ねこと一緒に転生しちゃった!?

十六夜 九十九

プロローグ2 先輩に会いたくて。


「先輩っ!」

 私はトラックに撥ねられ道路で倒れている先輩に駆け寄った。

「先輩っ! 先輩……っ!」

 私がどれだけ呼び掛けても、一向に反応を示してくれない。脳裏に最悪な一文字が浮かび上がった。
 でもそれを認めたくなくてずっと呼び掛ける。何度も何度も『先輩』と――。

 そんな時だった。
 先輩の胸元に一匹の黒猫がいることに気付いた。
 けれどその黒猫は、血塗られた白く尖ったものに貫かれ既に絶命している。

「あ、あぁ……、あぁぁっ!!」

 私はもう言葉を発する事は出来なかった。それを見た瞬間理解してしまったのである。

 そう、黒猫を貫いている先輩の骨を見てから――。

 それからはよく覚えていない。現実を受け止めきれず、目の前で起きてしまった惨劇に脳がついていかなかった。
 先輩が救急車に運ばれて行く時も、警察が到着して私に何が起こったのか聞いてきた時も、どうやって家に帰ったかすらも、全て朧気でしかない。

 後日聞いた話だと、トラックの運転手は居眠り運転をしており、アクセルを目一杯踏んでいたそう。そこに先輩が、轢かれそうになる黒猫を助けに行ったが、黒猫諸共撥ねられたらしい。
 先輩を撥ねたトラックの運転手は懲役七年を言い渡され、今は刑務所で服役中であることも聞いた。
 また、先輩の死は、ニュースに『猫を救出しようとした男性が居眠り運転のトラックに撥ねられ死亡』として取り上げられた。

 私には正直そのどれもがくだらないものに思えてしょうがなかった。
 ただ私の中で先輩が"死んだ"という事実がどうしても受け止めきれなかったのだ。

 先輩のお葬式は、先輩が亡くなってから五日後に執り行われ、私もその式に参加した。
 だが式の間も、先輩の死を未だに信じられず、どこか夢であるような気がしていた。

 式が終わり、式場から退出をしようとした時に、同じ会社の社員が先輩の事を話していた。

「おい、聞いたか? アイツ猫助けようとして死んだらしいぜ?」

「マジかよ! カッコつけのつもりだったんじゃね? うっわー、マジキモいわ」

「だよなー。死んで清々したって感じ」

「それな。アイツ、最近マジで調子乗ってたもんな」

 それを聞いた私は、同じ人間として失望に似た感情を抱いた。
 先輩は、決してカッコつけの為に猫を助けようとしたんじゃない! 本当に猫を救いたい一心でそうしたんだ!
 先輩は、全然気持ち悪くなんてない! 先輩はカッコイイし、こんな私にも優しくしてくれる人なんだ。あんた達とは天と地の差がある!
 先輩は……っ! 先輩はっ!!!
 そんな感情が私の心の中で渦巻く。

 どうしても受け止めきれない先輩の死。私にはあまりにも唐突過ぎた。
 式場から帰る中で、先輩の事を考えると、少しづつ生きる気力を失っていった。
 先輩は死んでしまったのだと自分に言い聞かせる度に、胸が苦しくなり、それから逃げるように生きることから目を逸らし始めたからだ。

 人間とは、どうしても自分の中で重要な位置に存在していた人物がこの世から居なくなると、脆く壊れやすくなる。その証拠と言ってはなんだが、居なくなった者に会いたいが為に自殺をしてしまう、後追い自殺という悲しいものがあるくらいだ。

 この時の私の心はもう壊れてしまっていたのだろう。帰宅途中にある踏切が私の目の前で音を立て、遮断桿が降り始めたその時、

 ――死のう。そして、先輩に会おう。

 そう思ったのだから。

 私は喧しく鳴り響く踏切の中に入り込んだ。これで楽になれる。そしてなにより先輩に会える。そう思った。

「君! そこに居たら危ない! 早くそこから退くんだ!」

 踏切に遮られた車の中から誰かが、私にそう言ってきた。
 危ないのは承知の上でここにいる。全ては先輩に会うために。

「早くしないと電車が来てしまう! いいから退くんだ!」

 再び、私に呼び掛ける。だけど私は動かない。今は呼び掛けの声はいらない。むしろ、邪魔だとさえ思っている。

 プオォォォンッ!!!

 電車の汽笛の音が聞こえて来た。

 もうすぐ先輩の元に行ける。
 先輩の元に行ったら話したい事や聞きたい事が沢山ある。先輩の子供の時の話とか普段の生活なんて他愛のない話でもいい。

 でもその前に、沢山の迷惑を掛けたことを謝りたい。
 先輩は許してくれるだろうか。あの優しい先輩の事だから許してくれるのかもしれないし、優しいが故に死んだ事に対して叱責してくるかもしれない。
 もし怒ったとしても大目に見て欲しい。だって、こんな事をするのは先輩の事が――

「彩夏っ!!」

「えっ……」

 それは電車がギリギリまで迫っていた時の事だった。
 誰かに抱きかかえられ、そのまま脇に飛ばされた。地面に勢いよく倒れたことで肘を打ち、強い痛みが走る。
 一方で、すぐそこまで迫っていた電車はガタゴトと音を立て、風を巻き起こしながら、私の横を通り過ぎて行った。

 何故、死なせてくれないのか。私の心の中はそれで埋め尽くされた。
 それから上体を起こした私はずっと俯いていた。死ねなかった。先輩に会えなかった。そのことばかり考えていた。この時の私は一つも正気ではなかった。
 ――でも、私の名を呼ぶ声だけはしっかりと私の耳に入ってきた。

「……か! 彩夏っ! 顔を上げろっ!」

 その声の言う通りに顔を上げると、左頬に強い衝撃が走った。
 一瞬何が起こったのか分からなかった。だけど、私の意識は現実まで戻ってきて、徐々に正気を取り戻す。

「彩夏! あんた今、何をしようとしてたか分かってるの!?」

 三度『彩夏』と呼ぶその人の顔を、今、ようやく、はっきりと認識をした。

「り……え……?」

「そうよ! 私が助けなかったら、彩夏は死んでたんだよ!?」

 彼女は、陸道(りくどう) 梨絵(りえ)。会社の同僚であり、私の親友だ。

「りえ……なんで……」

 私はその梨絵がどうしてこんな所にいるのか全く分からなかった。今日一日、顔を見ていなかったし、ましてや家の方向なんて、私とは反対だったから。
 でも、梨絵はそんなことお構い無しに、怒った顔で私を見つめる。

「なんでって、彩夏の様子がおかしかったから追いかけてきたに決まってるでしょ!」

「私、そんなこと頼んで――」

「彩夏っ!!!」

「――っ」

 梨絵の私を咎めるような声には、怒りや悲しみ、そして何より"優しさ"が詰まっていた。

「彩夏……。私、先輩が亡くなって彩夏が辛い思いしてる事知ってるよ。私だって身近な人が亡くなって辛いもん。彩夏の場合は私以上だよね」

「…………」

 梨絵は私を柔らかく包み込む。そして、優しく、赤子を撫でるように、私の頭を撫でてくれる。

「でも、だからって死のうとしちゃダメだよ……。彩夏が死んだら私どうすればいいのかわかんなくなっちゃうよ……」

 梨絵の声が震える。私を撫でる手に力が入るのが分かる。

「りえ、泣かないで……」

「私は泣いてないよ。ただちょっと想像したら悲しくなっちゃっただけ……。それに、私より泣かないといけない人いるもん。ね、彩夏」

「え……?」

 梨絵は私を撫でるのをやめて、両の手で私を抱いた。梨絵の温もりは冷めてしまっていた心を溶かすように、そして命を守るかのように、静かに、柔らかく、暖かに包み込む。

「彩夏、先輩が亡くなってから一度も泣いてないよね?」

 梨絵に言われて、今までの五日間の日々を思い起こした。曖昧な記憶ながらも、先輩がトラックに撥ねられてから今まで、一度も涙を流していない事ははっきりと覚えている。全て梨絵の言う通りだった。

「もう泣いていいんだよ。ちゃんと泣いて、ちゃんと受け止めないとダメなんだよ……。ね?」

「うん……」

 梨絵の優しさにとても救われる。梨絵の思いやりが心に染みる。

「我慢しなくていいからね。私が付いてるから。だから……」

「うん……! うん……っ!」

 そこで初めて涙を流した。
 涙が出るのと同時に、今まで心の奥底に溜まっていたものが一気に溢れ出てくる。

「わたっ……私っ! 先輩にあんな態度取らなければ良かったっ! あんな最後なんて嫌だ……!」

 先輩が撥ねられる直前の事を思い出していた。
 あんなのが最後になるなんて思わなかった。先輩から声かけて貰えたのに素っ気ない態度を取ってしまった。ちゃんと先輩と話していればこんな後悔もしなかったのに。

「先輩に嘘をつかなければ良かった……っ!」

 『彼氏が出来た!』なんて言うのは、全部嘘だった。ただ先輩の気を引きたかっただけだった。だけど結局、私が先輩と離れることに我慢出来なくて、自分から近付いた。

「先輩ともっと話したり、笑ったりしたかったっ!」

 いつでも優しかった先輩……。どんな時でも態度を変えずに私に接してくれた先輩……。自分が辛いはずなのにいつでも気にかけてくれた先輩っ!

「先輩に……っ! 先輩に好きって言いたかったよぉ!」

 私の大好きな先輩っ! 彼女がいない事が悩みだった先輩っ! たまに見せる笑顔がとても好きだった! 私をちゃんと見てくれる先輩が好きだった! そんな先輩が愛しくて、ずっと傍に居たかった!

「先輩に会いたいよぉ!!」

 そんな先輩にもう会えないなんて信じられなかった。それを受け入れるなんて苦痛でしかなかった……。

「辛かったね。今まで良く頑張ったね」

「私……! 私っ!」

 それから私は泣き続けた。先輩が居なくなってから今まで流していなかった分を全て出すかのように、梨絵の胸の中でひたすら泣きじゃくった。
 つっかえつっかえで、先輩への想いを吐露していく。溢れ出てくるこの気持ちを抑える事なんて無理だ。
 今先輩に会えたらどれだけ嬉しいだろう。好きって言えたらどれだけ幸せだろう。でもその願いは叶う事はない。私の言葉も想いすらも伝える事は、もう不可能な事だ。だって、伝える相手がこの世にいないのだから――。



 私が泣き止んだのは先輩の死を受け止めた少し経ってからの事だった。

「彩夏、落ち着いた?」

「うん……」

「もう死のうとしたりしない?」

「うん……」

「なら良し。彩夏に大事がなくて良かった」

「ありがとう、梨絵。それとごめんね」

「ううん、いいの。だって私達、親友でしょ?」

「うん……!」

 もうこの世に先輩はいない……。だけど、私には梨絵が付いている。先輩がいないのは、まだ辛くて苦しい。たまに泣くことがあるかもしれない。

 ――でも、強く生きて行こうと思う。猫の命を守ろうとした優しい先輩の分まで。

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