方が非常に偏っている。男が全て自分と同じだと思っているのだ。副団長という立場にある者が見ている世界としては狭すぎる。その狭い世界の枠に、ユウという最愛の人をはめ込んで欲しくはなかった。ユウという一人の男性を、そんな狭い世界におさまる人なのだと軽んじて欲しくなかった。
「……これ以上、ユウを侮辱しないでください」
リズの堪忍袋の緒は限界を迎えかけていた。早く開始の合図がされてほしいと、握る拳が怒りに震える。
目の前のこの男に、ユウの何がわかるというか。自分がユウを愛している想いがどうこう言われるのは構わない。しかし、自分を愛してくれているユウの想いを侮辱されるのは我慢ならなかった。ユウが真っ直ぐに自分を想ってくれているのは身に染みてわかっている。自分に触れてこないのはエリーやルカが常々傍にいることもあってそういう機会がないからだと思っている。触れ合いたい気持ちがあるのは、自分もユウも同じだと信じて疑っていない。自分を見つめるユウの瞳にも常々愛情を感じている。そのユウの想いだけは、誰にも汚されたくなかった。
それが例えこの神都で名高い騎士団の副団長であっても許せなかった。
「試しに今晩、あの娘と2人っきりにしてみろよ。そうなりゃあのガキでも手籠めるだろうぜ。何なら歓楽街に行くことを勧めてみてもいい、お前のことなんて放ったらかしにして喜んで楽しみに行くだろうぜ。だからお前は俺様の部屋に来りゃいい」
試合開始の合図がされたのと、リズの堪忍袋の緒が切れたのが同時だったのは幸いと言えるだろう。マルスの発言を耳にしたリズは、大地を蹴ってマルスへ向かって拳を振りかぶっていた。
「剣じゃねぇのかよ」
飛び掛かるリズに拍子抜けしたように、マルスは顔の前で両腕を交差してその拳を受け止め――られなかった。
「あ?! おぁぶぁっ?!」
ドラゴンが大地に降り立ったような震動と轟音が響き渡ると、砂煙が会場を包む。
リズの振り抜かれた拳はマルスの両腕の防御ごと顔面を撃ち抜くと、マルスは一瞬で結界の壁まで弾き飛ばされていた。
砂煙が晴れると、壁を背に崩れるように座りこみ鼻血を垂れ流すマルスの姿が目に映る。立ち上がる気配は感じられない。
リズはマルスに近づくと進行役に試合終了を促す合図を送ったが、進行役もあの鬼人マルスが一撃で、しかも拳一発で沈むわけはないとリズに首を振る。
リズはしゃがみ込むと、マルスの頬を平手で数回叩く。するとマルスは朦朧としながらも意識を取り戻した。
「立てる? 立てないなら終わりにしてもらうわよ」
「ざ……っけんな……立てねぇわけ……ねぇだろ……」
そう言いながらも立ち上がるマルスは誰の目から見ても危うい程にふらついていた。
「これ以上無様な姿を晒すのはやめておきなさい。あなたのファンが泣くわよ」
「俺……は……お前を……の女に……」
「残念でした。私、自分より弱い男に興味ないの。それにあなたにとっては魅力のないガキかもしれないけど、私にとっては大事な大事な、あなたなんかとは比べものにならないくらい魅力的なユウがいるので諦めることね」
ふらつくマルスの額をリズが中指でピンッと弾くと、マルスは糸が切れた操り人形のように大地へと崩れ落ちたのだった。
◇◇◇
「お疲れ様、圧勝だったね! ってちょっ?! リズ?!」
大歓声が鳴り止まぬ中、副団長マルスを殴り飛ばして快勝したリズを迎えると、リズはユウに抱きつく。
どうしたのかと理由を聞こうと思ったところで震える吐息を感じ、ユウも何も言わずに抱きしめ返して頭を撫でる。
この世界に来て数ヶ月が経ち、最初大きく差のあったユウとリズの身長は最近ではそれほど目立たなくなって来ている。成長期のユウがリズを越す日も近いだろう。それはユウの悲願でもある。
やはりこうして抱きしめる時など、ちゃんと包み込んであげられるような体躯でありたいと思うのだった。
「ユウ――」
「ん?」
「あとでご褒美ちょうだいね。副団長に勝ったご褒美」
「うん、いいよ。じゃあ僕も団長に勝ってご褒美もらわないと」
「うん……いってらっしゃい」
名残惜しそうにリズが身体を離していく。
周りから見られることを苦手とするリズがこんな観衆のど真ん中でこんなにも甘えた様子を見せるなんてどうしたというのだろうか。
副団長との戦いの前に何かを話していたことが関係しているとしか思えなかった。
◇◇◇
「すまんな、うちのクズがお主の連れ合いを不快にさせてしもうたようでな」
クズというのは話の流れからマルスのことだろうと思われた。向かい合う銀髪サイドテールの美少女、騎士団長シルフィはマルスがリズにしたことに対して詫びてくる。
「まだ話は聞いてないんですが、そういうことなんですね」
「あのクズは戦うことと、女と寝ることしか考えていないんじゃよ。あの娘にも、今晩、自分の部屋に来いとかわめいておったわ」
「声、聞こえたんですか?」
「騎士団の中にも精霊士はおるからの。届けてもらっただけじゃよ」
「あぁ、なるほど」
その手があったか、とユウは初めてそこで気がついた。戦闘に臨む2人の会話を精霊に運んでもらえば何が起こったのかよくわかる。
しかしそれはある意味盗聴なのではなかろうかとあまり前向きに実践しようとは思えなかった。
それにしても、そういうことだったのか。リズのあの元気のなさは、副団長の、所謂セクハラが原因だったのだ。結果としてぶちのめしてはいるものの、かなり精神的ダメージを受けていたようだった。あとでちゃんと、いたわってあげねばと思う。
「話は変わるが、あの娘にはお主も気をつけよ」
「……どういうことですか?」
シルフィの言葉が、今度はユウの逆鱗に触れる。リズを侮辱されていると感じたのだ。
「あぁすまぬ。そう怒るな。決してあの娘を悪く言うつもりはない。ただ、あの娘は戦士として優しすぎる。頑丈な身体を持っていても、あの心持ちではいつか死ぬぞ」
「あれがリズですから」
「生き方を貫いた結果なら、死んでも構わぬと申すか?」
「まさかっ! 僕が絶対に死なせません。リズに出来ないことがあるのなら、それは僕の役目です。彼女が彼女らしく生きられるように、僕はここにいます」
「ふむ。補い合う、か。お前にはそれが出来るだけの力があると?」
「そのつもりです。……いえ、出来ます」
「よい。その覚悟、見せてみるがいい。娘が出来なかった我の撃破をお主がやり遂げ、その力を見せてみよ」
言われなくても見せてやる。ギフティア最強と言われる騎士団長シルフィード。例え最強の存在であろうが、自分には勝てない相手がいてはいけないのだ。勝てないということは、リズを守れないということに直結するからだ。
自身のあるべき姿を思い描き、ユウは深呼吸をする。
そして盛大に、狂気的に、開始の合図が響き渡る。
長きに渡る闘技大会の最終決戦が、始まった。
「お誉めに与り光栄です、マルス副団長」
闘技大会最終日。
開催後に突如変更となったスケジュールの最終日を締めくくるのは、優勝者vs騎士団長、準優勝者vs副団長の特別試合。大歓声の中、最初に執り行われたのは準優勝者リズと副団長マルスの試合だった。
白金色の鎧と所々顔をのぞかせる美しき白い肌が眩しいリズに対して、マルスの鎧は魔法都市遺跡で顔を合わせた副団長ギルと同じく全身をくまなく覆っており、その逆立つ紅い短髪が炎のように猛々しい。加えてリズより二回りは大きい巨躯でリズを睨む双眸も獲物を狩らんとする猛獣のように鋭く光っていた。
2人は今、進行役がリズの大会での活躍ぶりを紹介している中、会場の中心で対峙して開始の合図を待っており、リズも来たるべき瞬間に備え集中力を高めようとしていたところだった。そこにマルスが話しかけてきたというところだ。
「シルフィと違ってお前の売りは力なんだろ? 俺様も力にゃ自信がある。どうだ、俺様の女にしてやろうか?」
「……は?」
あまりにも唐突な話にリズはまともに言葉を返せずに呆けてしまう。
「俺様の女にしてやるって言ってんだよ。そんだけ美人でもあんな馬鹿力だと男なんて囃し立てるだけでお前を女としてなんか見ねぇだろ? お前も本当のところ、寂しいんじゃねぇのか?」
リズは目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。目の前にいるのは神都騎士団の副団長と言われている者だ。このギフティアを守る騎士団の副団長となればそれは高貴で紳士な人物に違いない。少なくともギルはイメージ通りの紳士だった。
しかし、今目の前にいる者からは紳士らしさのカケラも感じない。粗野な言葉遣いに、人に全く配慮する気配のない話題の振り方。リズの思い描く騎士道からは程遠かった。
「寂しくなどありません」
「遠慮なんかすることねぇ。何なら今晩から俺様の部屋に来ればいい」
「いえ、お断りします」
「俺様と寝たい女なんて山程いる。そんな俺様に選ばれたんだ。誇っていいんだぜ?」
「……私には心に決めた人がいるので」
マルスの誘いに心動かされるものがあるわけもなく、リズは一刻も早くこの会話を切り上げたかった。
しかし、マルスは確固たる意志で拒絶するリズの様子に不快を感じたのか、更に会話を続ける。
「優勝したあの青くせぇガキんちょか?」
「……」
「あんなガキの何がいいんだ? チョロチョロ動き回るだけだし、お前が負けたのも正直、意味がわからねぇ。ガタイがいいわけでもねぇし若くてガキ臭い。男のよさなんて何もねぇだろ」
自分のことをバカにされたり悪口を言われるくらいならリズは平常心を保てたはずだった。しかし、目の前の男の思慮に欠けた言葉の矛先が、愛する人に向くのはリズには耐え難いことだった。
「ユウのことを悪く言わないでください」
「だいたいあのガキ、隣に金髪の可愛い嬢ちゃんをはべらせて観戦とはいい御身分じゃねぇか。お前の一方的な恋慕ってことか?」
リズから見ても確かにメルは美しく可憐な少女であり、ユウと隣同士に立てばお似合いに見える。しかし、見えるだけであり、それは真実ではない。ユウと恋仲である者は自分であるということは、リズにとっては譲れないことだった。
「いえ……違います。決して一方的ではありません」
「じゃぁ何か? 傍にいつも誰かしら女をはべらせておくのが、魅力のねぇガキにできる精いっぱいの見栄なんかね?」
(ユウに魅力がないですって?! この赤髪ゴリラは何を言っているのかしら。あなたの方がよっぽど魅力ないわよ!)
リズは苛立ちにより胸の内でマルスを罵詈していた。しかし、それを内心で抑えることができていたのは、まだリズの理性が保たれている証でもあった。この男はこれでもこの神都の騎士団の副団長なのだから失礼があってはいけないと。
そして深呼吸をして、再び、マルスの発言の抑制を試みる。これ以上、大事な人を貶められれば自分を律しておく自信がない。
「やめてください」
「私の大事な人なんです~ってか? はっ。アホらしっ。男と女なんて寝るか寝ねぇかだろ。そもそもお前はあのガキと寝てんのかよ」
「……あなたに言う必要はありません」
リズの間を置いた言を聞くと、マルスは下卑た笑みをその口元に浮かべる。
「その顔はねぇーな。けっ、なんだそれ。お前、あのガキの何なんだ? お前に手ぇ出してこなくてもあのガキはお前の知らねぇところで他の女と楽しんでっだろうよ」
「ユウはそんなことしません」
「お前の中でのガキはそうかもしれねぇな。だがお前の見ているガキだけが真実か? 男はみんな女に言い寄られたらホイホイ手ぇ出す生き物だぜ? 言い寄られてなくても手を出すのが男だ。なのにお前には手ぇ出してねぇ。お前を女と見てねぇってことなんじゃねぇのか?」
この男は年がら年中発情期なのだろうか。年の頃はネロに近いように感じる。しかし、ネロと比べるのすら申し訳ない程に下品の塊としか思えなかった。加えて考え方が非常に偏っている。男が全て自分と同じだと思っているのだ。副団長という立場にある者が見ている世界としては狭すぎる。その狭い世界の枠に、ユウという最愛の人をはめ込んで欲しくはなかった。ユウという一人の男性を、そんな狭い世界におさまる人なのだと軽んじて欲しくなかった。
「……これ以上、ユウを侮辱しないでください」
リズの堪忍袋の緒は限界を迎えかけていた。早く開始の合図がされてほしいと、握る拳が怒りに震える。
目の前のこの男に、ユウの何がわかるというか。自分がユウを愛している想いがどうこう言われるのは構わない。しかし、自分を愛してくれているユウの想いを侮辱されるのは我慢ならなかった。ユウが真っ直ぐに自分を想ってくれているのは身に染みてわかっている。自分に触れてこないのはエリーやルカが常々傍にいることもあってそういう機会がないからだと思っている。触れ合いたい気持ちがあるのは、自分もユウも同じだと信じて疑っていない。自分を見つめるユウの瞳にも常々愛情を感じている。そのユウの想いだけは、誰にも汚されたくなかった。
それが例えこの神都で名高い騎士団の副団長であっても許せなかった。
「試しに今晩、あの娘と2人っきりにしてみろよ。そうなりゃあのガキでも手籠めるだろうぜ。何なら歓楽街に行くことを勧めてみてもいい、お前のことなんて放ったらかしにして喜んで楽しみに行くだろうぜ。だからお前は俺様の部屋に来りゃいい」
試合開始の合図がされたのと、リズの堪忍袋の緒が切れたのが同時だったのは幸いと言えるだろう。マルスの発言を耳にしたリズは、大地を蹴ってマルスへ向かって拳を振りかぶっていた。
「剣じゃねぇのかよ」
飛び掛かるリズに拍子抜けしたように、マルスは顔の前で両腕を交差してその拳を受け止め――られなかった。
「あ?! おぁぶぁっ?!」
ドラゴンが大地に降り立ったような震動と轟音が響き渡ると、砂煙が会場を包む。
リズの振り抜かれた拳はマルスの両腕の防御ごと顔面を撃ち抜くと、マルスは一瞬で結界の壁まで弾き飛ばされていた。
砂煙が晴れると、壁を背に崩れるように座りこみ鼻血を垂れ流すマルスの姿が目に映る。立ち上がる気配は感じられない。
リズはマルスに近づくと進行役に試合終了を促す合図を送ったが、進行役もあの鬼人マルスが一撃で、しかも拳一発で沈むわけはないとリズに首を振る。
リズはしゃがみ込むと、マルスの頬を平手で数回叩く。するとマルスは朦朧としながらも意識を取り戻した。
「立てる? 立てないなら終わりにしてもらうわよ」
「ざ……っけんな……立てねぇわけ……ねぇだろ……」
そう言いながらも立ち上がるマルスは誰の目から見ても危うい程にふらついていた。
「これ以上無様な姿を晒すのはやめておきなさい。あなたのファンが泣くわよ」
「俺……は……お前を……の女に……」
「残念でした。私、自分より弱い男に興味ないの。それにあなたにとっては魅力のないガキかもしれないけど、私にとっては大事な大事な、あなたなんかとは比べものにならないくらい魅力的なユウがいるので諦めることね」
ふらつくマルスの額をリズが中指でピンッと弾くと、マルスは糸が切れた操り人形のように大地へと崩れ落ちたのだった。
◇◇◇
「お疲れ様、圧勝だったね! ってちょっ?! リズ?!」
大歓声が鳴り止まぬ中、副団長マルスを殴り飛ばして快勝したリズを迎えると、リズはユウに抱きつく。
どうしたのかと理由を聞こうと思ったところで震える吐息を感じ、ユウも何も言わずに抱きしめ返して頭を撫でる。
この世界に来て数ヶ月が経ち、最初大きく差のあったユウとリズの身長は最近ではそれほど目立たなくなって来ている。成長期のユウがリズを越す日も近いだろう。それはユウの悲願でもある。
やはりこうして抱きしめる時など、ちゃんと包み込んであげられるような体躯でありたいと思うのだった。
「ユウ――」
「ん?」
「あとでご褒美ちょうだいね。副団長に勝ったご褒美」
「うん、いいよ。じゃあ僕も団長に勝ってご褒美もらわないと」
「うん……いってらっしゃい」
名残惜しそうにリズが身体を離していく。
周りから見られることを苦手とするリズがこんな観衆のど真ん中でこんなにも甘えた様子を見せるなんてどうしたというのだろうか。
副団長との戦いの前に何かを話していたことが関係しているとしか思えなかった。
◇◇◇
「すまんな、うちのクズがお主の連れ合いを不快にさせてしもうたようでな」
クズというのは話の流れからマルスのことだろうと思われた。向かい合う銀髪サイドテールの美少女、騎士団長シルフィはマルスがリズにしたことに対して詫びてくる。
「まだ話は聞いてないんですが、そういうことなんですね」
「あのクズは戦うことと、女と寝ることしか考えていないんじゃよ。あの娘にも、今晩、自分の部屋に来いとかわめいておったわ」
「声、聞こえたんですか?」
「騎士団の中にも精霊士はおるからの。届けてもらっただけじゃよ」
「あぁ、なるほど」
その手があったか、とユウは初めてそこで気がついた。戦闘に臨む2人の会話を精霊に運んでもらえば何が起こったのかよくわかる。
しかしそれはある意味盗聴なのではなかろうかとあまり前向きに実践しようとは思えなかった。
それにしても、そういうことだったのか。リズのあの元気のなさは、副団長の、所謂セクハラが原因だったのだ。結果としてぶちのめしてはいるものの、かなり精神的ダメージを受けていたようだった。あとでちゃんと、いたわってあげねばと思う。
「話は変わるが、あの娘にはお主も気をつけよ」
「……どういうことですか?」
シルフィの言葉が、今度はユウの逆鱗に触れる。リズを侮辱されていると感じたのだ。
「あぁすまぬ。そう怒るな。決してあの娘を悪く言うつもりはない。ただ、あの娘は戦士として優しすぎる。頑丈な身体を持っていても、あの心持ちではいつか死ぬぞ」
「あれがリズですから」
「生き方を貫いた結果なら、死んでも構わぬと申すか?」
「まさかっ! 僕が絶対に死なせません。リズに出来ないことがあるのなら、それは僕の役目です。彼女が彼女らしく生きられるように、僕はここにいます」
「ふむ。補い合う、か。お前にはそれが出来るだけの力があると?」
「そのつもりです。……いえ、出来ます」
「よい。その覚悟、見せてみるがいい。娘が出来なかった我の撃破をお主がやり遂げ、その力を見せてみよ」
言われなくても見せてやる。ギフティア最強と言われる騎士団長シルフィード。例え最強の存在であろうが、自分には勝てない相手がいてはいけないのだ。勝てないということは、リズを守れないということに直結するからだ。
自身のあるべき姿を思い描き、ユウは深呼吸をする。
そして盛大に、狂気的に、開始の合図が響き渡る。
長きに渡る闘技大会の最終決戦が、始まった。
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