生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした
8.伝えたい覚悟
「これ、このまま歩いていたらどれだけ時間がかかるんだろう?」
早い昼食を終え、僕らはまた街に向けて歩き出していた。
街はまだまだ遠い。森を抜けて街道を歩けばこの目に見えている街までは近いと思ったが、実際に歩いてみるとその距離が歩くのに容易でないことは明白であった。時間的には恐らく正午を過ぎており、日差しは強くなるばかり。暑さとの闘いでもあった。
「この距離だと今日はまだ街につけないわね」
今日も野宿か。昨日は水場も傍にあったからよかったけど、この平原の様子だと今日の野宿で水場を見つけることはできなさそうだ。汗もひどいし、今日は水浴びをしたかったものだ。などと思っていると、前方から激しい音と振動が伝わってきた。砂煙が見え始め、荷馬車と思われるものがすごい勢いで迫ってきている。元の世界では感じられないその迫力ある勢いに目を奪われていると、それは僕達の目の前でその勢いを止めた。確かにそれは馬車だった。馬はこの世界にもいるようだ。
「あっ、あんた達、冒険者だろ?!」
ボロボロに傷んだ服を着た御者が懇願の瞳をこちらに向けながら問いかけてくる。何か事件でもあったようだ。こういう世界で冒険者に声をかけてくる人は、たいてい何かに巻き込まれているに間違いない。依頼の発生である。
「はい、どうかされ――」
「助けてくれっ! 賊が俺の荷物を狙っているんだ、荷台には娘もいる。頼む! 報酬は弾むから! 助けてくれ!」
落ち着いた様子で聞き返すリズの言葉を最後まで聞かずにまくしたてる。
荷台を覗くと確かにエリーくらいの女の子が上品なドレスを身に纏い肩を震わせ身を縮ませている。恐怖からか頭からは毛布をかぶっており、その顔は見えない。
「賊は何人ですか?」
リズのことだ。助けることは決まっている。ならば賊と戦う前に、心の準備をしておこう。
「よ……4人だ、3頭の馬で向かってくる。1頭は2人乗り。残り2頭は1人乗り」
「わかりました。あなた達は私達の後方へ」
リズが長剣を抜き、エリーと共に御者の前に移動する。前を見れば御者の言う通りの数の賊が見えてきた。
「ユウも後ろにいて。最初の実戦の相手が人なのは、結構辛いから」
そうはいかない。相手は4人。リズとエリーの実力は知らないけれど、だからといってこの状況を後ろで見ているだけなど男が廃る。どんな苦境も乗り越えなければ、この世界までリズを追いかけてきた意味がない。情けないことに足の震えは止まらなかったが、それでもリズの隣に立ち、僕は腰の剣を抜いた。
「心配してくれてありがとう。でも、ここだけは譲れないよ。一緒に戦う」
「……わかった。絶対に無理はしちゃダメだからね」
程なくして賊が目の前まで来た。個々に馬に乗っている大柄な男が2人。残りの2人の男はどちらかというと小柄だ。
「なんだお前ら?」
3頭の馬のうち、ひと際大きい馬に乗っている男が馬上から僕らを見下ろす。
「この荷馬車の護衛よ。この荷馬車に用がないなら通っていいわ。この荷馬車に用があるなら、ここから先は通さない」
リズのその言葉を聞くと下卑た笑みを浮かべ、男達は馬を降りる。
「こういう土産もありだな……ゲハハ。おいお前ら、この小娘は俺が可愛がるから、お前らはこっちの野郎とちっこいのを適当にやっとけ」
大柄な体躯で指示する有り様。この男がリーダー格なのだろう。それはつまり、この男がこの賊の中で一番強いことの表れでもあった。
「待ちなよ、おっさん、あんたの相手は――」
「ユウ! 大丈夫。余裕よ、こんな奴に負けないから」
「へっ……威勢のいい女は嫌いじゃねぇぜ。その威勢を叩き潰して言うことを聞かせる瞬間が最高なんだよなぁ」
下卑た笑みを作り出すその口元で舌なめずりするリーダー格の男。その行動には不快しか感じない。
「ほら、来いよ! お前も俺が調教してやるぁ!」
その男の発言に、リズの表情が嫌悪感に歪み、同時にリズが男に切りつけるべく足を踏み出した。リズのその剣を、背負っていた大剣で素早く受け止めた男は力強いリズの一太刀に一瞬たじろいだ。
その光景には見向きもせずに、エリーが小柄な男2人に歩いていく。エリーは2人を相手にするようだった。
「エリー?!」
「問題ない。ユウはもう1人をお願い」
竜族の強さ。僕はまだそれを知らないが、その堂々たる姿に安心を覚えながら、僕はもう1人の大柄な男に向かって走る。
足の震えをごまかすように男の周りを小走りに動きながら、ヒット&アウェイを繰り返す。数回剣を振るったところで、足の震えはおさまっていた。人に対して刃物を振るうことに抵抗がない自分に一瞬驚いたが、それも当然である。自分にとって大事なものは目の前の賊をどうするかであり、リズを守ることなのだ。抵抗感など皆無である。
遊撃士などの職業は力がない分、スピードと手数で敵を振り回すのがセオリーだ。だが、全然有効打を与えられていない。鎧に遮られ、剣がその身に届かないのだ。
そうして攻めあぐねていると次の瞬間、突如、小柄な男達2人が泡を吹いて倒れたのが見えた。
「なっ! てめぇら! なにしやがった!」
リーダー格の男が、剣撃の金属音を響かせながら叫ぶ。
僕も何が起こったのかわからなかった。その男達の方にいたエリーを見ると、平原に吹くそよ風のせいか、それとも今の攻撃のせいか定かではないが、エリーのかぶっていたフードが脱げ落ち、その角を露わにしていた。
「なっ?! 竜族だとっ! くっ!」
エリーの様子に気を取られたのは僕も目の前の男も同じだったが、次の行動に移るのが早かったのは目の前の男の方だった。これが経験の違いか。僕はその男に剣の柄で顔を殴られ、無様に吹っ飛ばされた。
「ユウ!」
心配そうに叫ぶリズに手を上げ、無事であることだけを知らせる。
男は僕を殴り飛ばすと、僕よりも危険と判断したエリーに向かって走り、切りかかる。
エリーにその剣が届く寸前、その男も操り人形の糸が切れたように足から崩れ落ちた。先ほどの男達と同じように、口から泡を吹いて。
「ちっ、やべぇな……」
リーダー格の男はさすがに焦り始めたが撤退する素振りは見えない。
嫌な予感がする。そうなってほしくはない願望と、そうなることがほぼ見えている未来に直面した時に感じるあの嫌な感覚。
すると、リーダー格の男が剣を引いた。
「相手が竜族じゃ、もうどうしようもねぇ。降参だ、降参。命だけは助けてくれ」
「街に戻って償う気はあるの?」
「死ぬよりゃマシだよ」
「そう、まだ話が通じるようで何よりだわ」
そしてリズもまた構えていた剣をおろす。
その刹那、リーダー格の男が叫んだ。
「やれ!」
すでに仲間は意識もなく動けないはず。しかしそれは明らかに誰かに向かっての命令だった。
きた! やっぱりだ!
賊の仲間はもう1人いた。リーダー格の男が命令した相手は僕らに助けを求めた御者。リズの背後にいた御者はその手に短剣を持ち、リズに向かって距離を詰めようとしている。背後に気づいたリズは剣を構え直そうとしたが、同時にリーダー格の男もリズに剣を振るう。
案の定だった。だから僕は信じない。リズが信じようとも、僕は信じない。逆に今は、信じ切らなかった自分のことを、裏切られる心の準備をしていた自分のことを褒めたいに思う。リズが傷つく未来など、絶対に実現させない。殴り飛ばされた衝撃が残る体を半身起こしながら、御者に向かって手をかざし、叫ぶ。
「射貫け迅雷!!」
風よりも音よりも早くリズを守れるもの。歩きながらずっと考えていた実現。これが実現できなければ、僕は一生神を恨む。
刹那、激しい閃光が瞬き、御者はその短剣をリズに届かせることなく倒れる。
同時に、リズがリーダー格の男を薙ぎ飛ばし、その勢いで背後の御者へと振り返るが、そこには倒れた御者がいるのみ。決着がついた。
「ユウ!」
未だに起き上がれない僕のもとに、リズが駆け寄ってくる。
「大丈夫?! 鼻血が出てる!」
急いで自分の服の袖を破ろうとしたリズを静止すると、僕は迅雷が実現できたことで気分が高揚したのか、その調子に乗って回復魔法を唱えてみた。
「治癒」
すると鼻血と痛みはいとも簡単に止まり、血の痕跡すら消え去った。その様子を見てリズもほっと胸を撫で下ろす。実現……この能力の優秀さを改めて実感するとともに、リズを守れたことに満足感を覚える。
「先ほどの魔法、見事だった。魔術師でも、あの速さになるのは相当な修練が必要になる。さすが、神の子」
エリーがこちらに歩きながら声をかけてくれる。
「お褒めに預かり光栄だよ。エリーも何したかわからないけど、強いんだね」
「魔力を彼らに感じさせただけ。心の弱い人間は、これだけで倒れる」
それだけ? 要は、迫力で倒したってこと? その魔力をちゃんとした攻撃に使うエリーは、一体果たしてどれほどの強さなのだろうか、想像ができない。
リズに手をとられ身を起こすと、リズは自分のことのように誇らしくエリーを褒めた。
「言ったでしょ、エリーは強いんだって。でも、ユウもすごかったよ、御者が敵だってわかってからのユウの反応速度、びっくりしたもの」
「違和感があったし、やっぱり、僕はそう簡単に人を信じられないみたいだよ。上品なドレスの少女とみすぼらしく言葉遣いの荒い御者を見て、誘拐かもって思ってたんだ。だから即座に反応できたんだと思う」
事実、全てはそういうことだった。
「でも、御者がリズを襲おうとした時、2人とも動じてなかったよね?」
どちらかというと僕だけが緊迫していた気がする。
「だって、リズ、あれくらいへっちゃらだもん」
「え……?」
恥ずかしさの波が立つのを感じる。
「リーダー格の男が命令した瞬間、御者が手下っていうのわかったからさ、実を言うと私だけで対応できたというかなんというか」
なんということだろう。自分は必死でリズを守った気でいたが、僕が守らなくてもリズは自分で対処できていたと言う。確かに、僕が放った迅雷と同時にリーダー格の男はリズに薙ぎ飛ばされており、御者へ反撃する余裕はあったように思える。
「リーダー格の男との斬り合いは、手加減していたってこと?」
「手加減というか調整していた感じね。私、自分の頑強の能力、まだうまく扱えないのよ。下手したら相手が死んじゃうわ」
頑強と合わせて付与されているという剛力の能力の方を言っているのだろう。
リズが気まずそうに、だが、下手に気を遣おうとはせず、真実を伝えようとしてくれている。恥ずかしさの波が大波へと変化し、顔が熱くなるのを感じる。勝手に守った気になって勝手に満足している自分がとても恥ずかしかった。
そんな僕の様子に気付いたのか、照れたようにリズが微笑みかけてくる。
「でもね、嬉しかったよ。初めての実戦で怖かっただろうし、怪我もしていて辛かっただろうに、ユウは瞬時に私のために動いてくれた。本当にユウは私のために必死になってくれるんだなって、嬉しかった。本当だからねっ」
津波となり押し寄せていた恥ずかしさが、いとも容易く喜びとなって凍りかけた僕の心を溶かしていく。そのリズの言葉に癒され安堵し、僕は今日の実戦を乗り越えた達成感と、リズの少し照れた優しい笑顔を忘れないことを誓った。
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