生きる喜びを教えてくれたのは異世界に転生した君でした

T&T

プロローグ

 生きる喜びを感じない人生ほど、つまらないものはない。
 朝起きて学校に行き、何の役に立つかもわからない勉強をして、時たま訪れる休憩時間では一人の女性に想いを馳せる。そして特に言葉を発することもなく学校を終えて、帰り道に墓参りをする。
 僕のつまらない人生に、ほんの一瞬とは言え輝きを与えてくれた大切な人の墓参りだ。今日も欠かさず、僕はその人に手を合わせる。この声が届くことはないとわかっていても――。

 華の高校生と大人達から羨ましがられる存在でありながら、毎日こうしてその人に手を合わせに来る僕にはご存知、友達がいない。
 高校入学式のその日、僕は交通事故に遭い入院。2か月後に初登校した僕の目に映ったのは、すでに出来上がっている友達グループ。独りが寂しくないわけではないが、友達になろうとは思わなかった。そのグループに首を突っ込んでいく勇気がなかった――というのも少なからずあったかもしれない。しかし、それだけでないことは断固として主張しておく。

 僕は『友達』という言葉に、不信感しか抱けないのだ。『友達』というのは正しくない。言ってしまえば『人』を信じることをしたくないのだ。

 仲が良さそうに見えていても果たしてそこに本当の友情はあるのだろうか。仲間が窮地に陥った時、自分の身を犠牲にしてでも守りたいと思っているのだろうか。思っていたとしても、行動に移し、ちゃんと守ることが出来るだろうか。
 いや、出来ない。出来ないことを僕は知っている。だから僕は友達などいらない。故に僕には友達がいないのだ。

 僕は物心ついた時から施設暮らしであり、特に身寄りのある人間ではない。それが理由かはわからないが、いじめ、かげ口、散々な目に遭ってきた。友達だった人達は、いじめがあるといつも手のひらを返すように僕から離れていく。自分達がいじめの標的にならないように。大人である先生達ですら、気づかないふりをするだけだった。そんな毎日は、着実に僕の心を蝕んでいった。

 友達なんて、人間なんて、そんなものなのだ。

 そんなもののはずなのに、今、目の前の墓石で眠るこの人は、全くの赤の他人である僕を守った。トラックが突っ込んで来た入学式のあの日、突然の出来事に、僕は迫り来る大きな塊をただ呆然と見ていることしかできなかった。

 あぁ、死ぬんだな――と状況を理解すると同時に、思いのほかこの命を手放すことに執着のない自分に呆れた。視界の端に自分に駆け寄ってくる女性が見えた途端、衝撃と共に僕の目の前は暗転し、次に気づいた時は病院のベッドの上だった。
 普通であれば親か親戚が見舞いにでも来るのだろうが、人間関係の劣悪な施設暮らしだった僕を見舞う人などおらず、目覚めた僕は担当医から事のあらましを聞く。

 暴走トラックによる交通事故に巻き込まれたこと。そばにいた女性が助けてくれたこと。事故から1か月が経っていること。身体的外傷は奇跡的になく、この1か月の寝たきり状態は精神的なものであること。リハビリをすれば1か月程度で退院できること。

 最後の言葉を聞き、僕は必死でリハビリに励んだ。すぐにでも僕を助けてくれたという女性に会いに行って聞きたかった。何故、見ず知らずの他人のために飛び込んできたのか。今までの経験からは理解できないその人を知りたくてたまらなかった。
 その人に会うための努力リハビリの日々は、僕の今までの人生で一番楽しい日々となった。一日、一日と体の機能が回復することを実感する度、僕はその人に会える喜びに震えていた。
 1か月が経過しリハビリを終える頃、ようやくその女性のことを教えてもらえることになり、僕は嬉々として担当医のもとへと向かった。
 しかし、伝えられた事実は『その女性の死』というあまりにも残酷なものだった。 女性は不幸にも僕を助けて亡くなっており、僕と同様に身寄りがなかったらしく、合同墓地に埋葬されたということだった。
 愕然とした。同時に担当医のやり方に腹がたった。この1か月の僕の必死のリハビリは、最初から報われることなどなかったのだ。

「だから君は、その命を大切にするように」

 事故に巻き込まれる前以上に健康体を取り戻した僕に、担当医のその言葉は重くのしかかった。そして僕は退院してから1か月間、毎日のようにこの墓地に足を運んでいる。

 あなたはどんな人だったんですか。きっと、素晴らしい人だったに違いない。
 あなたは何故僕を助けたんですか。僕には生きる意味も価値もないのに。
 あなたに救われたこの命、どうしたらいいですか。 簡単に捨てるわけにもいかない。
 あなたが生きていれば、あなたのために喜んでこの命を捧げるのに……。

 そうして毎日、同じ問いかけを繰り返す。答えが出ることはないとわかっていても、問わずにはいられなかった。
 何も言葉を発しない彼女を背にし、僕は今日もまたいつものように、彼女のことを考えながら何事もない帰途に着く――はずだった。

 横断歩道で信号待ちをしていると、向かいから小学校低学年と思われるくらいの少年が、溢れる涙をその小さな手で拭いながら走って来る。

 何があったかは知らないが、危ないよ少年。ほとんど前を見てないじゃないか。
 などと思っていると、スピードを緩めることもなく横断歩道に差し掛かる。
 待て待て待て、止まれよ、止まれよ?
 その願いも空しく、少年は横断歩道に飛び出す。そして狙い定めたかのように、乗用車が少年目掛けて向かって来る。
 子供が飛び出したのは自業自得だ。 目の前で死なれたらそりゃ気分は悪いが、僕には関係ない。関係のないことなんだ。
 そうやって自分自身に言い聞かせるも頭をよぎるのは、あらゆる人に見捨てられてきた自分の存在価値の無さ。

 この子には僕とは違って輝かしい未来が待っているかもしれない。
 僕とは違って、たくさんの人に愛される価値ある人間かもしれない。
 僕がこのまま意味なく無駄に生きるより、この子が生きる未来を守る方が、誰もが幸せかもしれない。
 あの人に救ってもらったこの命は、今、この瞬間のためのものなのかもしれない。
 それなら――

「くっ!」

 届け、届け、届け、届けぇぇぇぇ!

 手を伸ばして少年を突き飛ばそうと自分も横断歩道へ飛び出す。

 ――ドンッ!

 僕の手のひらは綺麗に少年を横断歩道の手前まで吹っ飛ばした。響くクラクション、そして急ブレーキの音。車体は止まらない。迫る車体を瞳におさめながら、僕はあの人に謝罪する。
 ごめんなさい。あなたにせっかく助けてもらった命は、ここで終わりかもしれません。でも、あの少年が僕らの分まできっと生きてくれますから。だから僕も、あなたのところに逝かせてください。
 助けてもらった命なのに、あの人の命でもあるはずなのに、生きなくてはいけないという重圧から解放されると思うと、改めて降りかかる死の瞬間を心安らかに迎え入れることができた。

 そして僕は3か月前と同じように、再び、暗転した世界に落ちていった。





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